第19話 バスケ馬鹿の葛藤②

「本当に怜司だ」


 玄関のドアを開けると怜司がいた。

 大会が終わって急いできたのか、制服姿のままだった。


「お前たちこそ、本当にここにいたんだな」

「これにはいろいろわけがあるんだよ」


 俺の後ろから六花も貴人も顔をのぞかせて、「怜司だ」「ほんとに怜司だ」とつぶやいている。

 はあ、と怜司は溜息を吐く。


「さっきの子が、例の“相沢万由里”だろ? あの自称未来人の言うことを信じて、また変なことに首を突っ込んでるわけか」

「いや、あいつは自称じゃなくて……って、それよりお前がここにいる理由だよ」


 相沢の手伝いをしていることも、手伝いをしている家の場所も、当然怜司には伝えていない。

 怜司は少し後ろの2人を気にするそぶりを見せた後に、ここに来た理由わけを話した。


「今日の結果を報告しようとお前の家まで行ったんだが、誰も出なくて。出直そうかと思った時、あの自称未来人が現れて、どういうわけかこの家まで案内された、という流れだ」


 まさか、あの未来人が絡んでいるとは驚いた。だけど、あの男ならこの家のことを知っているのも納得だった。


「で、その未来人はどうしたの?」


 六花が訊いた。


「さあな。家の前まで来たら、気づいたらいなくなっていた」


 本当になにを考えているか分からない男だ。ふらっと現れて、ふらっと消えていく。

 だけど、このタイミングで怜司を連れてきてくれたのは都合が良かった。


「ちょっと手伝って行けよ」

「は?」

「人手がいるんだよ。この後暇だろ?」


 後ろを向くと、階段の影に隠れている相沢が見えた。


「上げていいよな? たぶん、心強い助っ人になると思うから」

「待て、なにも把握していないんだが」


 戸惑いながらも、怜司はしぶしぶ家に上がる。

 居間まで通すと、おばあちゃんに気づいた怜司は、「お邪魔します」と丁寧にお辞儀をした。訳が分からないままでも礼儀がしっかりしているあたりは、さすがの怜司だ。


「あら、男前。またお友達が増えたの?」


 おばあちゃんは嬉しそうだ。


「ううん、友達じゃないの。助っ人? なんだって」

「おい、祐介。いい加減に教えろ」

「見ればわかるだろ。片づけをしてるんだよ」


 居間にはまだ、2階から下ろした荷物が溜まっている。

 陽が沈み切るまでには、全部綺麗にしておきたかった。


「分かるが、なぜ?」

「おばあちゃん、足腰が弱くなって2階に上がれなくなっちゃったんだって」


 六花が答える。


「いや、それも理解はできるが、なぜ……。まあいいか。手伝う内容自体は、そう悪いものじゃなさそうだからな」

「さすが怜司、話が早い!」

「オレも、身体を動かしてる方が気が紛れる」


 怜司は小さく、そうこぼした。


「で、オレはどうしたらいい?」


 話が固まると、そこからは早かった。

 これまでの作業とこれからの流れについて説明をして、さっそく実際に身体を動かしていく。期待をした通りに、怜司は頼もしかった。高いところに荷物を置くのも、重い荷物を運ぶのも、軽々とやってのける。

 基本は黙々と作業をする中、怜司にはこれまでの2日間のことを軽く話した。未来人の話は相沢に聞かれないように気をつけながら、これまでに起きた不思議な出来事も全部を伝えた。

 たぶん半信半疑だとは思うけど、ありえないと切り捨てることはしなかった。


 粗大ゴミになる衣装ダンスを、怜司と2人で持って庭へと運んでいる途中だった。


「なあ。オレは本当に手伝ってて大丈夫なのか?」


 怜司は急にそんなことを言った。


「なんで?」

「あの子だ。あそこまで露骨に怖がれると、さすがに少し傷つくんだが……」


 ああ、と納得がいった。

 怜司が来てからの相沢は、もともとの口数の少なさがさらに加速して、怜司が移動したりなにかを話すたびに小さく怯えたりしている。

 今も、肉食動物に怯える小動物のように、ちらちらと怜司の動向を気にしている。


「めちゃくちゃ人見知りなだけだから気にするな」

「それは本当に大丈夫なのか……?」


 庭をぐるりとまわって、衣装ダンスを玄関の方まで運ぶ。慎重に地面に置いて、廃品回収のためのシールを貼った。

 ふう、と息を吐いて背筋を伸ばす。空を見ると、綺麗なオレンジに染まっていた。

 だんだんと、日暮れが近づいている。


「すまなかった」


 突然、怜司は謝罪の言葉を口にした。


「なんだよ、急に」

「今日の試合のことだ。沙莉ちゃんとの約束を、果たせなかった」


 ずっと、今日の結果については触れないでいるつもりだった。

 だけど、そんな半端な状態をこの男が許すはずもなかった。俺がなにも言えずにいると、怜司は続ける。


「昨日の夜と同じだったんだ。バスケだけはダメだと反対されて、家に帰れなくなっていたオレに、声をかけてくれたのが沙莉ちゃんだった。好きなことをやればいいと言ってくれた沙莉ちゃんのために、この大会は負けたくなかった」


 まるで膿を出すように、怜司は溜まっていた想いを吐き出したように見えた。


「うん、知ってるよ」


 初めて怜司の存在を知った時のことは、不思議とよく覚えていた。

 隣の家まで回覧板を届けに行った沙莉の帰りが遅いのを心配していたら、やけに上機嫌で帰ってきたから驚いた。


『さっきね、すごい人に会ったよ! お兄ちゃんと同い年みたいなんだけどね、日本一のバスケ選手になるんだって!』

『へえ、誰だろ。そんなの面白いやつが近所にいたんだ』

『うん! でも、名前聞いてない……』


 次の日、俺は沙莉と一緒に、その名前も知らない同級生の男子を見つけ出した。そして、その日から俺たち幼馴染は5人のグループになった。

 貴人や六花とは違う。怜司は、沙莉が最初に見つけてきたんだ。


「悪かった。祐介に言ってもしょうがないのは分かっている。だが、お前は沙莉ちゃんの……」


 怜司はそこで言葉を止めて、家の中へ戻ろうとした。


「戻るか。作業もあと一息だからな」


 その背中に問いかけた。


「お前、これからどうすんの?」

「そんなこと、考えられる余裕があると思うか?」

「……悪い」

「いいさ。どうせ、明日から考えないといけないことだ」


 怜司は珍しく力なく笑って、そのまま家の方に戻っていった。



 中に戻ると、3人は居間の片隅にあるピアノの周りに集まっていた。


「おばあちゃん。このピアノもきれいにしてみたらどう、かな?」


 1階の居間の片隅に置かれた、縦型のピアノ。本体は木目調の落ち着いたデザインで、日本らしさが色濃く残るこの家によく馴染んでいた。

 ピアノには古びた布のカバーがかぶせられて、もうしばらくは弾かれていないんだということが伝わってくる。

 降ろした荷物のほとんどが片づいて、次のきれいにする対象はこのピアノということらしい。


「そうだね。もう弾けないけど、ちゃんとお手入れくらいしてあげないと」


 おばあちゃんは座椅子に座りながら、ピアノを見つめて目を細める。その目だけで、このピアノを大事にしていることが伝わってくる。

 相沢は布のカバーを取ってから、鍵盤を守るふたを持ち上げる。現れた白と黒のコントラストのそれを、相沢は人差し指で叩いた。

 ぽーん、と、音がした。


「お、鳴った鳴った!」


 綺麗な音に貴人ははしゃぐ。

 ぽーん、ぽーん。

 と、相沢は高さの違う音を続けて鳴らす。


「相当、音がずれてるな」


 よく通る声で、怜司が言った。


「そうね。もうずっと調律もしていないから」

「調律はできていなくても、大切にされているのは分かります」

「ありがとう。あなた、ピアノを弾くの?」


 おばあちゃんは、嬉しそうに怜司に問いかけた。

 貴人も六花も、怜司のピアノに対する因縁は分かっている。俺たちは怜司の回答を、唾を飲んで見守った。


「ピアノは……。ピアノを、弾かされて育ちました」


 それが怜司の返事だった。

 おばあちゃんはわずかに驚いた後、いつもの穏やかな笑みに戻った。


「私はね、ピアノが好き。ずっと前に亡くなった旦那とは、このピアノを通じて知り合ったの」


 そういえば、2階の書棚を整理しているとき、いくつか譜面のような冊子を見つけていたのを思い出した。

 旦那さんが生きていた頃は、2人でこのピアノを弾いたりしたんだろうか。


「オレの両親も同じです。2人ともピアニストを目指した時期があるような人で、だからこそ、オレにもその道を強要してきました」

「そう……」

「オレにはやりたいことがあったのに、指を怪我させたくないからと止められて。だけど、反対されればされるほど、オレも意地になって打ち込んで……」


 ゆっくりと、怜司はピアノの前まで近づいて。

 ぽーん。

 一音、それを鳴らした。


「だけど、今になって気づいたんです。結局、オレがやりたいと思っていたことも、ただ親に反発したかっただけなのかもしれないって」


(ああ、そういうことか……)


 怜司は今日までずっと、いろいろなものに縛られていたのか。

 親の言いつけに反発したい気持ちも、「日本一のバスケ選手になる」という約束も、その夢を応援してくれた沙莉への恩義も。


「最初から、オレという人間なんてどこにもいなかったんです」


 “バスケ部主将の西川怜司”でいられなくなった怜司は、これからどうしていくんだろう。沙莉との約束から開放された今の怜司には、きっとそれが見えていない。


 おばあちゃんはゆっくりと立ち上がる。

 そして、鍵盤の上に置かれたままの怜司の手に、自分の手をそっとかぶせた。


「そういうものよ。若い頃は、そうやって少しずつ自分を知っていくものなんだから」

「そう、でしょうか」

「大丈夫。あなたが本当にやりたいと思えることは、きっと見つかるから」


 怜司はぐっと、くちびるをかみしめる。ふと、そんな顔を見ていたら、懐かしい記憶がよみがえった。

 まだ沙莉が眠り続ける前のこと。あいつは毎日のように俺の家の前で、バスケットボールを持って立っていた。


『祐介。今日もやるぞ』

『お前、俺以外に誘うヤツいないのかよ』

『悪かったな。オレの親にうるさく言われるのを嫌って、誰も付き合ってくれないんだ』

『いや、いろいろ言われるのは俺もなんだけど……』


 公園で1 on 1をしていると、怜司の親が乱入して「うちの子をバスケに誘わないで」と怒られるのは日常茶飯事だった。

 それ自体は鬱陶しいと思うこともあったけど、怜司と遊ぶ時間は悪くなかった。


「分かんないけどさ。最初にバスケをやりたいと思ったのは、ちゃんと怜司の意思なんじゃないの?」


 沙莉が眠るまで、怜司は確かに楽しそうにバスケをやっていた。そこからは疎遠になって分からないけど、それだけは確かなことだ。

 だから、『最初から怜司という人間がいなかった』なんてことは、絶対にありえない。


「ちゃんと怜司は怜司として、本気でバスケやってたよ」


 怜司は少しだけ泣きそうに目を細めて、ひとこと。


「そうだな」


 と言った。

 怜司は鍵盤から手を離すと、ゆっくりとピアノのふたを閉めて、カバーをかけた。その一連の動作は、とても優しい手つきに見えた。


「今度、調律をさせてください。父がその道の人なので、多少の知識はあるつもりです」


 おばあちゃんはその顔いっぱいに、優しい笑顔を浮かべた。


「ありがとう」


 ふと、ずっと静かに見守っていた六花が、ハッと庭の方を見た。

 その視線の先に、おばあちゃんも気づいたみたいだ。


「あの人も、万由里ちゃんのお友達?」


 つられて見ると、庭の隅に未来人が立っているのが見えた。そして、俺たちに見られたことに気づくと、静かに死角の方へと移動して行った。


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