第六話:秋の邂逅

 からりと晴れて気持ちのいい秋半ば。平原の道を歩くその三人組は、はたから見て明らかに異様であった。まず、内二人は手ぶらなのに対し一人だけ十人分くらいある荷物を背負っていた。手ぶらの一人は少年で、野暮ったく伸びた枯草色の髪の隙間からはどこかぱっとしない目を覗かせ、腰には剣を下げている。手ぶらのもう一人は絵に描いた魔女のような格好をしており、真っ黒で大きな三角帽子を被り、これもまた真っ黒な法衣を着て全身黒づくめだった。そして一人だけの大荷物持ち。自身の体積の何倍もある鞄は木材などで簡素な骨組みすら取り付けられており、側面にはごちゃごちゃとガラクタがくくりつけられていてそのぶつかる音は騒々しく、さらには鞄のてっぺんにはトタン屋根までついている。まるで小さな物置が勝手に出歩いているかのようだった。そんな巨大鞄を背負っているは誰だと見る者が決まって驚くのは、彼女自体はただの若い女だからだろう。菖蒲色のマントを羽織っており、長い髪を総髪にしている。背は並の女より頭ひとつほど高く、しかしガタイがいいと言い切るには些か細身だが、均整のとれた筋肉は自然に引き締まっており、注視すればその大荷物を背負ってなお軽い足取りにも納得がいくというものだった。

「いやぁ、ホント助かったっス!ハイドラ君と魔女さんがいなかったら、今頃どうなっていたことか!ヨーギシュに着いたらたんまりとお礼させて頂くんで、楽しみにしといて欲しいっス!」

 この女、行商人ネムがハイドラ・光の魔女と同行するに至った経緯は、つい一時間前の出来事にある。



 歩きながら、ハイドラは燃えさかる炎をイメージした。イメージを骨子として、彼の脳裏に燃焼の理論が構築されていく。有機の急激な酸化反応、充填されていく空想の熱。魔力を帯びたプロトコルは彼の神経の中で膨張し、やがて粗末ながらも高温の火の玉をその指先に灯すに至った。

「…来た!」

「ようし、そのまま維持だ」

 ハイドラは視線を指先に向けたまま、隣を歩く魔女の言葉にうなずいた。

「理の一、連立する気、末子へと送る生。理の一…」

 火を灯し続けるための呪文を唱え、ハイドラは指先に魔力を回した。微弱な熱の流れが、彼の自己不信をかき分けてなんとか作用点を目指す。ハイドラは目一杯集中して約一分ほどその火を維持したが、火は徐々に小さくなっていき、最後にはぷすりと細い煙を残して消えた。ハイドラはそれを見てぶはっと息を吐き出した。

「…これが限界…ちっせぇ…」

「でも、最初と比べたら随分できるようになったよ」

 魔女は帽子のつばをくいと上げ、オパールの瞳をほんのり和らげた。その顔はどこか誇らしげであった。

「村を出てすぐの頃の君は、どうやっても魔力を流せなかった。でも、理論構築を通してなら微弱ながら魔力の流れを作れるようになり、そして今、ちゃんと火を灯すことができるようになった」

 これも君が毎日努力を欠かさなかった賜物だと、魔女はそうハイドラに言った。ハイドラは少し照れ臭そうに頬を掻いた。

「いや、俺なんかまだまだです」

「うんそれはその通り」

 速攻で掌を返した魔女に謙遜をぶった切られたハイドラは、少しだけ傷ついたように口をへの字をした。だが魔女はそんなハイドラを気にも留めず、足元で秋風と遊んでいた枯れ葉を拾った。枯れ葉は大人の掌ほどの大きさでよく乾いていた。

「慢心はいとも簡単に人を殺す。自惚れぬよう、常日頃から心がけなさい。ちなみに」

 そう言って魔女は持っていた枯れ葉に火を着け、それを瞬時に宙に放った。火は魔女が着火した瞬間にボッと全体を燃やすと、枯れ葉は空中ですぐに燃え尽き、その燃えかすは風に吹かれて散った。

「火にまつわる魔術はね、その特性として魔力以外に燃料を足して火力を増すことができるんだ。今の火はあの葉をすぐに燃やし尽くすほど大きくなったけど、込めた魔力は君の灯し火と大差ない」

 しかし、と魔女はそこで語気を強めた。

「これにはデメリットもある。通常、自身の魔力のみを使った術は術者を傷つけることはないけど、こうなれば別だ。魔力と大気以外の燃料を使うと、魔術の火は術者の手を離れて自然の火になるんだよ。自然のものとなった火は普通の火と同じく術者も関係なく焼く。だからすぐに葉を離したんだ」

 ハイドラはうなずきながら話を聞いた後、魔女に何故大気は別なのか訊ねた。

「いい質問だ弟子よ!」

 魔女は非常に楽しそうに、饒舌に語った。

「その問いに関する明確な答えは、実は今のところまだない…これは世界中の魔術師たちの研究テーマでもあるくらい有名な問題なんだよ。だからいくつか説があるんだけど、その中でも特に私が面白いと思うのは『大気そのものが魔術によって作られた説』とか、『大気中には術者の呼気に含まれる魔力が混じるから、大気を外付け燃料とは見られない説』とか、あとは…」

 矢継ぎ早な魔女についていけず、ハイドラは適当にうなずきながら相槌を打った。しばらく魔女は大気と火の魔術の関係について熱弁したが、気が済むと我に帰り、咳払いをしてハイドラの魔術の稽古に話題を戻した。

「悪い悪い。えー…そう、火の魔術を使う時はその特性をくれぐれも忘れないように。まず自分が火傷しないため、そして次に、より大きな火力がいる時のためにさ」

「わかりました。覚えておきます」

 ハイドラは落ち葉を一枚拾い、魔女がやったように着火と同時にそれを上に放った。確かに、いつかの樹怪と相対したときの情けない火の子と比べればまともな火球になった。ハイドラは感心の声を漏らし、成長の実感を噛みしめた。

「よーし、そんじゃ火の魔術はいったんこの辺にして、そろそろ次のステップに行こうか。今度は魔術戦の基本である障壁を…なんだ?」

 その時、師弟は背後から助けを求める声を聞き振り返った。見ると、何か巨大なシルエットが師弟の方に向かって走ってくるではないか。ハイドラと魔女は物置が足を生やして駆けてくるが如き面妖さに顔を引きつらせたが、いずれそれが異常なほど巨大な鞄を背負った人間であることに気付いた。そして、その後を一匹の獣が追っている。灰色の毛皮に覆われた体、前に突き出た長い顎門から不揃いの鋭い牙を覗かせているのは、魔物・一匹狼いっぴきおおかみ。偶発的に魔物の肉を喰った狼が気を狂わせ、群れの仲間をも喰らい尽くして孤独な怪物に堕ちたものだ。異常発達した筋肉は生きているだけで大量のカロリーを消費し、その呪われた生涯は最期の最期まで満たされない飢えに苛まれる。故に、この哀れな魔物は自身のテリトリーで喰らい尽くせばいずれ人里に降り、こうして人をその腹に収めようとするのだった。

「たすけてぇええ!!」

 一匹狼に追われている女は泣き叫びながらも、その健脚でもって師弟のもとまで逃げ切った。そして師弟の後ろに隠れるように回り込むと、息を整えながら必死に口を動かした。

「あ、あ、あなた方!戦えそうっスね!?ぜぇ…どうかアイツを…はぁ…追い払ってくれないっスか!?」

「…あの、荷物置いてけば逃げ切れたんじゃ」

 ハイドラはやや冷淡に、ひどく怯えている彼女をまじまじと眺めながら言った。しかし女はぶんぶんと首を振りそれを否定した。

「ダメっスよそんなん!ウチは行商なんス!これには夢と希望と沢山のカネヅルが詰まってるんスから!命より重いんス!…とは言うものの!!命もめっちゃ重いんでどうかアイツを…うわぁっ!?」

 女が喋り切る前に、一匹狼はハイドラたちを間合に入れた。魔女が女の体を大荷物ごと抱えそこから跳び退がると、おぞましい唸り声を上げながら飛びかかる一匹狼にハイドラは振り向きざまの抜刀一閃。臭みの強い獣の血が道を汚す。一匹狼は空中で体勢を崩して着地と同時に転倒するも、すぐに立ち直って自身を攻撃した少年剣士に威嚇の咆哮を浴びせた。

「…チッ」

 ハイドラは自身の左肩を浅く裂いた三本の爪痕を見て舌打ちし、目を血走らせている一匹狼に剣を構えた。一匹狼もまた今の一太刀を致命傷には至らせていないようで、この小癪な小僧をまず一番に八つ裂きにしてやろうとそのぬらぬらとした牙を剥き見せつけた。

「あ、あの…ウチが言うのもなんですが…あなたは戦わないんスか?」

 俵のように抱えられながらその対峙を見ていた女は、柔らかな草地の上に自身を下ろした魔女に訊ねた。

「あんな化け物相手にあの子一人ってのは…」

「ああ、大丈夫大丈夫。あの子、あんなみてくれしてるけど結構剣は振れるんだ」

 まあ危なそうなら私も割り込むけどねと、魔女は最後に付け足した。

『ガルルルァッ!』

 一匹狼の動きに合わせ、ハイドラは身を翻しては毛皮の奥の肉を剣で小さく抉った。その一撃一撃は大した傷にならない。だがハイドラは自身に迫る鋭い爪や牙をすんでのところで躱し、先ほど裂かれた肩の他には無傷を貫いた。その猛攻の動作を一つずつ目で追い、確実に受けを減らす一方で少しずつでも一方的にダメージを与えていく。そうして徐々に攻勢は弱まり、とうとう一匹狼は一旦ハイドラから距離を取ろうとした。ハイドラはその瞬間の一匹狼に生まれた負け犬の姿勢を見逃さなかった。

「___そこだ!」

 恐れず、ハイドラはその懐に飛び込んだ。大上段に構えられた剣は彼の足先まで振り下ろされ、一匹狼の頭を真っ二つに叩き斬った。激しく血飛沫を撒き散らしながら伏したその骸は、やがて塵となって秋風に舞った。ハイドラは細く息を吐き、刃に付いた血糊を振り払って剣を鞘に収めた。

「…ひぇ」

 二人のもとに戻ったハイドラを見て、女は腰が引けたような声を漏らした。そして、遅れてやってきた痛みに顔をしかめながら肩の傷口を舐めるハイドラとその傷を治癒する魔女に、女は顔を青ざめさせつつも明るくした声で礼を言った。



 ネムと名乗った行商の女は、この先にあるヨーギシュの街を目指していたところあの魔物に襲われたのだと言った。自慢の健脚で命からがら逃げた先に、偶然師弟を見つけたのだと。

「しかし災難だったねぇ。一匹狼なんて珍しい魔物、そうそう現れるものでもないのに」

「いやぁ〜、ウチってば昔からツキがないもんで…でも悪運だけはあるからピンチでもなんとか生き延びちまうんスよねぇ」

 ネムは腕を組んで自慢げに語った。

「この前なんか上流の商人と間違えられて山賊に捕まっちまったんスけど、幸運にもそこの親分がドアホだけど話のわかる御仁だったもんだから仲良くなって見逃してもらったりとか!」

 魔女とネムが雑談に興じる一方、ハイドラはずっと胸の前で両手をかざし合っていた。時折、その手と手の間に魔力の膜のようなものができるがすぐに綻んで消える。不安定な青白い粒子の揺らぎが生まれかけては、板状にはならずに崩れ去っていくのだった。そんな彼を見て、ネムは不思議そうに話しかけた。

「ハイドラ君はさっきから何してるっスか?」

 ハイドラは疲れたように手を握ったり開いたりしながら「魔術の練習です」と答えた。

「…障壁って言うんですけど、つまりバリアーみたいなものでしょうか、魔力の」

 そう言ってもう一度挑戦するハイドラだったが、やはりそれは形をなさずに消えてしまった。

「へぇ〜、なんか難しそうっスね!」

「はは、基礎の基礎だよ」

 感心したような顔をするネムだったが、しかし魔女は苦笑いしながら前に手をかざして瞬時に二メートル四方ほどの障壁を展開した。

「まともな魔術師なら展開に半秒未満。大きさ、耐久性、持続時間は込める魔力によって変化させられる」

「すごいっス…」

「いいかいハイドラ。防御の魔術は一に速さ、二に堅さ、三、四がなくて五にデカさ。覚えておきなさい」

「なんでその順番なんですか?」

 ハイドラは手の間で不機嫌そうに出たり消えたりする小さな魔力の膜を弄りながら魔女に訊ねた。

「よくぞ聞いた。まず、防御なんだから前提として相手の攻撃より遅くちゃ話にならない。どれほど堅牢な盾も構えられなければただの板だ。だから戦場に出る魔術師たちは皆、まず一番にこれの展開速度を鍛えるものさ」

 ハイドラとネムはなるほど、とうなずいた。

「次に堅さ。構えられても脆かったら意味がないってのはわかるだろ?そしてデカさ。まぁデカけりゃいいってもんでもないけど、被弾しないための確実性が増すことには増すし、より広げれば味方も一緒に守ったりとかもできる。で、持続時間の長さはそこまで重要ではないと私は思ってる」

「そりゃまた何でなんスか?」

 ネムはハイドラよりもワクワクした様子で魔女に訊ねた。

「長く張るのは簡単だけど…タイミングよくガードした方がかっこいいじゃん」

 ネムが拍手する隣で、ハイドラは片眉を上げて「はんっ」と息を吐いた。その様子を見て魔女は不服そうな顔をすると、ハイドラの顔前に障壁を展開した。発生から消滅までわずか一秒の間に、見事障壁はその役割を全うした。

「ぶっ」

「まったく可愛げのない弟子だなぁ。ネムちゃんを見習えー!」

 ハイドラは理不尽だと思いつつ、魔女に向かって当て付けがましくばっちんばっちんと拍手した。

「あと、今はまだ両手の間でもいいけど、コツを掴んだら片手でできるように練習するんだよ。相手に向けられなくちゃ意味がないんだから」

「…ぁい」

 少し赤くなった鼻を押さえながら、不肖の弟子は師に適当な返事をした。魔女は帽子から地図を取り出し、道のりを指でなぞった。

「さて、そろそろ着く頃かねぇ」

 その様子を、ネムは見ていた。



 ヨーギシュは商人たちが多く立ち寄る交易の街だ。朝昼夜いつでも市場は活気に満ち、鮮度抜群の食材から衣類、生活雑貨、各地の銘酒にきらびやかなジュエリー、はたまた冒険者たちの身を守る武具の類や、彼らが持ち寄った魔物由来の希少素材などなど、この街では多種多様な物品が行き来する。物があるところに人は来る。理由はそれぞれ、買いに来た者、売りに来た者、その両方、或いは通りすがり、或いは___。とにもかくにも三人はそんな街に辿り着いたのだった。夕暮れ時、街灯や店先の提灯にに灯りがつき、通りは一仕事終えた顔の人々で一層賑わっていた。

「それじゃお二人、ついてきてくださいっス!ウチに任せてくださいっス!」

 そう言う彼女について行き、師弟はこの栄えた街の中でも一際大きな建物に誘われた。教会と要塞、そして公民館をごった混ぜにしたが如き異様さと迫力を持つその建物は大通りの突き当たりに堂々と構えられており、縦にも横にも際限なく開け放たれた出入り口からは騒がしくも楽しげな声が響いている。

「ここは…」

 ハイドラは辺りを見回した。建物の周辺には、大通りの中にも何人か見かけた筋骨隆々の武器持ちや荒っぽそうな見た目をした男女、それとあまり身なりのよくない行商人らしき者たちばかりがいた。

「ほう、ギルドだね。懐かしいなぁ!私もこういうところに来たのは何十年ぶりだよ」

 魔女は楽しそうに建物を眺めた。冒険者及び行商人組合、通称・ギルドはその名の通り冒険者と行商人をサポートする団体だ。彼らは普段各々の冒険活動に勤しみ、その戦利品を売ることで利益を得ているが、基本的にその儲け自体は大したものにはならない。しかし入手の難しい特定の物品を優先的に欲しがる者や、魔物の被害に遭っている者たちがいるとする。そういった者たちは要望を依頼としてギルドに出す。ギルドはその仲介斡旋を行なっており、依頼内容に応じて報酬を提示する。冒険者や行商人たちは報酬目当てに依頼をこなし、依頼主たちは彼らの助力で目的を達成できる、互いにウィンウィンの関係を築けるというわけだ。そして大体その本部というのは彼ら同士の交流の場も兼ねることになり、つまり___

「安い!うまい!全部山盛り!そう、大衆酒場っス!」



 荷物を預けてくるので先に席を取っていて欲しいと言って、ギルドの真隣にあった「レンタル荷物番」の看板を掲げた建物に入っていったネムと一旦別れ、師弟は入店した。広い店内は橙色の照明に照らされ沢山のテーブルが並び、溢れかえった人々は皆大いに飲み食いし、酔った客が下手な歌を歌えばその同席は共鳴して歌い出し、誰かが大声でジョークを言っては周りの客はワッと沸いたりと大変騒々しかったが、屋内に充満した肉の焼ける香ばしい匂いはハイドラの食欲をかき立てた。奥のカウンターからバーテンダーがその様子をにこやかに眺めており、そして壁中には様々な内容が書かれた依頼書の数々が貼り付けられていた。ハイドラは初めて見るそれらに目を奪われつつも、忙しなく歩き回るウェイターや千鳥足の客などを避けて空席の場所を探した。結局店内全体をぐるりと見て回ったが、三人まとめて座れそうなのは一番奥のテーブル一つだけだったので、彼らはそこに腰を落ち着けた。

「らっしゃっせー!ご注文はお決まりで?」

 飛んできたウェイターは師弟に訊ねたが、魔女はもう一人来てから注文する旨を言った。

「…なんか皆、楽しそうですね」

 ハイドラはキョロキョロしながら言った。

「はは、そりゃ彼らの一日の楽しみだもの。美味い酒、美味い飯、それを仲間たちと楽しむ。冒険とこれが何より好きな生き物なんだから、彼らは」

 お冷やを飲みながら朗らかに笑う魔女と話しながら、ハイドラはアイリーンの言っていた彼女の亡き夫のことを思い出した。冒険者だったという彼、シントレーク。ハイドラは彼と直接の面識はないが、彼もまたこのような場所を好んだのだろうかと、ふと思った。もっとも、ハイドラはアイリーンが語るシントレークの人物像しか知らないため、どうしても彼女に甘い男というイメージしか湧かなかったが。

「おっまたせしましたっスー!いやはや今日も大盛況っスねこの街のギルドは!」

 ちょうどその時ネムが戻ってきて、ハイドラはは知らざるものへの思考を打ち止めた。ネムは威勢よくウェイターを呼び、適当にいくつかの料理を注文をした。

「お二人ともなんか食べたいのないっスか?ささ、ご遠慮なさらずに!」

「特には」

「それじゃあお言葉に甘えてこの…」

 やがてチキンの丸焼きや特大ピザ、山盛りのサラダなど、加減知らずの分量が乗った皿がいくつも運ばれ豪勢な夕食が始まった。

「えーそれでは!ハイドラ君、魔女さん、助けてくれてどうもありがとう!かんぱーい!」

「かんぱーい!」

「乾杯…」

「「「「かんぱーーい!!!」」」」

 何故か便乗して乾杯するカウンター席や周囲の酔っ払いたちの勢いに、ハイドラは思わず吹き出した。ハイドラたちは出来立ての料理を次々に頬張っては、その美味に舌鼓を打った。



「そーなんスよ!それでその時、山賊団の激強女用心棒が仮面に手をかけてこう言ったんス!『この仮面の下…醜く爛れた私の顔を見たくなければ、ぴーぴー喚かず大人しくしておくことだ…』って!もうそれがちょー怖くて!」

 酒も進みさらに饒舌になったネムは、お互いのこれまでの冒険の話をハイドラと聞かせ合った。ちなみに魔女はというと___

「だかあ魔ろくの流えをいめーじの骨にりろんこーちくがぁ…かぁー…」

「師匠、水飲んでください」

 光の魔女は下戸だった。帽子を膝に乗せた彼女は食事を済ませるとほぼ同時に酔い潰れ、テーブルに突っ伏していた。ハイドラはうんざりしたような顔をしながらウェイターに水を一杯頼んだ。

「しかし、修行の旅っスかぁ…ハイドラ君も若いのに大変っスねぇ。…うん、思い返せばハイドラ君ぐらいの頃はウチも苦労したっス…」

「…苦労、苦労ですか」

 食後のぬるいお茶をすすりながら、ハイドラはネムの身の上話に耳を傾けた。なんでも、彼女は十代半ばには両親ともに病気で他界され、他に親戚もおらず天涯孤独の身となったらしい。生きる術を模索した彼女は、元気だった頃の父がやっていた行商の道を選んだのだという。

「最初は失敗ばっかりだったっスよ。右も左もわからず突っ走って、うまい話に飛び込めばいつのまにか食われてるのは自分の方なんてザラ、それに、身寄りなくて身分の保証ができなかったから未だにギルドの正規登録できてないし…!」

 基本的に、ギルドで受けられるサービスには一般向けのものと業者専用のものがある。一般向けのものだと、例えばこの酒場の利用などがそうだ。だが、業者として正規の登録をすれば、無料あるいは格安で受けられるサービスなどもある。

「さっきの荷物番も正規登録した行商なら無料で受けてくれるっス。でもウチは非正規だから毎回小銭毟られてて…一回一回の負担は少なくたって塵も積もればマウンテン…でも!あと少し頑張れば実績が認められて私も晴れて正規登録できるように…つまり!今よりもお金貯めやすくなるっス!正規登録にかんぱーい!」

「「「「かんぱーーい!!!」」」」

「かんぷぁ〜い」

「……」

 ネムは席に落ち着くと、ふにゃふにゃと持ち上げられている魔女の杯に自分の杯をかちんとぶつけた。

「…はぁ、魔術師。話は変わりますけど魔術師ってかっこいいっスよねぇ…今日見せてもらったバリアーもそうっスけど、魔術はどれもハデでかっこいいっス…ハイドラ君も魔術師になりたいんスか?」

「…え?あー、いや、俺が師匠に魔術を教わってるのは別にそういうわけじゃないです。魔術は色々教わってるうちの一つというか、剣とか格闘術とか」

 満腹感にまどろみかけていたハイドラは少々上の空気味だったが、不意のネムの呼びかけに普段よりも多く口を動かした。

「あ、そうなんスね。そういえば剣で化け物倒してたっスもんね。ずっと魔術の練習してたから、てっきり魔術師見習いかと。エンディグマの魔法使いとか、ナルガラアダの亡霊とかに憧れたのかな〜、とか」

 ネムは杯に微量残っていた麦酒を飲み干し、納得したように言った。ハイドラはウェイターから水を受け取りそのコップを魔女に無理やり持たせながら、聞き覚えのある名に反応した。

「エンディグマの魔法使い。おじ…勇者一行の一人、世界最強の魔術師、でしたよね」

 村を旅立つ時に言っていた伯父の言葉を反芻してその二つ名は多分間違いだなと思いつつ、彼はいつか見た銅像の一つを思い出した。光の魔女のような三角帽子を被った少女、その台座に刻まれた『広めし啓蒙と術技を称えて』の号。エンディグマの魔法使い。魔術に愛された天才として、その名はアルセイラの勇者の英雄譚とともに広く知れ渡っている。

「そっス。なんでも隕石まで降らせちゃうほど強い魔力の持ち主らしいっスよ?うーん、隕石…!かっこいい響きっス…!」

 ネムはうっとりした顔で握り拳を振り回した。そんな彼女を見ながら頬杖をついたハイドラだったが、挙げられたもう一方の名については聞き覚えがなく、ネムにそれを訊ねた。

「あれ、ナルガラアダの亡霊を知らないっスか?『世界で二番目に強い魔術師』っスよ。まあ、巷でそう言われてるだけの暫定っスけどねー。大体エンディグマとナルガラアダが腕比べしたって話なんか聞いたことないっスし『魔王倒したメンバーの一人なんだし多分エンディグマのが強くね?』くらいのノリっスからね」

 ネムは腕を組んで難しそうな顔をしながら言った。

「でも、ナルガラアダはマジの魔術師っス。実力がもう異次元のレベルで、そこいらの魔術師とは格が違うんス。ホントにヤバイんス、冗談抜きで天候変えちゃうほどなんスよ。それになんてったって噂じゃあの___」

「エンディグマーッ!今日も可愛いよエンディグマーッ!」

「うわっ!?」

 その時、跳ね起きた魔女が叫びながら両手を上げ、その拍子に驚いたハイドラが椅子から転げ落ちた。おまけに、魔女が持っていたコップの水を頭からかぶりびしょ濡れになった。

「だ、大丈夫っスか!?」

 ハイドラは腰をさすりながら立ち上がり、魔女に文句を言いながら座り直した。

「…師匠!…ああ、この酔っ払い」

「あ、あはは…それじゃ、宴もタケナワってことで、そろそろお開きにするっス?」

「…そうですね、もういい時間だ。俺たちもさっさと宿をとりに行かないと」

 ハイドラは席を立ち、魔女に店を出ようと声をかけた。魔女はむにゃむにゃ言いながらも立とうとするが、しかしふらついてハイドラの肩にもたれかかった。

「…うっぷ、気持ち悪っ。…弟子ぃ、おぶってくんない?」

「甘えないでください」

 ハイドラは冷たく言い放ちつつも、青い顔をした魔女に肩を貸して無理やり歩かせた。

「ゲロ吐きそう」

「おい…勘弁してくださいよマジで」

「じゃあウチはお会計してくるんで、ハイドラ君たちは先に出て魔女さんを風に当てるといいっス」

「すみませんネムさん、ご馳走様でした。ほら師匠」

 また後でと言って笑顔で手を振るネムと再び別れ、師弟は外に出た。もう空には星が出ており、通行人もピークを過ぎたのか通りにもほんの少しだけ静けさが宿り始めていた。ハイドラは出入り口前の階段の端に魔女を座らせた。

「しゃきっとしてくださいよ…ったく」

 魔女の隣に腰を下ろしたハイドラは、頬杖をついて不満そうに言った。ヨーギシュの街はその喧騒を徐々に静まらせていきながら、夜長の帳を下ろしていた。するとどこからともなく虫の声が響き、やがて人々の声の代わりに今度はそれが主旋律となる。されど街が眠るにはまだ早い。煌々とする街灯は蛾や羽虫を周りにたからせながら暮れの通りを照らし、生暖かい風が時間とともにゆるく流れていた。その風に魔女の濡れ烏がたなびき、彼女の鼻をくすぐった。

「…えっくし!」

 くしゃみをして呆けている魔女の髪をなんとなく眺めていたハイドラは、その時ふと気づいた。

「…師匠、帽子は?」

 言われて魔女は頭に手をやり、そしてハイドラと顔を見合わせた。



 あの魔女がこの三角帽子から物を出し入れしているのを見た。地図、水筒、双眼鏡、財布、エトセトラ。到底帽子の中に収まりきる量とは思えない。これはおそらく、ウチのマントと同じく魔法道具ってやつだ。その名の通り、何かしら魔術的な効果が付与された便利な道具。一つ一つが希少品だ。見た目の容積以上の収納が可能な帽子なんて聞いたことがないが、あの二人はほとんど手ぶらだった。あの子の話を聞くに、相当な長旅をしてきたにもかかわらずだ。ということは、この帽子にはその旅をこなせるほどの物資が詰まっているはずだ、ウチが確認していないものもまだあるはず。だとすれば相当な金塊ではないか。___我ながら、悪いやつだ。

 ずっと、こうしてきた。こうするしかなかった。他にすることなんかなくて行商を始めたはいいものの、そもそもいい売り物がまず手に入らなかった。行く先々でこれは思ったものに手を出せばことごとく粗悪品をつかまされた。正規登録できてないからギルドからの卸しの紹介も受けられない。いずれ生活費が底をつき、売れるものもなくなった。そうなればもう、盗みしかなかった。戦えないウチが一人でも魔物をやり過ごせるように大枚叩いて買った『透明マント』。使用者とその身に付けているものを、マントに魔力を流している間他者から視認できなくする魔法道具。これを使って得た盗品を売り捌いた。盗みをした場所から遠く離れた街で売れば、足なんてつくわけがなかった。盗みをする瞬間さえバレなければ、後は姿を隠して逃げるだけ。慣れてしまえば、もはや行商なんて名ばかりのただの盗人で、そんな薄汚い自分に嫌気がさすけれど、しかしやらなければ死ぬのは自分のほうだ。なりふり構ってなどいられない。ああ、でも、ウチは命の恩人たちになんて真似を…。

 閑話休題。この帽子もその中身も、全て売り捌くか、それとも自分で使うか、どちらにしろ有意義でないわけがないのだ。いや、だけどこの帽子はきっと売ろう。こんな便利なもの、確実に馬鹿みたいな高値で売れる。そうすればもうこんなことしなくて済むかもしれない。正規登録をするための売り上げ実績、これを売れば、満たせるはずだ。きっと___

「見つけた。それ、返してもらうよ」

 ウチを覆っていた透明マントが捲られ、見惚れるほど美しいオパールの瞳が覗き込んできた。



 その数分前のこと。魔女の代わりにテーブルに戻っても帽子を見つけられなかったハイドラは、ウェイターからネムがその帽子を持って行ったことを聞いてネムを探したが、しかし今度はネムも見当たらない。カウンターで会計をした店員に彼女の行方を聞くも、彼女は普通に店を出て行ったように見えたと言う。ハイドラは魔女の元に戻り、ネムが来たか訊ねた。

「んぁ…来てない…ね」

「ネムさん、普通に店を出たらしいんですけど…」

 魔女は自分の額に手を当てた。その手が淡い水色の光に包まれ、魔女はすくっと立ち上がった。

「トイレ…とは考え難い。一回外に出たのなら先に帽子を渡しにくると思わないかい?わざわざ持ってく?」

 素面に戻ったらしい魔女は、ハキハキとした喋りでハイドラに言った。しかし、魔女のどこか不穏な雰囲気を感じ取ったハイドラは、そんな彼女とは対照的に顔を曇らせた。

「…何が言いたいんですか?」

「前に魔法武器って話したろ?」

 ハイドラはアイリーンの持っていた魔剣のことを思い出した。魔術によって作られた、特別な力や魔術を帯びた武器、魔剣はその一つで、それらは魔法武器というカテゴリーのものだとハイドラは聞いていた。

「ええ、まあ。それが帽子とネムさんが見つからないのと何の関係が?」

「それと似たようなもんで、魔法道具、なんてのもあるわけなんだけど…彼女さ、戦えないらしいのに一人で行商してたんだぜ?それに見た感じ魔術の心得がある風でもなかった。ってことは、魔物をやり過ごす何かしらの手段を持っていたはずなんだよ。でも、一匹狼なんて半端な魔物に追われていた」

 話が見えず、ハイドラは少し苛ついた様子だった。しかし魔女はそんな彼を気にも止めず話を続けた。

「わかるかい?一匹狼には、彼女が普段魔物が出たときにやっていたことが通用しなかったんだよ。それも、一人で行商ができるくらいなんだから『やり過ごす』と言う点においては極めて優秀な手段を持っていたはずなのに、だ」

「だから話が___」

「姿隠しかなんかを持ってるはずだよ」

 魔女はハイドラの言葉を遮って言った。

「魔物と遭遇した場合、自身の姿を隠せる魔法道具かなんかを使って逃げていたんだろう。けど、一匹狼は鼻がきく魔物だ。今回臭いでバレたんだろうね…でだ、ハイドラ。姿を隠せるとしたら、君はそれを魔物から逃げるのだけに使うかい?」

 ハイドラは少し俯いて答えた。

「…その言い方じゃ、まるでネムさんが師匠の帽子を盗んだみたいですよ」

 辺りは薄暗く、俯いたハイドラの顔は魔女からはよく見えなかった。力強く拳を握る彼を見て、魔女はぽりぽりと頬を掻いた。

「…君ってさ、」

 顔を上げた弟子に、彼の師は少し困ったような笑いを見せた。

「意外とピュアだよね」

 言って、魔女は「はは」と笑った。ハイドラは何を言われるのかと身構えていたが、しかしその一言に気抜けしたのか、彼は階段に座り込んだ。

「…悪かったですね、世間知らずの間抜けで」

「そこまでは言ってないけど」

 ハイドラは不機嫌をあらわにしつつも、ネムが帽子を盗んだ体で話を切り出した。

「…もしそうなら、もうとっくにトンズラこかれてんじゃないですか?その姿隠しとやらで」

「それなんだけどさ、ちょっとついてきて」

 そうしてハイドラは魔女に連れられ、レンタル荷物番の建物の中に入ったのだった。



 レンタル荷物番。拠点の近隣でしか活動しない冒険者はともかく、旅の冒険者や行商人は得てして大荷物であることがほとんどだ。彼らが皆その荷物を持ったままの格好で街中をぶらつけば、それは大変な迷惑になる。ましてやどこかへ入店などすればかさばって仕方がないため以ての外である。従って彼らは帰還とともに商売道具や戦利品の安全な置き場所を求めるもので、その需要に応えるべくギルドによって設置されたのがこのレンタル荷物番なるサービスであった。システムはごく単純で、荷物に番号札をくくりつけ、それと同じものを預け主にも持たせる。預けられた荷物は建物内の倉庫スペースに保管され、それらは常にギルド従業員によって警備される。一般代金は預ける時間によって増減するが、ギルドに正規登録した者は基本的に数ヶ月間は無料で荷物を預けることができる。

「こんばんは。お荷物の…引き取りですか?」

 入ってすぐのカウンターにいた、制服姿の男は手ぶらの師弟を見るなりそう言った。レンタル荷物番の店内は、カウンターのあるエントランスの奥にまるで牢屋のような鉄格子で区切られた倉庫スペースが広がっており、格子の隙間からは大小様々な荷物たちが覗いていた。魔女は倉庫スペースに繋がるとてつもなく大きな扉が半開きになっているのを確認しつつ、荷物たちの中に例の物置の如き巨大鞄がないのを確認すると、男に詰め寄った。

「人を探しているんだ。菖蒲色のマントをつけた背の高い総髪の女で、トタン屋根がついているデカい鞄をここに預けたと思うんだけど」

 男は短く唸った後、思い出したような顔をして「ああ、はいはい」と答えた。

「確かに来ましたね、預けに。よく覚えてますよぉあのお嬢さん、何回かうち使ってくれてるんで。アレでしょ?確かあの物置みたいなの背負った」

「そう。その子、荷物取りに来た?」

「いや、まだ来てないよ。ほら、物置鞄もあそこに…あん?どこいった?」

 男は言われてネムの鞄を探すが見当たらず、徐々に顔に焦りを見せ始めた。手元の帳簿を確認したり、もう一度鞄のあったらしい方を見たりと忙しなくしたが、やがて顔を青ざめさせた男は席を立とうとした。魔女はそんな男に自分の目を見るように言った。

 オパールの瞳は絶え間なくその色彩を変化させていた。しかし、その時の怪しい輝きは一定ではなく、虹彩の中で空色と薄桃色の波が引いていき、ゆらりと深い紫紺の輝きを見せた。男はその闇を飲み込むような底なしの色彩に魅入ると、カウンターに突っ伏していびきをかきはじめた。

「悪いね。ちょっとお邪魔するけど、ゆっくり眠っててよ」

 魔女はハイドラに扉の中に入るよう促した。

「…何したんですか?」

「邪視、目を合わせた相手に微弱な呪いをかける魔術。今は催眠をかけた」

 五分もすれば起きるよと言って、魔女は哀れそうに男を見るハイドラを引き連れて倉庫スペースに侵入した。スペースは碁盤状に区分けされ、そのマスの一つ一つにずだ袋や木箱、武具や鞄らが番号札のタグをつけられて安置されていた。そして、師弟はきっちりと並んだそれらの中に、いくつかの空きマスを見つけた。

「ハイドラはここ見張ってて」

 魔女はハイドラを出入り口の前に立たせると、空きマスの一つ一つに近づいては別のマスへというのを繰り返した。ハイドラはその奇行を訳もわからず眺めていたが、やがて魔女は一つの空きマスに到ると、ハイドラに手を上げて合図を送った。そして、小声で何か言いながら彼女は「空間」を剥がした。

「な…」

 ハイドラは驚愕した。完全に周囲の風景と同化していた薄い光の膜がその保護色を褪せさせていき、そのマスに蹲ったネムと例の鞄を出現させたのだった。



 眠っている男の元に代金だけ置いて店を出た三人は、一旦近場の路地裏に入って彼女の盗みに走ったわけの全てを聞いた。

「うぅ…すみませんでした…」

 ベソをかいてすっかりしおらしくなった彼女は薄汚い地面に正座して平謝りしていた。

「お願いします…どうか憲兵に突き出すのだけは…!」

 小刻みに震えて許しを乞う姿はなんとも哀れで情けなく、また多少の同情を誘うものではあったが、しかしハイドラは厳しい口調で彼女に当たった。

「…だめだ。ネムさん、こんなこと言いたくもないが…初めてじゃないんだろ。それにここで見逃してまた次やったとなったら、それは見逃した俺たちの責任になる。やることやってバレた以上、腹括ってくれ…」

 そう言うハイドラだったが、しかしその表情はやはり口調と噛み合ってなどおらず、ただ悲しそうに彼女への情けを断とうとしているのが見て取れるばかりだった。魔女はそんな二人を見ながら取り戻した三角帽子を頭に乗せ、片目を瞑っていた。

「悪いとは思ってるっス…けどやらなくちゃ、ウチだって生き残れなかったんス…」

「つっても犯罪は犯罪でしょうが…師匠、早く憲兵を呼びましょう」

「そんな、前科がついたらギルドの正規登録なんか…!」

 ネムはぼろぼろと涙を流し、俯いていた。だからハイドラがどんな顔をしていたか、彼女にはわからなかった。

 ハイドラは冷静な男だった。そして、頑固だった。たとえ一度親しくなった相手だとしても、その本質が根っからの悪人ではないと知っていても、それを理由に罪に目を瞑れるような考え方や、自ら償わせてやれるような力を彼は持ち合わせていなかった。かといって今ここでネムを見逃したところで彼女はまた盗みを働くかもしれないし、何よりこれまでに犯した罪を清算させるべきだと、そういう考えが強かった。それは、ハイドラが勇者の後継であろうとしていたからに他ならなかった。勇者たらんとするなれば、まず世のためを思わなければいけないと。だからこそ彼女を見過ごす法を、自身の中には探せなかった。何より、彼女が師のものを盗もうとした事実にショックと憤りを感じていた。

 ただ、ネムが自身の罪を受け入れれば済む話ではあった。この場においては。しかし魔女だけは少し先を見ていた。だから彼女はあえてネムに歩み寄り、膝に手をつき、視線を低くした。

「…なぁ、ネムちゃん。商売をしないかい?」

「…師匠」

 苦しそうな顔のハイドラを無視して、魔女は呆然と自身を見るネムに話しかけた。

「その透明マントが欲しい。もちろんお金は出すし、それの代わりに君に魔物除けでもかけてあげるよ。そして今回のことを見逃してあげる」

「師匠!」

 ハイドラは魔女の肩を掴んだ。彼女がどんなつもりでそんな取引を持ちかけているのか、ハイドラには理解できなかった。だが師とはいえ、目の前で犯罪者を見過ごそうとしているのを彼の正義感は看過できないのだ。

「そんな甘さは、世のためにはならない」

「…ハイドラ」

 魔女は自身の肩で震える手をそっと下させて言った。

「私は、帽子を盗まれたことについてはもうなんとも思ってないんだよ。現にちゃんと戻ってきたわけだしね。盗まれた当人がそれを許した。なら、その話はもうそれまでのことじゃないかい?」

 ハイドラは狼狽たが、それでも食い下がった。

「…だとしても、それでも余罪はあるでしょう。それは別の話なんじゃないですか」

「ああ、そうだね」

「なら…」

「だからね、取り引きはこれで終わりじゃあない」

 魔女は、ネムの顎に手をやってに自身の目を見るよう言った。

「君に呪いをかける。生涯かけてでも、自身が盗みを働いた相手に償いをしなさい。もし逃げようとすれば、魔物除けが反転して『魔物寄せ』になるように呪いをかける」

 夜空に昇った大きな月の光、ヨーギシュを照らすその静かな光は、薄暗い路地裏には陰り届かなかった。路地裏の闇の中では、ただ二つのオパール色の光だけが、空色と薄桃色とで不可思議に輝きを移ろわせるのみだった。

「…わかったっス。その条件、謹んで飲ませていただくっス」

 深々と頭を下げ、脱いだ菖蒲色のマントを差し出すネムと、それを受け取り、ネムに呪文をかける魔女。ハイドラは二人から目を逸らして、そこからは見えない月を探した。



「理解はできても納得はしてない、って顔だね」

 相変わらず両手の間で形をなさない障壁に四苦八苦している弟子を見ながら、魔女は言った。

「…理解も納得もしてませんよ」

 翌日、ヨーギシュを後にした師弟はまた次の街を目指して秋の平原を歩いていた。結局、あの後ハイドラはネムを憲兵には突き出さず、彼女とはそのまま別れた。ハイドラはそれっきり、いつにも増してしかめっ面を顔に貼り付けるばかりだった。

「今でも俺は、ネムさんはきっちり法で裁かれるべきだと思ってますから。…師匠、二つ質問が」

「何?」

「どうしてネムさんが荷物番の中にいるってわかったんですか?」

「ああ、それね。別にわかってたわけじゃないよ」

 魔女はいつものように軽い足取りで歩きながら、なんでもないように答えた。単純な話、魔物に追われてても捨てなかった荷物を彼女が置いて行くとは考えにくかった。だからまず、魔女は彼女が荷物を引き取ったかどうか確認するだけのつもりだった。もし引き取ってなければ、近くで張っていればすぐに捕まえられたろうと。して、行ってみれば受付のあの反応。彼女の荷物は引き取られたわけではなく、受付も知らぬ間に消えていた___実際はマントで荷物ごと隠れてた。恐らく、魔女たちがが一度荷物番まで来ることは彼女も予想していた。だから魔女たちが去った後、こっそり荷物番を出るつもりだった。受付が不審がるとも思ってたろうけれど…魔女は姿隠しの存在に勘付いてたから、あれで気づけた、と。

「…そういうことですか。じゃあ、もう一つ」

 ハイドラは前方遠くの景色を睨みながら、静かに問うた。

「なんで見逃そうと思ったんですか?」

「…それ聞くんだ」

「聞くでしょ」

 魔女は「はは」と笑うと、くるりと反転して後ろ歩きし、少し離れ、ハイドラと互いの顔が見えるようにした。

「あの時、君は法に沿った正義をとった。自身の感情や相手との関係を度外視し、厳正であろうとした。それは素晴らしいことだと私は思ってる」

 しかめっ面のままそれを聞いていたハイドラは「それならなんで」と少し怒り口調で言った。

「法を尊ぶこと、それはれっきとした正しさの形だ。であれば、君が既にそれを知っているというならば私は君の指導者として___勇者の後継を育てる者として、『別の在り方』を示したまでのこと。人を許し、そしてその善性を信じて償いのチャンスを与えるという選択をさ」

 魔女がこう見えていつも真剣であることは、ハイドラはこの半年以上の旅を経て十分理解していた。ハイドラはそれを理解した上で、引き下がろうとはしなかった。

「尚更納得できかねます。…俺だっていつでも法が絶対の正義だなんて思っちゃいませんよ。ただ…以前に物を盗まれた人たちに、師匠のやり方で確実に償わせることができるとは思えないですし、」

 ハイドラは魔女から目を逸らした。それは心のどこかで、これでよかったと思っている自分から目を逸らそうとしてのことだった。今、思考を捨てて単に師を肯定するだけでは、いずれ自分はなし崩しで悪を見逃すことになると、そう直感した。そのため彼は必死に理を探した。

「ネムさんは…透明マントがなくても盗みをするかもしれませんよ。盗みをするために、真面目に働いて稼いだ金でまた透明マントを買い戻すかもしれません。前に物を盗んだ相手への償いだって、しないかもしれない」

 ハイドラは障壁を張ろうとしていた手を下ろして、ただ歩きながら思考を言語化することに集中した。

「…マントの売り上げ実績で、ネムさんは晴れて正規の行商としてギルドに認可される。そうしてギルドから卸しの紹介を受けられるようになり、今後売り物を手に入れるためにわざわざ盗みをする必要はなくなる…。マントがなくとも師匠の魔物除けがかけられているから行商活動自体に支障は出ず…生活に余裕が出来ることによって、これまでの分の償いもできるようになる、なんて。そううまくとは思えない。俺は師匠ほど人間を信じられません。盗みなんていつ欲に目が眩んで手を出してもおかしくないじゃないですか」

「…かもね」

 ハイドラはゆっくりと息を吐いて気持ちを落ち着けた。善と悪、正義と不義、決められたルールの外にそれらを探したことなど、今まで狭い村の中でしか生きたことのない彼には、そんな経験はなかった。だが己の中で起こった何かの衝突、ハイドラはそこに大きな意味がある気がした。そんな弟子に、魔女はしっかりと芯の通った声で語りかけた。

「私はね、ハイドラ。君には『勇者』になって欲しいと思ってる。もちろん、法を蔑ろにしろだなんて言うつもりはない。基本的には、君のその姿勢に間違いはない。けれどね…いつか、『法で裁くべきではない場面』に出会すかもしれない。それがどんな形かは、その時になるまでわからないけどね。そうした時、君は何を価値観の軸として事を見るのか。…きっと、経験だろう」

 師弟の、近すぎず遠すぎずの妙な距離。対立というには寄りすぎていて、しかしまだ同調は生み出すまいとする意思が表れている、そんな距離感。

「さっき、法を絶対の正義だとは思ってないと言ったね。…そう、それでいい。もちろん、何度も言うけど基本的には法は守られるべきものだ。しかし、君の本当の戦いはそんな物からは遠く離れたところに存在するかもしれない。何か一つを絶対の価値と定めれば、いずれ思考は凝り固まり、やがて目を曇らせる。そうならないよう、より多くの視座を持ってくれ。勇者たるならば、より善きことのため時には柔軟さを持てるよう、そう在ってくれ。そして願わくば___人の善性を信じられる人になってくれ。きっと英雄とは、そう在って欲しいと願われるものだから」

 ハイドラは師の顔を直視した。彼の目はまだ混濁した感情と思考が残っていたものの、しかしいつにも増して真剣であった。師の言わんとしていることをわからないでもないが故に、その言葉を受け入れるつもりではあった。だが、今回の件についてはやはり立場を翻すことはないと、彼は自分の中で結論づけた。

「…性善説は嫌いです、俺は。けど…まぁ、より優れた勇者を目指そうとは思ってますよ、もちろん。ですが今回のこと、俺は最善の選択だとは思いません、ので……今後も何が正解なのか、考えていきます」

 それを聞いて、にこりと笑った魔女は再び身を翻し、前を向いて歩き出した。ハイドラは少しだけ足を早め、彼女の隣を歩いた。そうしてお互い、この事についてそれ以上は語ることはなかった。ただ、同じ方向を見て歩いていった。

 今の光の魔女にとっては、それが全てだった。ひとえに、彼の成長を促すこと。そしてハイドラの目的は、己の成長。ゴールは同じだ。しかし指導者と当人。お互いに見ている位置は違う。故に、時には衝突もあるだろう。けれど、やはり目指す場所は一緒なのだから、師弟は共に歩んでいく。ぶつかり合っても、同じ方向を見て歩いていくのだった。



 師弟がヨーギシュを出たその頃。ハイドラの故郷・ケテルナ村。そこにある最も大きな家を、一人の騎士が訪ねていた。出迎えた家主は騎士を家に上げると、自身の書斎へと通した。

「それにしても…来てくれるなら事前に言ってくれたらよかったのに。ろくなもてなしもできないぞ?」

 家主、アルセノは再会を懐かしむように表情を和ませた。騎士は朗らかに笑うと、「お構いなく」と言って窓に近寄った。

「偶然任務で近くまで来たものだからさ、顔だけでも出そうかと思ったんだ。しかし、この村も変わらないな。前に来たのは十年以上前だったはずだが、そっくりそのままに見えるよ。…アルセノも思ったより元気そうだし」

 窓から差し込む秋の日の光がその白銀の鎧と義手を輝かせ、銀縁の眼鏡に反射した。精悍ながらも年相応に皺を刻んだ顔。後ろに撫で付けた白髪まじりの茶褐色の髪。紳士然とした立ち振る舞いの騎士は、アルセイラの国章が織られた緑のマントを翻してアルセノに向き直った。

「…いや、変わったさ。十年前と比べたら、少なくとも私にとってはとてつもなく大きな変化だったとも___ハーフリッド」

 アルセノは机の上の写真たてを手にとって答えた。騎士、ハーフリッドはアルセノの手の中の写真に映る少年を見た。

「…アーラン君のことは、残念だったな」

 三十年前、魔王を倒すために勇者と共に立ち上がった六人の英雄。その一人、カトロニエナの騎将・ハーフリッド。一騎当千、世界最強の騎士の異名を取る彼は現在、アルセイラ国立騎士団・カトロニエナにてその辣腕を振るっていた。ハーフリッドは腕を組み、窓枠に体を預けて言った。

「手紙読んだよ…あれに書いてあったことは本当なのか?にわかには信じがたい。この村の近辺に魔物…それも、全くの新種だなんて」

 アルセノは写真たてを持つ手を無意識に力ませながらうなずいた。

「もう半年以上前だ。村の子たちが近くの森で遊んでいた時、突然奴は現れた。子供たちは死に物狂いで村まで逃げたが…一人、逃げ遅れた子がいた。逃げ切った子たちはその子の助けを求めて私の家を目指したそうだ。そして私はその時、弟の畑を手伝っていてその場におらず…橋で釣りをしていた倅が、泣くその子たちを見とがめた。___話を聞くや否や、剣も持たずに森へ行ったそうだ」

 アルセノは写真盾を机に戻すと、伏せ目がちに言った。

「我が息子ながら、大した蛮勇だ。己が身を顧みず、他者を救って見せたんだ。あれも、ちゃんと勇者だったということか。…私がこんな体でなければ、倅はちゃんとした戦いの魔術を身につけていたはずだ。そうすれば…わざわざ丸腰で戦いを挑んでも、遅れをとることはなかったろうに」

 ハーフリッドはアルセノに寄り添い、彼の肩にその白銀の義手をやった。アルセノの脳、即ち人体における魔力の根源、その損傷。それと、ハーフリッドの欠損した右腕。どちらも魔王との決戦に際して負った傷だった。アルセノは銀の義手を丁重に下させ、ぐいと顔を擦って言った。

「駆けつけて倅の仇を討っていた時、私は…正直、驚愕した。ここ一世紀以上、この村の近辺で魔物が現れた記録がなかったというのもそうだが、あんな魔物は旅をしていた時に遭遇したどれとも類似点がなかった___影のようなものを纏った、黒い獣だ」

 アルセノは思い詰めたように口元を押さえ、その不気味な魔物の姿を反芻した。

「…全くの未知だ。獣型の魔物なんて腐るほど見てきたが…あれは別物だった。そもそも、魔物かどうかすら怪しい…まさに『化け物』だ」

 ハーフリッドは顔を険しくしながら話を聞いていた。

「現存するどの生物とも、一致する部位的特徴がなかった。黒くぬめるまだらな毛皮の体に、鋭い爪の生えた四本の足、頭はまるで目鼻耳口がついただけの球、そして長い尻尾。まるで『生き物とは大体こんな感じだ』というイメージをそのままに誰かが適当に、悪趣味にこねて作ったような…そんな風に見えた」

「…他にそれを知ってるのは?」

「最初に遭遇した子供たちと、私と共に行った弟だけだ。一応、皆には口止めをしたが…」

 ハーフリッドはうなずき、その方がいいだろうと言った。

「未知の魔物…もしかすると、最悪の事態も想定できるな。今は不用意に不安を拡散させるべきじゃない。アーラン君の件は既に王宮に報告済みだが、その魔物の詳細な調査に関してはいずれ我々が密命を受けて行う事になるだろう…ともすれば、魔王との何かしらの関連があると考えられる以上…」

 二人の間に、重苦しい空気が流れた。幾たびの死地を乗り越え、ようやく手に入れた平和な日常。それが既に、自分たちの与り知らないところで崩壊の兆しを迎えているかもしれない事実。彼らは知っていた。どんなに小さな違和感でもそれを抱いたという事そのものが、何か良からぬことの連鎖が生まれようとしている証拠だと、三十年前から、身をもって知っていた。アルセノは暗い予感を振り払うように深く息を吐き、話題を変えた。

「そういえば、他の皆にも手紙を送ったんだが…相変わらず、彼女にだけは届かなかった」

 困ったように肩を竦めるアルセノを見て、ハーフリッドはああと声を漏らした。

「イテだな」

 アルセノはうなずいた。

「本当、どこで何しているのやら…魔王との戦いが終わってからというものの、ただの一度も連絡がつかない。おかげで私は、勇者一行全員の招集がかかったらと思うと気が気じゃない」

 ハーフリッドは苦笑いし、確かにと額を叩いた。

「まあ、あれほどの隠密が出来る者は他にいないからね。本気で隠れられたらダンドラガンにもエンディグマにも見つけられない。それに、鳩ですら追えないというのならもう恐らく名前は変えたんだろう…ならなおさら、手紙の一通でも送るべきだけど」

 二人はしょうがないといった風に頭を掻き、ため息を吐いた。そして、アルセノは思い出したように「勇者の後継」とその師匠役を買って出た人物が旅に出た事の顛末を、ハーフリッドに聞かせるのだった。

 アーランを殺した正体不明の魔物「黒い影の獣」、世界最強の暗殺者「イテの凶刃」の行方、そして後継の任を代行させたハイドラのこと。アルセノの考えごとの種は尽きない。勇者アルセノの、魔王を倒す冒険の旅が終わり、三十年。これはその壮絶なる戦いの、後日談の一片でもある___。

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