第24話 1 on 1

 沙莉は、4つ年の離れた妹だ。

 留守がちな親を持ったこともあって、ただの妹以上に大きな存在になっていたのだと思う。

 だからなのか、沙莉は同級生の友達と遊ぶ以上に、俺が遊びに出かけるのについてくるのが好きだった。

 貴人や六花、怜司と過ごした記憶の中には、いつだって沙莉の笑顔が一緒だった。


 相沢に会うことを諦めて家に帰ってきた俺は、そのままの足で沙莉の部屋の前まで来た。ノックをして、ドアノブに手をかける。

 そのドアを開けることができなかった。


「光が見えてきたなんて言っておいて、どんな顔して会えばいいんだよ……」


 たぶん、沙莉は俺のことを慕ってくれていたんだと思う。それなのに、こんな情けない姿を見せられるわけがない。

 結局、そのままドアを開けることはできなかった。


(別に、全部最初の予定通りに戻るだけだ)


 俺は自分の部屋に戻って、ゲーム機の電源を入れる。

 この夏休みの予定は、積みゲーを消化して、怒られない程度に宿題を終わらせる。それ以外には何もない。

 未来人も、世界の崩壊も、願いを現実にする女の子も、俺にはなにも関係がない。


(中学生活最後の夏休みは、そうやって終わっていくんだ)


 久しぶりに集中してできたゲームは、調子が良かった。

 フィールドを移動して、敵を見つけ、照準を合わせて撃つ。やっぱり、この時間が一番落ち着く。

 すっかり集中してプレイをしているうちに、気づけばずいぶんな時間が経っていた。ふと窓の外を見ると、もう日暮れ時だった。

 と、その時。不意にインターフォンが鳴った。


「誰だよ、こんな時間に……」


 しぶしぶゲームを中断して玄関まで様子を見に行く。

 ドアを開けた先にいたのは、少しだけ意外な見知った顔だった。


「怜司……?」

「ちょっと付き合え」


 怜司の肩には、いつものバスケットボールケースが提げられている。それから有無を言わせない態度で、ついてくるように視線で示した。



 怜司に連れられて行った場所は、バスケのゴールが設置された近所の公園だった。いつも怜司が1人練習で使っている場所で、昔は2人でよく1 on 1をやった場所でもあった。

 バスケのゴールがある以外はなにもない小さな公園で、時間が遅いこともあってか、今はちょうど無人になっていた。


「オフェンス先とディフェンス先、どっちがいい?」


 怜司はさっそくバスケボールを取り出して、勝手に話を進めていく。1 on 1を始めようとしているのだと、話の流れから辛うじて分かった。


「待てよ。いきなり言われても意味分からないんだけど。だいたい、3年間部活でやってたやつに勝てるわけないだろ」

「そんな言葉は聞いてない。オフェンス先か? ディフェンス先か?」


 怜司は質問を繰り返す。

 本当に、こんなところでまで頑固を発動させないでほしい。


「怜司、お前もしかしてなんかキレてる……?」

「当たり前だろう。すべてを犠牲にしてまで打ち込んできたバスケを、そう簡単に捨てられるものか」

「いや、絶対理由それじゃないよな……?」


 怜司が今、不安定な状況になるのは分かる。

 だけどどう考えても、今は怒りの矛先が俺の方を向いている。


「橋詰と中原から連絡を受けた。お前がとんだ腑抜け野郎に落ちぶれた、とな」


 言って、怜司はボールを投げつけてきた。

 なるほど、原因はあの2人か。


「先、オフェンスでいいな?」


 怜司は1人で勝手に話を進めていく。

 俺は小さくうなずいて、ゴール正面の少し離れた位置まで移動する。怜司は、俺とゴールの間の位置に向かい合って立った。

 こうして怜司と向かい合うのは3年ぶりだ。あの頃はそれなりに五分の戦いができていた記憶があるけど。

 あれから俺たちはお互いに身長も伸びて、片やバスケ部の元キャプテン、片や“とんだ腑抜け野郎”になった。


「いつでも、好きなタイミングで来い」


 夕暮れの中にたたずむ怜司の姿が大きく見えた。昔は、こんな風に感じることなんてなかったはずなのに。

 だけど、いざボールを持って対峙するとスイッチが入る。


(何のつもりか知らないけど、その余裕崩してやるよ)


 1 on 1では、ボールを持ってゴールを狙うオフェンスと、ボールを奪う役割のディフェンスとに分かれる。

 オフェンス側がゴールを決めれば、攻守は変わらずにゲームを続行。ディフェンス側がボールを奪うことができれば、攻守交替になる。


 オフェンスである俺が怜司に一度ボールをパスすると、ディフェンスである怜司からまたパスが返ってくる。

 ボールを持った、この瞬間がゲームスタートの合図だった。


(抜くッ!!)


 ドリブルをしながら、身を屈めて斜めのラインで動く。体育の授業ぶりに触ったボールは、意外なほどに手に馴染む。

 フリーで打てば、シュートを外さない自信があった。


「トロい」


 どうしてか、怜司はすでに俺の進行方向に立っていた。

 慌てて切り返そうとするが間に合わない。一瞬にして、ボールは怜司の支配下に納まった。


「交代だな」


 なんということもなさそうに、ただその一言だけだった。

 その余裕が、またイラついた。


「帰宅部相手にイキるなよ」

「悪かったな。手加減してあげられなくて」


 攻守交替。今度はお互いの位置を入れ替えて向かい合う。

 すぐに怜司からボールを渡され、俺もすぐにそれを返す。ゲームスタート。


(絶対止めてやる……!)


 俺は重心を低くして、怜司がドリブルで抜こうとするのに備えた。

 ――が。


「抜くと思ったか?」


 怜司はその場でシュートの態勢に入っていた。


「は……?」


 後ろを振り向く。ボールは綺麗な放物線を描いて、リングにかすることもなく、そのままネットをくぐっていた。


「まず1点、だな」


 分かっていたことだった。この3年間で開いた差は大きすぎる。

 再び怜司がオフェンスで、もう一度勝負を開始する。今度はスタート直後のシュートを警戒して前に突っ込むと、素早いドリブルで躱された。ゴール下で飛んだ怜司は、腕を伸ばしてゴールの中にボールを軽く投げ入れる。綺麗なレイアップシュートだった。


「くそッ!」


 2度、3度、4度繰り返す。

 何度繰り返そうが、怜司の持つボールに手をかすることすらできなかった。

 だんだん、真面目に挑むのもバカらしくなってきた。またしても怜司のシュートがネットを揺らすのを見て、俺はスタートの位置に戻るのをやめた。


「もういいよ。最初から勝てるわけなかったんだよ」

「11点先取のルールだと思っていたが、勝負を放棄する気か?」

「放棄もなにも、お前が勝手に吹っ掛けてきたんだろ?」


 怜司の顔に、明らかにいら立ちが浮かんだ。


「そうやって、沙莉ちゃんのことも簡単に諦めたのか?」


 やっと魂胆が見えてきた。

 そうやって説教するために、この1 on 1を仕掛けてきたわけか。


「しょうがないだろ。昨日の“山”での話が相沢に聞かれてたんだよ」

「それだけで?」

「あいつの力で邪魔されて、会いに行くことすらできなかったんだよ! あんなに拒絶されて、今さらどうにかできるわけないだろ」


 あれほど会うことを拒否されて、それでも会いになんて行けるわけがない。

 今度こそ本当に嫌われて、もう一生チャンスがなくなる可能性だってあったんだ。


「オレの知っている高垣祐介なら、それでも会いに行っていたな。それも、沙莉ちゃんのことは関係なしに」

「は?」


 未来人は、『高垣沙莉のことは考えるな』と言った。

 あの未来人とは違って、怜司は沙莉のことを何よりも大事に思っていたはずだ。それなのに、どうして未来人と同じことを言う?

 怜司はボールを持ってスタートの位置に立った。


「別になにをされようがファウルを取るつもりはない。本気で、潰す気でこい」


 ここまで舐められて、それでも勝負から逃げることを選ぶほど、俺はまだ落ちぶれていないはずだ。

 俺も位置について、また勝負は始まった。


「ホンットに、なめんなっ!!」


 ドリブルで抜こうとする怜司に、全身でぶつかった。もはやタックルに近い。

 普通なら一発でファウルを取られるようなそれを食らっても、怜司のドリブルは揺るがない。結局そのままゴールを決められる。

 これで9-0だった。


「はあ、はあ……」


 だんだんと息が上がってきた。

 こんな全身運動をするのはずいぶんと久しぶりだ。


「祐介は知っているだろう? オレが沙莉ちゃんにどれだけ心を救われてきたか」


 怜司はボールを拾いながら、そんなことを言い出した。


「だからなんだよ」

「ただ、お前はちゃんと知っておくべきだと思ったんだ」


 もう一度スタートの位置に立つ。

 2、3メートルの距離を開けて、俺たちは睨み合って対峙した。


(次は腕を掴んででも止めてやる)


「知ってるか?」


 言って、怜司は俺にボールをパスした。


「なにが?」


 俺はボールを怜司に返す。これがスタートの合図だ。


「お前はずっと、沙莉ちゃんの憧れだったんだよ」


 直後、怜司は動き出した。

 早いドリブル。腕を掴もうと手を伸ばした。が、一瞬の反応の遅れが命取りだった。伸ばした手は空を掴んで、怜司はそのままシュートを放った。

 怜司のシュートはまるで危なげなくネットをくぐる。


「バスケ部のキャプテン様のくせに、やり方が汚いな」


 ダン、ダン、と弾むボールを怜司は拾う。

 俺の挑発も、まるで意に介した様子はない。


「知らないだろう。沙莉ちゃんがオレに声をかけてくれたのは、お前の行動のマネだったんだ。お前が中原や橋詰にやったようにな」


 知らなかった、そんなこと。

 沙莉は活発な子で、人見知りなんかしない子で、そこに俺は関係ないと思っていた。


「お前は最初、オレにキレているのかと聞いたな? ハッキリ言ってめちゃくちゃにキレている」


 怜司は再びボールを持ってスタートの合図の位置に立った。

 スコアは10-0。これで決められたら、勝負は終わりだ。


「沙莉ちゃんはオレにとっての恩人で、その沙莉ちゃんの憧れた男が、今はこんな腑抜けになっている。これでキレるな、という方が無理がある」


 俺もゆっくりと位置についた。

 怜司の考えは分かった。この勝負を仕掛けてきた意味も、理解はできるつもりだ。

 だけど――。


「ごちゃごちゃうるさいんだよ」

「なに?」

「沙莉ちゃん沙莉ちゃん沙莉ちゃんって……」


 怜司は俺にボールをパスした。


「人様の妹の名前を……。気安く呼んでるんじゃねえぞ、このロリコンが!!」


 俺はそれを、全力で投げ返す。


「なっ!!」


 ドッジボールよろしく、至近距離から全力で投げられたボールを受け止めた怜司は、わずかによろめく。ドリブルに移るまで、わずかに隙ができた。

 そこに、掴みかかるくらいの勢いで飛び掛かる。


「卑怯だぞ! それに、オレはロリコンじゃない!」


 さすがの怜司は、なんとかボールを死守してドリブルに移る。それでも、態勢が崩れているのか本来の速さはなかった。

 怜司は勝負を急いだのか、すでにシュートの態勢に入ろうとしている。


(卑怯でいいさ。俺だってキレてんだよ……)


 兄として不甲斐ないし、今の自分が腑抜けだっていう自覚くらいある。

 だけど、一番許せないのは――。


「このまま負けっぱなしなんて、許せるわけがないだろうが!!」


 怜司がシュートを放つ。

 それと同時に飛んだ。腕を伸ばした。さらに伸ばす。もっともっと伸ばす。

 そして、かすかに指の先が触れて、軌道が逸れたボールはコートの外へと転がっていった。

 11回目の挑戦で、初めてのディフェンス成功だった。

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