第27話 つかさ祭り当日①

「雨だねえ」

「雨だなぁ」


 7月最終日、本来はつかさ祭りで浮かれているはずの町は、この天気のせいでイマイチ盛り上がりに欠けていた。

 と言っても、雨は小雨と言える程度の強さだし、このままの強さなら開催自体は問題ないと思う。

 ただそれよりも、もっと問題なのは――。


「ねえ、相沢さんは本当に来るわけ?」


 祭りに合わせて黄色の浴衣を着てきた六花が言った。

 待ち合わせの時間になっても、相沢は約束の場所に来なかった。集合場所に決めた駅の屋根の下で、俺と貴人、六花に怜司は、かれこれ10分近くぼーっと雨の様子を眺めている。

 ちなみに、いつも通りのシャツと半ズボンスタイルの俺と貴人に対して、怜司だけはちゃんと甚平スタイルだ。


「来てくれるはずなんだけど」

「時間を間違えたか?」

「なあなあ、万由里ちゃんってスマホ持ってないの?」


 貴人の質問に、俺は首を横に振る。


「親の方針か知らないけど、スマホどころか携帯も持ってないんだって」

「なんかそれ、イメージ通りかも」


 たしかに、スマホを使いこなしている相沢は想像がつかない。それになんとなく、使いこなす姿は見たくなかった。


(まあ、不便なことは間違いないんだけど)


 しとしと、と雨は変わらない強さで降り続ける。

 今はまだ午後の3時。お祭りはもう昼前から始まっているけど、一番盛り上がるのは夕方からだ。

 多少は時間の余裕もあるが、待っているだけというのもじれったい。


「迎えに行くってみるか。なんかトラブルでもあったのかもしれないし」

「ああ、それがいいな」


 傘を開いて歩き出す。

 駅から相沢の家までは歩いて15分ほど。途中、お祭りに向かってるだろう人たちと何度もすれ違った。

 自然と、相沢の家に向かう足も速くなる。




「万由里ちゃんなら、もう30分くらい前に家を出たけど」


 インターフォンを鳴らして出てきたおばあちゃんに訊くと、返ってきたのがその答えだった。

 思わず4人で顔を見合わせた。

 30分前という時間が正しければ、もうとっくに駅に着いていないとおかしい時間だ。


「もしかして、また道に迷ったか?」

「それ、すっごいありそう」


 相沢と初めて会った時、地図が読めなくて迷っていたことを思い出す。

 待ち合わせ場所を駅に指定したのは失敗だったかもしれない。


「昨日、一緒に道を確認したんだけど……」


 おばあちゃんが残念そうに言った。

 まさか、そんな涙ぐましい努力があったなんて。


「探してきます。たぶん、そんな遠くには行ってないだろうし」

「ごめんなさいね。あの子が迷惑かけて」

「全然。住んでるわけじゃない街の地図なんて、普通は分からないと思いますし」


 おばあちゃんに軽く会釈だけして、来た道を引き返す。

 まさか、一緒に夏祭りに行くだけで、ここまで苦労することになるとは思わなかった。


「ひとまず、散らばって探すか?」


 怜司からの提案にうなずく。全員で同じ場所を探すよりは、そっちの方が明らかに効率がいい。


「だな。誰か見つけたやつが場所を報告するってことで」


 3人もそれにうなずいて、それからみんなでバラバラの道に散っていった。


(絶対、今ごろ困ってるんだろうな……)


 相沢のことだし、家に帰る道すら分からなくなっているのはありそうだ。携帯がないなら地図も見られないだろうし、きっとどこに向かって歩けばいいのかも分からなくなっているはずだ。

 小走りで、町中を探し回る。

 傘をさしながらは歩きづらいし、なにより、気温も湿度も高い中で走ると、汗が止まらないくらいに噴き出した。


(ほんと、たこ焼きの一つくらい奢ってもらわないと割に合わないぞ)


 町中を探し回って10分ほどが経った。

 いまだに誰からも連絡がないことに焦り始めた。ちょうどその頃だった。


「相沢……?」


 通りの角にあるシャッターの閉まった酒屋の軒下で、うつむくように立っている浴衣姿の相沢が目に入った。俺は急いで駆け寄る。

 近くまで来ると、相沢の着ている綺麗な薄紫の浴衣は、お腹の辺りが泥水で汚れてしまっているのが分かった。


「高垣、くん」


 俺に気づいて顔を上げた相沢の目元は、涙で赤くなって濡れていた。


「そっか。こんなことになってたから来られなかったのか」

「私、道に迷っちゃって。それで、急がなきゃって思ったの……」


 相沢は視線を自分の足元に向けた。

 浴衣に合わせて履いた下駄は、右足の鼻緒が切れてしまっていた。


「とりあえず、こんな格好じゃ目立つよな。家に行けば着替えはあるか?」


 訊くと、相沢はふるふると小さく首を振った。


「じゃあ、六花に借りるか。ちょっとサイズは合わないかもしれないけど」

「違うの。これは、おばあちゃんがくれた浴衣で。これを着て、みんなでお祭りに行って来なさいって」


 相沢の声から、必死に勇気を出したのが伝わってくる。


「そうだよな。じゃあ、着替えて終わりってわけにはいかないか」


 相沢の浴衣は落ち着いた薄紫をベースにして、あまり主張が強くならない程度に花柄がデザインされている。今は全身が雨でしっとりと濡れて、お腹の辺りは特に泥水で汚れてしまっているけど、それでも十分に分かる。


「相沢に、よく似合ってるな」

「本当……?」

「わざわざ嘘は言わないよ」


 今にもまた泣き出しそうな相沢の顔に、やっとわずかな笑顔が見えた。

 とはいえ、いつまでもここにいても仕方ない。ひとまず3人に場所を伝えて、この場で合流することにした。


「そういえば、この前絵を描いてたのか?」


 みんなが来るまでの間、ふと思い出して訊いてみる。


「え?」

「え? うん、絵」


 相沢をお祭りに誘うために家に上がった時、2階の部屋からスケッチブックを片手に外を見ていた。

 少し中身が見えてしまったけど、あれは風景画となにかのキャラクターみたいだった。

 相沢はしばらく迷ったあとに答える。


「絵を描くのは好きなの。想像したものをなんでも描けるから」

「そっか」

「うん、そうなの」


 確かに、相沢に絵はよく似合う。

 そんな話をして待っていると、3人はほぼ同時にやってきた。みんな一度は相沢が見つかったことに安堵して、それからすぐに浴衣の汚れの話し合いが始まった


「ひとまず、その汚れてしまった部分をどうにかしないとな」


 怜司が言った。


「そうだ! 上着とか羽織れば隠せんじゃん? ちょっと暑いかもだけどさ」

「ほんっと、貴人のバカト。いいわけないでしょ」


 名案を思いついたような貴人を、六花は一蹴する。

 六花は相沢のすぐ目の前でしゃがむと、浴衣の生地をつまんで何かを確認しているみたいだった。


「は、橋詰さん?」

「うちの家、そこ曲がったところなんだけど、ちょっと歩ける? 浴衣は微妙に不安だけど、ママが家事とかしないから洗濯の知識くらいあるし」

「それは今から洗うということか?」

「当たり前でしょ。別に服を貸すくらいできるけど、それじゃ嫌でしょ?」

「えっと、嫌っていうわけではないけど……」


 振られて、相沢は少し困った顔になる。

 はっきり言えないでいる相沢に代わって、六花はどんどん話を進めていった。


「あのね。女子が浴衣を着てくる時っていうのは、それなりに勝負をかけに来てる時なんだから」


 六花は相沢の手を引いて、鼻緒の切れた下駄を気にかけながらゆっくりと歩く。


「終わったら連絡するから、男子は適当に待ってて」


 当の相沢は「え?え?」と困惑気味だ。そのまま六花に連れられていく相沢を、俺たちはただ見送るしかできなかった。


「なんか予想外の展開になったな」


 貴人がしみじみとつぶやいた。


「だな。六花がここまで相沢の肩を持つのは正直意外だった」

「まあ、六花も根っこはただの世話焼きだからな」


 男3人で取り残されて、なんだか懐かしい感覚だった。この3人だけで話をするのは実は結構久しぶりだったかもしれない。


「祐介、橋詰の浴衣にはちゃんと話題に触れたか?」


 急に怜司が真面目な調子で言った。


「そういえば、ちゃんと言ってなかったかも」

「ちゃんと伝えておけ。橋詰は相沢の気持ちに共感ができたら、特に優しくしているのもあるだろう」

「ん、そうだな」


 シャッターの閉まった酒屋の前に取り残された俺たちは、どう過ごしていいか分からないまま待ちぼうける。

 雨は同じ強さで降り続けるし、人はほとんど通らないし、景色にはなんの変化もない。


「あちいな」

「夏だからな」

「てか、外で待つのバカだろ」

「そもそもオレたちはどれだけ待てばいいんだ?」


 女子がいなくなって会話も適当になる。

 暇になると、いよいよ全身から噴き出す汗が鬱陶しくなってきた。ジメジメとした天気もあって、体中がベタベタだ。


「とりあえず俺んち来るか?」


 怜司の家も貴人の家も、たぶん俺のことを良く思っていないのは知っている。そうなったら、もう消去法だった。

 歩いてすぐの俺の家まで移動して、2人のことを部屋に上げる。この2人が同時に俺の部屋に来るのは、たぶんきっと3年ぶりだった。

 俺の家に来たからと言って、特になにかするわけでもない。六花に呼ばれるのを待ちながら、ひたすらダラダラと時間を潰す。

 ゲームをしたり漫画を読んだり、ただ時間を潰すための時間だ。


「祐介―、スイカバーねえの?」

「ねえよ」


 エアコンの効いた部屋でそんな風に過ごすのは、ある意味でこの夏休みが始まって一番夏休みらしい時間だった。

 時刻は、だんだんと夕方と呼べるような時間に差し掛かってくる。だが、夏のど真ん中の今、まだまだ空は明るかった。


(ああ、夏休みだなぁ)


 なんの意味も目的もなく過ごす2人の姿を見て、しみじみと思った。特に、こんな風に時間を無駄に過ごしている怜司は本当に貴重だった。

 2人を家に上げて、1時間近くが経った頃だった。

 そんなだらだらとした時間は、六花からの「終わった」というたった一言の連絡によって終わりになった。


 再びジメジメと蒸し暑い外の世界に出て、六花の家を目指す。

 時刻はもう夕方の5時になる。


「けど、こんなすぐに短い時間でどうにかなんのかな」


 六花が相沢を家に入れてから、まだ1時間と少ししか経っていない。普通に考えたら、洗った浴衣がきれいに乾くとは思えない。


「乾燥機をガンガンに回したとか」

「浴衣は乾燥機にかけてもいいのか?」


 そんな話をしていると、視界の奥にだんだん六花の家が見えてくる。次に、その家の前に立つ2つの人影。薄い紫と優しい黄色。

 近づくと、はっきり見えた。それぞれの色に身を包んだ、相沢と六花だ。相沢の浴衣はすっかり乾いているみたいだ。


「すげえ、ちゃんとキレイになってる!」


 貴人は感心を通り越して興奮している。

 それでも、興奮するのも分かるくらいに、すっかり汚れは分からなくなっていた。


「それ、どうやって乾かしたんだ?」

「どうもこうも、ひたすらアイロン押し当てただけ。これでもかってくらいね」

「橋詰さんが、全部きれいにしてくれたの」


 改めて相沢の姿を見る。薄紫の浴衣はすっかり乾いていて、花柄のデザインもより綺麗に見えるようになっている。

 さっき、酒屋の軒下で見た時の印象とはまるで違う。


「うん。やっぱり似合ってる」


 素直に、そんな言葉が口を出た。

 相沢は少し恥ずかしそうにうつむいた。


「本当の、本当……?」

「だから、嘘は言わないって」


 それから、隣に立つ六花の方を向く。黄色の浴衣は薄っすらとひまわりが入ったデザインで、六花のイメージにぴったりだった


「六花も、すごく似合ってる」

「そんなついでみたいに言われても、別に嬉しくないんだけど」

「別についでじゃないっての。六花のそういう格好は珍しいしけど、結構似合うんだなって……」

「うるさい」


 六花は手提げのポーチを手でいじる。

 浴衣に合わせた和風のポーチは、さすがにラママンキーホールダーはつけていなかった。


「まさか、止んだのか?」


 突然、怜司がそんなことを言った。

 試しに傘を下して、空を見上げてみる。確かに嫌な雲は消えて、きれいな夕方の空が広がっていた。


「最高のタイミングで止んだな」


 これも相沢の力なんだろうか。

 分からないけど、どっちだっていい。今からお祭りに行くには絶好の天気だ。


「とりあえず、駅まで移動するか」


 俺たちはそのまま駅に向かって、お祭りが開催される駅を目指した。

 この街の人間にとって、7月最後の大きなイベント。“つかさ祭り”。

 時刻はまだ夕方の5時。

 これからがお祭りの本番だった。

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