第26話 Shall We “Omatsuri” ?

 その次の日、俺はひとりで相沢の家に向かうことにした。

 3人がついてきてくれたら心強いとは思うけど、そもそも相沢との関係が壊れてしまったのは、俺ひとりの問題だ。


(相沢にちゃんと謝って、それで改めてつかさ祭りに誘おう)


 そんな風に朝から覚悟を決めていた俺に対して、相変わらず、相沢の力は強力だった。

 1つ目の災難は家を出る前。支度をしていると突然、動かしていた洗濯機が不調の声を上げて、それを直すのに手間取った。

 2つ目は家を出た後。道を歩いていると頭上から落ちてきた鳥のフンが服にかかって、着替えのために家まで引き返すこともあった。

 それ以外にも小さな偶然がいくつも積み重なって、歩いて5分程度の場所に向かうために、その何倍、何十倍も時間がかかってしまった。


「もうここまできたら意地だ」


 やっと相沢の家の前の通りまで来る。あとはもうほんの1分、この道をまっすぐ進めばいい。

 あと少しだ。

 そんな希望が見えかけた時、道の先に立っている4つの人影が目に入った。

 相沢の家の前の道を、またしてもあの不良の男子高校生たちがふさいでいた。


「いい加減にしろよ……」


 あいつらは本当にこの道が好きみたいだ。ただの寂れた住宅地で、面白いものなんてまったくないのに。べらべらと立ち話していて、そこから移動する気配はない。

 どうやらもう、覚悟を決めるしかなさそうだ。


(もうどうにでもなれって感じだな)


 深く息を吸って覚悟を決める。

 4人に気づかれないように、なるべく気配を消してそっと歩く。どうか見つかりませんように、なんて俺の願いは、叶うわけがなかった。


「なあ、あいつこの前の中学生じゃね?」


 1人が言うと、「そうだ」「間違いねえ」と近づいてくる。無視して歩いていると、「おい」と思い切り足をかけられた。

 バランスを取れずに転んだ俺を見て、4人からドッと笑い声が上がった。


「会えたらお礼がしたいって、ずっと思ってたんだよ。この前の瓦が落ちてきたところ、今も青アザになってるんだけど」

「あれは俺たちのせいじゃないだろ」


 本当は相沢の力のおかげだから、無関係なわけじゃないんだけど。


「うるせえ。そもそもお前らがふっかけてきたんだろうが!」


 1人が思い切り腹を蹴った。

 つま先が腹をえぐって、うっ、と吐き気がした。


「ちょっと来い」


 高校生は俺の腕を掴んで、どこかに連れて行こうとする。

 人目のつかない場所になんて行ったら、なにをされるか分からない。必死にうずくまって、どうにかその場で耐え続けた。


「このッ。ガキのくせに、高校生なめんじゃねえぞ!」


 そこからはもう、ひどかった。

 動かない俺に腹が立ったのか、全員がいっせいに身体を蹴ってくる。俺はただその場にうずくまり続けるしかなくて、だんだん、自分が今どこを蹴られているのかも分からなくなってきた。


(あー、痛いな。今の俺、絶対にカッコ悪い気がする)


 さすがにヤバイと思い始めてきた時、急にピタリと蹴りが止んだ。


「やべ」

「ここ人通るのかよ!」


 高校生たちは慌てた様子で、一目散にどこかへ逃げていく。人が歩いてくる気配がして、ゆっくりと顔を上げる。

 そこには、相沢のおばあちゃんが心配そうに俺を見下ろしていた。


「大丈夫? 手当てするからうちにおいで」



 おばあちゃんに連れられて、俺は無事に相沢の家のドアをくぐった。

 予定外の方法で、全然格好はつかない形になってしまったが、とりあえず大きな関門は突破出来た。

 残す問題は、相沢が会ってくれるかどうかだ。


「いてて……」


 背中の擦り傷に塗ってもらった消毒液がしみる。

 夏のせいで軽装になっていたこともあって、服越しにも結構な傷ができていたみたいだ。自分でも分かるくらいに、消毒液と湿布のスースーした匂いが全身から漂ってくる。


「あの男の子たちとはケンカでもしたの?」

「いや、あれはちょっと因縁があったっていうか、なんていうか……」


 さすがに、貴人がネズミ花火とコショウをぶちまけた恨みだとは打ち明けられない。


(というか、俺たちがあの不良に恨まれるのも当然じゃないか?)


「あの。万由里さんって、今いますか?」


 不良のことなんて今はどうだっていい。俺は本題を切り出した。

 ここまで身体を張ったのに相沢に会えなかったら、ただの蹴られ損だ。

 おばあちゃんは優しく微笑んで答えた。


「今は2階でゆっくりしているよ。昨日から寂しそうにしてるから、会いに行ってあげて」

「いいんですか? 俺が行っても」

「もちろん。あの子だって、本当は誰かに連れ出してほしいと思ってるはずだから」


 俺は小さくうなずいて、怪我の手当てのお礼を言ってから2階に続く階段へ向かった。

 木でできた段差の急な階段は、当たり前だけど、みんなで荷物の整理をした時からなにも変わっていない。

 この階段の前で、3人でじゃんけんをしたことを急に思い出した。


(あのくだらない時間も、少しは楽しいと思ってくれてたのかな)


 ゆっくり、静かに階段を登る。

 2階に上がってふと右手を見ると、部屋のドアが小さく開いたままになっていた。


「相沢……?」


 部屋の中は人の気配も感じないくらいに静かで、自然と名前を呼ぶ声も小さくなる。

 開きかけのドアを開けておそるおそる中に入ると、部屋の奥には窓の向こうを見つめる相沢がいた。

 左手にはスケッチブック、もう一方の手には色鉛筆を持っている。きっと、この窓の向こうの景色を絵に描いているんだと分かった。

 窓から入ってくる夏の風に、相沢の漆黒の髪がなびく。ツヤのあるその髪は一本一本がキラキラと光って、相沢自身がまるで絵画みたいに見えた。


「綺麗だ……」


 無意識に、そうつぶやいていた。

 口に出してしまった自分に驚いて、次に、俺の存在に気づいた相沢が驚いた。


「え、え、え? た、たかかかが、高垣くん!?」


 こんなに驚く相沢は初めて見るくらいに驚いて、その拍子に手の中のスケッチブックが床に落ちた。

 スケッチブックにはこの街の風景画が描かれていて、その中には謎のマスコット風の生き物がたくさん描かれていた。


「な、なんで高垣くんがいるの……?」

「えっと、不良の高校生にやられてたらおばあちゃんが助けてくれて――って、そんなのはどうでもいいか」

「不良?」


 相沢は不思議そうに首をかしげた。

 俺は小さく息を吸ってから、本題を切り出した。


「明後日、隣の街で大きな祭りがあって、みんなで行くんだけどさ。良かったら相沢も一緒に行かないか?」

「わ、私は……」


 相沢の顔に明らかな困惑が見えた。

 言ってから間違いに気づく。


(そうだ、順番が違うだろ)


 俺がここに来たのは、夏祭りに誘うことと、もうひとつはちゃんと謝るためだ。


「ごめん」


 俺は深く頭を下げた。

 少しでも、今の自分の気持ちが相沢まで届くように。


「俺は、相沢の不思議な力を利用しようとしてた。最初に相沢と仲良くしようと思ったのも、正直、その目的のためだった」


 相沢は足元のスケッチブックを拾うと、座ったまま小さく後ずさった。


「だけど、信じて欲しい。今は、本当に相沢と夏祭りに行きたくて誘ってるって」


 俺はその場で正座して視線の高さを合わせた。

 言葉で言ったって、なんの信用がないのは分かってる。それでもたしかに、いま俺の中にあるのは、もっと素直な気持ちだった。


(怜司に焚きつけられたからとか、そんなのは関係ない。つかさ祭りに行くなら、相沢も一緒がいい)


「なんで?」


 相沢はなぜか、スケッチブックで顔を隠して言った。


「なんでって、そっちの方が絶対に楽しいと思うし」

「本当に、私が一緒にいてもいいの……?」

「当たり前だろ。俺が相沢にいてほしくて誘ってるんだから」


 スケッチブックの奥の相沢の表情は分からない。

 今になって思えば、みんなでこの家の整理をした時間は楽しかった。

 あの時は沙莉を起こす方法ばかり考えていたけど、絶対にそれだけじゃなかったと、今なら言える。


「でも、私が一緒にたら、またみんなのことを傷つけちゃうの」

「そんな小さなこと、俺たちは絶対気にしない」


 俺たち幼馴染は、近所のイロモノが集まったようなグループだ。そんな小さなことを気にするヤツらじゃないと確信がある。

 相沢はスケッチブックを横にずらして、そこからおそるおそる顔をのぞかせた。


「相沢だって、これが中学最後の夏休みだろ? 相沢から見たらただの田舎の祭りかもしれないけど、絶対に後悔させないから」


 相沢はやっとスケッチブックをおろすと、鼻をひくひくさせて眉をひそめた。


「高垣くん、すごくスースーする」

「それはほっとけ」


 自分でも湿布と消毒液の匂いがすごいのは分かるけど、真面目な話をしている時くらい気づかないでほしかった。


「一緒に来てくれるか?」


 最後にそう訊くと、相沢はコクンとうなずいた。


「よし、決定だな」


 つかさ祭りは、毎年7月31日に開催される。

 それから2日が経って、ついに祭りの当日がやってくる。

 その日の天気は、朝から雨だった。

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