カナリアの子

ねも

カナリアの子

黄金に染まった木々の間を小さな息吹が駆け回る森の奥、池のそばに木の家が一つありました。それは月のような金髪と薄い青の目を持つ女性と男の子の親子が住む家でした。

女性はバスケットを提げ、男の子はリュックを背負って家までの道のりを歩いていました。女性は弾むように、男の子は平坦に。すると、山吹色に覆われた木の根っこに男の子は躓いてしまいました。

「わっ」

肩ひもにかけていた手を伸ばしきれず男の子は左手から地面に倒れ込みました。突然の出来事に対する驚きと悲しさで彼の心はいっぱいになりました。こける直前に体をひねったせいで頬が擦れてひりひりしています。目の前には色彩豊かな落ち葉が折り重なっていて、下で小さな生き物がせわしなく動き回っているのが見えました。彼らを見て、彼の胸に再び悲しさが広がりました。両の手を目一杯広げて生きる彼らに感動して涙が一粒、彼の真っ青な瞳から土に染み入りました。

「ほら、あともうちょっとだから立とう?」

彼の涙が地面に触れた直後、女性は彼の顔の横で腰を折って言いました。

「いたい」

「大丈夫、大丈夫。痛くない、痛くない」

「いたいよ」

「大丈夫、ほらぎゅって力入れて」

彼は言われた通りに胸のあたりにぎゅっと力を入れ、右手を地面について体を押し上げました。ゆっくりと体を持ち上げるにつれ、彼は肺が締め付けられて息ができなくなっていく感覚を覚えていました。

「ほら、立てたでしょう?さぁ、おうちに帰って一緒にお菓子を食べましょう」

女性はそう言い、再び男の子の前を歩き始めました。彼は一歩一歩体重を前に前にかけるように少し俯いて歩きました。既にカラフルな油汚れのついた彼のデニムのズボンに、土汚れがついていました。

「あら」

木立の隙から丸い家の扉が見えたその時、女性は焦ったように少し先の道でしゃがみ込みました。

「かあさん」

男の子が駆け寄るとその手のひらにはお日様のような黄色い羽をもった小鳥がのっていました。

「かわいそうに、翼にけがをして飛べないのね」

小鳥の羽は確かに土で汚れかすり傷がついていましたが、幸いにもピロロロロと女性の平の上でないていました。

「急いで帰って治療してあげましょう。これ、持ってくれる?」

彼女は男の子にバスケットを預け小鳥を手の平にのせたまま早足で家の中に入り、小鳥を机の上に敷いた布の上に横たえました。そして湿らせた布で羽の汚れを拭き、包帯を割いてその羽に丁寧に巻き付けました。その間も小鳥はピロロロロと喉の中で鈴を転がしたような美しい声でさえずっていました。男の子はその様子をじっと見ていました。

「これで大丈夫ね。怪我が治るまではここにいたらいいわ」

女性は部屋の隅にあった鳥かごを取り出して言いました。彼女が小鳥をかごに入れると、小鳥はまたピロロロロとなき始めました。

「なんて言ってるのかしら。ねぇ、あなたはわかる?」

彼女は後ろに突っ立っていた彼を振り返って聞きました。

「わからないよ、そんなの」

「少し考えてあげるくらい、いいじゃない」

彼女はにこりと微笑み、「そうだ、お水がほしいのかもね」と言って小さなコップに水を注いでかごの中に入れました。小鳥は少しコップの周りをまわったりつついたりしましたが、水を飲むことはなくまたピロロロロとなき始めました。

「お水じゃなかったら、ご飯かしら」

彼女はそう言い、キッチンをぐるりと一周見回してから食パンをひとかけら手に取りました。その食パンを小さく一口サイズにちぎって小鳥の前に置きました。

「食べていいわよ。おいしいから」

彼女は小鳥に見せるように自分もぱくりと食パンをひとかけ口に放り込みましたが、小鳥はパンには見向きもせずないていました。彼はまだその様子を見ていました。

「ご飯でもないのかしら?ならそうね、かごの中にもふわふわのタオルを敷いてあげるわ」

彼女はふかふかのタオルをかごの下に敷きました。その間もずっと小鳥はピロロロロとなき続けていました。

「あ、そうね。せっかくだから毛並みも整えてあげるわ」

なき続ける小鳥を彼女が撫で始めたとき、

「かあさん、僕出かけるね」

後ろで突っ立っていた彼がそう言ってかばんに荷物を詰め始めました。

「お夕飯までには戻ってきてね」

「うん」

荷物を詰め終わると彼は出かけて行きました。彼女は小鳥を撫でていました。小鳥はピロロロロとないていました。



小鳥が彼の家に来た日から三日が経ちました。来た日と次の日はずっとないていた小鳥も女性の世話のお陰か、めっきりなかなくなったので女性は安心していました。しかしその日の夕方、小鳥は思い出したように大きな声でなき始めました。

「あら、どうしたのかしら」

小鳥は窓の向こうに見える夕陽の方を見ながら今までで一番大きな声でないていました。

「もしかして、お友達がいなくて寂しいのかしら。夕陽を見て寂しくなったのね」

「友達がいなくても楽しいことはいっぱいあるよ」

いすに座って本と向き合っていた男の子が、顔を上げて言いました。

「そうね。でもお友達がいればもっと楽しくなるわよ。あなたも友達が欲しい?」

彼女は小鳥にそう聞きました。小鳥は変わらずピロロロロとないているだけです。

「かあさん、僕絵描きになる」

そっと本を閉じて、男の子ははっきりとそう言いました。女性は小鳥の方を向いたままです。

「どうして?」

「やっぱり、僕学校行くの辛いよ。人が大勢いるし、順番はつけられるし、先生は僕に困ったように笑うばっかりだ」

「でも、毎日ちゃんと通えてるじゃない」

「図書室にいながらだよ。本当は泣きたいくらいしんどいもん」

「勉強もできないのに食べていけないでしょう?」

「画家になる。先生はいるよ、森のもっと奥に住んでるおじいさん。かあさんも知ってるでしょ?先生も僕は普通に生きていくより絵を描いていた方が良いんじゃないかって言ってたし」

「学校の何がつらいの?母さんも手伝うから学校に行きましょう。あなたは心配性ですぐ緊張するものね。でも大丈夫、行っていれば慣れるものよ」

「そんなの何回も聞いたよ!だから今日までちゃんと行ってたけど、もう無理だよ」

「そんなことないわ。きっと少し疲れているのよ。ほら、元気出して、お夕飯にしましょう」

女性は何もなかったかのように笑顔で立ち上がり、夕飯のシチューを温め始めました。男の子はまだないている小鳥を見つめ、そして夕飯をテーブルに運びました。

夕飯を食べ寝支度をして月がのぼり女性が眠りについた頃、男の子はそっと布団を抜け出してリビングへ行きました。小さなテーブルランプをつけ、小鳥のそばで夕方読んでいた本の続きを読み始めたのです。ぱら、ぱらという音が静かな部屋に響きます。

「へぇ。君、カナリアって言うんだ」

彼は頬杖をついて小鳥、カナリアの方を見ながらぼそりと呟きました。きれいな声で歌う鳥だと、彼が学校で借りてきた図鑑にはそう記されていました。

「いいな、母さんは君の声はよく聞いてくれるよね。僕も声がきれいだったらよかったのかな」

図鑑に目を落とした彼がそう言うと、カナリアは小さくピーピーとなきました。

「どうしたの」

彼がかごの扉を開けてみると、カナリアはぴょんぴょんと跳ねて図鑑の上にのりました。何気なくカナリアの下の文に目を向けた彼は驚きました。カナリアはそんな彼の指の上にのり、ドアの方を向いてピーピーとなきました。彼は急いでドアを開けて池の前に立ちました。すると、カナリアが嬉しそうに体を震わせながらピロロロロとなき始めました。

「僕、何回か見たよ。君が飛ぼうとして墜落してるとこ。あといつも跳ねて移動してるとこ」

なき続けるカナリアに、彼はぼそりと言いました。

「でも、君は歌うのが好きなんだね」

カナリアは彼の言葉を無視して歌い続けました。彼は水面に映った月を見つめていました。



次の日の朝、彼はカナリアのピロロロロという鳴き声に起こされました。女性は先に起きていて、カナリアを手にのせていました。

「おはよう」

「なにしてるの」

「この子、朝からないてるから外に連れて行こうと思って。怪我も治ったしきっと空を飛びたいのよ」

彼の眠気は一気に吹き飛びました。淡々と彼女に近づき、その手からカナリアを掬い上げました。

「あら、連れて行ってくれるの?」

彼女の言葉を無視して彼は図鑑と筆箱をかばんに入れました。その間、カナリアは彼の肩にのっていました。

「かばんを持っていくの?今日は学校お休みよ?」

「かあさん、このカナリアはないてないよ。歌ってるんだよ」

かばんを背負った彼は言い放ちました。女性は不思議そうな顔で彼を見つめています。

「かあさんが聞いてた声は全部この子の歌だ。お水でも友達でも、空を飛ぶことでもない」

「なんであなたにそんなことがわかるの?」

「図鑑で読んだから」

彼は一度目をふせ、すうっと息を吸い込みました。

「空を飛ばせたいのはかあさんでしょう?僕もこの子も空なんていらない、歌と絵があればそれでいいんだよ」

俯いてつっかえながらも早口で、彼はそう言い切りました。目線を上げた彼の目の前には厳しい顔をした女性がいました。

「私はあなたのことを思って言っているのよ?」

そう、いつもと同じことを彼女は繰り返しました。彼はびくりと肩を震わせましたが、その弾みでカナリアがピロロと鳴き、彼は我に返り扉に歩み寄りました。

「……わかりました。今まで育ててくれてありがとう」

言い終わると同時に彼は勢いよく扉を開け、カナリアをのせたまま全速力で森の中を突っ走りました。息をきらせて画家のおじいさんの家の前についてから、彼は言いました。

「ごめん。さっきはあんなこと言ったけど君の本当の気持ちなんてわからない。でも、よかったら一緒に来て僕のそばで歌っていてくれないかな」

ピロロロロ、と大きな歌声が森の奥に響き渡り、二人の来客をおじいさんが迎え入れました。二人の頭は朝日に照らされ、金色に輝いていました。

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カナリアの子 ねも @nemone_001

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