第17話  曼珠沙華、輪廻


 銀鏡では畦道の至る所で彼岸花が咲くようになると蜜を狙いに定めた瑠璃筋揚羽が果敢に花びらの周りに飛ぶようになった。


 色無き風が遠くの蒼穹を感じさせるほどの穏やかな昼下がりだった。


 彼岸花は重たげに花房を揺らし、地上を血潮のように染めている。


 


 禁忌に触れたシルクロードで運ばれた秘伝の絨毯のように彼岸花は音無しの里に広がっている。


 父を知らない子狐がどことなく木陰からひょっこり顔を出して不安げにこちらを見つめ回す。


 彼岸花の根っ子は毒薬になると昔の人は知っていた。


 月夜の宴に招かれたお殿様のお猪口に彼岸花の磨り潰した根っ子を混入させるお付きの侍女の不吉な微笑を思わせる。


 あの人もついにはかつてのその人と何の確執があり、何のせめぎ合いがあり、何のすれ違いがあったのか、一切口にはしなかった。


 


 あの人が僕を生んだのはまだ少女の頃だ。


 その筋書きにどんな詳細な事情を書かなかったとしても深い秘密が隠されているのは言うまでもない。


 うちが普通じゃないのは銀鏡に引っ越してくる前からわかっていたじゃないか。


 いつもあの人は夜の街へ仕事に出かけていたし、咽喉が乾いて深夜に水を飲みに台所へ行ったらリビングのほうで切り裂くくらいの嬌声が聞こえていたのも一度じゃなかった。


 それを小学生だった僕は腹いせもなく視線を遮断するのも意に介さなかった。


 


 彼岸花は独り言を呟くように流れゆく空の羊雲と風に身を任せた。


 瑠璃筋揚羽も蜜を吸い終えると川下へと降りて行った。


 ひょっとすると伯父さんが僕の本当の父さんなのかもしれない。


 


 妙な確信は胸中に瞬く間に駆け巡り、這うような焦燥感に襲われたものの、それがあまりにも突拍子もないこの時期特有の少年らしい妄想であるという願望にすぐさま気づいたのは彼岸花から目線を落としてからだった。

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