第4話 教室へ


 講堂から出た僕は廊下を歩いてスタスタと自分のクラスの下へ向かう。


 二組は早めに退場していったクラスだからクラスメイトのみんなはもう教室についたかな?


 それにしても‥‥‥。


「おい、あれ‥‥‥」


「あぁ、さっきの‥‥‥」


「近くで見ても素敵‥‥‥憧れちゃう‥‥‥」


「近衛様が通るぞ! 道を開けろ!」


 お~お~お~、ここでもか。ここでもなのか? そんなに珍しいかねぇ‥‥‥。確かに今の僕は近衛家のお嬢様だけど、中身は普通の人なんだよ。そんなに敬遠しないで普通に接して欲しい。


 僕がコツコツと靴音を鳴らしながら廊下を歩くと、たぶん三組か四組辺りの人たちかな? 周りの人たちはサッと廊下の端によって道を開けてくれる。


 だから僕は混雑してた廊下を悠々と歩けるんだけど‥‥‥やっぱり大げさすぎる! 僕はモーセか!


 ‥‥‥まぁ、彼ら彼女らの気持ちもわからなくない。ここにいる人たちの何人かは近衛グループの企業の子供たちだし。もしも僕がその子に何か粗相をされて、それをお父様に言ったりすればその会社が冗談抜きで潰れちゃうもんね。


 まさに触らぬ神になんとやらというやつだ。それに僕もこの一年弱を澪お嬢様として過ごしてきたから、こういう態度をとられるのも近衛家の子女としての振舞いにも慣れてきた。


 家格が上の者には、当然それに見合った見栄というものがある。財閥の長や企業の社長は昔の貴族と同じで舐められたら終わりの社会だ。だから僕もバカにされないように、これが当たり前のものとして堂々としていないといけない。


 元庶民としてはよくわからい感覚だけれど、わからないからといってできなければ僕だけじゃなくて両親に近衛家に、そして巡り巡って近衛家傘下の企業達の迷惑になってしまうから。たくさん愛してくれる両親に迷惑をかけたくない。


 かけたくはない‥‥‥けど。廊下を譲ってくれたんだし、お礼くらい言ってもいいよね。


 二組の教室までたどり着いた僕は、歩いてきた方の廊下にクルリと向き直る。それからスカートを少し持ち上げて、小さく膝を折った。カーテシーだ。男としては自分でやるのはなんか複雑だけど、見る分としては可愛い仕草だと思う。


「皆様、廊下をお譲りいただいてありがとうございます」


「ふぁ‥‥‥」


「は、はい! こんなことならいくらでも‥‥‥」


 ふむ。この学校に通うのは初めてだし、ボンボンどもが多いから生意気なヤツとかも多いと思ってたけど、結構しっかりしてる子が多いな。


 そんなことを思いながら僕は二組の教室へ入ろうと取っ手に手をかけて‥‥‥ピクリと固まった。


(そ、そう言えば教室に入ってクラスメイトと会うのは初めてだ‥‥‥)


 本来なら入学式の前に初顔合わせをするんだろうけど、僕は新入生代表の言葉をしないといけなかったから、朝は誰もいないうちに早く来て、校長室で原稿を見せに行ってたし。その後は教室へは戻らずにそのまま講堂で軽く本番の調整なんかをしてたから。


(うぅ‥‥‥なんか緊張してきた。よく考えれば、ここは内部生クラスだからみんな初等科からの顔見知りなんだよね。でも僕だけ入院してたから初対面の人が多い‥‥‥)


 あれ、あれれ‥‥‥? これ、今更だけど僕の存在ってかなりアウェーじゃない? ドア越しに賑やかな喧騒が聞こえるけど、もう絶対いくつかグループみたいのができてて、出遅れてあとから来た僕なんて誰もグループに入れてもらえなくてボッチ確定じゃないかい?


 いや、一応一人だけ幼馴染というかメイドというかそういう子はいるけど‥‥‥あの子は優雅独尊タイプだから一人を貫いてそうだし。


「‥‥‥あわわ」


 どうしよう‥‥‥僕の新たな高校生活、始まる前から終わってた!? もしかして友達一人もできない!?


「——むんっ!」


 ええい! 何をひよってんだこんにゃろ! こちとら天下の近衛令嬢である澪さまだぞ! 良きにはからえ~ができる女なんだ! いや男だけど! 何を怖がる必要がある!


 グッと握りこぶしを作って気合いを入れ直た僕は、再びドアの取っ手に手をかけて——。


「女は度胸! ‥‥‥いや、違う。——男気ファイア~っ!」


 ——ガラガラガラ。


「澪さま、そんなところに立っていかがなさいましたか?」


「さ、紗夜!」


 自分で開く前に向こうから勝手に開かれて、小柄な少女が立っている。気合いが空回りした僕はちょっと狼狽えた。


 というか、ドアが開いたガラガラって音が思いのほか大きくて、教室中の視線が集まってる気がする。気まずい‥‥‥。


「紗夜、ちょっとこっち!」


「はい?」


 いたたまれない気分になった僕は、いったんドアの前から離れて教室から見えない壁の裏側に避難する。一緒に少女も連れて来た。


 この子は鷹司紗夜たかつかさ さよ。ショートボブと眠たげな瞳が印象的で、あまり表情が変わらないことや小柄な体格もあってお人形さんみたいな美少女だ。


 紗夜は近衛家の分家、名門鷹司家の娘。つまり僕と同じお嬢様の一角だ。鷹司家は分家と言っても家の力関係は近衛家に若干劣るくらいであり、日本でもかなり高い家格を持っていて、当然それに見合うだけの財閥グループであることは間違いない。


 紗夜とは僕も記憶を取り戻す前からの付き合いがあって仲のいい幼馴染だ。そして僕が目を覚ました時から僕付きのメイドにもなっている。だから紗夜とは幼馴染で親友で主従で、更に今日からクラスメイトにもなるからちょっと複雑な関係になる。複雑って言っても悪い意味じゃないよ。


 最初のころは同い年のメイドにお世話されることに困惑していたけど、今ではお互いに信頼し合って良い関係を築けていると思う。


 まぁ、そのことは置いておいて。今は親友として、クラスメイトとして頼らせてもらおう。


「ねぇ、紗夜。今僕がこのクラスに入っていいと思いますか?」


「はい? ここは澪さまのクラスですし、ダメな理由はないと思いますが」


「そうじゃなくて~‥‥‥ほら、僕って学校に来るのは高等科からでしょう? なのにズカズカと入っていったら、『うわっ、なんだコイツ』みたいに思われそうというか‥‥‥」


「はぁ‥‥‥? 堂々と入ればよろしいのでは?」


 僕が切実に相談しているのに、紗夜はわけわからんみたいな表情をしている。


 う~ん、やっぱり紗夜にはわからないか‥‥‥。まぁ、紗夜は周りの目なんて気にしないような性格だしね‥‥‥。


「う~ん‥‥‥う~ん‥‥‥」


「そんなに悩まれなくても、澪さまがいつも通りに振舞えばそこらの愚民など、みんな澪さまの御威光にひれ伏しますよ」


「いや、それはそれでどうなの‥‥‥?」


「もし、不逞な輩がいればこの紗夜が命をかけて処分いたしますし」


「うん、絶対やめましょう?」


「とにかく、澪さまは何も気にする必要などありません! ‥‥‥やっと一緒に学校に通えるのに」


 僕がしり込みしていると、制服の袖をちょこんと摘まんで、紗夜がを上目で見上げながら呟いたのが聞こえた。可愛い。


 可愛い‥‥‥けど、そっか。紗夜はそんなことを想ってて‥‥‥。


 確かに、僕には記憶にしかないけど、初等科や中等科の時に学校で配られた宿題とかプリントとかを病院に持ってきてくれたのは紗夜だった。


 お見舞いに来てくれる度に学校であったことや、行事で体験したこととかをいつも話してくれたっけ‥‥‥。それで、いつも最後に病気が治ったら一緒に学校に行こうねって約束してたな。


「僕も紗夜と学校に通えるようになって嬉しいですよ」


「澪さま‥‥‥」


 摘ままれてる方の反対の手で紗夜の頭を撫でると、紗夜は気持ちよさそうにトロンと目を細めて、もっともっとというように頭を押し付けてくる。やっぱ可愛い。


 まだまだこうしていたい気分だけど約束のことも思い出したし、いつまでもこんなところでしり込みしてるわけにはいかないな。


「よし! 行きましょうか!」


「あっ‥‥‥はい」


 おいおい、そんなに名残惜しそうに手を見つめられると、またナデナデしたくなっちまうじゃんか。


 とはいえ、本当にいつまでも廊下にいるわけにはいかないので、僕たちは再び教室のドアの前に立つ。


「それでは開けますね、澪さま」


「えぇ、参りましょう」

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