第14話 ホンダCB1300スーパーフォア

***

 父さんは今日も僕の部屋にやってきた。

「なにか用があるのか」と尋ねると、「特に用はない」という。「勉強しているか見にきただけだ」と。

 怪しい。そんなこと今の今まで一度もなかったのに。やっぱりどう考えても怪しい。

「欲しいものは決まったか?」

 父さんは昨日と同じくベッドに座るとそう訊いてきた。

「いや、別に」

 誕生日プレゼントに欲しいもの。欲しいものなんて特になかった。

 父さんはベッドボードに置いてある紫波さんのCDジャケットを見ている。

「なんだ。ないのか? ゲームソフトとかマンガとかあるだろ」

「んー。今はいらないかなー。受験生だし」

 勉強の息抜きにスマホでゲームをすることはあるけれど、無料のものばかりだし、有料のものも数百円レベルだ。誕生日プレゼントとはちょっと違う。

 マンガの方も読んでいるものは全部最新刊まで持っているので特にいらなかった。

「じゃあ、電子辞書とかは?」

 電子辞書は高校一年の時、入学祝いに両親からプレゼントされ今も重宝している。

「まだ使えるし」

「そうか」

「特に欲しいものってないんだよね」

「昔はよく車とかバイクのおもちゃ欲しがってたのにな」

「そんなの子供の頃じゃん」

「仕事帰りに買ってきてやったんだぞ」

 父さんはベッドから立ち上がり、勉強机の横にある本棚を見た。父さんの肩ほどの高さがある黒い本棚には、五段の棚があり上三段にマンガ本が並んでいて、下二段にCDやDVD、ゲームソフトが収納されていた。

 そしてマンガ本の手前にいくつかミニカーが飾ってある。父さんが買ってくれたものだ。父さんはそのうちのひとつを手に取った。

 ホンダのCB1300スーパーフォア12/1プラモデルだ。僕の生まれた年ぐらいに発売されたバイクで父さんが昔乗っていた。

 パールホワイトのボディに、「キャンディブレイジングレッド」というワインレッドを少し明るく輝かせたような色が翼状に塗られている。

 CB1000の後継モデルとしてフルモデルチェンジしたバイクで、かなり魅力的なスペックが詰まった一台なのだ。

 例えば、エンジンは水冷4ストロークDOHC並列4気筒を搭載していて、峠道でも伸びのある加速感を楽しめたり、リアサスペンションにはホンダの市販車として初めてのダブルプロリンク機構を採用している。これによって乗り心地も抜群なのだ。

 僕は乗ったことも運転したこともないけれど、父さんが僕をガレージに連れて行っては、バイクの部品を指差しながら、あれこれスペックを話してくれた。

 新車だと当時の値段で百万円ぐらいしたそうで、父さんは知人のバイク屋から中古で買ったと言っていた。四、五年前に今のバイクに乗り換えた。

 このプラモデルは僕が小学生の頃に父さんに買ってもらったものだ。着色済みのもので組み立てればよいだけのプラモデルだったが、ほぼ父さんが作った。

「懐かしいな」

 父さんはプラモデルを見ながら呟いた。それは乗っていたバイクに対してなのか、それともそのプラモデルを買って作ったことについてなのか。

 しばらくそうしてプラモデルを見ると静かに本棚に戻した。

「ま。今週までに欲しいもの考えておけよ」

 父さんは少し笑うと部屋の扉に向かっていく。

「欲しいものっていうか……」

「おう。なんかあるのか?」

「物じゃないんだけど」

「なんだ?」

「二人が……父さんと母さんが、仲直りしてくれたらそれでいいよ」

 父さんはドアノブから手を離しこちらを向いた。

「母さんとなにがあったの? まだ喧嘩してるんでしょ」

「何もないさ。お前が心配することじゃない」

 父さんは笑う。でも分かるんだ。分かってしまう。それは心配させないように笑っているということを。

「離婚とか……ないよね」

「離婚? 父さんと母さんがか?」

「……そう」

「まさか! どうしたんだ急に」

 父さんは心底驚いたような顔をした。

「俺、見たんだ」

「何を?」

「離婚届……」

「離婚届?」

「……母さんの欄が書いてあった」

「そんなもの知らないぞ」

「でも……」

「分かった。お前も色々心配だろうからちゃんと話してやるよ」

 父さんは再びベッドに座った。

「うん」

「母さんは父さんがバイクにばかり金を費やしていることに怒っているんだ。俺は全然そんなつもりはないんだがな」

 父さんが言うには、バイク本体や整備費用、ガレージの駐車料、それからツーリングにかかるお金など、とにかく趣味にお金をかけすぎている、と母さんに言われたそうだ。それは今に始まったことではなく、前にも僕のいるところでそういう話になったこともあった。その都度、ちょっとした言い合いになっていて、今回も同様の喧嘩のようだった。

 父さんの言い分としては必要な生活費はきっちり出しているから問題ないという。それよりも母さんの家を散らかす癖の方が問題なのだと。

 母さんは片付けが苦手なのだ。僕が離婚届を見つけたダイニングテーブルの上の書類の山もほぼ母さんの物だし、リビングのテレビ台も、たくさんの小物が無造作に置かれている。これも母さんの物だし、床にも雑誌や洗濯物が散らかっているのが常日頃である。

 一方、父さんは几帳面で、ガレージにはバイクの部品も工具も、すべて綺麗に整理整頓されているのだ。

「あんなんだから、賞味期限切れた食べ物を捨てることになるんだ」

 冷蔵庫の中も結構散らかっていて、一ヶ月前の食材が平気で冷蔵庫の奥から出てくる。

 ないと思って新しく買ったチューブのわさびやマヨネーズなんかも、後で野菜室の奥で見つけたりする。電池や洗剤などもそうだ。ストックが余分にあるのに買い足すのだ。

 父さん曰く、母さんの「生活費が足りない」というのは、何も父さんが生活費を渡していないわけではなく、渡した生活費を無駄に使っているからだという。しっかり物を管理して、食材の賞味期限も切らさないようにすれば生活費が足りないことなんてないと。

「な。どう考えても母さんが悪いだろ?」

「なんとも……。俺は何も言えないよ」

 父さんの話には分かるところもある。だけど全てが正しいとも言えなかった。生活費を渡してるからそれでいい、という考えは少なくとも僕の考えとは合わなかった。

「でも、ま。いつものことだったろ」

「まあ……」

 二人が言い合いをするたびに思うのだけれど、お互いしっかり話し合いをしているのだろうか。お互いの問題点を少しでも解決するようにしているのだろうか。

「だから大地が心配することないんだ。離婚届だって、俺は知らないし、俺が書かなければ成立しないからな」



 その夜。激しい雨の音に目が覚めた。梅雨というより台風のようだった。僕はトイレに行こうと部屋を出た。

 リビングからトイレのある廊下へと歩く。するとトイレの向かいの部屋から明かりが漏れていて、話し声が聞こえてきた。

 母さんと父さんの寝室である。僕はそっと耳を扉に近づけた。

「……から……限界なの」

「お前……離婚……」

「もう……じゃない」

「大地には……」


 僕は扉から耳を離した。よく聞こえなかったけれど、まだ解決していないんだと思った。

 僕はトイレに行き、自室に戻った。

 目が覚めてしまったのか、その後はなかなか寝付けず、雨の音をずっと聞いていた。



***

「春野先生。やっぱ俺、相談したいです」

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