第4章
第34話 夏休み明け
「春野先生! おはようございます!」
夏休み明け、佐々木くんは爽やかに目を細めながら挨拶をしてきた。
佐々木くんと会うのはさんさ踊り以来ぶりだ。
「いやー、まだ全然暑いですね」
佐々木くんはワイシャツの袖を捲りながら言った。
「そうね、今年は特に暑かったでですね」
妙に意識してしまい、変な言葉になってしまう。佐々木くんは何事もなかったかのように続ける。
「春野先生は、休み中、学校に来られたのですか?」
「いえ、ほとんど家にいましたよ」
お盆に久慈市にある実家に帰ったぐらいで、それ以外は家で仕事をしていた。
数回、学校に行ったけれどあまりに暑くて家でダラダラと仕事をしていたのだ。
「それにしても、さんさ踊りの時は失礼しました」
佐々木くんは恥ずかしそうに笑いながら言う。
「びっくりしたわ。あんなこと言うから……」
「ごめんなさい。ようやく会えたことに嬉しくて……」
ストレートな言葉にドキッとしてしまう。いけない。
始業のチャイムが鳴る。
「あ、授業始まる」
佐々木くんは、じゃあ、とバタバタ駆けて行った。
授業のない私は、職員室の自席に戻った。すると、間髪入れずに隣の森先生が目を細めて話してきた。
「春野先生。聞いたわよ、彼のこと。まさか、さんさ踊りで教え子と一緒いるだなんて。パトロールとはいえ校外で、しかも夜に二人で一緒にいるのはあらぬ噂を立てられるのでやめた方がいいと思いますよ。うちの生徒や保護者に見られたらどうするのよ」
「え、私はただお祭りパトロールを……」
森先生の言い分が理解できなかった。そもそもパトロールを推奨しているのは森先生だ。
「そうですけれど、気持ち悪いわよ……夜に教え子と一緒にいるだなんて。それならそうと私に連絡してくれたら向かったわよ。私も会場にいたんだから」
森先生は軽蔑するような目を私に向けた。その言動に私は驚くばかりだった。
森先生が思うようなやましい気持ちは一切ないし、そんな目で疑われるのも気持ちよくなかった。
「杉本先生……あぁ、彼、もう先生じゃなかったわね。彼のような火遊びはくれぐれもしないでくださいね」
「いえ、ですから……」
杉本先生の誤解は解けたのだけれど、森先生は陰謀だと疑って止まない。そうやって他人のプライベートを覗き込むようなことばかりしているから六十歳近いのに独身なんだ、とはあまりにも偏見が過ぎるので口が裂けても言えないけれど、それくらい納得できなかった。
休み明け初めての進路相談が今週月曜から始まっている。
この時期になると、大体の生徒は進路について方向性が決まり、一月に向けて残り四ヶ月の舵を切る。
家の事情で悩んでいた十文字さんも進学を決めたようで、アルバイトと勉学を両立していた。彼女の学力であれば、志望校は十分合格圏内なのでそれほど心配していない。
「失礼しまーす」
進路相談室に佐々木くんが入ってきた。
彼もまた悩める少年だ。ボサボサの頭を掻きながら、目の前の席に座る。
「どう? 決まった?」
佐々木くんは俯く。やはりまだ悩んでいるようだ。
「はい……」
「えっ?」
予想していなかった返事に思わず声が出てしまった。
「えっ? って先生、失礼だなあ」
「ごめん。ちょっとびっくりして」
「まあいいや」と佐々木くんは笑う。そして「上京しようと思う」と、「音楽の道に進もうと思う」と、自分のやりたいことを語りだした。
またもや意外な答えに驚いた。だけど私は彼が話し終わるまでじっくりと聞いた。
彼は夏休み中に将来について真剣に考えたようだった。
大学に進学して、このまま高校の延長のように勉強する姿を思い浮かべることができなかった。かといって就職して毎日働いている姿も想像できなかった。
なんで進学するんだろう、どうして働くのだろう。前者はより高度なことを学んで将来良い企業に就職するためだろうし、後者は生活のため。どちらにせよ、結局、生活のために学んで働くのか、と思うと生きている時間は何のためにあるのだろうと思うようになったそうだ。
そうであるならいっそう自分のやりたいことを思う存分やった方がいいんじゃないかって考えた。
そんな時、音楽番組に紫波真紀さんが出ていたそうだ。彼女は岩手出身のシンガーソングライターで、新曲のミュージックビデオが動画配信サービスで300万回再生され一躍有名になった。
彼女の歌う姿を見て、そうなりたいとふと思ったそうだ。
「もともと音楽は嫌いじゃなかったし、授業中に歌詞をノートの端に書いていたりしてたんだ」
「え、サボってたの?」
「先生の授業はちゃんと受けてるよ! ……森先生の授業の時かな」
「古典だって歌詞に役立つわ」
「まあそうだけど、眠くなるんだよねあの授業」
佐々木くんは笑う。
それで夏休みに色々調べて、音楽を本格的に学べる専門学校が東京にあることを知ったそうだ。
音を奏でたい。言葉を紡ぎたい。そして決断した。
「できるかな?」
「良いんじゃないかな」
夢に向かって頑張ろうね。うん。彼は秋晴れのような晴れやかな笑顔を私に見せてくれた。
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