貧乏くじは踊る

ろくなみの

貧乏くじは踊る

貧乏くじは踊る





















携帯電話は持ち主を選べない。それは宿命であり、貧乏くじともいえよう。

そして、俺の持ち主は、いつもそそっかしい人間だった。

 近日中の予定を忘れていることも、珍しくなかったが、特に極めつけは忘れものだ。

私物だってよく忘れるため、重要なものは信頼できる友人に任せていることもあった。

 それでも、自分で管理しなければいけないものはある。

例えばそう。俺みたいな携帯電話だ。昔ながらのパカパカ開けるタイプの、通称ガラケー。名前の響きが気に食わないが、変わり者の彼女は、どうやらそんな俺のことを気に入っているようだ。

 けれども、今日、俺は彼女に置き忘れられた。

 場所は彼女の住む島から船で陸へ着いてから、車で数十分ほど走ったところにある、山の中腹にある田んぼの見える小さな丘。周りには、テントがいくつか張られていて、丘の端には彼女の友人が建てた巨大な塔がそびえて立っていた。なんでそんなところに来たかというと、今日は祭りなのだ。彼女主催の、少し、変わった祭りの。その塔に関しても、祭りのときに建てられたものであり、テントは参加者が寒さに震えながら眠るために張ったものだ。

 そんな祭り当日になると、彼女のそそっかしさはいつもの十倍増しといっても過言ではない。右へ左へ常に走り、丘から下った先の小屋と、テントの張られたこの場所を数えきれないほど往復していた。そして、彼女は祭りに来てくれる人間の電話対応を俺でやったあと、俺の体を木製の机(というかほとんど台に近い)ところに置き、ばたばたと裸足で走り去った。地面に釘やらゴミが落ちていることもあるというのに、タフなものだ。まあそれでも、俺のことが気に入っているのなら、野ざらしだけはやめてほしかった。

「すごいね」

 誰かの声が聞こえた。独り言かと思い無視していると、その声の主は小さな足音と共に近づいてくる。

「ねえ、聴いてる?」

 放置されている俺の体を覗き込んできたのは、一匹の柴犬だった。もとは白い毛なのだろうが、様々な道を通ってきたのか、毛並みが茶色く染まりつつある。誰かに飼われているようには見えなかった。

「なんだお前、俺に話しかけてるのか?」

「うん」

 犬はそう返す。携帯電話として生きていると、嫌でもたくさんの人間の話を聞く羽目になるのだが、俺個人に声をかけてきたのは、この犬が初めてだった。

「変な犬だな」

「そりゃどうも」

「褒めてねえよ、で、なにがすごいって?」

「あの人間たちだよ。ほら、見てよ」

 彼女が走った先には、一台の軽トラックが見える。藁やら花やら草やらが大量に飾り付けられた、奇妙な外見に加え、荷台にはグランドピアノが置かれている。彼女の師である調律師の男が、鍵盤の音を確認していた。

「でんでらー!」

 彼女は何かの景気づけのようにそう言って、軽トラの上に乗りこむ。そんな彼女を、およそ十人以上の踊り子やら絵描きやら、はたまた何者か分からない老若男女が取り囲んでいた。

「すごいというか、変というか。俺の持ち主の彼女なんか特に変わってるぞ。いつも忙しく曲を作ったり歌ったりしてるのに、なんで好き好んでこうも忙しくするかね。俺には理解できんよ」

「ふうん」

 犬は俺のコメントをそう聞き流す。話を振っておいて失礼な犬だ。

 犬の意識は、彼女の演奏の方に向いているようだった。

 軽トラの荷台に置かれている椅子に座らず、立ったまま彼女はピアノの鍵盤を叩く。ポーンと甲高い音が、空に響き渡る。そんな彼女のピアノに合わせて、軽トラックは走り出す。後続の車にも、踊り子と思わしき人間が乗ったまま、移動を始めた。

「ねえ、君置いていかれてない?」

 遠ざかる車を見つめる俺に、犬はそう言った。

「今気づいたのか」

 特に否定するつもりはない。

「いいの?」

「いいよ別に。俺なんかいても邪魔だろう」

 軽トラックたちはどんどん遠ざかる。にぎやかなピアノの音も、次第に小さくなっていった。

「それに、俺はああいうのは苦手なんだよ。興味があるならさっさと追いかけろよ。ほら、早くしないと……ってうわっ!」

 言葉の途中で犬は、俺の体をぱくりと咥える。生暖かい犬の口内が俺の体を湿らせた。

「おい! やめろ! 俺は食い物じゃない!」

「食べるわけないじゃん。僕にだって、ちゃんと食べたいものはあるんだよ。それは君じゃない」

「じゃあどういうつもりだよ!」

「こういうつもりだよ」

 犬は猛スピードで駆け出した。風を切り、丘を降りる。道中の調理スペースのテントを通り過ぎ、軽トラックが走っていった道を、どんどんどんどん走り続けた。

「ねえ、どう? これなら追いつきそうじゃない?」

 得意げに犬はそう言った。喋るたびに外の風と犬の唾液が混じって気持ち悪い。

「追いかけるならお前だけ追いかけろよ! 早く戻ってくれ!」

 俺の言葉に犬は一切耳を貸さない。犬は耳がいいというが、あれは嘘っぱちだ。山道を走り続ける軽トラック。ピアノの音に合わせて、後続のトラックに乗っている人間たちは、筆やハケを使ってトラックを彩る。他には派手な傘を持った女が、それを上下に振って踊っているようだった。意図は一切わからないが、なにかを表現しているようには見える。俺には、決してできない。

トラックはやがて川に出た。犬は軽トラックの後続の軽自動車を次々と抜いていき、やがて彼女のトラックも見えてくる。運転席には、白髪交じりの長髪の男が、真剣な顔でハンドルを握っていた。それとは対照的に、彼女は満面の笑みでピアノの椅子から立ち上がり、トラックの上に乗っている。大きな布をまるで巨大な旗のように振りかざす。まるで彼女も空の一部に溶けているように見えた。

道路交通法とやらに触れていないかどうかが気がかりだが、彼女はまた何かを叫んでいる。少なくとも、俺の知る言語じゃない。彼女が聞き取れない叫びをするのは今に始まったことじゃないから、別に驚きはしなかった。

「すごい人だね」

 走りながら犬は彼女を見つめ、そう言った。

「すごいか? 軽トラの上で歌って踊って、落ちてしまうだとか、そういう発想がない人間だぞ。それに、俺みたいなガラケーを使い続けてる」

「言われてみれば。最新式のは嫌なのかな」

 犬は当然の疑問を口にする。

「怖いんだとよ。最新式のスマホってのはさ。小さいのに色々な機能があるのが嫌らしい」

「なるほどね。で、どうする?」

 相槌をうちながら、犬は俺にそう尋ねる。

「どうするって」

「彼女のところに行く?」

 犬の目的はそれだったのだろう。お節介にもほどがある。

「いや、いい」

彼女の方へ視線を向ける。まるで無邪気に遊ぶ子どものように彼女は笑う。そして、布を何かを讃えるようにバタバタとさせている。ちなみに、さっきまで彼女が弾いていたピアノは、別の人間が弾いていた。ピンク色の服を着た彼女の友人の一人だ。きっと、彼女から信頼されているのだろう。俺とは違う。別に、自分が必要とされていない、とまでは思わない。実際、連絡手段に俺は必須であるし、彼女のそばにはずっといた。たくさんの祭りに対する情熱。音楽や人に対する思い。彼女のやさしさ。それはずっと感じていた。

けれど、自分には決して向けられない信頼のようなものを、他の存在に向けられているとき、虚しくなる。こういう場になると、嫌でもその事実に直面してしまう。

「それより、このまま、どこか誰も知らないところまで連れて行ってくれ」

俺は犬にそう頼むことにした。

目の前であんなにも楽しそうにされているのに、それに直接交われない。そんな空虚さを秘めたまま、日々を送るなら、いっそすべてを捨ててやる。そう思った。

「本気で言ってる?」

「俺はあちら側になれない。踊れないし、歌えない。貧乏くじさ。なんでこんな体に生まれちまったかね」

 ふむと、犬は頷く。わかってくれたのだろうか。

「まあ、君がいわゆるガラケーって形をもって生まれたから、祭りに直接加わることができなくて、最悪な気分ってことだね」

「そうだよ」

「じゃあさ、こういうのはどう?」

「こういうの?」

「君が本当に貧乏くじを引いたなら、別のくじの結果を試してみたらいい」

「は?」

「つまり、君はさ、携帯電話が嫌なら、何になりたい?」

 自分が以外の存在になる。考えたこともなかった。携帯電話として生まれた宿命を、愚痴ってばかりいた。けれど、もし、自分以外になれるのなら。

 一瞬考えたのは人間だ。しかし、人は少し荷が重い。機械としての経験しかない俺に、彼らのように上手に何でもできる自信がなかった。

 その時、彼女のピアノの後方を走る軽トラが通過した。出発時は白かった軽トラックは、絵の具で赤や緑が入り混じり、一枚の絵画のように見えた。

 そんな色を生み出し、世界を広げている人間が、荷台に数人しゃがみこんでいる。その手に握られている小さな筆。それにもしなれるなら。一瞬、そんなことを考えた。

 その時だった。

 俺の意識は生臭い犬の口内から移動していた。

 俺の体は、赤い絵の具がしみついた筆の形になっていた。先頭の彼女のピアノに合わせて、筆である俺は軽トラの色を次々に塗り足していく。右へ、左へ、上へ、下へ。今までにないほど体が振り回されていく。

「うん、うん」

髪の短い女が何かに納得したようにうなずく。

「やってみなよ。自分以外になれたんだからさ。いい当たりくじなんじゃない?」

 遠くから犬がそう声をかけて来る。あの犬が何者なのかはわからないが、少なくともこれは貴重な機会だった。

「よし」

 俺はそう決意し、自分の体を動かしてみた。

「うわっ」

 俺を握る女の手を振り回す形にはなるが、自分の力で世界を染めてみたかった。

 少し赤色が足りないスペースに赤色を塗っていく。直線ばかりでは面白くない。体を上下に動かし、曲線を表現する。今度は丸が描きたくなって、赤い色で丸を描く。軽トラの世界は、みるみる変化していき、たくさんの色であふれた。

 そんな俺の気まぐれに合わせてか、絵描きの女もそれに動きを加えていく。俺の意思と、女の思いが合わさり、軽トラの側面には混沌とした色合いの、新しい模様ができた。

 悪くはない。ガラケーだったころには、できないことだ。

 けれど、どこか違うような気がした。

 俺の動きで、絵の全体像は変化した。美しいかどうかはわからない。ただ、数分前の見た目とは、変わっている。それは、進化なのか、劣化なのか。判断は難しい。だからこそ、頭の片隅で感じてしまう。

 邪魔をしてしまったのではないか。

 俺の介入によって、もっと素敵になったかもしれないのに。途端に申し訳なさがこみあげ、筆であることが我慢できなくなった。

「これじゃない」

 俺はそうつぶやいた。

 その瞬間、俺の意識はまた別の場所に移動していた。

 今度は傘になっていた。

 ただの傘ではない。丸や四角、鳥の人形などが大量についた傘だ。その傘を、眼鏡をかけた女が回していた。描くのは、出来栄えに差が出るかもしれないが、回ることなら俺でもできる。

 そう思った俺は、傘である自身の体を、時計回り、反時計回りに。そして、天にも体を動かした。眼鏡をかけた女性を振り回す形にはなったが、それでもこの機会は無駄にしたくなかった。

 シャラン、シャランと、傘が動くたびに音が鳴る。

 その音が楽しくなってきたのか、眼鏡の女は俺の動きを上回る激しさで、上下左右に傘を振り回す。かつてない浮遊感に、俺の体は追いつかない。もし自分が人間だったら、猛烈な吐き気を催しているところだろう。

「いやっほおおおおおい!」

 さらには掛け声まで出してきた。楽しそうで結構だが、俺の方は手いっぱいだ。

「これじゃない」

 また俺はそうつぶやいた。

 その瞬間、俺の意識はまた別の場所に移動していた。

 今度は旗だった。誰が描いたかわからない奇妙な模様のついた旗に、これまたどこからか拾ってきたのはわからない。その無骨なデザインは、このどこかまとまりに乏しい祭りにはちょうどいい気がした。

 そして、今俺は、背の高い男の手に握られている。その男は、軽トラックの頭部分の先頭に乗り上げ、高らかに俺を掲げた。

 風がびゅうと吹き、俺の体である旗はパタパタと音を立てる。体を動かそうにも、風の強さで身動きが取れない。男はそんな俺を右へ、左へとパタパタと動かす。悪い気分じゃなかった。自分のコントロールがきかないが、風に身を任せている感覚は心地よかった。

 ただ、その時、近くに壁がやってきた。曲がり角だったのだろう。高い塀に俺の体はぶつかる。

携帯電話時代も大概何度も床に落とされたり散々な目にあってきたが、走行中の車の速度からの塀に対するダメージはとても大きい。猛烈に痛かった。

「こ、これも多分俺じゃない」

 というかこんなリスクに耐えながらなるものじゃない。もっと平和なものがいい。そう願った俺は、次の瞬間、また意識は別の無機物へと移動していた。

 今度はクラシックギターだった。先頭を走る軽トラックの荷台に置かれたギターを、髪の長い女が抱きかかえている。そして、髪の長い女は錆びた弦を、そっと弾く。

 ポロン。ポロン。

 弾かれるたびに、優しい音が鳴り響く。悪くない。俺も一緒になって音を鳴らそうと思い、感じるがままに弦を弾く。抱える女も楽しくなったのか、指先を器用に動かし、弾く速度を速める。自分でコントロールできる範囲なら楽しい物なのだが、耳に入ってきたのは、先頭を走る軽トラから聞こえる、彼女の弾くピアノの音だった。

 彼女はそそっかしい人間ではあるが、ピアノの腕前は俺の知る限り世界一だ。

 そんな世界一のピアノに、果たして自分の音があっているのだろうか。

 余計な考えは、再び俺の音を鈍らせる。

「……大丈夫?」

 俺を演奏していた女は、そう声をかけてくれる。きっとあの犬同様、無機物に話しかける性質なのだろう。楽器なら、特にそういう気分にさせるのかもしれない。

 ただ、心配されるのは、どうにも性に合わない。

「これも俺じゃない」

 いつしかトラックは港に止まっていた。彼女がやってきた島が遠くに見える。そして、俺が次になったものは、「コラ」というハープの一種だった。彼女がたまに弾いている姿を見かけていた。その神秘的な音は、ピアノやギターでは表現できない。

 俺を握っていたのは、持ち主の彼女ではなく、彼女にコラを与えた職人の男だった。

 俺の体には、弦が何本も生えている。ギターとは比べ物にならないくらい、鳴らす部分が多い。どこを鳴らそうかと考えているうちに、男は、弦を指で触れる。風の音の一部のような、やわらかな旋律が、あたりに響く。俺が考えるより、彼に演奏してもらう方が、はるかにいいだろう。

 これも、俺じゃない。

 意識の移動は、時間と空間も超えているようで、トラックは海から移動し、河原に停止していた。

そして俺は川を流れる水に変わった。

 川となった俺は、停止したトラックからわらわらと降りて、踊ったり歌ったり絵をかいたりしている人間たちを眺める。いつしか舞いをしていた一人の女が近くにやってきた。頭には、このあたりで採取したであろう、緑や黄色の植物がついていて、まるで天然の冠のように見えた。そんな女の足が、川である俺の中に入ってきた。

 植物に包まれた女の足を冷やすのは悪い気分じゃなかった。けれど、彼女以外にも、たくさんの子供も水で遊び始め、俺の体は何度もはじけ、太陽の光に照らされる。浮かんでいくしぶきの形が、また俺の中でどうにもしっくりこなかった。

「違う」

 今度は鈴になった。場所は、金色と黒色の髪が入り混じった、女の手の中だ。

 女は川の音を聴きながら、気まぐれに、りんりんと俺の体を鳴らす。うるさくかき鳴らしているわけじゃない。川の音や、世界の声を、目を閉じて楽しみながら、彼女が必要だと感じたときに、きっと俺は鳴っていたのだろう。

 だからだろうか。この時も、自分で自分の体を鳴らそうとは、思えなかった。

「これも、違うな」

 また俺の意識は移動する。軽トラの集団はいつしか元の田んぼの場所に戻っていて、俺はそこから離れたテントの下の調理台にいた。今度は、一本の色の錆びた包丁になっていた。そんな俺の柄を握ったのは、体の大きな茶髪の男だった。

 男は、俺を使って、大きなかぼちゃの皮をむきはじめる。

 彼の手さばきは、図体の大きさとは対照的に、とても繊細だった。彼の瞳は、俺ではなく、かぼちゃに向いていた。きっと、彼は本当に料理が好きなのだろう。かぼちゃを切ったあと、それがどのような工程を踏んで料理になるのか。そんなことを考えているのかもしれない。もともと機械の体の俺に料理のことはわからない。自分の意思より、彼の意思を優先したい。彼の大切な思いを、踏みにじりたくなかった。そう思った俺は、自身の意識をすぐに手放す。

ここも俺の場所じゃない。

 やがてたどり着いたのは、大量に地面に突き刺さった透明の風車だった。

 これは、祭りの準備の時に、嫌というほど目にしていた。眼鏡をかけた髭の生えた男が、持ち主の彼女や、たくさんの人間の力を借り、一つ一つ手作りしていたのだ。それを刺していく彼の手つきは優しく、確実にその風車は、会場となる田んぼの丘をより美しく見せていた。

 風が吹くたびに、羽がくるくると回る。作り手である長身の男が俺に近づき、角度を調整する。男の指先一つで、俺の体はまたよく回るようになる。男は安心したかのように、その場を微笑みながら離れていった。たくさんの風車の一部であれば、比較的自分の影響は大きくない。少しだけ、安心するポジションだった。

「どう? ほかの体っていうのは」

 俺に声をかけてきたのは、例の白い犬だった。彼の口には相変わらず俺の元の体が咥えられている。もう唾液でべとべとになっていることだろう。

「悪くはないが、どれもだめだな」

「そうなの?」

「ああ、全然だめだ」

「その風車の体はどう?」

「悪くはないんだが、回り続けるだけじゃ退屈だ。それに、あの男が位置を調節することはあっても、大きくこの場を移動することはできないからな」

「まあ、携帯電話だと持ち運んでもらえるからね」

 それを放置されてしまったのが今日なのだが。それはともかく、俺は犬に頼むことにした。

「やっぱり、俺はここにいちゃだめなんだよ」

「そうなの?」

「ああ、きっと何をやってもどこかしっくりこないのは、そういうことだ。誰に言われたわけじゃないけど、お前はここじゃないって言われている気分になる。だから」

「だから?」

「最新式の携帯になるとかなら、また面白いのかもしれないが、やっぱり、たぶん違うってなることだろうし……そうだな。池がいい。池の底に沈めてくれ。そうすれば、いくらか幸せだ」

 きっとこれも俺の意思だったんだろう。

 また俺の意識は別の無機物へと移る。

 今度は、とある棒に固定された、最新式のスマートフォンだった。今まで俺と比較され続けたスマートフォンの体を手に入れてしまった。

「はあ……はあ……」

 そして、激しい息遣いが聴こえた。おそらく、このスマホの持ち主だろう。

 どうやら、俺を使って映像を撮っているようだ。土の上に裸足で踊り狂う人間たちに、近づいては離れをくりかえす。まるで俺も踊っている気分だった。

「その体なら悪くないんじゃない?」

 遠くから犬はそう尋ねる。親切心で言っているんだろう。たしかに、今までの無機物に比べれば、最も自分には合っている気がする。だからこそ、その言葉に、安易な同意はできなかった。

「この体の、もとの意識はどこにいるんだ?」

 俺は犬にそう尋ねる。

「もとの意識?」

 犬はそう聞き返す。

「このスマートフォンにも、いたんだろ? 俺みたいな人格っていうか、意識というか」

 俺以外にも、きっと無機物には宿っているのだ。今まで話したことはないが、きっとみんな、自分の体に何かしらのアイデンティティを感じていることだろう。

 筆やハケは、無数の色を生み出し、世界を彩ることを。

 傘は雨から人を守り、時には踊りを生み出すことを。

 旗は、自分たちの存在を、伝えることを。

 ギターや鈴にコラは、音を出し、耳に優しさを運ぶことを。

 川の水は、命へ潤いを与えることを。

 包丁は、人々のおなかを満たすことを。

 風車は、世界を一緒に回すことを。

 そして、このスマホには、持ち主の見た世界を、より鮮明に目撃することを。

 どれも俺の妄想だ。事実は異なるかもしれない。そんな小難しいことを考えてなど、いないのかもしれない。ただ、少なくとも、俺は彼らの体を借りることで、そんなことを感じた。

 そして、それを、俺に奪う権利はない。

そんなことを思った瞬間、俺は再び犬の口の中にある元の体に戻っていた。

「いいの?」

 犬は俺にそう尋ねる。

「ああ、それでいい」

 そして、俺は再び犬に頼み込む。

「さあ、俺を池の底に」

「わーい! わんちゃん!」

 その時、俺を咥えているこの犬に、人間の子供が猛烈な勢いで抱き着いてきた。

その衝撃で、犬の口から俺は空に向かって吐き出される。俺の犬がいた場所には、祭りの参加者たちのテントが並べられていた。体の軽い俺は、そのままテントの布に落下し、その弾力でトランポリンのように高く再び跳ねる。跳ねた先の別のテントでは、二人の子供がテントのひもを上下に動かし、縄跳びのようにしていた。そのヒモに弾かれ、俺はまた空高く飛ばされる。今度は、別の子どもがその近くで、俺の持ち主や他の人間たちお手製のブランコをこいで遊んでいた。勢いの付いたブランコの板に直撃した俺は、そのまま丘の向こう側にある沼地に向かって飛んでいった。

ずぶんという音と共に、俺の体は沼とも泥ともいえない柔らかい場所に落ちた。

少なくとも池の底よりも生殺しのような場所に放置されてしまった。池なら沈んで、すぐにでも機械は壊れ、俺の命を終えることができただろうに。行きつく先まで貧乏くじとは、どこまでも運が悪かった。

 そして、衝突の衝撃で、世界は暗闇に閉ざされた。

 遠くから聞こえる笛や太鼓の音。人々の笑い声。風の音。持ち主である彼女が作り上げたその空間。俺は完全にその世界から切り離された。

あの犬は、多分子どもたちにまだ追いかけられていることだろう。そのまま山の向こうへ消えていったのかもしれない。そして、おそらく彼女は俺を置き忘れたことなんて全く気付いていない。自転車のペダルの音が遠くから聞こえる。きっとまた、誰かのために、なにかのために、せわしなく動き続けているのだろう。

「これで、いいのかもな」

俺は、この地に身をゆだねることにした。このまま放置され続ければ、機械の体は劣化していく。

眠った意識が、このまま目覚めず、俺の世界が終わるなら、本望だった。







 






























    ザッ


  ザッ


         ザッ




  トク           トク


    ぱちゃ


 ぱちゃ     ポロン          ポロン

                         こぼれても、だい、じょうぶ




    こん   かい


              このば

                       しょ   で


 おま

     つ     り    を

                       させて     いただいて


  ほん           と                う に 










ありがとうございました










とても小さな声と、静かなピアノの音だった。まどろんだ曖昧な眠りの世界の、その言葉は、しっかりと俺に届く。何度となく聞いた、俺の持ち主の声だった。

彼女の普段発する、たどたどしい口調とは異なり、どこか畏まっていて、なにかに対し、大きな祈りを抱いているようだった。言葉を聴くことが専門の俺からすれば、その紡がれる一言一言が、計り知れないほど大きく感じる。あたりはすっかり暗くなっていて、俺たちを照らすのは、踊り子の一人の女が頭につけた照明と、青白く光る三日月だ。

俺の沈んだ泥の周りに、彼女を含む人間たちが、両膝をつき、手を合わせている。その前には、酒をついだお猪口と、人間たちが作ったと思われる食事が並べられていた。おにぎりやら、野菜やら、魚やら、豪華な品々だ。まるで俺が拝まれている気分だった。

そして、俺の持ち主の彼女は、深く、大きく、頭を下げた。

「ほんとうに、ありがとう、ございました」

はっきりと聞きとれた彼女の言葉が、夜の世界と交わる。遠くで響くピアノの音が、彼女の感謝を包み込んだ。彼女はいつもそそっかしかった。けれど、自分にとって大切な存在への敬意を、忘れたことはなかった。そんな彼女の、神様や土地に向ける、真剣な思いは知っていた。電話越しに、たくさんの人に彼女は祭りや土地、そして彼女の住む島の大楠の木や、そこに集う人々へ、いつだって真剣に、まっすぐに語っていたから。その言葉を、ずっとそばで聞いていた。そして、その集合体のようなものを、この現場で、一緒の空気の中で感じることができたのは、とても幸せだった。

ただ、俺には、神様という存在は、今一つピンとこない。全知全能で、なんでもできるような、そんな都合のいい存在が、どうにも信じがたかった。

 そのことを考えている間に、彼女たちは立ち上がる。子どもたちと、他の人間たちは談笑しながら、去っていき、再び俺の周りは暗闇と静寂に包まれた。

「行っちゃったね」

 そんな中聴こえてきたのは、例の犬の声だった。

「どこ行ってたんだよ」

「どこにもいってないよ。僕は、ずっとここにいたよ」

犬が、土に沈んでいる俺の横にそっと座る音が聞こえた。

暗闇でよくわからないが、犬だったはずの彼の体はどこか大きく感じた。何かを手づかみし、それを咀嚼する音が聞こえる。

「犬がそんなもん食っていいのか?」

俺の言葉を無視して、彼は食事を続ける。

「お前、それは」

それは、神様の飯じゃないのかと言おうとしたとき、月明かりに微かに犬は照らされる。そこにいたのは、犬じゃなかった。

和服を着た人間だった。

そして、彼は泣いていた。涙を流しながら、作られたおにぎりや野菜、魚料理などを、次々に口に運ぶ。咀嚼する度、彼の大粒の涙がお膳を濡らした。

 彼に、何者なのかを尋ねてもよかった。でも、泣いている彼の時間を邪魔するのはよくないと思い、ただ黙って彼が食事を終えるのを待ち続けた。彼も、何も言わなかった。犬だった時はあんなにもおしゃべりだったのに、よくわからないやつだ。

 食事を終えた彼は、涙をぬぐって月を見上げる。そして、泥の中から俺を取り出した。

「ごめんね、拾うのが遅れて」

「別にいいよ」

 俺がそういうと、彼はパタン、パタンと俺の体を開いては閉じる。まるで今日流れていた音楽の一部のように、その音は、夜の静寂と混ざり合う。

「きれいな音だね」

 涙声を誤魔化すように、少し明るく彼は言った。

「そうか?」

「うん、君だけの音だよ」

 彼は、そのまま何度も俺の体で音を奏でる。不快な時間じゃなかった。

「なあ、あんた」

 こんなことを、俺が彼に尋ねるのは、野暮かもしれない。それでも、誰かが彼に訊かなければいけない気がした。彼と、言葉を交わせる、俺だから。

「俺のことをさ、気遣ってくれたのはわかるよ。きっと、彼女同様、あんたもこの祭りを楽しみにしてたんだろ? よくわかんねえけど、きっとずいぶんと長い時間をさ」

なにかを噛みしめるように彼は頷く。俺は言葉を続けた。

「でもよ、あんたは、どうだったんだ? あんたは、この祭りで、何を感じていたんだ?」

 俺の体の開閉を彼は止めた。夜風と共に、今日の人間たちの寝息まで聞こえるほど、静かな時間が流れる。

「ありがとうね」

 沈黙の末、彼は俺にそう言った。

「なんで、」

 なんでお礼なんて言ったんだ。そう言おうとした瞬間、彼の姿は一本の枝になって消えた。彼女のいる島にある木の枝に、よく似ている気がした。

 いつの間にか、夜の闇に東から鈍い光が差し込んでくる。

 夜が明けているようだった。そんな夜明けとともに、誰かの足音が聞こえる。

 昨日、あの犬に抱き着いた子どもが、俺の体を見つけたようだ。

 小さな手で、彼は俺の体を持ちあげる。そして、ぶんぶんと、俺を振り回しながら歩き出す。

 鳥の声と、風車が動く音、稲や木々のざわめきと共に、彼はくるりと一回転し、俺の体をポンと投げ、またつかむ。まるで、彼と一緒に踊っている気分だった。ああ、踊ってる。俺は、彼と一緒に踊れている。

「ははっ、あははっ!」

 無邪気に子どもは笑い出す。

 彼には聞こえないだろうけど、俺も一緒に笑いたくなった。そのとき、機械部分の不具合かどうかはわからないが、俺のスピーカーから音が鳴りだす。

「ぴぴぴっ! ぴぴぴっ!」

 アラームが鳴りだしてしまった。泥の中で長いこと埋まっていたため、どこかイカれてしまったのかもしれない。それでも、イカれた今なら、一緒にこの子どもと遊べるなら、イカれているのも悪くないと思えた。

 形をどんどん露にしていく朝日に、人間たちが寝ているテントが照らされる。トラックを運転していた髪の長い男が、コーヒーを片手に、俺の体を持つ子どもに微笑みかける。

 子どもはにこにこと、男に手を振る。その拍子に、スポンと、子どもの手から俺の体が飛んでいく。その行き先は、丘に並べられた、小さな一つのテントだった。

 運がいいのか、その小さなテントの入り口部分のチャックが開いていた。吹き飛んだ勢いを保ったまま、俺はチャックの隙間からテントの中に入り込めた。

 テントの床に、鈍い音と共に落下する。それと同時に、小さな寝息が聞こえる。毎日のように聞いていた彼女の寝息だった。彼女の顔のすぐそばに、俺は落下したようだ。すっかり疲れていたのか、俺が落ちてきたことにも気づいていないようだ。きっとかなり無茶をしたのだろう。綺麗な肌には、やけどのような痕がある。もしかしたら、家の一つや二つ燃やしてきたのかもしれない。前に彼女が言っていた。生きていたら、一度くらい、家を燃やしてみたくなると。きっと、彼女のそんなわがままが叶ったのだろう。たくさんの彼女の友人と共に。

かなり寒いはずなのに、彼女は寝袋にも入らず、小さなタオルのようなもので体を包んでいるだけだった。彼女らしいと言えば、彼女らしい。

「ピリリリリ」

 そんなことを思っていると、俺の体から音が鳴り始める。誰かが彼女に電話をかけたのだろう。熟睡しているのか、彼女の眼は開かない。

俺は着信音のボリュームをゼロにする。

どうせいつかまた、置き忘れられてしまうのなら、今くらい、彼女との時間を過ごしたかった。

それに、ずいぶんとたくさん遊んだんだ。

今は、ゆっくりと休もう。そう思った。

                                おしまい

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