第18話 もうすぐ夏が来る
「どうしたの? 突然」
僕は進路相談室でしずく先生と向き合っていた。
「行きたい大学もないし、やりたいこともないから」
担任の須藤先生は「佐々木はこの大学がいいんじゃないかな」といくつか候補を持ってくる。やりたいことがないのに、大学なんて決められるはずがない。でも別に須藤先生が悪いわけじゃない。岩田さんだってなべやんだって、目指す大学をもう決めているし、ノリだって何となく行きたい大学が決まったと言っていた。
もう七月になるのに何一つ決まってない僕が悪いのだ。
それに多額の入学金のことを考えると、大学に行くべきではないのかもしれない。
「そうよねー。わかる」
目の前のしずく先生は、うんうんと頷いている。
「私もさー、高校の時、まさか自分が先生になるなんて思っても見なかったもん」
「先生は何になりたかったんですか?」
「なんにも。その日を生きるのに精一杯だったなあ」
青春というその時にしかできないことが高校生にはある。僕はいまいち青春を感じたことがないのだけど、たぶんノリと遊んだり、徹夜でテスト勉強をしたり、そういうのも青春なんだろう。
「青春ですか」
「今思えばそうなのかも。毎日バイトしながら勉強は大変だったけどね」
先生は「あ」と小さく言った。たぶん話すつもりはなかったのだろう。
「前にも話したけど、私、父親を小さい頃に亡くしていてシングルマザーだったの。だからそんな裕福な家庭じゃなくて。私の通っていた高校は一部アルバイトが許可されていたから、少しでも生活が楽になるようにって三年間アルバイトしてたのよね。高校卒業後もそのまま社会に出ようと思ってた。大学行くお金もなかったし」先生は話を続けた。
「私も一応進学校に通ってたから、担任の先生に『大学はどうするの?』って訊かれたのよね。大学行っても何もやりたいことはなかったけど、このご時世だし、働き口もなかなか見つからないっていうでしょ。しかも岩手ならなおさら。母親も足が悪くて地元から離れるわけにもいかなかったし。だから私も佐々木くんと同じく悩んだの。きみを見てると私みたいだなあって思う時があるのよね。佐々木くん、授業中よく窓の外見てぼーっとしてるでしょ?」
先生はメガネをかけ直す。
「え」
急に注意された気分でなんだかバツが悪い。
「私も高校の時、そうだったのよね。アルバイトのシフト詰め込みすぎちゃって。だから日中の授業なんか頭に全然入ってこなくて。よくぼーっと外眺めてた。将来どうしようかなって、飛んでいくカラスを眺めながらぼんやり考えてた。大学行くお金もないからこのまま高卒で就職するか、でもそれだと将来が不安だからとりあえず大学に行くか。将来が分からないのに将来のこと考えながら決断するのって難しいわよね」
そうなのだ。将来なんて分からない。大学に行くか、行かないか、どの大学に行くか、選択一つでこれからの人生が大きく変わってしまうんじゃないかって思うと、どうして良いか分からない。
「『人生設計を自分以外の人に選んでもらうなら、それは何の能力も必要ない』。これから授業でも出てくるミルって人の言葉よ。意味としては、『自分でじっくり考えて判断し、行動することが大切』って意味かな」
自分でじっくり考えること。僕は先生の言葉を頭で繰り返した。
「まだ焦らなくても大丈夫よ。須藤先生は真面目だから、志望校決めた方がいいっていうけど、全然そんなことないから。まだ七月だからね。佐々木くんが自分自身どうしたいか、ゆっくり決めれば良いじゃない。ね。私もいつだって相談に乗るから」
僕に向き合ってくれるその姿勢が嬉しかった。
「あ、それから奨学金制度は知ってる?」
「えぇ、まあ。お金借りれるやつですよね?」
「そう。社会人になってから返す必要があるんだけど、民間のものより利子が低いからゆっくり返していけば良いし、それにね、教師になったら奨学金免税制度もあるのよ」
「え、返さなくて良いんですか?」
「条件はあるけど、まあそうね」
「進学が全てってわけじゃないけれどね、やり方はいくらでもあるから、今焦って決断しなくても良いのよ。そうね、勉強をしながら、夏終わりまでに決めれば大丈夫」
しずく先生と話していると、不安が和らぐ感じがする。結局、何も決められなかったけれど、もう少しだけ考えてみようと思った。もう少し自分で考えて、自分なりに納得した結論をしずく先生に伝えようと思った。
盛岡駅を出て、家に向かって歩いていると、どこからか太鼓の音が聞こえてきた。それから掛け声も風に乗って聞こえる。学校の体育館か公民館あたりからだろう。
ドンドン、ドンドン
サッコラーチョイワヤッセ!
ドンドン、ドンドン
サッコラーチョイワヤッセ!
太鼓の音が身体に響いてくる。
ドンドン、ドンドン
サッコラーチョイワヤッセ!
もうすぐ夏が来る。盛岡の風物詩、日本最大の太鼓祭りであるさんさ踊りの練習だ。
さんさ踊りの音色を聞くと一気に季節が進んだように思われる。三週間後には夏休み前最後の学力テストがやってくる。
僕はまだ将来の行き先が定まっていない。先生は焦らなくても大丈夫、と言ってくれた。不安を抱えながらもまずは目の前のテストに向けて勉強を始めよう。
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