初テイム
昼食を終えた杏子とほむらは自室に戻る。
VRギアを被ると電子世界へと転移。
再び杏子の前に先ほど決めて置いた自分の容姿が表示される。
自然セーブ機能がついてようだ。
このまま冒険に出れる期待を胸に。
杏子はワープゾーンに杏子が足を踏み入れた。
すると眠るように視界が暗転する。
最後に耳に残ったのは、「いざ、冒険の舞台へ」という雄々しい声であった。
* * *
水が緩やかに流れる音。賑やかな人の声がいくつも耳に届く。
成功したのだろうか。
不安に感じつつも杏子はうすらうすらと目を開ける。
そして視界に飛び込んだ光景に自然と感嘆の声を漏らしていた。
海外で見るような水路が張り巡らされた美しい街並み。
なにやら武器を持った人たちが会話をしている。
濡れるような感覚を覚えて振り向けば噴水が太陽の光を反射して煌めていた。
周囲には物理現象を無視して浮かぶ小さな光球。空に浮かぶ島は蜃気楼だろうか。
杏子は事前に聞かされていた操作を頼りにメニューを開く。
半透明のボードが宙へ表示される。
そこに書かれている情報によると現在地は魔法国家エルミナらしい。
オーソドックスな魔法の発展。
それらを生かした魔道器具が盛んな国とも表示された。
(そうだ、集合場所の東南にある教会)
杏子はまだほむらと悠斗とフレンド登録をしていない。
そのため現実の方で集合場所を聞いていた。
もちろん行き方も聞いていたので杏子はすぐに辿りつく。
二人の方はといえば既に到着していたようだ。
最初から胸を躍らせていたせいか息切れしてしまった杏子を苦笑して迎えた。
「ごめん……、遅くなっちゃった」
「へぇー、これまた一定層の癖を付いた」
意外な声を出したのは肩や足など最低限動きを阻害しない程度に身を包んでいる剣士風の男。
兄の悠斗だ。
「お兄ちゃんは見た目変わらないね。なんで?」
「なんでと言われても……。リアル友人ならともかく、ゲーム内の相手からしてみれば元々はどうかなんてわからないだろ」
まんまと騙された。
抗議の意味も込めて杏子はほむらへと目を向ける。
そして理解できない現実に口をぽかんと開く。
「遅いよおねぇ! もう少しでわたしの深層深くに封印されし感情が、リミットバーストしてこの自治区に群がる下々の存在を消滅――」
「えっ、ほむら……だよね?」
杏子がほむらと呼んだ少女は大袈裟に杖を掲げた。
そしてすぐ自称、疼いてしまう左目を隠した。
「否、わたしはすべてを灰塵へと還す紅蓮の魔女、ファイである!」
「ちょっと待って、何を言ってるの!? さっぱりわからないよ」
杏子の困惑も無理もないだろう。
さっきまでリアルで一緒にいた妹。
それがあまりにもかけ離れすぎていたからだ。
瞳と髪を深紅に。
帽子といい服は完全に魔女っ娘のコスプレ。
止めに意味不明な単語の羅列。
今の説明で杏子が理解できたのは、ほむらのキャラ名がファイであることのみ。
しかし周囲の人たちはこれを当たり前と受け取っているのか特に何の反応もなし。
これが普通なのだろうか。これが当然なのだろうか。杏子の混乱が加速する。
「これはロールプレイといって、ゲームにのめり込むためにキャラを作って演じるんだ。説明書にも書いてあるだろ」
杏子の頭に手を乗せた悠斗が宥めるように言う。
「ふっふっふっ、流石はわたしのおにぃ、智将だね」
「全く誉められた気分じゃない。そうそう、こっちでの俺の名は同じくハルトな」
「分かった。お兄ちゃん」
「きょう……じゃなかった、何て名前にしたんだ?」
疑問のマークを浮かべる杏子。
しかしすぐ真意を理解するとステータスを開く。
そこに表示されていた光景にファイとハルトは揃って口を引くつかせた。
『未設定』
名前の欄には確かにその三文字が浮かんでいたからだ。
まさかの名無しである。
幸いにも今から決めることはできるので大丈夫そうだ。
すると今度は名前を何にしようか悩みだす。
ゲーム内とはいえこれから自分の名前になる。
できれば良い名前を付けたいのだ。
だがファイは待てなかったようだ。組んだ腕を指で突く。
「そのようなものは後からでもいいだろう。二人はわたしのこの抑えきれぬパアトスを、いつまでチャージさせる」
「パアトス? うーん、私は今からでも全然いいよ」
「多分情念とかその辺の意味だな」
ハルトたちはとりあえず杏子を名無しと呼ぶことにしてから、エルミナ東に位置する草原へと目的地を定めた。
その道中にて杏子は二人とフレンド登録を交わす。
ゲーム内で痴漢に合わないよう、決められた人にしか自分を触れないようにするセーフティタッチ機能。
ゲームのアビリティに関することなどを教えてもらうのだった。
* * *
早速杏子はセーフティタッチ機能を使用する。
設定はもちろんフレンド登録した相手にしか触れない状態だ。
ちなみにこの機能、発言にも規制がかかる仕組みだ。
さらにパーティーの機能を使用。
杏子、ファイ、ハルトの三人でパーティーを設定する。
機能としてファイ達が魔物を倒した場合でも杏子に経験値が入る。
間違えて味方の攻撃が当たってもダメージがゼロになる等だ。
電子世界の空は雲一つなく青く澄み渡る。
日を反射する美しい緑の草原は、風に心地よく揺られていた。
杏子と同じ初心者なのか魔物と激戦を繰り広げる姿も何人か見かける。
「おねぇは魔物をしもべとする呪法を選んだんでしょ。この先困難が降りかかるね」
「調教の事? そうだよ」
「おねぇの進む道は、光指す天へと昇る階段か、それとも地底見えぬ宵闇よいやみか」
まったくもって意味が分からない。
するとハルトが横から衝撃的な解説を飛ばす。
「調教で魔物を使役するのに必要なえさがあるんだ。これが一つ最低ランクの奴でも300フォンは取られる」
フォンとはこのゲーム特有の通貨の単位だ。
杏子の所持金画面には500と表示されている。
「一つしか買えない!?」
ハルトは肯定的に頷いた。続けて調教のデメリットについても説明する。
曰はく、調教は10LVづつ増えるごとに新しい仲間枠が増える仕様。
下手に弱い魔物を使役すると連敗続きでとにかく苦労する。
最初の内は調教のLVも上がらないと欠点だらけ。
だからゴミアビリティと呼ばれている。
どの道今は無理な事を覚り「そんなぁ」と杏子は肩を落とす。
ハルトは「今日はレベル上げだけするか」と慰めるように杏子に笑いかける。
ファイはというと「フフフ、ハハハ、フアハハハハァ!」と三段笑いをかます。
そして「受け取るが良い」と手のひらに白団子を五つ手のひらに出現させた。
「もしかしてそれ!」
「ふっふっふっ、言っただろう。受け取るがよいと」
「えっとありがとう!」
左目を覆いつつファイが何か操作。
すると杏子に受け取るかどうかのウィンドウが開かれた。
杏子は迷わずYESを選択。
受け取った魔物のえさを眺めていると、茂みから影が飛び出した。
瞬時に武器を構えるファイとハルト。
杏子も二人に倣って適当に構える。
光に当てられたのはアリだった。
名前と姿こそリアルに要るのと変わらない。
しかしその全長50センチほどもあった。
本来は元アリと同じように社交性があるため群れているのが基本だ。
が、運がいいのか悪いのか一匹だけの登場だ。
「さぁ愚かな虫よ。わたしの炎で消滅するが良い」
所詮、序盤の魔物。
ファイが杖を掲げると炎の玉がいくつも現れた。
スキル『火球』の演出だ。
アビリティには『火球』のように、スキルと呼ばれる物が複数内包されている場合がある。
これらを使い続けるとLVが上がり、スキルの数も自然と増え、それに通じて威力も上がるようになる。
本来『火球』は最初の『火魔法』最初のスキルだ。
だがファイの火球は、初心者が使う物とは一線を画している。
近くにいるだけでも伝わる強烈な熱気。
その大きさもそこらの初心者が使っている『火球』とは雲泥の差があった。
周囲の初心者プレイヤーの視線を浴びて気持ちが良いのか、ファイの声がさらに高らかになる。
そしていざ火球を放たれようとする直前――
「待って! 私あの子テイムする!」
杏子が無防備にその身を差し出した。
さっき貰った魔物のえさを手に、「怖くないよ」と声をかけながらアリへゆっくり近寄っていく。
「なっ、おねぇ!? そ、そんな下級の存在を」
有頂天なファイの声音は一瞬にして地獄へと叩きつけられた。
ファイとハルトが困惑する最中、杏子は止まらない。
(あの警戒してぴくぴく動く触角、クリッとした目に、自分よりも大きな相手でも立ち向かおうとする勇ましい姿! か、可愛い、可愛すぎるよあの子! 絶対仲良くなりたい! 友達になりたい! 黒く艶つやのあるあの頭をなでなでしたい!!)
実は杏子、平日では勉強の合間に動画サイトで虫の生態動画を視聴。
夏休みはわざわざ一人で田舎の森に行くほど大の虫好きである。
ある時そのことが兄にばれてしまい、その時虫を仲間にできるこのゲームの存在を耳にした。
当初はそんな虫のいい話があるのかと疑っていた。
虫が自分と一緒に生活してくれる存在になるはずがないと。
彼らは人間の方から一方的に愛でる事しかできないのだと。
しかしどうだ。
実際に目の前のアリは、杏子を攻撃しない。
むしろ持っているえさに興味津々ではないか。
彼女の瞳にハートが浮かぶ。
アリの方からも杏子に近づいていく。
警戒しているのだろう。
差し出されたえさを触角で触れる。
(本当に再現されているぅ! アリって、触角に嗅覚の変わりを果たすセンサーが付いているんだよね。でもやっぱり、かっっっわぁぁぁいい!!!)
アリは恐る恐るといった様子で一口齧りついた。
それがトリガーになったのだろう。
巣に持って帰る事もせず口を動かす。
その光景に再び杏子は心の中で悶絶する。
「へぇー、アリでもテイムするときは気にせず食べるのか」
冷静に顎に手を当てたハルトが感想を述べる。
「な、なんでおにぃは平静を保って」
「いや、俺も子どものころはアリを手の上で走らせていたから懐かしいなと」
「そ、そのような記憶などない。あ、あのような虫が、わ、わたしの強大な手に乗っかる資格すら、な、ないのだから!」
完全に声が裏返っているファイ。
当然自分の世界に入り込んでいる杏子には見えていない。
今はアリが必死に齧りつく姿を見るのに忙しいのだ。
手のひらのえさがなくなる。
するとアリは手のひらに触角を当てねだるように杏子を見上げた。
(キャァァ! 可愛い可愛い可愛い可愛い!!! そんな寂しそうにぴょこぴょこ触角を動かしながら上目遣いするなんて反則だよ! これって私の事を仲間だって認識してるから、その挨拶で動かしてるのかな!)
傍から見ればただえさを催促しているだけにしか見えない光景。
しかし杏子にはフィルターに通して映し出された。
そのあまりの行動に我を忘れ杏子は先ほどもらったえさをすべてアリに差し出した。
後ろで誰かが息を飲む声が聞こえるがきっと気のせいだろう。
突如、光の粒子がアリの周囲に現れた。粒子は回転する。
次第に輪となった光は体に吸い込まれ消えていった。
「えっ、何々!?」
「それはテイムに成功した時の光だ。良かったな、これでそのアリは名無しの仲間だ」
慌ただしく周囲を見る杏子。その肩にハルトは手を置いた。
「本当! これからよろしくね。えっと、アリだからアントからとって、アンちゃん!」
期待は真実を帯びる。
緊張の袋が切れると途端に喜びの波が押し寄せた。
杏子はもう我慢できないといった様子でアンを抱きしめる。
アンの方も器用に足を動かし杏子の顔に覆いかぶさった。
その光景は当人たちからすればじゃれ当っているだけなのだが、他から見れば少女が魔物に襲われている図にしか見えなかった。
「そ、そんな。おねぇは自ら、過酷な試練を選ぶの」
「そう言うなって。しかし自分の名前より先に、テイムした仲間の名前が決まるのは初めて見たかもしれないな」
杏子はアンに頬を摺り寄せる。そして思い出したかのように起き上がった。
「決めた! 私の名前もインセクトからとって、インにしよう!」
杏子は本気だった。
慣れた手つきでキーボード入力を行い名前欄にインの名前を入れる。
「お、おねぇ……」
「流石にそこまでだとは……」
ファイに続き、ハルトも若干引き気味に頬を引きつらせる。
「イン、俺もその行為はどうかと思うぞ?」
「お兄ちゃんも?」
「アリに頬ずりをかます女子中学生がいるか?」
「ここにいるよ」
いるかいないではなく事実目の前にいる。
何でもない様に返事を返したインは、少し思案してから衝撃的な発言をかます。
「決めた! 私、これからは虫ちゃんをテイムし続けてゲームやる!」
「いやおねぇ。虫の世界でも強ければ生き、弱ければ死ぬんだよ!」
「まぁ本人がいいなら、プレイの仕方は自由だからな」
はしゃぐイン。
ハルトは自らの頭に手を置いて無理と諦めたようだ。
そのすぐ隣からは要約して何とかしてほしいとファイはハルトの肩を揺らす。
インは頬を摺り寄せアンと思う存分に遊ぶ。
そしてハッと我に返ったハルトに教えられがままアンのステータスを開いた。
「おにぃ、もう少し左に」
「ファイ、こういうのは身内でもやっちゃいけないのわかってるだろ」
「ブーメランを知ってるか、おにぃ」
魔物とはいえ、テイムされた時点で人のステータスと変わらない。
モラル的にも常識的にもダメである。
しかし二人にはテイム経験の無かった。
魔物はどのようなステータスをしているのか。
どのようなアビリティを持っていてゴミと扱われるのか。
誘惑に負けた様子でインの後ろから一緒になって覗き、
種族 アリ
名前:アン LV1
HP3/3 MP0/0 消費最大MP25
筋力10
防御7
速度5
魔力0
運3
アビリティ 『筋力増加LV1』『蟻酸ぎさんLV1』『頑丈顎』『防御増加LV1』
「「弱っ!」」
耐えきれないといった様子で思わず叫んだ。
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