第3章 〜7月の終わりの夏祭り〜
第22話 なによりも大事なことは
沙莉は今日も、静かに寝息を立てながら眠り続けている。
穏やかに眠れていることだけが救いで、同時に、いつまでも起きないことの異常性を浮き彫りにする。
「髪、ずいぶん伸びたよな」
沙莉の柔らかい髪をそっと撫でる。
眠っている間も伸び続けて、今ではもう腰の先までかかっている。身長も少しずつ伸びているのか、だんだんとベッドが狭くなってきているように見える。
こうして毎日話しかけていると気づけないけど、確実に当たり前の成長を続けている。
「目が覚めたら、まずは髪を切らないとな」
今はヘルパーさんが毎日身体を拭いてくれているけど、ちゃんとお風呂にも入りたいと思うはずだ。
身だしなみを整えたら、それから――。
「そのあとはなにがしたい? 沙莉ももう5年生なんだし、電車で市街の方まで行くのもいいよな。その時はもちろん、3人も誘ってさ」
少し前まで、こんなのは夢の話だと思っていた。
現実になってほしい。だけど、いつまで待てばいいのか、その時が本当に来るのかも分からない、妄想の世界。
「たぶん、みんな背が伸びてて驚くよな。それに、沙莉の目が覚めたら、父さんも母さんも少しは家にいてくれるようになるかもな」
最近、また昔を思い出すことが増えた。
沙莉の目が覚めたら、きっとあの頃みたいに戻れるはずだから。
「やっと、光が見えてきたんだよ……」
きっと、その時はすぐそこまで来ている。
宝くじを当てるような確率を現実にして、天気を操るほどの奇跡を起こす。それほどの力を利用できるなら。
(沙莉のためなら、使えるものはなんだって使うさ)
「絶対、やり遂げて見せるから」
最後にそっと頭を撫でてから、明かりを消して部屋を出た。
◇
夏休み4日目。
1日でも早く沙莉の目を覚ますために、少しの時間も無駄にはできない。
作り置きされた食事をかき込んで、簡単な身支度を済ませる。ドアを開けると、すぐ目の前に貴人の顔があった。
「よっ」
「いや、なんでいるんだよ」
「なんでって、もちろんずっと待ってたからな!」
理由になっているのかいないのか、貴人は自信満々で言い切った。
「それ、どう考えても不審者だろ……」
「わざわざ呼び出すのも変だろ? それに、俺が祐介を大好きだって近所の人はみんな知ってるだろうし」
「それ、ホントにキモいから」
ふと横を見ると、玄関の脇にしゃがんでいる六花がいた。目が合うと突然六花は慌て出す。
「言っておくけど、あたしはさっき来たところだからね!? このバカみたいに、家の前でずっと待ったりしてないから!」
「いや、聞いてないけど……」
「それより、万由里ちゃんに会いに行くんだろ? 俺もついていくぜ」
いったいなにをしに行くつもりなのか、貴人は腕をぐるぐると回して準備運動をしている。
「あたしも行く。やっぱり、沙莉ちゃんには目を覚ましてほしいから」
「ありがとう。願う人が多ければ、その分叶いやすくなったりすればいいんだけど」
相沢の力の細かい条件なんて分からない。
だけどきっと、単純な願う気持ちの大きさではないはずだ。もしそうなら、とっくに目を覚ましていないとおかしくなる。
「とりあえず、今はもっと相沢に接近するしかないよな。いっそ、相沢本人に願ってもらえばいいのかな」
ああでもないこうでもないと言いながら、俺たちは相沢の家を目指して歩く。だんだんと近づいてきた、その時だった。
突然、貴人は高いテンションで言った。
「ここで問題! 来週、我々の住んでる場所の隣町では、なにが開催されるでしょう!?」
「なんで急に問題形式……。”つかさ祭り”でしょ?」
六花は呆れたように言う。
貴人の問題は、半分答えを言っているようなものだった。
『つかさ祭り』
毎年7月の終わりに開催される、県内最大級の夏祭りだ。
大通りを封鎖して行われるそれは、巨大な山車が通ったり、いくつもの踊りやパフォーマンスが披露されたりする。他にも、回りきれないほどの出店が並んだり、この祭りの間だけは、田舎県というのが信じられないくらいの賑やかさになる。
ここからは電車に乗って数駅のところで開催されるという距離の近さもあって、この街のほとんどの人間が毎年参加していた。
「正解! 俺はさ、そんな難しいことは考えずに、もっと純粋に万由里ちゃんと仲良くすればいいと思うんだよ」
「純粋に仲良くするってなに? あたしたちにとって、沙莉ちゃんが目を覚ますことより大事なことってある?」
「いや、それはそうなんだけどさ……。俺はただ、みんなでお祭りに行けたら、絶対楽しいんじゃないかなって」
相沢は夏休みの間に祖母の家まで遊びに来ているに過ぎない。いつまで滞在しているかも分からないのに、悠長なことは言っていられない。
「俺も、今は沙莉のことしか考えられない。……けど、つかさ祭りは使えるかもな」
もしも相沢と仲良くなることが願いを叶える条件ならば、来週のつかさ祭りは、間違いなく絶好の機会だ。
そんな話をしていると、相沢の家の前まで着いた。
ついこの間までまったく縁のなかった近所の家を、こうして毎日訪れているんだから、おかしなものだと思う。
その家の前のチャイムを鳴らす。少し待っていると、出てきたのは相沢のおばあちゃんだった。
「みんな今日も来てくれたの?」
「えっと、相沢……。万由里さんはいますか?」
少し恥ずかしく思いながら名前で言った。今さらだけど、おばあちゃんも相沢だった。
訊くと、おばあちゃんは残念そうな顔をした。
「ごめんね。万由里ちゃんはちょっと体調が良くないみたいなの。あの子になにかご用だった?」
俺たちは顔を見合わせる。
昨日までは元気にしていたと思っていたけど、昨日の片づけで疲れてしまったんだろうか。
「えっと、用ってほどじゃないんですけど。来週のつかさ祭りに一緒に行けないかな、と思って」
そう伝えると、おばあちゃんは、「あら」と嬉しそうに両手を合わせた。純粋に喜ぶその様子に、少し心が傷んだ。
「きっと、万由里ちゃんも喜ぶと思う」
「このこと、万由里さんに伝えてもらってもいいですか?」
おばあちゃんは首を横に振って答えた。
「これは直接みんなから誘ってあげて。その方が万由里ちゃんも嬉しいと思うから」
俺たちはそれにうなずいた。
「明日、また伝えに来ます」
だけどその“明日”、俺たちがそれを相沢に伝えられることはなかった。
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