第23話 断絶

 夏休み5日目。

 今日は、 “つかさ祭り” に相沢を誘うリベンジをすると決めた日だ。

 だんだんと相沢の家まで行こうとしていた俺を悲劇が襲った。


「嘘だろ……」


 それは、遅い朝ご飯を食べて終えて、キッチンで食器を洗っている時のこと。砂糖や塩などの調味料を積んだ棚に腕が当たって、それをまるごと倒してしまった。

 部屋中のあちこちに調味料が飛び散って、まさに阿鼻叫喚な状況だ。しばらくの間、その光景に茫然とするしかできなかった。


「はあ、全部吸い取るしかないか」


 つぶやいてから、掃除機を引っ張りだす。それから、こぼれてしまった調味料をすべて吸っていく。

 砂糖なんて床に放置してしまったら、きっとすぐに家の周りのアリに目をつけられてしまう。調味料は思ってもみなかった場所まで飛び散っていて、かなり骨のいる掃除が必要になりそうだ。

 それから30分ほど掃除機で吸って雑巾で拭いてを続けて、やっと少しずつ終わりが見えてくる。


「一応、2人に連絡しておくか」


 別に約束をしていたわけではないけど、相沢の家に行くならあの2人も一緒になると思う。スマートフォンを取って、まずは貴人に通話をかけた。

 つながった瞬間、聞こえてきたのは焦った大きな声だった。


『ごめん、祐介! 俺はもうダメだ……』

「は? なんだよ急に」

『家の中に……、ご、ご、ご、ゴキ……』

「ああ、ゴキブ――」

『言うなああああああぁぁぁ!』


 スピーカーから声が響いて、とっさに耳元から遠ざける。そういえば、貴人は毎年この時期になると怯えて過ごしていたのを思い出す。


『始末できたら行くから! だから頼む、少しだけ待っててくれ!』


 適当に通話を切って、次に六花へかける。

 別に貴人が1人来られないくらいまあいいか、という俺の考えは、あっけなく打ち砕かれた。


『祐介ごめん! あたし、ちょっと今日は無理かも……』

「えっと、一応訊くけど、なんで……?」

『今日、急に親戚がうちに来ることになって、せめてあいさつだけでもしろって……』


 まさか貴人だけじゃなくて六花までとは驚いた。

 俺は掃除を急ぐ必要もなくなって、こぼす前よりもきれいになるくらいに、家中に掃除機をかけまくった。

 そうして、俺たち3人が合流をできたのは、それから2時間ほどが経ってのことだった。


 俺の家の前で集まって、相沢の家まで向かう。


「ちょっと、遅くなりすぎたな」


 午前中のうちには会いに行こうと思っていたのに、結局午後になってしまった。


「まあいいんじゃないの? 万由里ちゃんの具合も分かんないんだし、ちょっとでも時間が遅い方がよかったかもしれないし」

「そうだな。とりあえず今日は、祭りに誘えればそれでいいし」

「ねえ、あれ」


 歩いていると、六花が前の方を指さして言った。

 見てみると、狭い道路に大きな車が止まっていて道をふさいでいた。


「電話線工事、だって」


 俺の家から相沢の家までは、車一つ通るのがやっとなくらいの細い道を2つほど通ることになる。今はそこに工事のための車が停められて、完全に通行止めになっている。


「なんか、続きだね……」


 六花がつぶやいた。


「ついてねー」


 だんだん、嫌な空気が漂い始める。

 家を出る前のトラブルから感じてはいたが、ここまでくると本当にただの偶然とは思えない。

 普通は笑えるような偶然も、今はもっと別の可能性を考えてしまう。


「とりあえず、回り道するか」


 自然と、会話が少なくなっていた。

 たぶん、みんなが考えていた。この“偶然”の意味を。

 ぐるりと大回りをして、相沢の家の前の通りを目指す。普段は通らないような細い路地を進んで、やっと目的の道まで出た。


(もし、この偶然がただの偶然じゃないなら――)


 この道を進めば相沢の家に着くという時、道の途中に4人の男子高校生が立ち話をしているのが見えた。

 見覚えのある顔。彼らは間違いなく、夏休みの初日に神社から追い払った、あの不良男子高校生たちだった。

 いよいよ、ただの偶然だなんて言えるはずもなかった。


「もう、こんなの確定だろ……」


 あの高校生たちに見つかってしまったら面倒だ。気づかれないように引き返して、近くの路地に入った。

 貴人も六花も、もう気づいているはずだ。

 この偶然の意味は、つまり――。


「相沢が俺たちを拒否してる、ってことだよな……?」

「たぶん……。そうじゃなきゃ、こんなの絶対ありえないし」


 少しずつ信用され始めていると思っていたのに。なんで。


「ひょっとしたらほら。万由里ちゃんが恥ずかしがって会いたくないだけも、なんて」


 貴人の必死な前向きも、今はむなしい。


「なんでだよ……。3年も待って、やっと見つけた希望なのに。このままみすみす逃がしてたまるか……!」

「高垣祐介、何をしてる」


 突然、背後から声がした。

 カタコトのようなしゃべり方で、俺をフルネームで呼ぶ男は1人だけだ。振り向くと、そこに立っていたのは案の定の外国人顔だった。


「未来人……」

「こんなことをしていたら、相沢万由里は助けられない。世界は救えない」

「うるさいな。世界がどうとか、そんな規模のでかい話はどうだっていいんだよ」


 あまりに的外れな叱責に、いら立つ気持ちが抑えられなかった。

 未来人に当たっているだけだという自覚はある。だけど今は、未来の世界がどうこうなんて、ただの雑音でしかない。


「まあまあ祐介。未来人にだって考えがあるんだと思うし……」

「貴人はどっちの味方なんだよ」

「あ、いや。もちろん俺はいつだって祐介の1番の味方だぜ……?」


 沙莉の目を覚ますための過程で、結果として世界が救えるならそれでいい。

 けれど、その逆にはなりえない。

 俺は未来人へと改めて向き直る。


「勘違いされると困るから言っておくけど、俺の目的はただひとつ。沙莉の目を覚ますことだけだから」


 そう、はっきりと突きつける。未来人は静かに目を伏せた。


「昨日も、そんなことを言っていたな」

「聞いてたのかよ」


 この男は本当に神出鬼没だ。きっと、俺たちの周りを張り付いて回っているんだろう。


「聞いていたのは俺だけじゃない」

「あ?」


 未来人は突然、そんなことを言った。

 まさか、という思いが頭をよぎった。


「昨日、神社の前で4人が話していた言葉は、相沢万由里も聞いていた」


 その事実で、すべてがつながった。

 自分がただ利用されていただけだと知って、だからこんなにも俺たちを拒絶していたのか。

 知ってしまえば、あまりにも当たり前の理由だ。


「そういうことね」

「うそ……。あたしが変なこと言い出したせいで」


 本当に嫌になる。

 やっと希望が見えたと思ったのに。一度目的が知られてしまったら、もう取り返しがつかない。


「別に六花のせいじゃないって」


 貴人が慰める声が聞こえる。

 別に誰のせいだって関係ない。もう終わったんだ。

 それでも、未来人は首を横に振る。


「まだ、全部が終わったわけじゃない。高垣沙莉のことは考えるな。今はただ、相沢万由里のことだけを考えるんだ」


 沙莉のことを考えないなんて、どうすればできるんだろう。

 そんなことをこの得体の知れない男に言われて、それでも怒りをぶつける気力もわいてこなかった。


「もういい。冷めたわ」


 未来人だとか、世界が滅ぶとか、願いが現実になるとか、なんだか急に全部がどうでもよくなった。

 俺は家に帰ろうと、細い路地を引き返した。


「高垣祐介!」

「たまには真面目に頑張ったらこれかよ」


 貴人と六花の引き留める声が聞こえたけど、それも無視をして歩き続けた。

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