第28話 祝福の歌
***
梅雨時期だというのに、その日は朝から快晴だった。
小高い山の上に建てられた盛岡グランドホテルにある「天空のチャペル」と称された全面ガラス張りのチャペルからは、眼下に広がる緑の森、その先には盛岡市内、さらにその上には、どこまでも続くかのような青のグラデーションが広がっていた。
こんな美しい光景が市内にあったなんて知らなかった。
参列者は景色を撮影したり、談笑しあったり、その時を待っている。そのひとつひとつが絵になりそうなくらい輝いていた。荘厳なオルガンの生演奏が始まり、参列者は静かに身なりを正す。
「それでは皆さま、後方にご注目ください」と女性の優しいアナウンスと共に、皆一斉に後方の木製の扉を見た。
観音開きに扉が開くと、牧師さんが穏やかな表情をしながら入場する。続いて、少し強張った表情の新郎が入ってくる。
直接会ったことはないけれど、美緒から何度か写真を見せてもらったことがある。でもどの写真よりも今日はカッコよかった。
オルガンの音が小さくなり一度扉が閉まる。いよいよ新婦の入場だ。オルガンの音が再び大きくなると、扉が開いた。そこには純白のウェディングドレスを纏った美緒が、外からの眩い光が当たっている新郎の方を見つめていた。
着物姿のお母様が美緒の横に立つ。ふたりは向かい合い見つめる。ダメだ。もう泣きそう。
お母様は一歩、美緒に歩み寄る。美緒は少ししゃがむ。お母様は両手で美緒の頭のベールに手をかけると、それをゆっくりと降ろした。周囲から感嘆の声が漏れた。拍手するもの、写真を撮るもの、にこやかに笑うもの。
美緒は再び前を向く。今度はお父様が美緒の隣に並んだ。美緒がお父様の腕に手を回し、一歩足を踏み入れる。バージンロードを一歩、また一歩と歩く。ベールを降ろした美緒は少し俯き加減で、でもしっかりと前を捉えていた。この瞬間、彼女やお父様はいろいろな思い出を回想しているのだろう。美緒おめでとう。
美緒がちょうど私の横まで来た。言葉では言い表せないくらい彼女は綺麗だった。輝いていた。幸せそうだった。私の視点はスローモーションのように正面から横顔へと切り替わっていく。お父様はしっかりと新郎の待つ場所へエスコートしていく。
お父様は新郎へとバトンタッチして最前列へと戻っていく。
オルガンの演奏が終わり、ふたりは正面を見る。陽光がチャペルへと降り注ぐ。空の青さがウェディングドレスの白さをより引き立てていた。
全員で賛美歌を斉唱し、牧師さんは祈りを捧げる。新郎新婦に「誓いますか?」と問いかけし、ふたりは「はい」と穏やかに誓約する。お互い指輪を交換し合う。ふたりはそのまま手を重ね、牧師さんがその上に手を置き祈祷する。ハッピーエンドのドラマを見ているかのような穏やかで幸せな時間が流れる。
ふたりは向き合い、新郎が美緒のベールを上げる。美緒は少し腰落とすと、新婦は美緒の額にキスをする。
拍手が湧き起こり、「おめでとう」と声が上がる。神様が、空が、森が、みんなが、二人を祝福する。なんて美しい光景だろう。美緒、本当におめでとう。
二次会が終わり、学生時代の友人たちと盛岡駅へと向かう帰り道、イタリアン料理のオープンテラスに、お店の制服姿をした十文字さんがいた。
こんなところにいるわけがない、と思いよくみて見るとやはり全くの別人だった。今日は少し飲み過ぎたのかもしれない。
十文字さんはその後、母親と話をしたそうで、いくつかの支援制度を利用してみることにしたようだった。
杉本先生の件が誤解だと分かると、学校での噂話もぴたりと止まり、十文字さんも今まで通り問題なく学校に来ている。
アルバイトも以前ほどシフトに入らなくてもよくなったそうで、勉学と両立し始めていた。
自宅に帰りお風呂に入った。普段、着慣れない服を着ると疲れるものだ。
今日は学生時代の友だちとも会って、自分自身が学生に戻った気分だった。みんな元気そうだったし、美緒の幸せそうな顔も見れたしとても有意義な時間だった。
そういえば、と、ふいに田鎖先生のことを思い出した。初めに田鎖先生と挨拶した時、どこかで見たことのある人だと思ったのだ。それであとで卒アルで確かめようと思ったまま、十文字さんの件や日々の忙しさもあってか忘れてしまっていた。それにあれ以来、田鎖先生と話していない。担当学年も教科も違うのでなかなか接点がないのだけれど。
本棚に並べている卒業アルバムを眺める。その中から一冊取り出してページをめくっていった。
すると一枚の写真に目が止まった。やっぱりそうだ。彼に似ている。メガネをかけていることや髪型は違うけれど、どことなく面影があった。
***
「えー、今年のさんさ踊りパトロールですが、地域住民やPTAの方のご協力もありまして、我が高校の教師参加人数を大幅に減らしていただきました」
学年主任の竹下先生が三学年会議で話をしている。
通称、お祭りパトロール。生徒が非行に走らないように、さんさ踊りを含む地域の夏祭りでのパトロールが毎年恒例なのだ。ただ、大抵の夏祭りは土日開催のため、業務時間外の休日出勤、かつ無給のボランティア活動であるお祭りパトロールは、教師たちの間では不満行事のひとつなのである。
サービス残業であることが毎回問題提起されており徐々に参加数も減ってきていはいるのだが、協力していただける方の手前、教員の手から一切離れるのにはもう少しかかりそうだった。
「減らさなくても良いのにねぇ。業務時間だけが教師ってわけじゃないですからね。私たちがお祭りに行くついでにパトロールしていると思えばいいことなのよ」
森先生が独り言のように反対意見を述べる。彼女のように「プライベートでも教師であれ」を続けている教員もいなくはない。
「うちの高校からは八月一日に三名、三年ぶりに参加となります。三学年の先生から一名と、他二名参加ということになりました。どなたか――」
「春野先生、いかがですか?」森先生が訊いてくる。
「いえ私はちょっと……。先生こそ、立候補されては?」
「私はどちらにせよ、行くつもりよ」
さすが、森先生。
「それでは春野先生、よろしくお願いしますね」
結局、誰も立候補せず、じゃんけんで決めることになり、私は見事、一発で負けてしまったのだった。
「春野先生、パトロール隊になったそうですね」
職員室から出ようとしたところ呼び止められた。田鎖先生だ。
「えぇ、そうなんです」
「僕もなんです。新任だからやってみてと言われて」
「私はじゃんけんで負けました」
「それは残念でしたね。当日はよろしくお願いしますね」
「あっ。あの、田鎖先生」
田鎖先生がデスクの戻ろうとしたので呼び止めた。
「私、五年前に先生と会ってますよね?」
「あ、ようやく気づきましたか」
田鎖先生は目元を細めコクリとうなずいた。
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