第1話 目覚め
目が覚めると、覚えのある香りに包まれていた。
白いシーツにベージュのカーテン、白い天井。それから視界の端にちらつく点滴パックとそこに繋がっているチューブ。消毒液が染みついたような病室の匂いだ。
中学に上がってからはほとんどなくなっていたけど、その前の小学生低学年くらいの頃の僕は虚弱体質だったこともあって、倒れた時にはよく病院にお世話になってたっけ。久しぶりに倒れちゃったのかな。
少しだけ頭を動かして周囲を見回すと、千羽鶴やら果物やらお花やら、色々なものがベットの周りに溢れている。
んな大袈裟なって思うけど、まぁこんなことをするのは姉ちゃんだろうな。昔もよくお見舞いに来るたびに何か持ってきてくれてた。
なんだかまだボーっとするけど、とりあえず起きたから誰か呼ぼうか。
(ナースコールは‥‥‥んん?)
ベットの端に手を伸ばそうとして、ふと、違和感を覚えた。
いやいや、まぁ確かに僕は虚弱体質だったから、細身で華奢で屈辱だけど女の子っぽかったかもしれない。けれどさぁ、こんなにほっそりしてたかい? もうちょっとこう角ばってたろう? それにもうちょっと焼けてたよ?
こんなにもちもちで、綺麗で白い肌じゃなかったはずだ。これじゃあまるで、本当に女の子のような‥‥‥。
「えっ‥‥‥」
窓のガラスに反射して女の子の姿が見えた。
ちょうど僕と同じような入院着を着ていて、腕からは点滴を付けていて、ナースコールに手を伸ばしかけていて‥‥‥。
「な、なな、ななな‥‥‥」
僕の前には誰もいない。僕がいるのは窓際の一番端で、窓の向こうは青空だ。つまりあの子は僕‥‥‥?
(なんでこんな‥‥‥いや、というかそもそも僕は‥‥‥)
交差点‥‥‥。こっちに向かって来る車‥‥‥。僕に押されてびっくりしている姉ちゃんの顔‥‥‥。横からきたものすごい衝撃‥‥‥。それから‥‥‥どうなった?
「——うっ」
唐突にフラッシュバックしてきた光景に軽い頭痛を覚える。
確かにあの時、僕は姉ちゃんを助けるために自分から車に突っ込んだはずだ。そして死を覚悟した。
だから、もしかしなくとも僕は死んだのだろうか。けれど、ならこの状況は‥‥‥?
もし助かったのだとしても、僕の身体はもっとひどいことになってたと思う。あまり想像したくないけど、こうグッチャグチャァ‥‥‥って。
それに比べてこれはなんだろう? 白くて、もちもちしていて、ちょっと瘦せ型な気がするけど、窓に映る顔の作りは明らかに女の子で。
「——っ!」
何がなんだかわからなくなっていたその時、誰かを呼ぶ声が聞こえて来た。誰の声だっけ? 聞き覚えのあるような、ないような‥‥‥僕は知らないけど、この身体が知っているような不思議な感覚。
たぶん混乱していたからノックの音が聞こえなかったんだろう。声の聞こえたほうを向いてみると、開け放たれたドアから女優も裸足で逃げ出すくらい美人な女性が駆け寄ってくる姿が見えた。その後ろからは、これまたハンサムな男性も見える。
女性の方は真っすぐ艶やかな黒髪に抜けるような白い肌。何かとっても嬉しいことでもあったのかくしゃくしゃな、けれど凄く綺麗な微笑みを浮べて一滴の涙を流してる。
男性の方は、なんだか嫉妬心も起きないくらい男前だ。すっと通った鼻筋と長身。完璧に僕の理想の男性像そのもの。あんな男にボクも生まれたかった。彼の方も女性と同じように、安心したような優しい笑みを浮かべている。
(えっと、誰だったかな——)
「‥‥‥お母様、お父様」
僕が二人のことを思い出そうとする前に、銀鈴が鳴ったような澄み切った綺麗な声が喉から響いた。
さっきまで動転してたから気づかなかったけど、もしかしてこれが僕の声なのだろうか?
‥‥‥なんていう‥‥‥なんていう女の子らしい声なんだ‥‥‥!
確かに僕は声変わりしてもあんまり変わらなかったけど、もっとハリのあるバリトンボイスが良いのに!
いやまぁ、この声が酷いってわけじゃないんだよ? むしろ凄く良い声だと思う。オペラもいけるだろうし、歌手もいけると思う。
けど違うんだよ! 僕はもっと低音イケメンボイスになりたいんだ!
そんな風にちょっとショックを覚えていると、頬にそっと手を添えられていた。
少し視線を上げれば、いつの間に駆けよって来たのか、推定僕のお母様がベットに縋りつくようにその白魚のような手を伸ばしてきている。
「澪ちゃん! 目を覚ましたのね!? あぁ‥‥‥よかったわ‥‥‥」
「手術は成功したのに動かなくなった時はまさかとは思ったけど‥‥‥本当に良かった。俺たちの元へ、ちゃんと戻ってきてくれて‥‥‥」
二人はそう言ってはらはらと涙を流す。なんというか不謹慎だけどこの二人が並ぶと泣いている姿でも凄く絵になるなぁ。
というか、みお? はこの身体の名前だろうか‥‥‥うん、そうだ。僕の名前は近衛澪。‥‥‥近衛ってどっかで聞いたことあるような?
それから手術? ということは今は術後で、確か心臓の‥‥‥。
そこまで考えて、なんだかまただんだんと思考がぼんやりとしてきた。病院と、姉ちゃんと、手術と、車と‥‥‥あちこちの記憶がぐるぐるとかき混ぜられるような。
「澪ちゃん‥‥‥?」
「大丈夫かい?」
しかしなんだ。まだ混乱してるけど、ここまできたら受け入れるしかないのかもしれない。
目を閉じて思い出せば、確かにこの身体の記憶がある。なにがどうしてこうなったのかはわからないけど、僕はこの
そう自覚して、まずはなによりも僕のことを愛してくれているこの二人を安心させてあげたかった。
「僕は‥‥‥大丈夫、です」
そう言って安心させるように微笑む。
けれど、僕の声を聞いた両親は、なぜか驚いたように目を見張ってお互いに見つめ合ってる。
「う、ん‥‥‥とりあえず、医者か看護師を呼んでこよう」
「そうね。澪ちゃん、どこか痛いところとかない?」
二人はそう言うと、父は病室の外に出て行き、母は僕に寄り添って心配そうに見つめてくる。
なにか心配させてしまったのだろうか? 上手く笑えてなかったとか?
‥‥‥それにしてもなんだろう、さっきから巧く頭が回らない。記憶を思い出した反動からか、なんだかちょっぴり熱っぽくなってきた気がするし。
「澪ちゃん、平気?」
「寝ます‥‥‥」
更なる心配をかけないようにそう一言だけ伝えて、僕の意識は再び温かい底の方に落ちて行った。
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