第11話 もう、ないかもしれんぞ

***

 僕とノリは二人並んで傘をさし、歩きながら駅に向かっていた。傘さし運転が禁止じゃなければ、普通に自転車で帰っていただろう。

「しずくちゃんと何話してたの?」

 ノリは当然のことながらニヤニヤ笑みを浮かべながら訊いてくる。

「何って、別に。なんか悩んでるなら相談しなさいって」

「なんで大地にだけ言うんだよ」

「いや。ノリにもよろしくって言ってたよ。明大受けるんだろ」

 僕はわざとらしくノリの肩をぽんと叩いた。

「受けねーよ。眼中にないわ」

「お前、それビミョーに使い方違くない?」

「いいんだよ! 気にもかけないってことだろ」

「まあ、そうなんだけど」

 自信満々に言うようなことではないと感じた。

「それにしても、どうしてしずくちゃんはわざわざ大地を呼び出してまでそんなこと言ったんだろうな」

「ん。あー。たぶん俺が授業中、ぼーっとしてるからかな」

「俺なんか一番前の席で寝てるけど何も言われないぜ?」

「一番後ろの席って、教壇から見えやすいんだよな」

「で。なんか悩みあんの? 恋の悩みとか?」

「んー。そう言うんじゃないんだけど……」

「え、まさか真面目に進路のこととか?」

「んー。まあそれはぼんやり悩んでるけど……」

「なんだよ。歯切れわりーな」

「んー。家のことなんだけどさ」

「おう。どうした」

「もしかしたら母さんと父さん、離婚するかもしれない」

「え。おばさんが?」

 中学生の時から一緒だったノリは何度も僕の家に遊びに来ているし、当然、母さんにも会ったことがある。

 僕は年明けから両親の仲が良くないことや昨日見た離婚届のことをノリに話した。

「一応、仲直りしたっぽいことは言ってたんだけど。やっぱ気になるじゃん?」

「気になるどころじゃないわな。そんなん見たら俺なんか勉強手につかねーわ」

「ノリは普段から勉強手につかないって言ってるじゃんか」

「そーだけど。ほら、なんて言うかその……」

 お調子者のノリが戸惑ってしまった。こういう時こそノリに笑わせてもらって安心したかったのに。そんな考えは自分勝手だろうけれども。それでも今まで自分の中に溜め込んでいたものだから、ノリに話しただけでも少しスッキリした。

 しばらく沈黙が続く。別に嫌な沈黙ではなかったが、嫌な話題を振ってしまったのは僕の方だから、何か他の話をしようと頭を巡らせた。

「あ!」

 ノリが叫ぶとまたニヤニヤとした。

「なんだよ」

「もし俺の両親が離婚して、俺が母ちゃんに引き取られたらさ旧姓に戻るんだよな」

「そうだな」

「母ちゃんの旧姓は則包のりかねっていうんだ」

「珍しい苗字だな」

「香川県に多いらしい。つーかそこじゃなくて」

「なんだよ」

「俺、旧姓になったら則包規秀のりかねのりひでなんだよ」

「お、おう。ノリノリじゃん」

「おう、イェーイ!」

 ノリはうまいこと言えたと言わんばかりに両手の親指を突き立てながら笑っている。

 気を遣ってくれたのだと思うが、僕はなんだか複雑だった。だって僕の名字が変わるということはそれは両親が離婚したことが前提なのだから。だから僕はそれ以上、考えないようにした。



***

「おう。勉強してるのか?」

 父さんが部屋の入り口に立っていた。高身長で堅いのよい父さんが立つと扉のようだ。

 音楽を聴きながら英語の課題をしていたので、父さんが呼びかけていることに気がつがず、ワンテンポ遅れて反応した。

「何? どうしたの?」

 手を止め、片耳だけイヤホンを外した。もう片方の耳からは紫波さんの歌声が聞こえてくる。

「特に用ってわけじゃないんだけどな。いいか今?」

 父さんはベッドを指差し、僕が返事をする前にそこへ座った。

「え。うん別に……」

 椅子を少しだけ回転させてベッドの方を向く。

「週末も雨らしいなー」

 父さんは身体を仰け反らせ、天井を見るようにして言った。

「まあ、梅雨だからね」

 今週は月曜からずっと雨が降っていた。結構まとまった量で降っているらしく、北上川に茶色く濁った水が流れていて水位もそれなりに上がっているのを登下校の時に見た。

 六月は雨が続くし、ジメジメしているしあまり好きな季節ではない。三十日は僕の誕生日だけれど、どうせならもう一日遅くて七月一日に生まれたかった。

「こうも雨が続くとツーリングも行きにくいんだよな」

 父さんは休日によくバイク仲間とツーリングをしている。ただ梅雨時期と真夏は家にいることが多い。

「でも父さんは六月が好きだぞ。大地の誕生日があるからな」

「なんだよいきなり」

「大地、なにか欲しいものあるのか?」

 そんなこと尋ねられるのは小学生以来だった。中学になってからは「これで好きなもの買え」と現金を直接渡されていたのだ。

「まじでどうしたの? え、逆に要望は何?」

「要望?」

「俺に代わりにしてほしいことあるんでしょ。例えば、母さんになんか言って欲しいとか」

「いや、違う。純粋に誕生日プレゼントを用意したいだけだ」

「え、なに。気持ち悪い」

 最後に父さんからもらった誕生プレゼントはなんだったろう。スポーツカーのラジコンカーだったか、それともゲームソフトだったか。電子辞書は中学の入学祝いだったか。

「いいから、欲しいもの言ってみろ」

「いや、いーよ別に」

「……もう、ないかもしれんぞ」

「もうない?」

「あ、いや」

 父さんはバツが悪そうに目を逸らした。なんだ、もうないとは?

「来年は大学生だろ。だから、お前の誕生プレゼントは今回までにするということだよ」

「ふーん」

 なんだろう。何か引っかかるものがある。まるで今生の別れでもするかのような重い空気が一瞬だけど漂った気がしたからだ。

 でも僕も父さんも病気なんてしてなくピンピンしている。

「で、何が欲しいんだ」

「いや。急に言われても」

「そうか。じゃあ、考えておけ」

 父さんはそれだけ言うと部屋から出て行った。


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