第9話 中学生、最後の夏休みの始まり

 中学生活、最後の夏休みが始まった。

 そんな思考になってしまったのは間違いなく、やたらにうるさい貴人のせいだ。


「ふわぁ」


 大きなあくびが出た。

 休みなのをいいことに目覚ましもかけずに、朝が来ても寝ては覚めてを繰り返した。

 こんな風にダラダラした朝の時間を過ごすのは、まさに休みの日の醍醐味だ。時計を見ると、すでにお昼近い時間になっていた。

 夏休みなんて、適当に溜まったゲームを消化して、問題にならない程度に宿題を片付ければいい。

 そう思っていたのに。


「祐介――!!」


 突然聞こえてくる貴人の声は、窓の外からだ。

 近所迷惑とか俺の気持ちとか全部無視して、貴人は平気で家の外から俺を呼ぶ。時間を気にせずまどろむ快楽は、一瞬にして吹き飛んだ。


「おーい、世界を救いにいこうぜ〜!」


 ベッドから降りると、通りに面した窓を開けて、家の前に立つ貴人へ叫んだ。


「うるせえ! 野球を誘うノリで言うな!」


 2階にいる俺を見上げる貴人の顔がパッと明るくなる。

 こうなった貴人は、言い聞かせても止められない。


「はあ。今から行くから、ちょっと黙ってろ」


 夏休みの初日だっていうのに、とんだ嫌がらせだ。

 身支度も適当に、沙莉に声だけかけてから家の外に出る。ドアを開けると、なぜかそこには六花の姿もあった。

 2人とも私服姿で、いよいよ夏休みに入ったんだと実感する。六花はTシャツにショートパンツと、すっかり夏の装いだ。健康的な白い足が太陽の日差しを受けて光っていた。

 貴人はどうしてか、近所に遊びに行くには大きすぎるリュックを背負っている。


「六花も来てたんだ」

「まあね。ほっとくと、また貴人がなにをしでかすか分かんないし」

「俺、信用なさすぎない?」


 貴人のぼやきを六花は目だけで黙らせる。


「なあ、本当に今日も行くつもりなのか?」


 意気揚々と歩き出す貴人に、俺と六花はついていく。その足が向かうのは、昨日と同じ“山”の方だ。


「当たり前だろ。なにせ俺たちには世界を救うっていう使命があるんだから」

「まだ言ってるわけ? あんなの、ただの妄想かいたずらかのどっちかでしょ」

「いやいや、あの雨見たっしょ? 絶対にホンモノだって! 祐介だってそう思うだろ?」


 分かるわけがない。

 あれがただの偶然か、それとも本当に彼女が起こした奇跡なのか。


「まあ、気にはなる。かな」


 俺にはそう答えるのが精いっぱいだった。


「そりゃ、あたしだってまったく気にならないわけじゃないけど……」

「じゃ、決定だな!」


 家から離れて山間の方まで近づくと、いっそうセミの声がうるさくなる。田舎は静かだなんて言われるけど、カエルや虫の大合唱で静かさの欠片もない。

 やがて俺たちが“山”と呼ぶ神社の手前まで来ると、そこには今日も男子高校生たちがたむろしているのが見えた。彼らの手には、相変わらずタバコがある。


「あの人たち暇すぎない? まあ、あたしたちもなんだけどさ」


 あの未来人は、「相沢万由里を助けて世界を救え」と言っていた。

 それはつまり、なにか彼女を危機に陥れるものがあるということ。


(昨日は、あの高校生に困ってる風だったけど……)


「あいつらを退けたら、解決するのかな」


 つぶやくと、貴人が驚いた顔でこっちを見た。


「マジかよ。やっぱり祐介も同じこと考えてた?」

「同じこと?」


 訊くと、貴人は背負っていたリュックを地面に置いて、その中を俺たちに見せた。

 そこには、ロケット花火やネズミ花火、水鉄砲などなど……。なにか用途の怪しげな物たちがぎっしりと詰め込まれていた。

 顔を見ると、ニヤリ、と貴人が笑った。


「俺も、あの高校生が怪しいって目をつけてたんだよな」

「マジで言ってる……?」

「俺たちで世界、救ってやろうぜ」


 隣では六花が、顔全体でドン引きを表現している。そんな顔になるも、すごくよく分かる。


「やっぱり、一緒に来たのは間違いだったかも」

「そう言うなって。六花だって、この場所があんな不良に占拠されているのは嫌だろ?」

「まあ、それはそうだけど……」


 この”山”は、数えきれないほど何度も遊んだ場所だ。特別な想いがないと言ったら嘘になる。

 貴人の言うことは分かるつもりだった。


「思い出の場所と未来の世界、俺たちの手で守ってやろうぜ!」


 こうして、貴人の勢いに押される形で、俺たちの世界を守るための戦いは始まった。


 神社にたむろをしている高校生は4人。山のふもとにある神社は、その周囲を木々に囲まれている。

 俺たちは山の中に入って、気づかれないように4人の不良の背後にぐるりと回った。


「なんか、今さらながらに後悔してきた」


 山の中はうっそうとしていて、六花はむき出しの足が草に触れないように気を付けながら歩く。

 昔は服が汚れるのも怪我をするのも気にしないで、土の上を駆け回っていたのを思い出す。やっぱり、あの頃とはいろいろなことが変わっている。


「けど、昔もこんなことなかった? この”山”の近くで悪事を働いてるやつがいて、それを止めようとしたみたいなこと」

「ああ、あったあった。なにしてたんだっけ、確か相手が中学生だったのは覚えてんだけど」

「そこ、普通忘れる? あの中学生、木の上の鳥の巣で的当てしてたんだよ」


 六花の声がいつも以上にぶっきらぼうなのは、たぶんその時のことを思い出して怒っているからだ。


 と、そんな話をしているうちに、不良の背後まで移動を終えた。まさか後ろの山の中で自分たちを狙っている人がいるとは思っていないような、油断した背中が4つ見えている。

 問題は、ここからどうするかだ。


「さ、ここからは俺の出番だな」


 貴人はわざとらしく背中のリュックを揺らす。やっぱり、そのリュックの中身であいつらを襲撃するということらしい。


「貴人、本気でやるつもり……?」

「あったりまえ! リーダー、今回は号令くれないのか?」


 貴人はそう言って俺を見た。

 小学生の頃は――沙莉がまだ起きていた頃は――、確かに俺がそういう役回りだったのだと思う。

 鳥の巣をおもちゃにする中学生を退治しようとしたあの時も、たしかに俺が中心になっていた。


『いいか? 貴人と六花が特攻隊長。2人が気を引いたところで、俺と怜司が援護射撃をする。沙莉は、鳥の巣に危険がないようにここで見張っててくれ』


 まとめ役になって、4人にそんな指示を出していたことを今でも覚えている。みんなは何の文句も言わずにうなずいて、それから持ち場に散っていった。

 だけど、そんなのはもう昔の話だ。


「やめろよ、もうそんなんじゃないだろ」


 沙莉が眠ってからの3年間、もうずっとこんな調子なのに、今さら……。

 それでも貴人は期待の目で見つめ続けてくる。貴人はいつも変なところで頑固だ。俺が指示を出すまで、絶対に折れない確信があった。


「はあ、分かったよ。……行ってこい、特攻隊長」


 そう言うと、貴人はやっと満足そうに笑って、


「おっしゃ! 行ってくるぜ!!」


 花火の入ったリュックのジッパーを開けながら、高校生たちのもとへ特攻をしかけに行った。


 相沢万由里という少女を助けて、思い出の地を守り、ついでに世界の崩壊を防ぐ。そのための戦いが、今、始まった。

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