第四
休みの日、目の前の島に渡っていた。
サイクリング用に島の沿岸部は一部を除いて舗装されているらしく、自前のマウンテンバイクで駆けていた。
地図アプリで上空から見ると、魚の形をした島で、それなりの大きさはあった。まだ春先だからか、少し寒いくらいの向かい風に吹かれつつ、サイクリングを楽しんでいた。
「ここか」
背に少しの崖を背負った公衆浴場が、海を見渡せるようにして、ポツンとあった。
コンクリートブロックで全て覆われたような、他のところは知らないけど、中学校の水泳部の部室みたいな感じだった。
規模としては都会にもまだある昔ながらの銭湯くらいで、斜面に作ったからか、ここは浴場から海が望めるようになっていた。
流石にその影響か、サッシなどは錆に侵食されていて、こう言ってはなんだけど、村の人みたいで、ボロいし寂しそうなのに、強がっているような、そんな印象を受けた。
風情とか情緒とか趣きとかはまったく感じることは出来なかった。
そういう簡単には得難い空気みたいなものを感じさせないと、そのままじゃ客は来ないと思う。
けど、僕は割と好きな部類の趣きだった。
いつも行くところは山の中にあるのに、とても綺麗な温泉施設で、規模も大きく、山向こうからも人が来たりするし、サービスも充実していた。
だけど、ここにそれは似合わないと思うな。
「まずは入ろうか…」
ここが、前田さんに頼まれた冷泉だった。
◆
割と好きな温泉の泉質だった。
ただ、風情にしろここの良さを感じる前に汚いと感じてしまうし、何というか寂しい気持ちになってしまう。
所々モルタルがひび割れ、蜘蛛の巣も張り、日中でこの開放的なロケーションなのに印象がどこか薄暗いのだ。
「日の光も充分に入ってるのになぁ…」
もしかしてこれは、自分を重ねてやしないだろうか、そんなことを考えてしまう。
温泉を出たあと、近くのベンチで外観や内観の写真を確認しながらそう思って溜息を吐いていた。
「こういうとこ割と好きだけどな…」
「何が好きなん?」
「うわっ! なんだ、桜子ちゃんか…」
「あはは、有馬さん、驚きすぎぃ。昨日からここに来てたんよぉ」
彼女の名前は吉武桜子。山手の吉武さん家の長女だった。この島に親戚がいるらしく、泊まりで来ていたみたいだ。
「有馬さんはナナねーちゃんに頼まれたやつ?」
「耳早いね…そうなんだ。来たことなかったしね」
「もーそんなの適当で良いのに。いくらアピールしても、綺麗にしないと仕方なくない? それよりね、GWさ、どこか連れてってよ」
「前田さんなら連れてってくれるよ」
「ええ…それはちょっと無いかな…」
「そんな嫌な顔するんだ…」
「だってぇ。ナナねー絶対ヤな顔するし」
振り返ると温泉の外観を撮っている女性がいて、終わったのか、ゆっくりとこちらに歩いてきた。
「桜子、そちらは?」
「ああ、有馬さんだよ、ナナねーちゃん」
「初めまして有馬です。ホームページの件で一度来ようと思って」
「ああ、あなたが……吉武、ななこと申します。今回は引き受けて下さりありがとうございます。えっと、…有馬さん」
桜子ちゃんも美人顔だけど、この人もまた綺麗な人だ。少しやつれているようにも見えて、前田さんやご近所の爺さん婆さんの言うようなイメージと随分と違ってお淑やかな感じだった。
「ふふ。何にも無いとこでしょう? 都会から来てびっくりしたのではないかしら」
少し自虐的な物言いに聞こえてしまうけど、別にそんなわけでも無いんだろう。ここの人達は自信が無いように言うことが多く、そう聞こえてくるのは僕の心根の問題だと思う。
けど僕にとってのここには様々な体験があった。得難い経験があった。確かに不便に感じるところもあるけど、それすら僕は楽しく感じていた。
「そうですね…でも何も無いことは無いかな。決して作れない空気というか。それに空港から40分くらいだし、都会からの移住者も増えてますよね」
「そうなのよ。リモートも発達したし、海、山、島、もっと人を呼び込めるとは思うのだけど」
「無理に呼び込まなくてもとは思いますが…」
「…そうね。ここの人達ってここだけで完結してるし…それは否定しないのだけど、ほら日本って災害多いじゃない?」
「…? それが?」
「私も都会に長くいたのだけど、おそらく地震でも起きたら全滅なのよね、都会って。だから全国に広くまばらに住む必要があってね。その為にはインフラや公共工事で整備して全滅を防ぐ必要がある。それを都会の人はわかってなくてね。ここの人達もだけど」
なんだ、観光客だけを呼び込みたいわけじゃないのか。確かにあんなところで地震でも起きればひとたまりも無いだろうけど、そんなこと考えたことなんてない。
「ふふ。大介が何を言ってたかは聞かないけれど、産業として観光一本なんて悪手だと思っているわ。魅力を伝える手段としては良いとは思うのだけど、他所に頼るのではなくてね、例えば──」
それからななこさんは止まらなかった。行政の役割や、そもそも観光地ではないところを観光地化してどうするとか、それに頼らざるを得ないのは何故なのかとか、いろいろな考察や愚痴が飛び出していた。
おそらくそれは自分の町、村だと認識してるからだと思って聞いていた。
都会にしろ、地元にしろ、そんな意識を傾けたことはなかったから新鮮だったし面白い。
ここは公と民が近くてわかりやすいんだ。全員繋がってるのもあって、ナナコさんの話がよくわかる。
「ナナねー、そろそろ有馬さん困ってるよ」
「え? あ、ご、ごめんなさい……昨日今日とここの島民に説得して回ってたのよ。観光に頼らないとはいえ、流石にこれは汚いと思うし。町長のケツ「ナナねー」と、とりあえず補修工事は約束させてきたから温泉の質とかロケーションからまずはPR部分を探してください。では」
「は、はぁ…」
「有馬さん、じゃあね! GW約束だよ!」
「あ、うん…」
なんだかすごい人だったな…
それがななこさんとの初めての会話だった。
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