第10話 世界の存亡をかけた小さな戦い

 貴人が走り出してから数秒後、シュルルルルゥ!!という音が響いた。

 そしてそれからすぐに、


「うっわ、なんだぁ!?」


 素っ頓狂な不良たちの声が聞こえてくる。


「はぁ、あのバカ。本当にやった……」


 こうなってしまったからには、もう後戻りはできない。

 どうやら貴人は、火をつけたネズミ花火を不良たちの近くに投げ飛ばしたらしい。突然のことに、不良たちが慌てふためいている様子が見える。


「さ、逃げるぞ!」


 まさにヒットアンドアウェイ。貴人は尻尾を巻いて全力でこっちに引き返してきた。


「はぁ? ちょっと、あんたがこっちに来たら、あたしたちまで巻き込まれるでしょ!」


 六花の危惧した通り、不良たちは襲撃犯に気づくと、ためらいなく山の中に入ってきた。もし追いつかれてしまったらどんな目に合うのか、できれば想像もしたくない。


「ていうか体力ないくせに、よく無謀に突っ込んで行ったな……!」

「そんな褒めんなって。大事なのは勢いだろ?」

「別に褒めてない!」


 木と木の間をすり抜けながら、足元の木の根に引っかからないようにひたすら走る。靴が汚れるとか、草が腕や足にぶつかるとか、そんなことを気にしていられる余裕はなかった。

 ただただ、不良たちから距離を取ろうとした。


「待てや、こらー!!」

「血祭だ、ごるあああぁ!!」


 後方からは、そんな雄叫びがいくつも聞こえてくる。血相を変えて追いかけてくる男子高校生たちの足は、さすがに速い。このまま普通に逃げ続けても、追いつかれるのは時間の問題だった。


「ちょっと貴人、なにかないわけ!? さすがに無茶だって!」

「まあまあ。そんな焦るなって」

「いや、これで焦るなって方が無理だから!」


 いよいよ不良たちはすぐ後ろにまで迫ってくる。


(逃げ切れない……!)


 ついに観念しかけた、その時だった。


「おっしゃ、そろそろいくか」


 そう言って、貴人はリュックからなにかを取り出した。そして、それを思い切り空中に向けてぶちまける。

 細い粒子のそれは空中に漂って、なにか刺激のある匂いを感じた瞬間、思わずむせてしまった。


「ゲホッゲホッ。貴人お前、なにぶちまけた?」


 訊くと、貴人は小さなビンを得意げに見せた。


「コショウ」


 背後から、不良たちによる咳とくしゃみの四重奏が聞こえてくる。貴人の作戦の効果は絶大で、まともに目を開けていられなくなった不良たちの足は完全に止まった。

 視界の悪い山の中では、その一瞬の時間稼ぎが決め手になった。無数の木が障害物になって、すぐに不良たちの姿は見えなくなる。

 俺も、貴人も、六花も、走りながら声を抑えて笑った。


「お前、なんだよコショウって」

「いいだろ、上手くいったんだから。コショウは世界を救うんだよ」

「バカバカしすぎて、逆に笑えてくるんだけど。ネズミ花火とコショウで不良を撃退するってなに?」


 珍しく、六花も笑いを堪えながら話す。

 こんなものが世界を守ることにつながっているなんて、あまりにも滑稽すぎる。

 こんなに笑ったのは久しぶりだった。たしか、中学生から鳥の巣を守った時も、作戦の後はこんな風に5人で大笑いしていた気がする。

 不良たちが追ってこないのを見て、走るのをやめて歩きに変えた。


「てか、これであいつら、神社に寄り付かなくなるのかな」


 そもそも、最初の目的はあの不良たちを神社から追い払うことだった。

 一時的に追い払うことはできたかもしれないけど、明日になれば、また普通にたむろしているかもしれない。


「ああ、それならたぶん大丈夫」


 貴人はやけに自信ありげに言った。


「なんで? むしろ、明日からは血まなこになってあたしたちのことを探しそうじゃない?」

「今日、あいつらの学校に電話しといたから。タバコのことも言ったら、見回りを強化してくれるって」


 貴人は、あっけらかんと言った。


(いや、なんで?)


「な、ん、で、それを今言うの!」

「いたい!」


 六花の渾身の蹴りが貴人の脇腹に入る。今ばかりは止める気にならなかった。


 すっかり不良たちの気配もなくなって、緊張の糸がほぐれる。あとは、このことを相沢に伝えて、それから未来人にも報告しておこう。

 それで、全部一件落着になるはずだ。

 俺たちの思い出の場所も守られて、相沢万由里もこの神社に行けるようになって、未来でこの世界が滅ぶこともない。


「怜司も来ればよかったのになー」

「あのバスケ馬鹿は、今日から総体でしょ? こんなバカなことやってる場合じゃないでしょ」

「そうだけどさ。ちょっと昔に戻ったみたいだったから、怜司もいれば完璧だったなぁって」


 そんな話をしながら歩いていると、最初の神社が木々の隙間の向こうに見えてきた。

 そこに不良たちの姿はなく、代わりに鳥居の下に1人の女の子が立っている。


「相沢万由里だ」


 今日も様子を見に来たんだろうか。だとしたら、探す手間が省けた。

 山を抜けて神社の敷地に入った瞬間、視界が開ける。


「相ざ――」


 呼びかけようとした瞬間だった。

 ゴッ!と、身体に強い衝撃が走った。


「このクソガキが!」


 見ると、いなくなったと思っていた不良たちがそこにいた。

 全然、気が付かなかった。神社の本殿の陰に隠れて、待ち伏せしていたのか。

 俺は不良の1人に顔を殴られて、そのまま呆気なく地面に倒れた。


「てめえ!」


 貴人が殴りかかろうとして、あっさりと蹴り飛ばされるのが見えた。

 どさり、と俺の隣に倒れてくる。


「六花、逃げろ!」


 叫んでも、六花は立ちすくんだままだ。

 不良たちの目は血走っている。女子だから見逃してくれるなんて、そんな様子はみじんもない。


(まずい――)


「お前ら、マジで許さねえからな?」


 不良たちは脅すように指を鳴らす。

 ふと、視界の奥で変化があった。不良たちのすぐ隣にそびえる本殿の屋根が動いた。

 そして次の瞬間、屋根を構築していたいくつもの瓦たちが、ズラララー!と4人の不良に向かって降り注いだ。


「うがッ!」


 痛みに耐える声が4つ同時に上がる。

 奇跡、と言うほかにないと思う。本殿の屋根から落ちた瓦は見事に4人へ直撃して、全員がその場にうずくまった。


「は、早く。逃げて……!」


 そう叫んだのは相沢だった。

 呆然としていた六花はハッとして、同時に、俺と貴人も立ち上がった。


「こっち!」


 相沢に案内をされるままに”山”を出て、細道をしばらく走った。

 と言っても、案内をする相沢の足が遅すぎて、ほとんど早歩きみたいなものだったけど。


 数分ほど進んでやっと案内をされたのは、とある大きな一軒家だった。年季の入った家は二世帯が暮らせるくらいの大きさで、さらにその家の面積より大きな庭が広がっている。表札には「相沢」とあった。

 なんとなく、この家の見た目に既視感がある。


「ここ、私のおばあちゃんの家」


 相沢はそう言って敷地の中に入ると、庭の方へと向かった。庭の周りは背の高い木で囲われていて、外からは見えないようになっている。あの不良たちが近くを通っても、庭の中の俺たちには気づかないはずだ。


「ありがと……だけど、なんで助けてくれたの?」


 六花が訊いた。


「あなたたちが、あの人たちを追い払ってくれたのが見えたから。けど、そのせいで危ない目に合いそうで、助けなきゃって思って……」

「いやぁ、マジで助かったぜ。ほんと、奇跡だな」

「さすがに、ちょっとあいつらが心配になるけどな。あの瓦、結構重そうだったし」


 それほどの高さから落ちたわけではないけど、不良に当たった時の音から、それなりに重量があるのは伝わってきた。一歩間違えていたら、大怪我になっていたのは間違いない。


「祐介が心配することじゃねえって。頭に当たったわけでもなかったんだしさ」

「そうそう。あんな偶然がなかったら、あたしたちがどんな目に遭わされたか分かんないんだから」


 貴人と六花は、さっきの奇跡みたいな偶然に盛り上がっている。その隣では、相沢がなぜか俯いて黙ってしまっていた。

 その反応が気掛かりだった。


「相沢は、なんでそんな落ち込んでるんだよ」


 訊くと、相沢は恐る恐るといった様子で顔を上げる。

 俺たちを心配してくれていたのなら、この表情は明らかにおかしい。しばらくの逡巡のあと、「もし……」と切り出した。


「さっきの奇跡は私の力なの。なんて言ったら、あなたたちは信じてくれる……?」


 それは、昨日の質問とよく似た問いだった。


『もし、この雨が私のせいだって言ったら、あなたたちは信じる?』


 こんな奇跡を2度も目の当たりにして、信じないわけにはいかなかった。

 相沢万由里には、なにか特別な力がある。


「信じるよ」


 断言すると、貴人も同調するようにうなずいて、少し間をおいて六花も続いた。

 それを見て、相沢は「ありがとう」と安堵した。


「けど、雨を降らせたり、瓦を落としたり、いったいどんな力を使ったらそんなことができるんだよ」


 ゲームのやり過ぎかもしれないけど、こんなの魔法にしたって一貫性がなさすぎる。

 相沢は覚悟を決めるみたいに息を吸った。


「私の力はね、自分や周りにいる人の願いを、現実に変えることなの。祈るような願望も自分では気づいてないような願いも、全部」


 それはつまり、ひとことで言えば“願いを叶える力”だ。

 神社でたむろする高校生に退いて欲しいと願ったから雨が降って、俺たちを不良から守るために瓦を落としたのか。


(そんなの――)


「え、それすごすぎない? え、すごいよな?」


 貴人は驚きと困惑が混じって、忙しなくキョロキョロとしている。


「全然すごくないの。無意識の願いまで勝手に叶えられちゃうし、それがどんな形で現実になるかも分からないし。だから、さっきみたいに誰かを傷つけることもあるの……」

「そ、そっか……」


 これがもし本当に相沢が言う通りの能力なのだとしたら、ものすごい力だと思う。願いがなんでもかなうなんて、ゲームだったらチート級だ。


(もし、本当にどんな願いでもかなうなら――)


 ふと、俺の頭にひらめくものがあった。


「だからあなたたちも、もうこれ以上私と関わらない方がいいの」


 相沢は突然、そんなことを言った。


「どうして?」


 俺が訊くと、返ってきたのはこんな答えだった。


「私は、みんなを不幸にする魔女だから」

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