第2話 相棒を確認‥‥‥できなかった


『——ありがとう』


 誰かにお礼を言われた気がした。


 ぼんやりと靄がかかった思考の中で、その声だけが反響していくような‥‥‥。一体誰の声だっけ?


 パズルのピースを嵌めるように、ゆっくりと記憶を形にしていく。


 確か病院の中で、その子は車いすに乗っていて、儚い笑みを浮かべている。


 肩口に切り揃えた黒髪と、パッチリとした愛らしい紫紺の瞳。スッと通った鼻梁と小ぶりでふっくらとした唇。左頬にあるな泣きほくろが少女なのに色っぽくて、将来は美人になることが約束されたような美貌の持ち主‥‥‥あぁ、そうそうちょうど今目の前の窓に映っているいるような女の子。


「って! これ僕じゃん!」


 寝ている間に寝返りを打ったのか、窓の方を向いて眠っていたみたいだ。


 にしても自分の顔を見て、その自分にお礼を言われる夢を見るなんて、僕の頭はまだ熱に浮かされてるんだろうか。‥‥‥まぁ、それくらい衝撃的なことが起こったのは事実だけど。


 ゆっくりと眠れたからか、前よりも幾分か落ち着いて状況を受け止められる。記憶の整理もできたから、段々と現実が見えて来た。


 僕は確かに近衛澪このえ みおだ。14歳でもうすぐ中学三年生になるの女の子。けれど、重い心臓の病気でほとんど入院生活を送っていたため、今までほとんど学校には行けていない。


 そして、僕は和泉澪いずみ れいでもあった。今年から大学一年生の男。けれどそう、だから過去系だ。


 その瞬間の記憶がないから断言はできないけれど、あの車に轢かれて僕は命を落としたんだと思う。あの瞬間からプツリとテレビが消えたように記憶が無いし、その瞬前に見た光景はとても助かるような状況じゃなかった。


 じゃあどうしてこんなことになっているのかっていうのは‥‥‥全くわからん。


 え、本当にどうして僕は女の子になってるの‥‥‥? 憑依‥‥‥幽体離脱的な? アストラルがスピリチュアルでポセッションしたホラーでミステリアスなあれだろうか?


 ダメだ、自分でも何言ってるのかわからなくなってきた‥‥‥。


 ただ断言できることは、確かに僕は和泉澪として生きていたことと、近衛澪として今も生きていること。


 そして、あの人のためにもこれからも生きていかなくちゃいけないということ。


「あれ‥‥‥あの人って誰だっけ‥‥‥」


 唐突に、その気持ちが強く思い浮かんできたけど、自分でもよくわからない。


 まぁ、いい。よくわからないことは今考えても仕方がない。ここまでは納得できたし、なんとか受け入れた。


 けれど、一つだけ。どぉ~しても一つだけ納得できない! 受け入れられないっ!


 どうして‥‥‥本当にどうして‥‥‥。


「‥‥‥僕は、女の子なんだ‥‥‥」


 元々、和泉澪として生きていた時に男であるのに女の子っぽかったことがすごくコンプレックスだったんだ。だからそのコンプレックスを克服するために、大学では男らしくなろうとしていたのに。


 けれど‥‥‥男らしくなるどころか、正真正銘の女の子になってしまったらその夢が叶わなくなってしまうじゃないか! どうせ女の子になるのなら、しっかりと精神も女の子にしてほしかった‥‥‥。


 僕は今、身体は女の子だけど気持ちは男みたいな状況になってる。思考も男性寄りだし、恋愛対象は女子だし‥‥‥ん? 僕の意識が目覚める前から恋愛対象は女の子だったな。


 まぁ、はっきりわかることは、僕の中身が男だっていうことをバレたらまずいってことだ。最近は多様性の時代になってきたし色んな人に理解がされてきたけど、やっぱりまだ同性愛っていうのは忌避されがちだろう。


 もしもそれがバレて、両親とか友達とかに気持ち悪がられたくないし‥‥‥。


 とにかく、僕が男であることはなるべく隠し通す! これは決定だな。


 ‥‥‥でもやっぱり、男らしくなりたいんだよなぁ。お見舞いに来てくれた時に見たお父様みたいな。


 あの車に轢かれて死ぬ直前に強く思ったことだからか、自分の中でその欲求が結構大きい。


 というか、僕は本当に女の子なのだろうか‥‥‥?


 いや、今まで散々言っておいて今更なにをって思うけどさ、よく思い出して欲しい。僕は自分の体型や記憶から自分が女の子だと思っていたけど、まだしっかりと確認してなくないか?


 ほら、体型なんて前の僕みたいに男だけど女の子っぽい体型もあるだろうし、記憶もいまだ起きたばっかりであやふやだろう? けれど決定的な証拠を見る方法が一つだけある。


「胸は‥‥‥うん、膨らんでる気もするけどツルペタだから判断できん。こうなったらやっぱりここしか‥‥‥」


 僕は布団をめくって下半身の、特に股間の部分を凝視する。‥‥‥服の上から見ただけじゃわからない。


 こうなったらやっぱり、しっかりと自分の目で確かめるほかないのではなかろうか。たとえわずかな可能性しかなくとも、自分でも半ば確信が付いているのだとしても、しっかりとその目で『観測』しなければ『確定』はできないのだから!


 いわばここはシュレディンガーの猫ならぬ、シュレディンガーの股間! ‥‥‥は、ちょっと違うか。


 でも実際に服を脱がなければ僕の相棒が付いているかいないかは半々の確率でわからない! つまり今の状態を確定するには服を脱いで見てみるしかない!


 僕は入院着と下着に指をかけて、ゴクリとつばを飲み込んだ。


 ‥‥‥なんか、自分の身体だけど、元が男だからかちょっとしり込みしちゃうな‥‥‥いやいや! 大丈夫だ! ちゃんとアレが付いてたら問題ない!


「ふぅ‥‥‥行くぞっ!」


 ——せーのっ!


 心で唱えたかけ声に合わせて、グイっと指を引っ張る。そのままうっすらと目を細めて股間を見れば‥‥‥。


「なっ‥‥‥なっ‥‥‥」


 ‥‥‥あぁ、うん。ずっと違和感があったし、そうだろうと思ってたけどさ‥‥‥これで僕にとって残酷な現実が確定してしまった。


「——なぁぁぁぁぁぁぁいぃぃぃぃぃぃっ!!」


 ——ピィ~~~~~~~~~。


「近衛さん? 近衛さんっ!? 先生! 近衛さんの心臓が止まってますっ!」


「なぁにっ!? すぐに心肺蘇生術を! 彼女を死なせたらこの病院がぶっつぶれるぞ!」


「エマージェンシー! エマージェンシー!」


 心電図の音が響く中、看護師や医者が病室を慌ただしく行きかっている。


 まぁ、そんなことは置いておいてだ。やっぱり僕は女の子だった。まさに男の象徴とも呼ぶべきものを、僕は一回も使うことなく無くしてしまったのだ。


 おぉ‥‥‥姉ちゃんよ。どうやら僕は車に轢かれて女の子っぽい男から、マジもんの女の子になってしまった。これからどうしたらいいだろう。


『——強く生きて? 女の子も悪くないわよ』


 そう、だよなぁ‥‥‥。あの人に貰ったこの命、無駄にするわけにはいかないもんね。それに、もしかしたら百合っていうのもいいかもしれないし。


 うん。そう考えれば何とかなるような気がしてきたぞ。よ~っし! たとえ身体が女の子であろうとも、男気を磨いて女の子にモテまくるんだ!


 ‥‥‥でも今は、もう少し男の感傷に浸らせてください。


 僕の意識は、未使用のまま儚く散った相棒を想いながら、再び沈んでいくのだった。


「近衛さん! 近衛さぁぁぁぁぁぁんっ!」

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