第16話
斑警察署を飛び出す俺にアルは追いすがるように言った。
「ちょっと待って下さい! どういうことなんですか? 私にも説明して下さいよ!」
俺の進路を塞ぐように立ちはだかるが、こんなひょろいもやしが俺を止められるわけがない。だが、アルの目がいつになく真剣に光っているのを俺は見た。
「とりあえず、目的地に向かいながら話すぞ」
「目的地? どこです?」
「福貴野家」
歩き出す俺の後ろをアルがついてくる。
「それで、どういうことなんですか? まだ現れていない容疑者って?」
「それに関しては、お前の手柄といってもいい」
アルが嬉しそうに目を輝かせる。
「えっ、そうなんですか? まあ、私は昔から成績優秀でしたし、意外と機転が利くところもありまして、例えば──」
「お前が七田に≪ポリグラフ≫を勝手に使ったことがあっただろ」
「ああ、あれもまた良い思い出ですよね」
<結果的によかった話>みたいにアルが言うので、イラついて頭を引っ叩いた。
「悔しいがその通りだ」
「じゃあ、なんで叩いたんですか……」
「気にするな」
「気にしますよ。パワハラだ!」
叫び出すアルを無視して、話を進めることにする。
「あの時、七田は倉光と付き合っているというしょうもないウソをついた。そして『私じゃヒモにもさせられねーよ』と心の中で呟いた」
「えっ! そうだったんですか!」
「……お前、聞こえてなかったのか? お前が勝手に使ったんだろ?」
「探偵神器は探偵しか恩恵に与れないんですよ。不発だったのかと思いました」
「まあ、いい。その時に七田はそう考えていた。俺には不思議だったんだ。なんでいきなり『ヒモ』なんていう発想が出てきたのか」
「ああいう家に住んでいたら嫌でも思うんじゃないですか? 比嘉探偵もそうだったじゃないですか」
嫌なところをついてくる奴だ。
「七田の心の言葉には自虐めいた響きがあった。『ヒモにもさせられない』と。言葉を換えれば、七田には金があれば男女関係を築けるという発想があったことになる」
「そりゃあ、比較対象がいつもそばにいれば……って、まさか」
「倉光が失踪した日、屋敷には昴の妻のほの香はいなかった。そして、あの離れはずいぶんお誂え向きの場所だ……密会には」
「昴さんに愛人でもいたって言いたいんですか?」
「だから、あくまで想像だって言ってるだろ。あの離れのソファベッドの下には課金ヒントが落ちていた。あれが何なのかは知らないが、何か事件解決に繋がるような手掛かりがあそこにあったことは事実だ。つまり、まだ現れていない容疑者の中には昴の愛人も含まれる可能性がある」
アルは混乱したように目を白黒させた。
「いや……、でも、犯人は倉光さんを拉致してるんですよ。女性にそんなことができますかね?」
「女性なら、逆に隙をついて倉光を無力化することはできるかもしれない」
「なるほど……。それにしても、まさか、課金をしないでそこに手掛かりがあること自体を推理に組み込むとは──」
俺は笑みを浮かべた。アルは俺の推理力に舌を巻いたに違いない。
「──ドケチも突き詰めると何かしらの形になるんですね」
「てめー喧嘩売ってるだろ」
福貴野家に着き、捜査活動の名目で中に入り、庭先で七田を探し出した。
「ああ、探偵さんですか……」倉光が亡くなったという報せは七田の表情に暗い影を落としていた。「本当に死んじゃったんですね、倉光さん」
ここで一緒に感傷的になっても仕方がない。俺は探偵なのだ。
「そのことに関係するかもしれない。君は昴に愛人がいることを知っていただろ」
これは質問じゃない。だから、課金を迫られることもない。
案の定、俺の言葉を聞いた七田はびくりと体を震わせた。
「そして、倉光が消えたあの夜、その愛人もこの屋敷にいたと俺は考えている」
七田は逡巡していたが、やがて、口を開いた。その瞳は不安で揺れていた。
「あの夜、彼女がいたんです。
「日向桜って誰だ?」
俺が詰め寄ると、七田は俺たちを植え込みの陰に引っ張っていった。
「これは奥様とお嬢様には秘密なんです。あの夜は奥様がいないというので、旦那様が日向さんを離れに連れ込んでいて……」
「倉光はそのことを知っていた?」
「はい。旦那様が日向さんを屋敷に入れたのを知っているのは、私と倉光さん、そしてもちろん、旦那様と日向さん本人だけです」
「今までもそういうことがあったんだな?」
七田は黙ってうなずいた。
「愛人なのか、その日向って奴は」
「旦那様が教えてるゼミ生らしいです」
「自分の娘さんと同世代じゃないですか」
アルがおぞましいことでも口にするように顔をしかめた。男女の仲というものは、得てしてそういうものだ。こいつには分からんだろうが。
七田が声を潜める。
「これは警察にも言ってないことですけど、あの夜に起こったことをお話します」
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