第20話 シュークリームと雷鳴

 家の中の片づけがすべて終わって、達成感と開放感で俺たちは少し浮かれた気分になっていた。

 居間に集まった俺たちは、2日間の重労働をやり遂げた仲間をお互いにたたえ合う。

 それを見て微笑んでいたおばあちゃんは、「そうだ」と言って手を合わせた。


「万由里ちゃん、冷蔵庫の中に買っておいたお菓子があるから、持ってきてくれる?」

「お菓子?」

「そう。手伝ってもらったお礼にね」

「うん、分かった」


 トトト、と言われた通りに相沢は台所の方まで小走りで向かう。

 おばあちゃんは改めて俺たちの方に向き直って、申し訳なさそうにまゆを下げた。


「こんなに働かせちゃってごめんね。せめて少しゆっくりしていって」

「すみません。お気遣いいただいて」


 怜司もすっかりいつもの調子に戻っている。きっと、もう大丈夫だろう。


「あ、お茶もあった方がいいかな」


 台所の方からそんな声が聞こえてくる。

 カチャカチャ、ぱたぱた……。音を聞いているだけで、あまりにも不安になってくる。気になって見に行くと、お盆の上に人数分のお茶とシュークリームを乗せているところだった。この個包装になったシュークリームが、おばあちゃんの用意してくれたお菓子なんだろう。

 シュークリームがお盆の上にギリギリ乗り切らないで、縦に積んでみたり悪戦苦闘をしている。


「乗り切らない分だけよろしく」


 さすがに、危なっかしくて見ていられない。乗り切らない分のシュークリームを、相沢の手の上に乗せる。きょとん? と、よく分かっていないような顔をした。


「え、っと?」

「お盆は俺が持つって言ってんの。せっかく用意してもらったお菓子なのに、大惨事は起こしたくないだろ?」

「あ、あたしも手伝う!」


 居間で待機していたはずの六花が、手を上げながら割って入ってくる。

 どう考えても、これだけの作業に3人は過剰戦力だ。


「いや、2人いれば十分だろ」

「うう。それはそうだけど……」


 相沢と手分けをして、居間のテーブルまでお茶とシュークリームを運ぶ。六花はその後ろをトボトボとついてきた。


 座敷席にあるような背の低い大きな木製のテーブルを、6人全員で囲んで座る。数日前まではまったく想像もつかなかったような、なんとも不思議な時間だった。

 それでも、ほどよい疲労感で味わうシュークリームは美味しかった。


「だけど良かった。こっちで万由里ちゃんにたくさんお友達ができて」


 おばあちゃんは心から嬉しそうに微笑んでそう言った。


「友達、なの?」


 相沢は俺たちの顔を一人ひとり見て、小さく首をかしげた。

 友達じゃないなんて、言えるはずもなかった。


「さあな。友達かどうかなんて、わざわざ決めることじゃないだろ」


 結局、恥ずかしくてそんな言葉で誤魔化した。


「そういえば、前に遊びに来てくれた時も、たくさんお友達を作っていなかった? それで、最後には『帰りたくない』って言って、迎えに来たパパを困らせて」


 そのおばあちゃんの言葉を意外に思った。そんな相沢の姿は想像するのが難しい。

 相沢本人も不思議そうに首をかしげている。


「そうなの? 全然覚えてない」

「何年前だっけ。たしか、万由里ちゃんがまだ――」


 おばあちゃんは、ふと窓の方を見て言葉を止めた。

 そして小さく、


「夕立」


 と、つぶやいた。

 見ると、窓越しにも嫌な空気が伝わってくるような外の景色だった。


「最近は、もっと別の呼び方をするんだったっけ」

「ゲリラ豪雨?」

「そうそう。なんだか、ずいぶん恐ろしい呼び方になったねぇ」


 しみじみとつぶやくおばあちゃんをよそに、いよいよ荒れた雲が空を包んでいく。


「一気に来そうだな」


 ゴロゴロ、と地鳴りのような音が聞こえてくる。雨だけではなく、雷もすぐそこまで近づいて来ていた。そして、いよいよ雨が降り始めた。

 ゴー!という地面を叩く音と、ダンダンと窓を叩く音とが合わさって、家中に響きわたる。窓の外では、ピカピカと稲光が走っていた。

 ふと、床についた左手に触れる感触があった。見ると、隣に座る六花が自分の手を重ねていた。


「雷が止むまで、いさせてもらおう? 家の中なら絶対に大丈夫だから」


 俺は無言のまま小さくうなずいて答える。

 思えば、雷の音を聞くのは、この夏に入ってから初めてだった。少しは慣れたつもりでいたけど、久しぶりに聞くこの音は、俺から冷静さを奪っていく。

 呼吸が浅くなる。

 息が苦しい。

 ハッ、ハッ、と、足りない酸素を取り込もうとして呼吸が速くなる。


「具合、悪いの?」


 テーブルの向かいから、相沢が心配そうに顔をのぞいていた。


「大丈夫。なんでもないから……」


 無理に出した声は、たぶん大丈夫に聞こえなかったと思う。「でも……」と、相沢は心配をやめなかった。


「全然、大丈夫だから」


 その瞬間、ドーン!

 轟音が響く。すぐ近くで雷が落ちたのだと分かった。


「あの、カーテン閉めてもいいすか?」


 貴人がおばあちゃんに訊いた。

 もちろん、という声が返ってくるのと同時に、貴人は大きな窓のカーテンを閉めて、外の景色を見えなくした。時折入り込む雷の明かりは、カーテンに遮られて見えなくなった。


(また、みんなを心配させてるな……)


 貴人がいて、六花がいて、怜司がいて。そして、夏の暑い日に雷が鳴っている。これだけの条件がそろって、思い出さないはずがない。

 目を閉じなくたって、嫌でも頭に浮かんでくる。


 あれは、俺たちが小学6年生の時の夏休み。

 ある日、沙莉も含めた5人で外を歩いている時のことだった。

 どこに向かう途中だったのかは、よく覚えていない。それでも、あの場で起きたことはハッキリと覚えている。


(ほんの数分前まで、空は快晴だったんだ)


 真っ青だった空はあっという間に黒い雲に覆われて、ピカピカと雷が光る。雲はすぐに雨を降らせて、俺たちは慌てて雨宿りの場所を探して走った。


 それは、走り出してすぐだった――。

 視界の一面が強烈な光に包まれた。

 続いて、全身が震えるほどの轟音。

 全員がその場で尻餅をついていた。

 なにが起きたのかも分からないまま、ゆっくりと目を開ける。そして目に飛び込んできたのは、意識を失って横たわる沙莉の姿だった。

 沙莉は落雷にうたれた。


 その時から今日まで、沙莉はずっと眠り続けたままでいる。


「本当に、嫌な天気だよ」


 ふと、向かいに座る相沢の異変に気づいた。

 ぎゅっ、と思い切り目をつむって、必死になにかを祈っているように見えた。


「相沢……?」

「雷、やんでほしいってお願いしているの。高垣くん、調子が良くなさそうだから。雷がやめば、自分のお家に帰ってゆっくりできるから……」


 思わずなにも言えなくなる。

 相沢は、自分の力のことを嫌っているのかと思っていた。少なくとも、こうしてなにかを願っている姿を見るのは初めてのことだった。

 その祈る理由が絶妙にズレているところが、相沢らしいと言えばらしいんだけど。


「相沢は――」


 言いかけて、言葉を止める。

 聞こえる雨音が、ふっ、と止んでいた。

 それに気づいた貴人は慌てて窓の方まで走って、勢い良くカーテンを開ける。窓の外は、すっかり落ち着いた空模様だった。


「すげえ、ほんとに止んでる!」

「バカな……」


 相沢の起こす奇跡を初めて目の当たりにした怜司は、ぽかんと口を開けている。


「すげえな、本当に……」


 もう何度も目にしてきたはずなのに。

 俺はただ感嘆することしかできなかった。


 相沢万由里は、たしかに奇跡を起こす。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る