第16話 夏の夜にバスケ馬鹿はたたずむ
相沢の祖母の家の片付けは、結局半端なままで終わりになった。2階の整理を終わらせる時間はなくて、ひとまず1階でおばあちゃんが暮らすのに邪魔にならないように片付けるのを優先した。
「あー、疲れた」
貴人と六花と別れて、家に向かう途中、大きく伸びをして身体をほぐす。中学に入ってからは、身体を動かすこともめっきりと少なくなっていた。
田んぼと山と平屋しかないこの辺りでは、夕陽が沈む頃になると、一気に街が暗くなる。少しずつ闇に眼を慣らしながら、じっとりとした夏の夜の空気を肌で感じながら、ひとりで家を目指す。7月も後半に入って、最近はもう熱帯夜続きだった。
夏休みに入ったんだ、と、そんなことをやけに感じていた。
(家に籠ってだらだらとゲームができれば、別にそれだけで良かったのに)
未来人と出会って、不思議な女の子と出会って、不良を追い払って。さらには、知らない人の家の片付けまでをして。自分でもずいぶん不思議なことをしている自覚がある。
夏休みに入ってまだ2日だというのが信じられないくらいだ。
「案外、そんなに嫌じゃないかもな」
田んぼだらけこの街は、夜になるとカエルの合唱でうるさくなる。周りを山に囲まれたせいで虫は多いし、コンビニは自転車に乗って10分は走らないと行けないし、かと言ってテレビで取り上げられるほどの田舎じゃない。
そんな退屈な街で迎える15回目の夏は、なんだか不思議な夏だった。
そんな感傷に浸っていると、自分の家が見えてくる。クリーム色の外壁に紺色の瓦屋根の、2階建てのオーソドックスな一軒家。その家の前に、一人の男が立っているのが見えた。
どう考えても中学生には見えないスタイルのあのイケメンは、間違いようがない。暗がりでも、浮かない表情なのが分かった。
「怜司? まさかもう負けたのかよ」
とはいえ、怜司が2回戦で負けるのは想像がつかない。「まさか」と怜司は一蹴する。
「余裕、という言い方は良くないが、危なげなく勝ったさ」
「だよな。だったら、なんでそんな微妙な顔してるんだよ」
怜司は珍しく、ふっ、と自嘲をもらす。
「両親と言い合いになった。オレが試合の途中で少し指を痛めたことに、目ざとく気づいてな。あの人たちが口うるさいのはいつもだが、オレも少し疲れていたんだ」
怜司は言いながら、肩から下げているバスケットボールケースを右手で遊ばせる。小学生の頃に出会った時から使っているそれを、怜司はいつもお守りのように持ち続けている。
「それで、家を飛び出して来たってわけか。怜司の親がバスケを良く思ってないのは知ってるけど、大会の時くらい応援してくれたっていいのにな」
「頑固なんだよ。そして、オレもきっとそれに似たんだ」
「たしかに」
と、俺は笑う。
怜司の頑固は昔からよく知っている。一度やると決めたことは絶対にやり遂げるし、曲がったことは許さない真面目野郎だった。
小学生の時、体育の授業で逆上がりができなくて、休み時間や放課後も、ずっと1人で練習を続けていたのを覚えている。それで、次の授業には完ぺきにこなして、それどころかもっと難度の高い技まで披露してしまった。
今だって、日本一のバスケ選手になるという途方もない目標に向かって、毎日努力を続けていることを知っている。
「今日は、勝利報告はしなくていいのか?」
「さすがに毎日来られたらしつこいだろう。次は優勝報告に取っておくさ」
「そっかよ」
こいつが俺の家に来るときは必ず沙莉に用事がある時だ。てっきり、今回もそんな用事だと思っていたのに。
怜司は少し、迷うような様子を見せた。
「この総体が終わったらオレは、なんでもないただの中学3年生になるんだな」
常に目の前の目標だけを見つめ続けて怜司が、初めて見せた隙だった。
「なんだよ、急に」
「メンバーの1人が、引退しても勉強はしたくないと愚痴っていた。オレも、今はバスケ部主将の西川怜司でいられるが、引退したらただの受験生だ」
「珍しく気弱だな。沙莉と約束したんだろ? “日本一のバスケ選手になる”って」
怜司はしばらくの沈黙のあと、「ああ、その通りだ」とこぼした。
「悪かった、突然変な話をして」
「それはいいんだけどさ。うちになにか用があったんじゃないのか?」
わざわざ俺の家の前に立っていたんだ。
貴人みたいに、なんの意味も用事もなく
「少し、夜風に当たるついでに寄っただけだ。邪魔をしたな」
怜司は自分の家とは反対の方へ向かって歩いていく。進む方角にはバスケのゴールが設置された公園があって、きっと今から1人で練習でもするつもりなんだと思う。
いつも背筋が伸びた怜司の背中が、やけに力なく見えた。
「明日、応援に行くよ」
思わず、そんなことを言っていた。
怜司が振り向く。
「必要ない」
「要る要らないじゃなくて、俺が行きたいから行くんだよ」
表情の変化が少ない怜司が、珍しく目を丸くしている。
「本当に来るつもりなのか?」
「お前のバスケのことは、沙莉が気にかけてたからな」
「なんだか、少し雰囲気が変わったな」
怜司は突然、しみじみとそんなことを言った。
「俺が?」
「ああ。……いや、変わったというより、少し昔に戻ったような感じか」
怜司が言う“昔”は、きっと沙莉が眠る前のこと。俺がまだ、このグループの中でリーダーのような役回りをしていた頃のことだろう。
「来たいなら来ればいい。どっちみち、オレたちが勝つのは変わらない」
そう言って、怜司はすっかり暗くなった道を歩き去っていった。
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