10.見慣れた背表紙

 見覚えのある背表紙


(たしかこの本‥‥‥)


 実家にあった本だ。リビングに置かれた親父の本棚に並んでいたのを覚えている


 俺はその本に手を伸ばした。ハードカバーの四六判はしゃっきりとした重みを感じる


(こんな表紙だったんだな)


 背表紙だけはいつも目に入っていたが、手に取って見るのは初めてだ


 表紙には【梅一輪】というタイトルが毛筆書体で書かれている。著者は俺でも知っているくらい有名な歴史小説家だ。親父がこの人の大ファンで、ガキのときには「大きくなったら好きに読んでいいぞ」とよく言われたものだ。結局読むことはなかったが

 親父はどう思っているだろうか


「この本ご存じなんですか?」


 由香さんが俺の手元の本を覗き込む。その距離感にちょっとドキッとする


「ええ、オヤジ…父親が持っていたので」

「まあ!そうなんですね」

「と言っても、俺は読んだことはないんですが」


 俺は自虐気味に笑って見せた。由香さんも微笑んだ


「それじゃあ、この機会に一度読んでみては?きっとお父様も喜ばれると思いますよ」


(親父が喜ぶ‥‥‥)


 親父と俺がこの本について語らう……全く想像ができない。なにせ、俺が高校に入学したあたりから会話らしい会話をした記憶がないのだ。別に仲が悪いというわけではない。ただ、男親と息子の関係性なんてそんなものなのだろうと思っている


(どうなんだろうか)


 それに、俺が仕事を辞めたことも親父にはちゃんと言っていない。というか、そもそも役場に採用されたときも特に報告してなかったような気がする

 高校を卒業して家を出てからは、何か連絡事項があっても母さんとのLINEのやりとりで全て済ませているから


(どう思っているのだろうか……)


「分からないな」


 つい口走っていた


「えっ」

「あっ、いや」


(しまった)


 無駄に由香さんを困惑させてしまった


「最近、父親とほとんど話していないので」

「そうでしたか、すみません差し出がましいことを……」

「いやいやいやいや」


 由香さんが謝ることなど何一つない。何とかリカバリーせねば


「父親なんてだいたいそういうもんですよ!ほんと子供に無関心というかなんというか。だいたい俺が高校に入るときだって――」


 取り繕うために口を衝いて出る言葉は自然と流暢になる


「そういうものなんですか……。私、子供の頃から父がいないので、よく分かっていなくて……」


(墓穴!みごとな墓穴!)


 正直、俺も由香さんの家族構成がちょっと気になっていた

 なぜ功じいと二人きりなのか?

 気にはなっていたが触れちゃいけない気がして、そっとしていた。社会人として当然のデリカシー


(やってしまった)


「す、すみません。俺、自分のことばっか」

「いえいえ、私の方こそ変なこと言ってごめんなさい」


 本を挟んで二人の間に気まずい沈黙が流れる

 距離感が余計にキツイ


 そのときだった


「おっ、決まったのか」


 声の方に目を向けると入口に功じいが立っていた


「おかえりー」

「おかえりなさい!」


(功じいマジで神!)


「おーおー、元気じゃのう」


 功じいはやけにニコニコ……いや、ニヤニヤしている


「二人ともだいぶ打ち解けたようじゃの」


 俺はとっさに一歩下がって由香さんと距離をとった

 その一瞬の隙を突いて、すかさず功じいが割り込んできた


(いや素早すぎるだろ、このご老体…)


「ほう、これは良い本を見つけたな」


 功じいは俺の手元を見て言った


「そ、そうですか」


 焦る俺の肩を功じいはポンポンと叩いた。表情はまたあのニヤケ顔である


「まだダメじゃぞ?」

「分かってます」


(ホントこの爺さんは…)


「えっ?まだって?」


 由香さんが不思議そうに聞き返した


「あー、いやー、なんでしょうね?俺にはこの本はまだ早いんですかね?ね?」

「はっはっはっ」


 功じいは楽しそうな笑い声を上げながらカウンターに向かった


「まあ、なんぞ思うところがあるのかもしれんが、一度読んでみるといい。何かが変わるかもしれんし、変わらんかもしれん」

「いや、どっちなんですか」

「読み手次第じゃな。それが本というもんじゃ」


 特段、何かを変えたいという気持ちはないのだが……


「背表紙だけでは何も分からんでな」

「まあ‥‥‥たしかに」


(それじゃ、この本にするかな)


 ここで出会ったのも何かの縁だろうし


(ていうか)


 功じいはいつから話を聞いていたのだろうか

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