第12話 頭から離れない悩み

***

 電車の中で西高の女子生徒三人組が昨日のドラマの話をしていた。

 僕はそのドラマを観ていないけれど、彼女たちの会話でどんなストーリーなのか何となく分かった。そしてその時、昨日父さんが言った「もうない」という言葉についてある仮説が浮かんでしまったのだ。

「子持ちで不倫とかまじないわー」

 どんなドロドロ展開なドラマを見てるんだと初めは思った。

「でもさー、ゆうくんハマり役だよね」

 ゆうくんというのは最近話題のイケメン俳優の名前だ。

茂庭もにわ先生って、ちょっとゆうくんに似ているとこない?」

「あー、分かる。爽やかだけど裏がありそうな感じね」

「そうそう!」

「りんちゃんはどっちにつくんだろうね」

 りんちゃんはドラマの中の子供の名前らしい。

「まぁー、ふつーにいったらママ側だよね」

「リコンだな。りんちゃん可愛そう。ゆうくんともう会えないね」

「今生の別れだなー」

 リコン。今生の別れ。最後。もしかして父さんは。僕の中でいろいろなものが繋がってしまった。

「来週の予告でリューヤでてたよね? 何役?」

「出てた! 出てた!」

「あれじゃね? まりこさんも不倫してたとか?」

「ダブル不倫じゃんっ!」

「うわっ。どっろどろ!」

――まもなく岩手飯岡いわていいおかー。岩手飯岡ー。

 電車が駅に着いた。女子生徒たちは、ドラマの話を楽しそうにしながら、押しボタン式の電車の扉を開けてホームに降りていく。

 その姿をボウッと見ながら、自分も降りる駅だと気がつき、発車間際に慌てて電車を降りた。

 外は小雨の嫌な雨が降っていた。ビニール傘を差す。雨が傘にあたり静かな音を響かせる。だけれど、なぜか雨は透明な傘を通り抜けて僕に当たっているような感じがした。


「――木くん。――々木くん」

「佐々木くん」

 スッと聞き慣れた名前が耳に入ってきて、後ろを振り向いた。

 そこには赤い傘を差した女性が立っていた。赤い傘を少し後ろに倒すと、傘の影からしずく先生が顔を出した。

「おはよう。また、ぼんやりしてたの?」

「え。あ。俺っすか」

 僕はようやく自分が呼ばれていたことに気がつく。

「しずく先生おはよー」

 女子生徒がしずく先生に挨拶をして横を通り過ぎていく。田んぼの真ん中にある西高の校舎までの一本道。あと五十メートルほどで校門である。

「はーい。おはようー」

 先生は生徒に手を振る。

「毎日雨で嫌になっちゃうわね」

「まぁ、梅雨ですからね」

「しずくって名前なのに、この季節はちっとも好きになれないわ」

 昨日、父さんとも似たような話をしたことを思い出した。そして僕の頭は先ほどの電車の中の会話へと記憶がシフトしていく。

――もう、ないかもしれんぞ

 父さんの言葉が蘇る。

「顔が暗いわね。佐々木くんも梅雨が嫌い?」

 先生が僕の顔を覗き込んでくる。

「まあ、好きではないですね」

 先生の目線から避けるように地面を見つめた。雨が水たまりを揺らしている。

 もし。もし先生に僕の悩みを話したら何かアドバイスしてもらえるだろうか。前に進路以外のことでも悩みがあれば話していいって先生は言っていた。

 親のことを先生に相談するのは良いのだろうか。

「あの――」

「春野先生、おはようございます」

 いつのまにか僕の隣にビニール傘を差した岩田さんが並んでいた。岩田さんは雨でも軽やかに歩いている。

「あら。岩田さん。おはよう」

「先生、今日遅いですね。どうしたんです?」

「寝坊しちゃった」

 先生は僕たちの方を見て笑う。

「二人とも、内緒よ」と先生はまた笑う。

「佐々木くん、さっき何か言おうとしてた?」

「あ。いや、別に。もう大丈夫です」

 完全にタイミングを逃してしまった。でも、やっぱり先生に相談するような内容ではないので、これで良かったのだと思う。

「そう。また何かあったら、いつでも職員室に来てね」

 先生が急に遠くを見ながら睨みだした。メガネをかけ直して、さらに睨みをきかせる。と、突然小さく「あ」と叫んだ。

「渡辺先生!」

 先生が見ている方向を見ると、校舎二階の職員室の窓からこっちを見ている強面の男性教師がいた。数学の渡辺先生だ。しかも腕組みしている。

「あ。いけない。今日、朝会議だったわ」

 しずく先生は渡辺先生に向かってペコペコ頭を下げている。

「それじゃ、今日も一日頑張りましょうね」

 校門に向かって赤い傘は真っ直ぐに走っていった。

「先生、ちょっと抜けてるところあるよね」

 岩田さんが赤い傘を目で追う。

「なんていうか。やっぱ俺らに近いよね」

 渡辺先生は隙のない先生だ。真面目で知識も豊富で、僕ら生徒とも一定の距離感を置いている。それは担任の須藤先生もそうだ。それに比べしずく先生はやっぱり話しやすい。

 僕は一人っ子だから兄弟がいる感覚は分からないけれど、もし兄さんや姉さんがいるとして、僕が悩み事を抱えているとするなら、やっぱり親の年齢の人に相談するより、兄さんや姉さんに相談するだろう。しずく先生に相談したら、ノリとはまた違う反応をしてくれるだろうか。

 でも、先生に相談するのってどうなんだろう。恥ずかしいというか、馬鹿らしいというか。そもそもこういうことって悩むことなのだろうか。親同士の問題なのだから、僕があれこれ悩んでも仕方ないし、まして相談された人はなおさら関係ないことだ。

 これは僕の悩みなのだろうか。親の問題で僕は関係ないのではないか。

 頭に「離婚届」がよぎる。

 二人が離婚したら、僕はどうなるのだろう。どちらかを選ぶことになるのか?

 裁判みたいなことをして、もう片方の親にはもう会えなくなるのか? 養育費みたいなものを払うのか? 家は? 学校は? お金は? 友だちは?

 ちょっと考えるだけで、いろんな疑問が湧いてくる。分からないことだらけだ。

 親同士の話で僕が口を挟む必要もないし、離婚したからといって何か変わる分けでもないかもしれない。

 こういう悩みって誰に相談するのだろう。友だちなら悩みを訊いてくれるけど、解決できるかというとそうではないだろう。

 卒業した先輩を思い浮かべてみたが、気軽に話せる先輩はいない。

 やっぱり先生に相談するべきなのだろうか。

 学校で若い先生が他にいないか思い出してみたが、他に思い当たる先生がいなかった。厳密には今年入ってきた男性教師が恐らく一番若い先生なのだけれど、彼は一年生担当で直接話したこともないし名前も覚えていない。


 母さんは父さんとの喧嘩は解決したと言った。父さんには直接訊いてないけれど、数日前、母さんとテレビを観ながら普通に話をしていた。だからてっきりもう大丈夫なんだろうと思っていた。

 でも父さんが昨日言った「もうないかもしれない」という言葉が気になっていた。父さんは僕が大学に行くから父さんからのプレゼントは最後、という意味で言ったようだったが、そもそも今まで誕生日のプレゼントに何が欲しいかだなんて尋ねてこなかったのに、急に訊いてきたことに違和感があった。

 僕が大学生になることで、親元を巣立っていくように僕側から離れていく以外に、父さん側が僕から離れていく最後もあるだろう。それが例えば離婚という形で。

 分からない。分からないけれど、このまえ見た離婚届が頭から離れないのだ。状況的に可能性が十分に考えられる気がした。

 直接訊いてみよう。やっぱりそれしかない。

 このところ勉強に全く集中できてない。普段集中しているかというとそういうわけでもないのだけれど、勉強机を前にしても気が散ってしまうのだ。

 家の問題を言い訳に勉強をしていない気もする。都合よくそう捉えている気もする。だけど事実、気になって仕方がない。頭の切り替えがうまくできない。

 志望校もいい加減決めないと……。僕は何がしたいんだろう。

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