第二話:光の魔女

 休暇をもらった六日間、俺はずっと頭の中に虫を詰められたかのような狂気を押し殺し続けていた。訓練のためには表に出なくて良くなったものの、もはやこの腐った精神をどうにかする方法も思いつかず、部屋に籠りきって食事もろくに取らずにいた。時々何かのタガが外れて、呻き声を上げながら感情任せに壁を殴りつけては、拳の方が負けてその鈍い痛みにさらに悶えた。その度に何度も親が部屋に来て、言い合いになれば俺はことごとく酷い言葉をぶつけて追い払った。そうしているうちにいつしか壁を殴っても誰も来なくなった。日がな、壊れた自分を壊れないように壊そうとした。そんな風になった原因がなんなのかさえはっきりさせられなかったが、けれど、それがわかったところでどうしようもない気さえした。

 そして六日目。目は覚めているのにどこか意識はぼうっとして、右手は既に拳も握れないほどに力が入らず、だらりと垂れていた。拳骨のあたりが特に赤黒くなったのをぶら下げて、何となく俺は部屋から出た。アーランのところに行きたかった。手すりに寄りかかるようにして階段を降りていたら、足音に気づいたのか慌てた様子のお袋が出てきて何か言ってきたが、耳がキンキンしてよくわからなかったので無視した。お袋の静止を乱雑に振り払い、そして表に出た俺は墓地を目指した。

 六日ぶりに吸った外の空気は少なくとも淀んではおらず、太陽が燦々としていて嫌味かと思うほどいい天気だった。晴れようが天気など糞食らえだったが。珍しいことに、誰とも会わなかった。普段俺が呪っていた目や口が、この日に限っては一つもなかった。…いや、それともこの掠れた知覚では何もわからなかっただけだろうか。どうでもいいが。

 そうしてふらふらと羽化不全の蝶のような足取りで歩き、やがて墓地に。アーランが眠っている場所にたどり着いた。墓標は少しも汚れておらず、よく手入れされているようだったが、鮮やかに飾られていた無数の献花はもう一輪も残っていなかった。切り花だったのですぐに枯れたのだろうけれど、それを墓守が片付けたのか、それとも風に吹かれて散ったのか。物寂しくなった墓標を見て、俺は何か花を、せっかくだから蓮華を持ってくればよかったと少し後悔した。

 ぺたりと、今日は墓標と向き合うようにして座り込んだ。何となく、何か言おうなどと思ってしまったけれど、言いたいことがあるわけでも、聞いてくれる相手がいるわけでもないので黙った。それに、言葉を発する元気もなかった。

 墓標が喋るわけもなかった。

 しばらくの間そこに座り尽くしていると、不意に視界に影がさした。日に雲でもかかったのかと思い上を見上げると人だった。

「…」

「…」

「…は……?」

 思わず、からからに乾いた喉の掠れた声すら漏れた。人がいた。ボケた頭でも、徐々に状況を理解し始めた。見慣れない女が、俺のすぐ背後に立っていたのだ。女は後ろ手を組み、少し前屈みになって俺のことを上から覗き込んでいた。煤のように真っ黒な法衣。つばの大きな三角帽子、これも黒。垂れ下がる髪はまた艶々と黒く、対して透き通るような肌の白さが眩しい。さらに、不気味なまでに整った顔立ち。その中で一層際立つのが、目。女の瞳は俺が今まで見たことのない色をしていた。虹彩の色が、薄桃色から空色へと、または空色から薄桃へと緩やかに絶えず変化している___いやに浮世離れしていて、そして美しかった。

「やあ、こんにちは!」

 女は声色までもが美しかったが、しかしその凛とした音に対して俺の喉からはひゅーひゅーと乾燥した空気の音しか出なかった。思考が明確化していくにつれて、女に対する疑念が湧き上がってくる。なんだ?誰だこいつ?何故俺の後ろに立っている?というかいつからいた?今の今まで、足音はおろか気配も全く感じなかった。

「もしもーし、こんにちはー」

 今の俺の頭が正常に働いていないのは確かだが、しかしここまで接近されて気が付かないというのもどうだ。ありえない。そこまで考えて、俺はもうまともに物を考え続けられるほどの力も残っていないと悟って、深く考えるのを捨てて女の瞳を眺めた。

「おーい、なんとか言いなさーい。聞こえてないのかい?」

 女が何か言っているが、俺は何も言わず、ただじっと女の目の色の移り変わりを楽しんでいた。

「…ん?なんだ君、手、酷い怪我してるじゃないか。それによく見なくてもものすごく不健康そうだし…ねえ、生きてる?」

 薄桃から空色に、空色から薄桃に。本当に不思議な瞳だった。

「とりあえずその手をどうにかしてやろうね」

 女は俺の背後から退いて、今度は隣に屈むと俺の右手にその手をかざした。白い手に無数の黒い線が入っている。タトゥーか。そのタトゥーの化け物じみた数に内心ギョッとしたが、顔や反応に現れるほどの力もなかったため、俺は微動だにしなかった。

「ほら」

 女の手が若草色の光に包まれた。俺は流石に目を見開いた。どう見ても魔術だった。どうも女はなんの気無しにそれを実行しているように見えるが、しかし俺の手の傷が見る見るうちに癒えていくではないか。俺は治癒の魔術を、というかまともな魔術を初めて目の当たりにした。それが高度なものかどうかなどは判別できなかったが、少なくとも、すごいものを見た気はした。

「ついでに滋養強壮」

 そう言いながら、女は完治した俺の手を握った。不思議と体温をまるで感じなかったが、俺の手を包む冷たく柔らかい手からはなんとなく優しさが感じられて、そしてその手を伝ってじんわりと…元気?が送られてくる感覚があった。それは俺の身体中をめぐり、靄がかかったようだった頭の中がすうっと楽になっていった。弛緩していた四肢に締まりが戻り、そよ風にも押し倒されそうだった体に活力が宿った。この肉体の状態を「健康」と呼ばないのは、辞書に対する挑戦にすらなるだろう。それぐらい、俺の体はたちまち元気になってしまった。

「…どうもありがとう」

 何が何だかよく分からなかったが、とにかく俺はこの女に助けられたような気がして、考えずとも口から礼の言葉が漏れた。女は満足げににんまり笑って「どういたしまして」と。



「はは、元気になったようで何より何より」不思議な女は朗らかに笑った。なんとなく、外見全体の印象としては暗そうな雰囲気ではあったが、しかし本人の振る舞いからは別段そんなことないようにも見える。相反するイメージを同時に与えてくるこの女に、俺は多少の混乱を覚えた。アンビバレンス、一言で言うならばこんなところか。しかし、依然として女の正体は不明であった。

「…失礼ですけど、貴方は誰ですか?この辺じゃ見かけない人ですけど」

 俺は立ち上がり、女に訊ねた。女も同時に立ち上がって、そして伸びをしながら言った。

「人に名前を聞くときは、まず自分から名乗るべきじゃないかな?ハイドラ君」

「ああ…確かに、そうですね。俺の名前はハイドラ…ん?今なんか」

「そうか、ハイドラ君か!はじめまして。私は光の魔女という者だ、よろしくね!」

 光の魔女とやらは俺の声をかき消すように名乗った。…名乗った?いや名乗ってはいない。

「いや、名前じゃないでしょそれ。ていうか俺の名前知ってたし…マジで誰なんだよあんた」

 俺は警戒心をあらわに少し魔女から距離を取った。この魔女は確かに俺の体を治してはくれたが、しかし彼女は客観的に見て不審者以外の何者でもない。明らかに只者ではないし。

「ああ、名前ね。見ての通り、私は魔術師だからさ。聞いたことないかい?魔術師は名前を隠すものなんだよ。魔術師の名前ってのは魂みたいなもので、世の中には相手の名前を知るだけでかけられる呪いがないわけじゃないからね」

 魔女はまた後ろ手を組んで、俺が取った距離を埋めるかのように前傾姿勢をとった。顔が帽子の影に隠れ、にやりとした口もとしか見えなくなる。ずいずいと距離感の近い魔女に少し気圧されて、俺はもう一歩下がった。

「で、もう一つの質問の答えだ。君の名前を知ってたのはね、単純なことだよ。私がこの村に来たのが、君に会うためだからさ。君の伯父さん、勇者アルセノに頼まれてね」

 魔女は三角帽子の中に手を突っ込むと、そこから一通の手紙を引っ張り出して俺に見せた。その封筒には確かに伯父さんの封蝋が押されていた。まあ、もしかすると偽造かもしれないが。というかどこに仕舞ってんだよこいつ。

「は、はあ…名前はさておき、貴方が伯父に呼ばれたってのは、うーん…分かりました…でも、なんで俺なんかに会いに?」

 手紙を帽子の中に捻じ込んで戻す様をまじまじと観察する俺に、魔女は「んー」と短く唸った後、「とりあえず、勇者のところ行こうぜ。このまま話してても、君もいまいち信用できないだろうし、そうした方が話が早いんじゃない」と、立てた親指で後ろを指した。



 不審人物・光の魔女とともに伯父さんの家へと向かう道中、やはりというか、狭い村ゆえ顔見知りには会った。が、誰も俺に話しかけてくることはなかった。皆、俺より魔女の方を気にしていたようだった。彼女が村の中で明らかに浮いていたからか、誰も彼もがすれ違いざまに彼女の三角帽子の先から爪先までを眺めていくのだ。しかし、当の魔女はそんな周りの目を少しも気にすることなく悠々と歩いていく。そんな彼女を見ていると、今まで周りばかり気にしていた自分がなんだかとても馬鹿らしく思えてきて、何やってたんだかと俺は天を仰いだ。

 しばらく歩いて、俺たちは伯父さんの家に着いた。扉を叩くと、やけに心配そうな顔をした伯父さんが出迎えた。伯父さんは俺と魔女の顔を交互に見て、何故だか安堵したように深く息を吐いた。

「よかったぁ…」

 そう言って、俺の肩に手を置いてもたれかかってきた。

「わっ、どうしたの伯父さん」

「君の母君が先ほど来て、君が荒れ尽くしながら家を出て行ったって。とても慌てた様子だったから…探しに行こうとしたらそこの光の魔女殿に止められたんだ。私が行くから待ってろって」

 伯父さんはもう一度魔女と俺の顔を見て、深く息を吐いた。

「な?勇者。ちゃんと元気にして連れてきただろ?心配しなくとも私にかかれば子供の一人や二人、探し出すのなんか一瞬なのさ」

 俺は「子供」の部分が強調されたような気がして、少しムッとして魔女を見た。そんな俺を見て、魔女は犬猫でも可愛がるかのように馴れ馴れしく俺の頭をくしゃくしゃにした。俺は頭と肩の手を払いのけて言った。

「ああもう、とにかく!伯父さん、この人なんなんですか。伯父さんが呼んだらしいですけど、いまいち釈然としない自己紹介しかしないし、あとさっきからなんか馴れ馴れしいし。この人、伯父さんのところについたら話すって言うから来たんですけど、説明してくれませんか」

 伯父さんはうなずき、俺たちは伯父さんの書斎に通された。

 書斎には背の高い本棚が左右の壁にきっちりと並んでおり、それらは本で満たされていた。ここでは時たま俺の座学の勉強が行われることもあったが、それよりも俺の印象では小さい頃の、アーランと一緒に探検に来たときの記憶の方が思い出深く、鮮明だった。この風景のあの頃と変わったところは、今伯父さんがどかした、机にうず高く積まれていた本の数々と、それらが避けていた一つの写真たてか。

 伯父さんは机の隅に立てかけてあった折りたたみ式の椅子を机の前に二つ出し、魔女には元からあった椅子にかけるよう勧め、俺たちは机を挟んで向かい合って座った。そして、伯父さんは語り出した。

「さて、まずこの方がどのような人物か、ということを説明しようか」

「はは、なんだか照れるねぇ」

「三十年前、私たちの一行は魔王討伐を目的とし、旅をしていた」



 ___剛力無双の戦士、闘王クレーアドロス。呪い崩し、聖女フラムレイ。一騎当千、カトロニエナの騎将・ハーフリッド。鷹の目、剛弓ダンドラガン。魔術に愛されし者、魔法使いエンディグマ。死神と呼ばれた暗殺者・イテの凶刃。そして、勇者アルセノ。勇者一行は魔王討伐のためにその最深領域、魔王が城を構える「深界」へと挑もうとしていた。だが、そこへ行くための道のりと手段は依然として不明であったため、彼らは情報を集めた。そして勇者一行は「すべての知識と魔術を修めた大賢者」の存在を知る。勇者一行はその者の助力を請うべく捜索、そして彼女にたどり着く。

 大賢者は勇者たちを手厚く迎え入れ、その道行きに助言やいくつかの道具を授けたという。



 アルセイラ中で広く知られている勇者一行の英雄譚。その中でも言及される「大賢者」。その人物は一行に加わりこそしなかったものの、その貢献度の高さから救世の協力者として知られている。もっとも、詳しい描写が伝わっていないため女の姿のほか、髭の長い老人の姿をしているとか、妖精の類であるとか、はたまた竜だとか諸説はあったが。とにかく、伯父さんはこの光の魔女こそ、当時伯父さんたちを助けてくれた大賢者であるといった。

「はあ、とりあえず伯父さんの古い知り合いってのはわかったんですけど…」

 そんな人が一体何をしに来たのか、俺は訊ねた。

「魔女殿にお越しいただいたのは、ハイドラ、君の魔術不全を診てもらうためだ」

「そういうこと。いやぁ、なんでも勇者の後継が魔術不全になったって聞いてさ、すっ飛んできたのさ。さ、そろそろ本題に入ろうじゃない。ハイドラ君、腕を」

 俺はまだ少し訝しみながらも、言われるがままに右腕を差し出した。だが魔術不全を、この不出来をどうにかできる術があるのならと、俺は淡い期待を抱いた。けれどそんな俺の思いを知ってか知らずか、魔女は俺の腕を軽く握ると、すぐに「うん、だめだね。全く流れてない。心因性のやつ」と言った。あまりにさっと終わったからか、なぜだか少しだけ傷ついた気分になった。そして魔女は、とんでもないことを宣った。

「あとなんで心因性ってはっきり言えるかというと、さっき治癒を施したとき、実はちらっと、君の心の中見えちゃったんだよね。ごめんね」

 …ん?

「治す術は?」

 伯父さんは食い気味に言った。俺は今さらっと言われた何かについて言及しようとしたが、伯父さんと魔女はどんどん話を進めてしまう。

「すぐにというわけにはいかない。ハイドラ君の心の問題だから、彼がそれを克服するまでに時間がかかるだろう。だけどまず、環境を変えた方がいい。今のこの子にとって、この場所は毒でしかない。傷を抉りこそすれ、癒すことはないだろうね」

 その言葉を言われて、俺は一瞬黙ろうかという気にさせられた。だがすぐに、「環境を変える?そう簡単に変えられたら苦労はしない」と、文句を言おうとしたが、それもまた伯父さんに止められた。

「なるほど。しかし、彼を移すというのは簡単な話ではありません。まだ教えるべきことは多く、そして私も村から離れられませんので」

「ああ、そうだろうね。でも私とて、それくらい承知の上できたんだよ」

 魔女は席から立つと、彼女の背後にある窓に向き、外を眺めた。

「ハイドラ君の師の役目を、私が請負ってもいい。私ならこの村にとどまるのではなく、彼と旅をしながら、修行をつけてやれる」

 くるりと振り向いた魔女の瞳は、逆光に陰りながらもその不思議な輝きと色の移り変わりをなしていた。

「少なくとも、この村にいたらハイドラ君は魔術不全どころか、そのうち精神が完全に壊れきるだろう。そうなったら、彼も、勇者の伝統も終わりさ」

 俺は伯父さんの顔を見た。伯父さんはいつになく険しい顔をしてうんうん唸りながら、深く考え込んでいた。

「うーん…いや、とてもありがたい申し出なのですが、遠くにやってしまうのはしかし…うーん…でもハイドラのことを考えたら…いや…でも魔女殿がついてくださるのなら…いや、しかし…」

 そして散々悩んだ末に、伯父さんは俺に言った。

「ハイドラ、どうしたいか、君が決めてくれ」

 どうしたいか、なんて。正直に言うとどうもしたくなんかなかったが、しかし、今回はまだ選択の権利があるだけマシなのかもしれない。この世は自分で選べないことばかりだ。俺はここのところ、そのことばかり身をもって味わい続けた。だからこそ、考えた。自分がどうすべきか。

 この村に残った場合のことを考えた。俺は伯父さんのもとで訓練を重ね、いずれ勇者になるのだろう。だが、それまで俺は無数の歪みに浸り続けることになる。はたして俺は、俺のままで在り続けられるだろうか。…今度壊れたら、俺はもう治らない気がした。

 次に、魔女と旅に出た場合のことを考えようとしたが…わからない。そうした場合、未来はどうなるのか、俺には全く予想できなかった。ただ、目の前で不思議な瞳を輝かせている女から感じる、底知れない何か。それがもしも俺を救ってくれる可能性ならば、或いは___。

 不意に、魔女は俺に手を差し伸べた。

「___旅に出よう、ハイドラ」

 その手を握った一番の理由は何だったのだろうか。それを、俺は生涯明らかにすることはないし、けれど、俺の運命はその手を握ったことで動き出したのだから、きっと、意味はあったはずだ。



 出立の日の朝、親父とお袋は複雑そうな顔で俺を見送った。一応、両親は俺の旅立ちに理解を示したが、しかし、内心どう思っていたかは定かではない。まあ、どうでもいいが。

 伯父さんの家が見えてくると、門の前に伯父さんと魔女が立っており、近づくと二人も俺に気づいた。

「あの、光の魔女さん…本当に俺、荷物要らないんですか?昨日も言いましたけど長旅なんですよね?」

「うん、要らないよ。必要なものは私がもう持ってるし、何かあったら旅先で揃えたらいい。それに、大抵のことは魔術でどうにかできる」

 ふふん、と自慢げに笑う魔女もやはり、俺と同じように特に荷物を持ってはいない。いや、その点について俺は例の剣を親父のお下がりの剣帯で腰につっていたし、それに蓮華を一輪持っていた。対して、魔女は本当の本当に手ぶらだった。まあ、そうは言っても彼女が帽子の中になんでも入れているのを、俺は既に知っていたが。あの真っ黒な三角帽子の中を覗いてみたい気持ちを押し殺し、俺は帽子から気をそらした。

「ところで、そのかわいらしいお花は?」

 魔女は俺の持っている蓮華を指さした。

「ああ、これは…ちょっと、最初に寄りたいところがあって」

 伯父さんも蓮華を見ると、少しだけ悲しそうな顔をした。伯父さんは俺に向き合って腰を下ろし、その高い視線を俺に合わせた。

「ハイドラ、すまない。本当に勝手なのだけれど、私は君の旅について行くことはできない。だが、光の魔女殿は信頼に値するお方だ。それは何も人格に限った話じゃない」

 俺は伯父さんの言わんとしていることを図りあぐね、どういう意味か訊ねた。

「力量に関しても、と言う意味だ。ともすれば、このお方は私よりも…強い」

 流石に、俺は笑いをこぼした。この人はこれでも世界最強の英雄だぞ。あまりにクソ真面目に言うから何かと思えば、伯父さんが冗談を言うとは珍し___

「いや、冗談じゃないよ。真面目に聞きなさい。この方は『魔女』だ。魔女とは魔術の深奥をもって魔術師の枠を超えた大賢者の呼び名。もはや魔術師にあって魔術師にあらず。少なくとも、魔術師だからといって剣が振れないとか、格闘ができないとか、そんなこと夢にも思わないことだ。なんせ私ですら、それらの技を彼女に教わったのだから」

 どうも、伯父さんはふざけているわけではないらしかった。俺は神妙にうなずき、伯父さんもそれにうなずいた。

「とにかく、この方なら安心して君を任せられる。だけど君は君で、自分の身は自分で守るよう努めなさい。そして___どうか、どうか生きて帰ってきてくれ。頼む」

 最後の一言に、伯父さんの言いたかったことの全てが集約されているような気がした。この人は俺に息子の二の舞を踏んで欲しくないと、本気で思っている。案じてくれているのだ。俺はもう一度、強くうなずいた。



「で、寄りたいところって?」

「アーランの墓…俺たちが最初に会った所ですよ」

「ああ」

 伯父さんに別れを告げ、俺と魔女は歩き出した。まず、アーランに挨拶に行くために。アーランの墓前に来るのは、今回が三度目だった。やはり墓標は綺麗で、しかし花が散ってもの寂しくなっていた。俺はしゃがみ、持ってきた蓮華を捧げ、言葉を紡いだ。

「行ってくるよ、アーラン 。俺、お前の代わりになれるかわからないけど、きっと立派な勇者になってみせるから…お前の剣に誓って」

 不意に、魔女も俺の隣にしゃがんだ。今度はいつかのような俺の方にではなく、アーランの墓標に向いて。魔女は帽子の中に手を突っ込むと、中から蓮華を一輪抜き出した。本当にどうなってるんだか。そしてそれを俺と同じように墓前に捧げた。

「アーラン 、勇者の子。君の従弟は私が責任を持って預かる。だから安心して眠るといい」

 俺は軽く目を閉じた。春風に樹々の葉がざわめく音がした。遠くに鳥のさえずりが聞こえた。それらの中にアーランの笑い声がさがすように、けれど見つからないとわかっていて、耳を澄ました。

「___よし」

 俺は立ち上がった。そして魔女に言った。

「付き合ってくれてありがとうございました。それじゃあ、そろそろ行きましょう」



 長く慣れ親しんだ村を後にして、俺は光の魔女と旅立とうとしていた。そしてまさに村を出ようと外へと続く道に入る途中、あいつらとすれ違った。あの橋の下で俺を嗤っていたあいつら。あいつらはすれ違いざまにクスクスと嗤い、去っていった。俺はただ下を向いて、腰につったアーランの剣を撫でた。魔女は、前を向いたまま俺に言った。

「次、」

「…え?」

「次、この村に戻ってくるときには逆にあいつらを笑ってやれるくらい、強くしてやる」

 俺は魔女の横顔を見た。色の移り変わる目は自信に満ちており、ほのかに上がった口角がその言葉の真偽を物語っていた。俺は、この人の下できっと強くなろうと、この村で得た数えきれない苦痛を心の奥底に押し込んだ。決して忘れはしない。だがこれに怯えることももうしない、と。

「よろしくお願いします…魔女さん」

 魔女は「はは」と笑った。

「その『魔女さん』はよしてよ。そうだなー…師匠!これから私のことは師匠と呼びなさい、ハイドラ」

 俺も軽く笑った。

「はい、師匠」

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