第七話:アスタリスク(前編)

 男は街で最も高い尖塔の頂上に一人佇み、その古い街並みを一望していた。男にとって高所からの俯瞰は朝食が如き日常的習慣であり、男の生活の起点であると言っても差し支えなかった。ちょうど今のような昼間でも、或いは早朝でも真夜中でも、目覚めれば高台へ登るというのが男の癖だった。高空に吹きつける冬の乾いた風が男の真っ黒なローブの裾を激しくはためかせ、男は目深のフードを風に捲られぬよう右の手で押さえた。しかし真冬だというのにそのローブの他に男の上体には纏った衣類がないために、男のその怪異じみた風体は一部、白日の下に晒されることとなった。細く節くれ立った指と手と、前を開けたローブから覗く肋の浮いた胴、フードから垣間見えるこけた頬。そして身体中、病的なまでに青白い皮膚に刻み込まれたおびただしい数の、幾何学的で呪術的な図形と蛇の黒いタトゥー。男は、この世の不吉全てを凝縮したかのような圧倒的異容を体現していた。

「……何処だ」

 ぼやきと共に男の口から漏れた白い息が、突風に細くたなびいてはかき消えた。男は何かを探しているようだった。一体何を、何故探しているのか、全ての答えは男の心の内にしかなかった。男は探し物の手がかりを得るために他者に問い質すことはあれど、探し物をする理由を詳らかにしたことは一度としてなかった。ごく稀に余計な詮索をしようとする者がいれば、先の吐息が風にかき消されたように、その者は疑問を抱いたという記憶を忘却させられて事は済むのだった。だから男の望みを知る者は、このアルセイラの地において男の他には存在しなかった。

 ふと、男はひょうひょうと唸る風鳴りの中に慌ただしい足音を聞いた。じろりと真下の通りを見下ろすと、三人の大男たちがそれぞれ大きな袋を抱え、何処へともなく荷運びに精を出していた。

「……」

 それを見て男はニヤリと口角を上げ、屋根の縁を蹴って尖塔から飛びたった。浮身、男が右の手でフードを押さえたまま、左腕をまるで翼のように目一杯広げるとその瞬間、今まで吹きつけていた強風をたやすくむしり殺すほどの「暴風」が男の周囲に吹き荒れた。暴風は男を中心に渦巻き、踊り狂い、まるで小さな嵐の如き乱気流へと相成った。嵐の目となった男は空高くを頂く猛禽の如き威圧と風圧をもって通りの石畳に舞い降り、大男たちの前に立ちはだかった。そして、その異容を見せつけるようにすくと仁王立ちすると、獲物を見つけた捕食者のように歯を剥いて笑った。大男たちは恐怖にわなわなと震えだすと、抱えていた袋をどさりどさりとその場に落とした。

___その男は、亡霊と呼ばれていた。



 肌に刺さるような寒さは当初ハイドラの耳を真っ赤にし、剣を握る指を悴ませた。しかし、激しい運動に火照る今となっては、その体を冷まし続けてくれることに彼は感謝していた。ハイドラは真っ白な息を鋭く吐き、刃の潰れた剣を構える魔女に勢いよく打ち込んだ。袈裟に、横薙ぎに、緩急をつけた不規則な猛攻を仕掛けるが、魔女はこれを最小の体捌きで躱し、的確に弾きいなした。鋼と鋼は甲高い音を上げながら幾度となくぶつかり合い、その振動は持ち主たちの手にじんと響きを与えた。重ねに重ねた鍔迫り合い、仕切り直すため双方弾き合っては後ろに跳びすさり、と思えばハイドラは素早く身を屈め、刃を水平に構えて地を蹴り、低空を滑る燕の如き一突きを魔女に見舞おうとした。

「……とった!」

「とってない」

 しかし魔女はそれすらひらりと躱し、お返しにハイドラの手首を潰れた刃で払った。ハイドラは声を漏らし、霜柱の散らかる大地に剣を落とした。

「ふぅ。よし、ここまで。いやぁ、よくなってきたんじゃない?」

 魔女は三角帽子の中に剣を放り込み、地面にへたれ込む弟子の手首を若草の光で癒しながら言った。

「ぜぇ……はぁ……そうですか……?ボコられただけだと思いますけど……」

 治療が済み、息を整えたハイドラは立ち上がって剣を拾うと、それを曇り空にかざして鈍色の輝きを眺めた。

「はは、実際惜しかったとも。しかし最後の突き、あれはいただけないな。奇襲のつもりか知らないけど動きが直線的すぎる。避けないとわかってる相手にしか通用しないね。……それまでの妙に読みにくい剣筋は、マルをあげたいところだけどね」

「なるほど……ん」

 赤くなったハイドラの鼻先に、ふわりと白く冷たいものが乗った。それは彼の体温によりすぐに形を失い、ただの滴と化してその稜線をなぞった。

「……雪だ」

「雪だねぇ」

 その言葉が出陣の合図だとでもいうかのように、枯れ草と霜柱の道脇に雪はしんしんと降り出した。魔女も天を仰ぎ、灰色の空から北風に乗ってやってくるその真っ白な一軍に目をやった。すると、弟子と同じく彼女の鼻先にも小雪が降りた。

「……ぶぇっくし!……ずずっ……冬じゃん」

「冬ですね」

 冬である。



 この年の春、ハイドラは光の魔女の提案にのり彼女を師と仰ぎ、修行の旅に出ることとなった。旅の主な目標はハイドラが次代の勇者としての力をつけることと、彼の負った魔術不全の改善だ。その旅路において、二つの目標は確かに達成へと向かっていた。事実としてハイドラの剣術、格闘技能は魔女の教えや道中の外敵との実戦によって磨かれ、そして魔術不全は、未だとある問題こそ残してはいるものの旅の日々を経て徐々に緩和へと向かっていた。しかし、この二つの達成をより完全なものとするため、魔女はこの旅に一つの終点を定めていた。即ち、リーサリオンコロシアム・トーナメント。勇者の後継としての成長、そして魔術不全の完治、この二つに共通する絶対必須の要素は「ハイドラが自信をつけること」と見た魔女は、ハイドラには何か目に見える形の実績を積ませる必要があると考えた。故に大陸最大にしてアルセイラで最も歴史ある武闘大会、かつてアルセノも優勝したその舞台で結果を残させることで、ハイドラの精神的な支えを太くしようというのが大体の狙いだった。

 旅が始まったのは春。季節はめぐり、冬となった今、残る道のりもあとわずかとなっていた。師弟はリーサリオンの近隣にある村、ルカオを目指して歩いていた。もっとも近隣といっても歩けば一週間はかかる距離はあり、だからこそ師弟は補給のためルカオを経由するのだった。ルカオへ続く道はまばらな針葉樹に囲まれた荒野にあり、人の通った跡がほとんどない土にはざくざくと霜柱が立ち、そしてどんよりとした曇り空からは初雪が降り出していた。ハイドラはぶるりと震えると、二の腕をさすったり両手に息を吹きかけたりした。

「師匠、冷えてきたんで上着ください」

「よしきた。ちょうどこの間の透明マントが」

 そう言って魔女が帽子から菖蒲色の布を取り出そうとするのを見て、ハイドラはちょっと待てよとその手を押さえた。

「なんでいっ」

「……いや、さすがにもっと他にあるでしょ」

「ちっ、私の弟子つまんな」

「……」

 魔女がぼやきながらもなんの変哲もない黒い外套を取り出すと、ハイドラはそれを受け取って袖を通した。

「そうだ、頭も寒いだろう。帽子も被りなさい」

「ありがとうございます」

 魔女は黒くて大きな三角帽子の中から、大きくて黒い三角帽子を取り出すと、それをハイドラの頭の上に乗せ___

「……ってペアルックかよ!!着るかっ!!!」

 ハイドラは頭に乗せられた帽子を掴み取り、笑う魔女が手に持つ帽子の中に叩き込んだ。

「……はっ!?俺としたことが……!」

 三角帽子の広いつばと枯草色の髪の上に雪を積もらせながら、師弟は針葉樹の荒野を歩いた。空模様は時間が経っても変わらず、それどころか雪は一粒の大きさとその数をどんどん増していった。ハイドラは靴の内部がじわじわと冷たく湿っていくのを感じ、足の親指と人差し指を擦り合わせた。もはや道も積雪に覆われて、枯れた景色はゆっくりと銀世界へと塗り替えられていった。ハイドラの故郷ケテルナでは雪は年に一度降るか降らないかといったところだったので、彼にとって雪は珍しいものに違いなかった。幼い時分の雪の日のことを思い出せば、彼の脳裏に浮かぶのは羽毛が舞い落ちてくるように、幻想的に降り積もる粉雪。踏み込むとその純白に自身の小さな足が埋まり、数歩進んで振り向けばぽつぽつと足跡がついてくるのが、幼きハイドラには面白かった。そして遊びに来たアーランと雪だるまを作り、くすねてきた出来の悪い人参をそいつの鼻として顔の真ん中に___

「ハイドラ!」

「へっ!?」

 魔女の声にはっとしたハイドラは、九時から来る荒々しい物音を聞いて状況を察知し跳び退がった。前方へ跳んだ魔女とハイドラの間を巨大な獣が猛スピードで横断し、堂々たる大木に勢いよく衝突した。幹をへし折られた木はめきめきと音を鳴らし、やがて轟音を上げて新雪の上に倒れ伏した。巻き上がった雪煙が晴れると、それはのそのそと動いて魔女の方に向き直った。

「これは……猪?」

「いや、ただの猪じゃないね……」

 高さ二メートルを超す巨躯は硬い毛並みに覆われ、太く立派な牙をたくわえた頑健のかぶりは筋肉と骨とが異様に隆起し、それが常ならざるものであることは容易に見てとれた。獣は狂気的な吠え声を上げながら瘴気にも似た魔力を纏い、前掻きでガリガリと地を抉り、再び突進の姿勢をとった。

「化け猪、それも大分長いこと共食いと……人食いをしたやつ、が、冬眠に失敗したか」

「師匠」

 柄に手をかけたハイドラはチラリと魔女を見た。だが、珍しく魔女は首を横に振った。

「あれはだめだ。そこらの雑魚どもとはレベルが違う……退がってなさいハイドラ、私がいく」

 言われて、ハイドラは抜きかけの剣を納めて素早く離脱し、魔女は鋭く指笛を吹いた。猪の注意が魔女に向いたその刹那、猪突猛進字の如く、恐るべき肉の塊が魔女に襲いかかる。しかし魔女はこれを天高く跳び上がって躱した。そして身を翻すと、拳を握った右手をグッと体に寄せ、左手は人差し指を化け猪に向けて、まるで弓を引くかのような姿勢で空中に静止した。そして魔女は、狙いを定めるように片目を閉じ、粛々と呪文を唱えはじめた。

「駆る銀糸は解るることなく、稲穂と諸刃を結い紡ぎ」

 呪文に織られていくように、魔女の引き絞った拳の先に純魔力の蒼茫が集まっていく。光の糸が絡み合い、捻れながら結ばれ、それらは獣に向けられた左手に沿うように、一振りの十字剣を形成していった。蒼く煌く、魔力の剣。それは、とある妖精が開発したという秘伝の魔術の一つ。純魔力弾の亜種にして、比にならざる威力、射速を誇る一撃必殺の刃。凍てつくような空の下、生み出された妖星の剣尖は荒れ狂う獣を捉えた!

「憂うことなき鬼を想えば、刻に彼方の槙を崩す___妖星剣ようせいけん!!」

 引き絞られた拳が撃ち出されると同時に、魔術・妖星剣は放たれた。蒼い尾を引く、音すら貫くその一撃。着弾、轟音と眩い蒼の爆発が巻き起こり、舞い上がる大きな雪煙。鳴き声にもならない断末魔はかき消され、鈍色の空に消えた。魔女はふわりと華麗に着地して、拳にまとわりつく魔力の残滓を振り払った。

 ハイドラは猪がいた場所に穿たれたクレーターを見た。そして爆風の影響で全身に乗った雪を手で払い落としながら、二度と魔女には逆らわないようにしようと心に誓ったのだった。



 正午過ぎ。雪積もる荒野の向こう、針葉樹林のその先に、ルカオの村は営まれていた。村という割によく栄えているルカオは、近隣で採れる豊富な木材によって数多くの民家と様々なものが造られており、素朴な外観に反してかなり発展している印象をハイドラに与えた。温かみのある木目の村模様は端々に牧歌的な意匠を感じさせ、しかしモダンな時計台や店の並びはどこか生き生きしているように映り、道ゆく人々は皆師弟に軽く会釈するのだった。

「なんか、うまく言えないんですけど……いいところですね」

「それ私も思った」

 辛うじて凍っていない噴水の公園で子供たちが雪遊びしているのを横目に師弟は宿を探して村を練り歩いた。その間にも雪は降り続く。頭と肩が重くなるたびハイドラは積もった雪を払っては、また積もられた。

「しかし、この大雪どうしたものかね。あんまりひどいとすぐには出発できないかも」

 魔女は帽子のつばに積もった雪で雪玉を作り、それをハイドラに渡しながら言った。

「……大会は二ヶ月以上先でしょう?ならそこまで問題でもないんじゃないですか?」

 ハイドラは雪玉を捨て、さらにもう一つ作られた魔女の雪玉を受け取っては捨てた。

「まあ時間に余裕があるのは確かだよ。けどね、よく覚えておきなさい、雪は旅人の天敵だとも。少なくともお日様の見えないうちはこの村に滞在するからね」

 魔女はさらに雪玉をハイドラに渡して言った。

「……向こう二ヶ月も降り続けたら?」

 ハイドラは雪玉を放り投げ、魔女に問いかけた。対して魔女は「安全第一、諦めよう」と簡単に言ってのけ、足元の雪を蹴飛ばした。

「なんつって、はは。ま、アルセイラの気候じゃそうそうないと思うけどね。ひと月も降り続けたらもう氷河期でしょ」

「…あ、師匠。あそこ、宿屋っぽいですよ」

 ハイドラは一区画向こうにある看板を指差した。師弟は身体の雪を落とし、そのログハウス調の宿屋に入っていった。そして部屋だけ取ってきた師弟は五分ほどですぐにまた表に繰り出した。

「……師匠、さすがに少し暖を取ってからにしませんか」

「動けばあったまるさ。あと二ヶ月……いや、ひと月でどれだけ詰め込めるかで勝負が決まると思いな。剣も魔術も格闘も、まだまだ伸ばすつもりなんだから」

 ハイドラはずずと鼻を啜り、渋々魔女について行った。師弟は周囲に人気がなくなるまで歩き、やがて村はずれの森に入ったあたりでちょうどよく開けた場所を見つけた。素振りと走り込みで念入りに体をほぐし、ハイドラは魔女に外套を返した。

「寒っ……はぁーっ……それじゃあ師匠、よろしくお願いします」

「ん、やろう」

 組み手を三度もこなせば体は温まり、感覚のギアも変わり、雪の中でも自然と体は動くようになる。半年以上の間、毎日のように繰り返されれば組み手もまた一つの環境と数えられるほど彼の生活では当たり前の物事となり、なればこそ少年の体は環境に適応していた。今では手加減があるとはいえ魔女の動きにも難なくついていけるほどに彼の格闘は成長していたのだった。

 ハイドラが攻め切らせない絶妙な間合いをとろうとすれば、魔女は素早く詰める。それに合わせたハイドラは肘打ち、簡単にいなされようと勢いを殺さず掌底、膝蹴り。魔女の防御する腕の上から叩き込み、その衝撃でわずかに防御が崩れかける、が、ハイドラはそれを誘いと見破り、再び距離をとった。その動きすら読んで影のように追随する魔女の追撃がハイドラを襲う。激しい連打を浴びせ、さらに掴みにかかる。ハイドラはその手を間一髪くぐり抜けると、身をかがめて水面蹴りで足を払おうとするが、魔女はこれを跳び退がって避けた。一進一退の攻防が続き、幾度目かの接触、魔女の鞭を打つようなローキックが、いつかのそれと同じ軌道でハイドラの太腿に炸裂した、かのように見えた。しかし、その刹那わずかに踏み込んで打点をずらしたハイドラは魔女の腕と胸ぐらを掴み、くいと足をかけた。会心、掛け声とともに力一杯の背負い投げ、魔女の体がふわりと宙に浮き、美しい円弧を描いて足跡だらけの雪の上に落ちた。

「「……よし!」」

 師弟ともに、満足のいく一合であった。



 料亭の中は暖炉の薪に灯された火の暖かな熱がゆったりと広がり、他に数人しかいない客たちも穏やかに談笑しているのみで表では静かに雪が降るばかりと、それは静かな夜だった。ハイドラはまだ湯気の立っているココアのマグカップを片手に、テーブルに突っ伏してその温もりに蕩けていた。

「……二度とここを離れたくない」

「馬ぁ鹿言ってんじゃないよ、明日も明後日も特訓だ」

 ハイドラは恨めしそうに魔女の顔を見上げたが、魔女はオパールの瞳を柔らかに細めるばかりだった。ハイドラは体を起こしてココアを啜り、眠気と明日への憂いが複雑に混ざり合った溜め息をふわと吐き、だらりと体重を背もたれに預けてぼーっと天井の明かりを眺めた。よく見ると、吊るされたランタンの中で蝋燭もないのに火の玉だけが浮かんでいた。

「……師匠」

「ん?」

 ハイドラは天井を指差した。同じように上を見て、魔女は「ああ」と声を漏らした。

華灯かとうか」

「何ですそれ?」

「クローカーを知ってるかい?」

「……史上最も魔術に秀でた勇者、焔環えんかんの王子」

 魔女はうなずき、説いた。古い時代の勇者の一人、焔環の王子クローカー。同じく魔術に長けた勇者であるオースと比べると、オースが魔術師としては異端であったのに対し「純粋な魔術師」として名を馳せたのがクローカーだった。彼は特に火や熱の術に精通し、「火の中に神を見出した」最初の魔術師であるとされる。そして、彼の思想や魔術観を起源として成立した魔術流派が、焔華教。クローカーと彼が見出した「火の神」を信奉し、火炎に纏わる魔術において他にはない発展と特質を得た流派であり、市場にも焔華に由来する魔法道具はいくつか出回っている。

「で、あれはその焔華製のランタン。中の火の玉はちっちゃいし火力も全然ないけど、ランタンが壊れない限り何しても消えないっていうやつ」

 ハイドラは再び天井を見た。そして人差し指を出し、それに火を灯してみた。ランタンの火の玉と大体同じくらいの、蝋燭に灯されるくらいの大きさだが、しかしハイドラの指先の火はぷすりとすぐに消えた。

「……消えない火、ですか」

「強いよ、焔華の魔術師たちは」

 魔女はハイドラのマグカップを彼の手からひょいと取り、少しぬるくなったココアを啜った。

「もともと炎の魔術はかなり戦闘向きだ。それを極めた連中が弱いわけがない。加えて焔華の総本山は隣国、フォートリム。いわゆる軍事国家だ。そういう用途の術の開発にはさぞ注ぎ込んでいるだろうね」

「え、それヤバいんじゃ……そんな強い奴らがアルセイラに攻め込んできたら」

 魔女は空になったマグカップをハイドラに返し、ははと笑った。ハイドラはもう一杯ココアを注文した。

「ま〜、軍事国家といっても専ら深界への侵攻しか頭にないみたいだから。それにアルセイラの勇者であるクローカーが建国に深く関わってるからね、奴さんは親アルセイラ派さ。フォートリムで『アルセイラ人です』って言うとめちゃくちゃ歓迎されるらしいよ」

「ココアお待ちどう様〜」

 ハイドラは給仕の娘に運ばれてきたココアを受け取り、天井を見た。小さな火の玉が身じろぎもせず孤独に佇んでいるのは、果たしてそこが安らかである故か、それとも祈るべき神もいない独房故か。ただ照らすだけの光源を見つめて淹れたてのココアを呷れば、湯気の霞みに灯火の光はぼんやりとしか見えなかった。



 翌日、引き続きの降雪。今日も今日とて師弟は早朝より例の村はずれで修行に勤しむ。組み手から型の復習、剣術指南、魔術の基礎練、一通りやったところで村も活動の気配を見せたため、師弟は料亭に向かい朝食を摂った。朝食が済んだら今度は体力作りがある。料亭の店主と何やら話をして戻ってきた魔女にハイドラは食べてすぐ激しい動きはしたくないとぼやくが、魔女は弟子の尻を蹴飛ばした。師弟は村をぐるりとランニングで一周した。途中、今日こそ完全に凍結した噴水の公園で昨日と変わらず雪遊びに興じている子供たちの姿や、雑貨屋の窓から覗く、店主らしき淑女と赤ん坊を抱いた若い女性の談笑する姿、老人とともに屋根に登って雪かきに勤しむ若い男など、ルカオの村は師弟に飾らない日常の顔を垣間見せた。

 午前半ば、村はずれの森に戻った師弟。魔女はハイドラに、より実戦的な技を教授したいと言った。

「君、人よりも魔物と戦うことの方が多かったろ?戦うとしても野盗とか、ゴロツキとかそんな奴らばっかりだったし。つまり何が言いたいかってーとね、まともな戦士と戦う機会は少なかった。君が相手してきた人間連中のほとんどは、技術や装備に関しては素人ばかり。まあ、たまに強いのもいたけど」

 魔女は刃のない剣で雪の上に魔物や怒り顔の人間の絵を描きながら語った。続いて槍と鎧で武装した戦士の絵を描いた。

「でも君は、いずれ防具を纏っていてかつ戦い方を知っている者たちを相手取らなくちゃいけなくなるだろう。そういう手合いにはこれまでのやり方は通用しない。つまり……はいハイドラ君」

「……絡め手が要る?」

「それも要る。けど今回はよりシンプルなほう」

 魔女はハイドラに人差し指を立てて見せ、そしてその手を空へ向け呪文を唱えた。

「形寄せは機関、方角に整、航路の兼ねる代償___召喚」

 魔女が詠唱を完遂すると師弟の前方の空間が波紋を打ちながら口を開け、そこからどさりと何か物体が落ちた。物体の頭上にあった空間の口が閉じ、物体はやがて立ち上がった。見れば、がちゃりがちゃりと錆びた音を鳴らす古びた全身甲冑を着込んだ木偶人形であった。魔女は人形の横に行き、それの肩をポン叩いた。

「紹介しよう!こちら、君の鎧通しの練習に付き合ってくれる人形氏!すごいだろ!」

 人形氏はぎぎと関節を強張らせながら、ハイドラにサムズアップしたが、彼はそれを無視して首を傾げた。

「鎧通し?」

「おい、無視はかわいそうだろ。……鎧通しってのは甲冑を着た相手に、甲冑の上からでもダメージを与える技術、または『甲冑の隙間から致命傷を与える』技術だ。前者は主に打撃、後者は主に刺突で行う。どっちも教えるよ」

 心なしかしょんぼりとする人形氏の背中を撫でた魔女は人形氏の正面に立ち、始めるよと言って組み合った。

「まず、打撃の方。手本を見せよう」

 魔女は人形氏の懐にぐっと踏み込むと、その角ばった顎に右の掌底をぴたりと当て、その状態、つまり零距離で掌底を打ち抜いた。続く流れで今度は両掌をふらつく人形氏の腹に軽く押し当てると、また零距離の打ち抜き。人形氏はドンと派手に吹き飛び、雪煙を大きく巻き上げながら倒れた。が、すぐに起き上がって元の位置に戻った。ハイドラはポカンと口を開けたまま、魔女の顔を眺めた。

「っていう感じのをできるようになってほしい。大丈夫、いつもみたいに一動作ずつ教えるから、まずは人形氏と組み合って」

 ハイドラは構えている人形氏の方へと目をやり、言われるがまま魔女がやっていたように体を動かした。

「そう、そこからまず顎に掌底を当てて…あ、勢いつけて打つんじゃなくて、まずは軽く触れさせるだけ。触れた状態から打ち抜くってのがポイントだから……」

 師弟と人形氏はそれから正午まで、ハイドラの鎧通しの訓練に励んだ。引き上げる頃には辺りの積雪はぐちゃぐちゃに乱れ、ハイドラも掌に内出血を拵えては魔女に治されを繰り返した。そして人形氏は魔女から終了のお声がかかると、師弟に手を振りながらぼわんと煙を上げ、虚空に消えていった。昼食を摂るべく料亭へと向かう道すがら、ハイドラは鎧通しの感触を反芻しながら考えた。あの人形は何だったんだろう、と。



「自由時間だ」

 昼食後、二台の寝台と机と椅子があるのみの宿の部屋に戻り、そこでも筋トレメニューを終えた弟子に魔女は唐突に、高らかに宣言した。シャツを着直していたハイドラは襟から怪訝そうな顔を出し、その聞き慣れないフレーズにみじろぎした。

「自由時間って……何でまた急に。残りのメニューは?」

「今日はもう十分なのです。考えてみればこうしてまともに足を止めたことってそうなかったし、それに鍛えるだけが修行じゃないよなーとか思って。伸び盛り、羽を伸ばすことも養分になるだろう。寝るもよし、子供らしくお外で遊んでくるもよし、夕方まで好きに過ごしてリフレッシュしなさいな」

 お外で遊ぶ歳でもないがと思いつつ「はあ」、と煮え切らない返事をしたハイドラに、魔女は「じゃ、私も少し出かけるけど、外出するならこれ着なよ」と言って帽子から黒い外套を出して机に置き、そそくさと部屋を出て行ってしまった。ハイドラはとりあえずどうしたものかと、寝台の上に置いていた剣を壁に立てかけて横になった。

(……確かに、この一年ほとんど毎日歩きづめてたな……雨でも雷でも危険地帯でさえなければぶっ通しだったが、雪は旅人の天敵、か)

 先のわからないまま手を引っ張られて故郷を出た春、様々な人と出会い別れながら多くを学んだ夏と秋、そして冬が来た。天井と睨み合って一年の旅路を振り返った彼だったが次第に瞼は重くなり、泥沼に落ちていくように思考と呼吸は深くなっていった。

 昼過ぎだというのにルカオの空は薄暗く、分厚い雲の海が冬の日差しを独り占めにし、大地には代わりとしてこんこんと雪を降らせていた。室内は陰り、しかし窓から侵入した弱い光は心地よく、ある意味昼寝日和であった。

「……」

 だが、健康優良児にはこういった好条件が揃っている時こそ、寧ろなかなか長い眠りには落ちにくいものであった。以前のように悪夢が眠りを妨げるからでも体の痛みによるものでもなく、修行と旅の日々に順応した彼は基礎体力も回復力も修行のはじめの頃とは比にならないほど底上げされていたからだった。しかして彼は、この絶好の昼寝日和にたったの一時間半ほどしかその妙味に浸れなかったのだった。もはや閉じている方が煩わしい瞼を開け、寝台から降りて伸びをし、冷えた窓枠に手をつけば微睡は名残惜しくとも霧散した。きりっとしたその寝覚めに白い息が溢れる。ハイドラは不意に手持ち無沙汰を感じ、手入れでもするかと壁に立てかけていた剣に手を伸ばしたが、筋トレ前に軽く済ませたのを思い出した。引っ込めた手を仕方なくポケットに突っ込んでむむと唸りながら窓の外を見た彼の目には、やはり一面の銀世界だけが映った。ちらりと、机の上に鎮座する外套を一瞥。ハイドラは真っ白な雪の空と真っ黒な外套を交互に見た。そしてたっぷり五分はぐちぐちと悩み、結局悩んでるより散歩する方がマシかと、外套を引っ掴んでハイドラは表へ出た。

 この村において大雪はさほど珍しくもないのだろう、村人たちの様子は至って平穏そのものだった。寒空の下、さまざまな生活音は雪の中へと埋もれて溶け込んでいく。それでも尚温かなものをハイドラに感じさせたのは、すれ違う人々が鼻と耳を真っ赤にしながらも生き生きしていたからだった。着込んだ外套のポケットに手を突っ込み、ハイドラはもすもすと雪を踏みしめて逍遥をはじめたのだった。



 散歩の途中、例の噴水のある公園の前でハイドラの足は止まった。ふと、無邪気に遊ぶ子供たちに目を奪われていたのだ。一瞬、幼少の記憶と重なったのだろうかと取り留めもなく思った彼だったが、やがて歩き出そうとしたその時、そんな彼に向かって行く人影ひとつ。踏み慣らされた雪道を、溌剌とした歩みで近づいた金髪の少女は少年を呼び止めた。

「ねえ君!」

 公園の前を過ぎたところで、ハイドラは声をかけてきた少女の方へ不思議そうな顔をして振り返った。

「ねえ、君も一緒に雪合戦しよ!」

 クリっとした明るいグリーンの瞳と、それとよく合う同じ色の外套と手袋。寒さに焼けて少し赤らんだ鼻、その上の白い肌にはうすらとそばかすが見えた。背の丈はハイドラより少し低いくらいで、どことなく人懐っこい子犬を思わせるような雰囲気の少女は、にこにこと笑いながらハイドラの手をとった。ハイドラはどこかで見覚えがある気がして、記憶を辿ろうとしたが、しかし有無を言わさず少女は彼の手を引っ張って、引っ張って、それはもう馬力の引っ張りであった。

「……はっ、いや、俺は___っぉぁああぁあ!?」

「あははは!」

 そっけなく断ろうとしたハイドラだったがそんな彼の言が終わるより先に、少女はものすごい勢いでハイドラを噴水の前まで引きずりきった。

「みんなー!このお兄ちゃんも雪合戦したいって!いいよねー?」

「「「おっけー!」」」

「えっ……は!?」

 素っ頓狂な声を上げたハイドラだったが、気づいた時にはもうすでに彼の周囲を七、八人の子供たちが取り囲んでおり、雪玉を作り終えかけていた。

「あっ待て、俺は」

「よーいスタート!」

 少女の合図を皮切りに、無数の雪玉がパニック気味のハイドラ目掛けて殺到した。

「うわぁぁぁ!!!」


✳︎


「はぁ……はぁ……ひ、ひどい目にあった……」

 試合終了の合図を聞き、ハイドラはひんやりと冷えた噴水の淵にどかっと腰を下ろした。すると、その周りにわらわらと子供たちが集まる。

「にいちゃんすげー!避けるのうまーい!」

「でも全然投げてなかったねー」

「ねえかくれんぼしよ」

 ハイドラは腕や服をぐいぐい引っ張られたり、もみくちゃにされたりしながらも、子供たちを軽くあしらうが、次から次へと四方八方から小さな手がたかってきた。ペタペタとまさぐられるのにされるがままになっていると、今度はどこからともなく雪玉が飛んできて、

「ぶ___」

 ハイドラは顔中雪まみれになった。記念すべきハイドラへのファースト・ヒットをとった彼の名は___

「こらー!ジャックー!」

 雪玉の犯人は少女の大目玉から逃れ、公園の門のところまで行くと振り返りハイドラに向けて舌を出した。帽子も被らない丸刈りの頭は寒々しいが、やんちゃそうな顔には寒さなんてへっちゃらだと言わんばかりの生意気な笑み。服も、シャツにズボンに、防寒具は手袋と少し厚手のベストだけという軽装備。丸刈り坊主は「ばぁ〜か!」と捨て台詞を吐いてそのまま走り去っていってしまった。

「もう、全くあの子は!ごめんね、ジャックったら余所の子にはいっつもああなのよ。大丈夫?」

 少女はハイドラの顔を覗き込んだ。ハイドラは外套の袖で顔を拭い、「大丈夫だ」と一言。

「あとであたしから言っとくから、ちゃんと謝りなさい!って」

「……いいよ、別に。子供のいたずらだ」

 ハイドラは周囲の子供たちをやんわりと制して立ち上がった。

「そろそろ行く。じゃあな」

「えー!にいちゃんもうかえるのー!?」

「やだー!もっとあそんでー!」

「ねえーかくれんぼしよーよー!」

 去ろうとするハイドラの周りに子供たちが群がる群がる。ハイドラは乱暴に振り払うこともできず、しかし脱出もままならず、持て余して天を仰いだ。そんな様子を見て少女は立ち上がり、ぽんぽんと手を叩いた。

「ほーら、お兄ちゃん困っちゃってるから。帰してあげて?また明日遊んでくれるから」

「は?なに勝手に決めて___」

 ハイドラが否定するより先に、少女の言葉に子供たちは大喜び。少女はにっこり笑って「また明日!」と手を振った。ハイドラは子どもたちの無邪気さ気圧された。そして少女のあまりの天真爛漫さにいつぞや出会った乙女と___いつぞや喪った従兄を重ねて___彼は断るに断れず手を振った。


✳︎


「あ」

「げっ」

 日も暮れかけた頃、リフレッシュのつもりがひどい目にあったと思いながら宿に戻ったハイドラは、しかし宿の玄関先でバッタリ彼と鉢合わせた。先程ハイドラの顔面に雪玉をぶつけた、ジャックと呼ばれていた丸刈り坊主である。

「ちぃっ、逃げろー!」

「……」

 ジャックは颯爽と走り去り、宿の裏手に入っていった。そしてすぐ裏手の方で「ガチャバタン」とドアが開き閉まる音がした。

(……宿屋のガキが余所者に厳しいのはアウトだろ)

 そんなことを考えながら、ハイドラは部屋に戻った。部屋には既に魔女も戻っており、彼女は自分のベッドでくつろいでいた。魔女はどことなく上機嫌に、ハイドラの湿った外套を受け取りながら尋ねた。

「おやおや?やっぱり雪遊びしてきたのかい?」

「……不本意ながら」

 さっと外套を乾かした魔女はそれを机に置き、愉快そうにははと笑った。

「……それで、師匠は何してたんですか?あとひと月でどれだけ詰め込めるか、なんて言っときながら急に休みなんて寄越して」

「むむ?気になっちゃう?なっちゃうかい?」

「あ、やっぱいいです」

「気になっちゃうよね〜!そりゃこんな美人の師匠が自分の知らないところで何かしてたら、気になっちゃうよね〜……!でもまだ教えてあげないも〜ん」

(うっぜぇ……)

 ハイドラは迂闊に聞いたことを少し後悔した。

「はぁ……わかりましたから、じゃあまた今度聞いてあげますから……もう腹減りましたし飯行きましょうよ」

「うっわすっごい適当にあしらわれた」

 無駄に拗ねる魔女をなんとか立たせたハイドラは、その背をぐいぐい押して宿を後にした。

 日が落ちきったルカオは、その雪景色に家々の窓から漏れる生活の灯りを塗って、肌を切る寒さとは対照的にぽかぽかとした風景を作り出していた。通りにはそれぞれの家庭の夕餉の香りが溢れ、師弟の食欲を強く刺激した。焼けた玉ねぎの甘さと香ばしさ。軽い炭臭さに隠れたトマトとチーズのそれはピザの香りだろうか。どれにあてられても、ハイドラはその温もりにノスタルジーを想った。ハイドラもかつては家族と仲がよかった。だがハイドラの父は寡黙な男で、ハイドラは思春期になるにつれ、自然と父と話すことが少なくなっていった。そして母とは、アーランの一件から彼の胸中にわだかまりができてしまい、それからすぐに旅立ってそれっきりだった。ハイドラはなるべく、父母のことは考えないようにしてこの修行の旅に望んでいた。なぜなら一度近しい人のことを考え始めれば、最愛の従兄を喪って一年にも満たない彼には、どうしても「もしもこのまま離別したら」を考えずにはいられなかったからだ。根が内気な少年には、目の前のことに精一杯でいられる今の環境は、確かに救いになってはいたのだ。その一点においては、ハイドラも魔女に対して強く感謝していた。もっとも、気恥ずかしくてそんなこと口にしたことないのが、ハイドラという少年であったが。

 やがて、二人はいつもの料亭に着いた。ガランゴロンとドアベルの音を響かせながら、ハイドラは扉を開いた。

「あ、いらっしゃい。あはは、また明日って言ったのに、今日中に会えたね」

 入店した師弟のもとに、給仕の娘___金髪碧眼の少女が近づいた。

「ん?……あっ!お前今日の怪力お___」

 言いかけたハイドラの頭を魔女が後ろから鷲掴みにして持ち上げた。その指のめり込みは、弟子の頭からミシミシメキメキと凶悪な音を奏でさせた。

「オイコラ馬鹿弟子……女の子に向かって『お前』や『怪力』なんて言っちゃダメだ!彼女できなくなるぞ!」

 しまった後ろにも怪力女が、と思いながらぷらんと宙に浮いたハイドラ。その考えを読んだ魔女はさらにその指に力を込め、ハイドラは梅干しのように顔を歪め苦悶の声を漏らした。その間抜けな姿に、給仕の娘は心から面白そうに笑った。

「あっはははは!おっかしい!もう、怪力は確かにひどいよ。でも確かにあたしも無理やりだったよね、おあいこね!」

 ハイドラと、彼を下ろした魔女を見て少女はニコリと笑いかけた。そして二人を空いている席へと案内した。


✳︎


 書き入れ時の店内はやはり賑やかで、師弟はそんな中空いていたカウンター席に案内され、夕食を摂った。しかし村の小さな料亭、ピークを過ぎれば少しずつ静かになっていき、やがて店内には数えるだけの客と冬の夜長の安息だけが残った。他の客同様に食後の余韻を味わっていた師弟のもとに、少女はエプロンを外した姿で、ココアを三つ持ってやってきた。

「どうぞ、こちらサービスですので」

「おや、どうもありがとう。いただきます」

「……いただきます」

 左からハイドラ、魔女と座っていたところの、ハイドラの左隣に少女は腰掛けた。師弟は湯気のたつそれを、火傷に気をつけつつ呷った。

「ココア、好きなんでしょ?いつも頼んでたから」

「……寒くなると、無性に飲みたくなる」

「わかる〜」

 少女もココアを呷った。

「ねぇ、名前なんて言うの?魔女のお姉さんも」

「ハイドラ」

「私は光の魔女」

「ハイドラ君と……光の魔女、さん?」

 少女は不思議そうに小首を傾げながら魔女を見た。魔女は朗らかに微笑んで、ピースをしながら「ペンネーム」と答えた。

「あはは、面白い人!それに綺麗な瞳……宝石みたい!」

「んふふ、どうもありがとう。お嬢さんもお人形さんみたいでかわいいねぇ〜。お名前はなんて言うのかな?」

「あっ、あたしステラって言います!」

 ステラは「そういえば」とハイドラに向き直った。

「今日はごめんね?あんまり寂しそうだったから、ちょっと無理やり誘っちゃって。あとジャックのことも」

「いや、別に気にしてない……ジャックってのは、宿屋の?」

「うん。あ、それは知ってたんだ。そっか、あなたたち旅人さんだもんね。ジャックんちの宿屋さんに泊まってたんだ」

 二人の会話に、今度は魔女が小首を傾げたが、しかし魔女はすぐに話の断片をつなぎ合わせてポンと手を打った。

「あ〜、ハイドラ、もしかしてこの子と雪遊びしてたの?」

「……まぁ、そういうことになります」

 ハイドラは若干渋い顔をして言った。

「あたしが無理やり引っ張り込んじゃって。だってハイドラ君、公園の門のところからじっとあたしたちのこと見てたから。混ぜて欲しいけど言い出せないのかなって思って」

 魔女は爆笑した。

「んなっ……師匠!違いますからね!ステラも勘違いだ!あれはちょっと考え事してて……」

「照れんなよ〜。なんだよ、私がいないところでそんなカワイーことしてたのかよ〜。ステラちゃん、それでそれで?」

「それで子供たちとみんなで雪合戦を。明日もやろうってことになったんだよね?」

「やらんわっ」

「えぇー!?」

 ステラは大きくショックを受けた様子で、「どうして?」とハイドラの顔を見た。

「子供たち、みんな楽しみにしてたよ?それとも……嫌、だったかな」

「う……」

 ハイドラはやや痛む良心にココアを飲む手を止めた。そこに魔女が追い討ちを仕掛けた。

「なんだってぇ〜?子供たちが楽しみにしてるぅ〜?ハイドラく〜ん、ダメじゃあないかぁ。子供たちを悲しませるようなことしちゃあ。明日も午後休みを与えるから行っといでっ」

「えぇ、なにこの変態……」

 魔女は、それはもう天板すれすれまで下げられた超低位置からの覗き込みで、ハイドラにねちっこく語りかけていた。そんな魔女の奇行から精一杯目を背けたが、ハイドラはうんと言わざるを得なかった。渋々彼が頷くと、ステラは嬉しそうに笑った。

「やった!みんな喜ぶよ!あたしも楽しみにしてるからね!あ、場所は今日と同じ噴水公園ね!」

 ステラは適温になった残りのココアをグッと飲み干して、席から降りた。

「それじゃあ、また明日ね!」

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