第3話 近衛家



 あれから約一年たって僕もかなりこの状況を受け入れられた。そしてあのあとは本当に大変だった。


 看護師さんやお医者様たちは、近衛私立病院の出資者である近衛家の娘の命の危機ということで「病院がぁぁぁぁっ!」って、てんやわんやだったし。僕の心肺が停止したことの知らせを受けた両親が、文字通りにヘリコプターで飛んできて「死んじゃいやぁぁぁっ!」って大泣きするし。


 僕は心臓が止まって意識を失っていたのは、ほんの数分くらいのことですぐに目が覚めたから、みんなを宥めるのに苦労したよ。


 まぁ、それだけ相棒を失った悲しみがショックだったってことだったてことさ。心肺停止するくらいに。今だって、ちょっと切ない気持ちになるしね。


『それではこれにて、藤ノ花学園高等科入学式を閉式いたします。一同、起立!』


 おっと、あの日を思い出してセンチな気分になっていたらいつの間にか入学式が終わっていたみたい。


 僕も周りと同じように、いかにもちゃんと聞いていたようなすまし顔を作って礼をする。


 目覚めてからのこの一年弱の特訓のおかげか、態度や表情や仕草など、取り繕うことは自然にできるようになった。女の子としても、そして近衛家の令嬢としても。


 式が終わると、一番前に座っている一年一組から順番に講堂から教室へぞろぞろと戻っていく。


 藤ノ花学園高等科は一学年に六つのクラスがあって、一組から四組が内部生で五、六組が外部生と一部の内部生といったように分けられている。


 普通なら外部生も内部生も均等にクラス分けをすべきところなんだろうけど、この学校は特殊な家柄の生徒が多いからか、揉め事を起こさないように、それから徐々にお互いに慣れさせるために意図的に分けれているんだろう。


 なにせ内部生には政治家の家系とか、財閥の家系とか、元貴族の家系とか、そういうお坊ちゃんやお嬢様が多いわけで、若干選民思想というか内部生には外部生を見下す人も割と多い。


 逆に外部生も内部生のことを『お高くとまった奴』とか『親の七光り』とか言ってバカにしたりしている。


 だから最初の一年だけは無用なトラブルを避けるためにあえてこうしてるわけだ。二年生からはお互いに慣れてくるために均等にクラス分けされることになる。


 ちなみに僕は二組だった。実は僕、初等科に入学していて内部生ということになっている。初等科と中等科は病気のせいでほとんど行けなかったけれど、病気が治ってこうして高等科から通うことになったわけだ。


「近衛さん、君もクラスに戻っていいよ」


「はい」


 隣に座っていた先生に言われて僕も二組の教室に向かう。僕は新入生代表の言葉をしなくちゃいけなかったから、一人だけ教員側に座っていたため、戻る時は後ろから行かなきゃいけないからちょっと遠回りだ。


 なるべく優雅に見えるように心がけながら歩いていると、在校生席や保護者席の方からコソコソと小さな話し声が微かに聞こえて来た。


「見て‥‥‥あれが‥‥‥」


「今まで入院していたという。そうか、今年から‥‥‥」


「しかも先ほど新入生代表をしていたということは、成績最優秀者か‥‥‥」


「近くで見たら‥‥‥いやはや、なんてうつくしい‥‥‥」


「あれが近衛家のご令嬢‥‥‥」


 あ~はいはい。いつも通りの反応をありがとう。本心かどうかは知らないけど、そこらの男子や狸オヤジ共に言われても嬉しかないわ! 女の子になって出直してこい!


 まぁ、僕のことを珍しがるのもわからなくはないけれどねぇ‥‥‥。もしも和泉澪の時の僕が近衛澪を見ても同じような反応になるだろうし。


 なんせ、近衛澪は近衛財閥の一人娘。正真正銘のお嬢様なんだから。


 近衛財閥といえばかつての貴族たちのトップであり、日本の頂点に君臨する大財閥の一つ。主にアパレル業界を中心に金融、医療、ホテルリゾート、家電製品、食品商社、貿易などなど様々な企業をまとめ上げる一大財閥だ。藤ノ花学園の出資者でもある。


 日本に住んでいれば近衛印の商品を持っていない人などいないとまで言われて、全日本人がお世話になっていると言っても過言ではない。


 どうりでこの身体になった時に近衛の名前に聞き覚えがあると思ったら、まさかあの近衛グループのお嬢様だったとは夢にも思わなかった。


 でも、あの時もその片鱗はちょくちょく見えてたな‥‥‥。てっきり病室は他の患者さんもいると思ったら、広くて豪華な病室に一人だけだったし。両親はヘリコプターで飛んでくるし。お医者様たちは明らかに僕や両親に委縮していたし。


 けれど、近衛財閥のお嬢様っていうだけじゃこれだけ珍しがられる訳ではないだろう。なんせ、ここにいる人たちは別の財閥グループの人とか、企業の社長とか、大なり小なり同じような人種の人たちだ。


 それでもこんなに注目されるのは、僕がこういった公の場に出ることが初めてだからだと思う。


 偉い人たちは企業の繋がりや、家の繋がりでパーティーや社交界なんかをよく開く。だからその子供たちは。だいたいそういった場でお披露目されて顔を合わせることになるだろう。


 けれど、僕の場合は病気の入院生活であったため、そういった場に出たことがほとんど無かった。


 退院してからは近衛財閥の身内だけのパーティーなんかは出席したけれど、他の家が集まるところに出てくるのはこの入学式が初めてだ。


 だからたぶん、物珍しさが高まってこれほど注目されているんだろうな。


 ん~‥‥‥でもやっぱりこういった好奇な視線に晒されるのは居心地が悪い。僕のことを見てくる人たちが大体どんなことを考えているのかが手に取るように分かる。


 噂の近衛家のご令嬢はどんな人なのかとか、その立場に相応しい所作を身に着けているかとか、その人となりから近衛家の内情を探ってみようだとか。後はあまりにおぞましいから考えたくないけど、婚約者としてどうかだとか。


 近衛家のような特別な家に生まれると、一般人にとっては煩わしい柵や打算の関係なんかがあって、お金持ちのお嬢様だからと決して楽じゃないことをこの一年で思い知った。


 普通の一般家庭だった和泉家で生きていた僕には、これからの人生でそんな人たちと否応なく関わっていかなくちゃいけないという現実にちょっと憂鬱な気持ちになる。


「はぁ‥‥‥」


 いつまでも止まらないコソコソ話に思わずため息をついていると、まるでそれを蹴散らすようによく通る声が響いた。


「澪ちゃ~~んっ! かっこよかったわ~~っ!」


「君は俺たちの最高の娘だ~~っ!」


「「み~お! み~お! み~お!」」


 ‥‥‥おい、ここはアイドルコンサートじゃないんだが?


 その声の主は僕の両親で、満面の笑みを浮かべながら、周りにわき目もふらずに僕に向かって大きく手を振ってくる。


 そんなことをしたら注目がますます僕に集まってくるからやめて欲しいよ切実に‥‥‥。


「まったく‥‥‥あの二人は‥‥‥」


 でもまぁ、二人のおかげでさっきの憂鬱な気分も吹き飛んだ気がするや。あんなに嬉しそうな顔を見せられたらそれだけでいっかって思っちゃう。


「お母様、お父様、ありがとうございます」


 さっき壇上で振れなかった分も含めて、僕も二人に小さく手を振り返す。


「おおっ! 澪が俺に手を振り返してくれたぞ!」


「違うわあなた! 澪ちゃんは私に手を振ってくれたのよ!」


 ‥‥‥うん、まぁなんだ。もう一度言うけどアイドルコンサートじゃないんだぞ。


 騒がしい両親のせいで、ますます視線が集まる予感を感じた僕は速やかにその場を離れることにした。

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