2.裏通りの奇跡

(頭が重い…)


 昨日はついつい飲み過ぎた。いつものことながら増田の家で飲むとやり過ぎる


「起きたか」


 相変わらずスッキリした声だ。いつものことながら羨ましい


「ああ…」

「味噌汁飲むか?」

「ああ…」


 キャンプ用のマットを敷いているとはいえフローリングで寝るのは体に応える。軽く伸びをして体をほぐしてからスマホをチェックした。まだ7時だ。


「ほら」


 増田からカップ味噌汁を受け取った


「混ぜてないからな」

「あい…」


 割りばしでグルグルとかき混ぜる。味噌汁の香りが立ち込める。飲みたいような飲みたくないような


「今日いけるか?」

「ああ…、いける」


 今日は増田の買い物に付き合う約束だ。隣町のゲーム屋で何やら抽選販売があるらしい。正直なところ、俺には行列に並んだり抽選したりしてまで何かを手に入れたいという感覚は分からない。ぶっちゃけ、めんどくさい


(が、しかし…)


 増田が手に入れたいと思うのであれば、俺はそれを手に入れさせてやりたいとも思う。もちろん、そんなことは口にしないが


「めんどくせぇ」

「まあまあ、そう言わずに。昼飯奢るから」

「しゃあねえな」

 

 ズズズッとなめこの味噌汁を啜る。やはり味噌汁の具はなめこに限る



◇ ◇ ◇


 ピッとスマホを当てて改札を出る。残金は120円。後でチャージしておこう


「時間的にはまだ余裕があるな」

「何時からだっけ?」

「10時半から抽選券の配布開始」

「で、今は?」

「9時前」

「早すぎない?」

「まあな」


 駅からゲーム屋までは5分くらいみておけば十分だ。残り1時間25分、モンストなら5回くらいは余裕で周回できる


「ちょっと本屋に行ってもいいか?」

「ああ?別にいいけど」


 増田が本とは珍しい。俺が言えた義理じゃないが


「何の本買うんだ?」

「いんや…」


 増田はスマホの地図アプリで本屋を探している


「昨日の彼女はこの駅で降りたんだろ?」

「そうだけど」

「本好きなら本屋に行けば会えるかもしれないと思ってさ」

「馬鹿か?」


 普段は一歩引いて物事を判断できる賢い奴なのに、ときどき馬鹿な男になる。それが増田だ


「会えたら儲けもんだぜ」

「そんな奇跡起きねーから」

「奇跡は行動した者にのみ起きるんだよ」

「25歳の男が揃ってやるようなことじゃないな」

「25歳だって奇跡を信じてもいいだろうに」

「そういうことじゃないから」


 一目惚れした女に会いたくて探し回るなんて不器用な中学生の恋愛か。大人がやったらストーカーだ

 増田が歩き出した。仕方なくついて行く


「一歩間違えれば犯罪だぞ」

「間違えなければ犯罪じゃないってことだ」

「また屁理屈を」

「真理だ」


 表通りから裏路地を抜ける。寂しい裏通りに出た


「こっちだ」

「こんなところにあるのかよ」


 スマホのナビについて行くしかない。また裏路地に入っていく。さっきよりも狭い道だ。こんなところを部外者が通ってもいいのだろうか


「本当にこっちか?」

「グーグル先生はそう仰ってるけど…」


 再び裏通りに出た。さっきの通りと同じく寂しい感じがする


(寂れてる…けど…)


「きれいだな」


 どちらの言葉かは分からない。しかし俺たちが同じ感想を持ったのは間違いないだろう。なぜなら二人ともその場で佇んで動けなかったのだから


 それはまるで美しい名画のように

 森の奥の清らかな泉のように

 雨上がりの柔らかな光のように


 そして、手入れの行き届いた裏通りのように…


 呆然としている俺たちの脇を通行人がすり抜けようとした


「あっ、すみません」


 我に返って道を譲る。通行人の女性が軽く会釈した


 一瞬目が合った


 その瞬間、俺の時間は再び止まった


 今度こそ本当に動けなくなった。心臓までも止まってしまうかと思うほどに


 固まる俺の横を女性は足早に通り抜けていった


「おい」


「おい、どうした?」


「いや…、えーっと」


「まさか?さっきの?」

「あ、ああ…」


「奇跡か?」

「き、奇跡だ」


「ミラクルか?」

「ミラクルだな」


「運命なのか?」

「運命……それは違うな」


「ちがうかー」


 背中をポンッと叩かれた


「そこは運命でいいんだよ」

「無理があるって」

「ほら行くぞ」


「行くぞって、どこへ?」

「あの店に入っていったから」

「追いかけていけと?」

「もちろん」


 そんなの無理に決まっている


「だから、一歩間違えれば犯罪だって」

「間違えればな。でも、この場での間違いっていうのは今ここで引き下がることだ」

「はあ?」

「所在を知るだけ知って引き返したりしたら悶々とするだけだろ。想いが募ってまたこの辺りを探し回るようなことがあったら、それはもうストーカーだぞ」

「そんなことしねーよ」


 たぶんしないと思う


「それよりも今話しかけて連絡先を交換してもらった方がいいって。スパッと断られたら諦めがつくだろ」

「ナンパしろと?」

「ナンパじゃないよ」

「いやいや、ナンパじゃん」

「ナンパのためにナンパするのがナンパなんだよ。自分の気持ちのために声を掛けるのは…」

「なんだよ?」

「告白だな」


 増田の表情は真剣なようにも揶揄っているようにも見える。いや、遊んでやがるな…


「ここで男気を見せたら人生変わるかもよ?」

「んなわけあるかい」

「まあ、無理にとは言わないけどな」


「はぁー」


 ため息のような深呼吸をした


「よし」


 俺はその本屋に向けて一歩踏み出した。増田が「おっ」と小さく呟く



――後になって思う。この一歩は本当に俺の人生を変えてしまう一歩だったんだと…

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