中西真一

中西のひとりごと1

 店をオープンして三年が経っていた。


 念願のオーナー。一国一城の主。順調に顧客を増やし、それなりの人気店になった。


 あまり競合相手のいない場所、つまりニーズはあまりないかもしれない場所ではあるが、そんなに不安じゃなかった。


 なんて、今思えばこそ。だが。


 世話になった前の店の近くに、店を出せないのは美容師業界では暗黙のルールだ。


 そりゃあ気に入ってくれて指名して通ってくれる客は手放したくはなかったし、独立後の不安もわかる。


 だが、世話になったオーナーの客を取るわけにはいかないし、中には構わず近くに店を出すやつはいるが、頭おかしいんじゃないかなと思う。


 良い距離感。それが俺の…いや三年前からの俺のモットーだった。



「幸せにしてね」


「ああ、明日が楽しみだな」


「ふふ、そうね」



 そんな俺はついに人生における伴侶を得た。まだ入籍していないが、明日が結婚式だ。


 いろいろと遊んできたが、恋はこうも自分を変えるのかと笑えてしまった。


 たまたま大雨の日に駆け込んできた客で、暇だし閉めるかと思っていたところに現れた。


 最初は落ち込んだ姿から男にでも振られたのかと思っていたが、どうやら仕事でのミスがショックで気分を変えたくなったのだと言う。


 仕事に懸命なやつは好感がもてる。私生活ではだらしない俺だが、それだけは譲れない。


 それから彼女は何度か通ってくれるようになった。


 男の話はしない。女の話はしない。あくまで技術で来てくれていた。


 美容師ってのは実はそれが一番嬉しいもんだ。


 専門から始まって資格とって。下っ端から先輩の補助としてついて。夜遅くまでレッスンして。


 初めての客は確か近所に住むばあちゃんだった。今思えばあんな拙いカットに文句もつけずにありがとうと言って飴をくれた。


 震えながらハサミを入れられるのは恐怖だっただろうに、微笑んでくれた。


 それは今でも覚えてる。


 でもそんな客ばかりではなかった。愚痴ばっかりな客。理不尽な文句を言う客。わたしに似合う髪型は良いが、前向きになれるとか彼が喜びそうなとか無茶を言う客。辞めた先輩を褒める客。


 華やかに見えて、ストレスがかなり溜まる仕事でもあった。


 お客様は神様です。


 俺が一番嫌いな言葉だ。


 お金払ってるからいいでしょう、だなんてな。まるでお金イコール神様だと言ってるようなもんだ。


 過去、そんな風に扱われた客を落としたことは何回かあった。遊びだからと関係を持ってきた。まあ、だいたいは愚痴を聞いて飲みに誘って、後は酔わせて。金払ってるからいいよな、みたいな。


 まるで簡単だった。


 その根本は、おそらく最初に好きになった女に遊ばれてたからだと思うが、上京してからはすっかり忘れて覚えていない。


 それくらい昔のことだし、昨日までの、いやこいつに出会ってからの過去の自分は全て消去した。


 吉武ななこ。


 こいつは馬鹿みたいに真面目で、遊びにも興味がほとんどない。仕事に賭けるその姿にリスペクトを感じて惹かれていった。それからはななこをお手本に自分を見直して、今まで苦手だった客にも辛抱強く耐えてきた。


 それからは人気店だ。



「ほら、最後に整えてくれるんでしょう?」


「ああ、明日みんなに自慢出来るように可愛いくな」


「もぉ、それじゃいつもしてないみたいじゃない」


「はは。嘘嘘、可愛い可愛い」


「あんまり言うと、嘘くさいわ」


「ほんとだって。ほらじっとして」



 シャキシャキとハサミを動かす度に、過去の自分がハラハラと溢れる。


 シャクシャクと髪を洗いながら、過去の自分も洗い流していく。


 そうして、俺は過去を清算した──つもりだった。



「そういえば明日の映像って、もう送ったんだよな」


「ええ、友達が編集してくれたのよ。もう送ったって」


「そっか、無償でなんて悪かったなぁ」


「そうよね。でも本人がお祝いだからって。明日紹介するね」



 人との関係を見直した結果、そんな風に有り難いことを言ってくれる人も増えた。


 過去、地元で裏切られて、それから人の善意を素直に受け取れなくなっていた俺が、いつしか自然と出来るようになっていた。


 それもこれもななこに感謝だな。



「ああ、そういえば名前は? 挨拶しないといけないだろ」



 でも、彼女との始まりは、終わりの意味を孕んでいたなんて、この時の俺は知らなかった。


 呑気にも、その時が迫っていたなんて、俺は気づいてなかった。



「ゆきちゃんって言うの。とってもいい子で頑張り屋さんなのよ」


「へー、ななこが褒めるなんて、珍しいな」



 今更過去が追いかけてくるなんて、たとえ神に金を払ってでも、俺は知っていたかった。




 

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