第5話 終業式

「なんなの、あの頭のおかしいおっさんは! なんで祐介の名前を知ってるわけ?」


 学校に着いた後も、六花の憤りは収らなかった。

 朝の会が始まるまでの間、俺の机を中心にして、六花と貴人で集まっていた。


「ずっとこっちを見てたし、どこかで名前を聞いたのかもな」

「だいたい、なにが目的なわけ? わざわざストーカー紛いなことまでして」

「案外、本当に未来から来てたりして」


 六花は、貴人をじろりと睨む。


「あれ、絶対不審者だって。センセー来たら言った方がよくない?」

「未来から来たっていう男が、『世界を救え』って言ってきたんです~って?」

「貴人はうっさい!」


 六花が貴人を蹴るのと同時、誰かが机に近づいてくる気配があった。

 教室中の女子たちの視線が動くのが見えて、顔を見なくても誰が来たのかが分かった。


「やっぱり、あの変な男はお前たちが絡んでいるんだな」


 顔を上げると、そこいたのは案の定の男――西川怜司にしかわれいじだった。

 まるで中学生には見えない俳優のような顔面に加えて、バスケ部のエースでキャプテンを務めているような男だ。

 いつもクールなこのイケメンは、当然、常に学校中の女子の視線を引き連れている。


「は? 変な男って……」


 怜司の口から発せられたのは、不穏な言葉だった。

 今“変な男”と言ったら、1人しか思い当たらない。だけど、どうして怜司が?


「未来人を自称している、外国人風の男だよ」


 怜司は声を潜めて言った。


「うそ、怜司のところにも来たの?」

「ああ。祐介と一緒に世界を救えと言われた」

「マジ?」

「クラスの何人かにそれとなく訊いてみたが、声をかけられたのは俺ひとりみたいだ」


 どうして怜司のところにも、あの自称未来人が現れたのか。

 その理由は間違いなく、怜司も貴人や六花と同じ、俺の幼馴染の1人だからだ。

 中学に入ってからは疎遠になったが、俺と貴人、六花、そして眠ってしまう前の沙莉も混じって、5人で毎日のように遊んでいた。


(あの自称未来人、本当に俺を狙ってるのか)


「知ってると思うが、俺は明日から総体なんだ。頼むから、変なことに巻き込むのだけはやめてくれ」


 全国中学校体育大会-総体-が、夏休みと同時に明日から始まる。バスケ部主将の怜司は、明日からの総体に向けて、ずっとピリピリと緊張しているのは感じていた。


「別に、俺だって巻き込むつもりはないよ」

「橋詰、ちゃんと2人の手綱は握っておけよ」


 怜司は、六花の方を向いて言った。

 どういうわけか、怜司は六花だけを信用している節がある。貴人と同列の扱いになるのは、少し心外だ。


「あたしにだけ押し付けないでよ。もちろん、あたしだって面倒ごとに巻き込まれる気はないけどさ」


 と、そこで教室の前のドアが開いて、担任の高部が入ってくる。話はそこで終わりになって、3人とも自分の席へと戻っていった。

 いつもならここから朝の会が始まって、それから1時間目の授業に移る。だけど、1学期最後の今日は勝手が違った。

 10分ほど担任の高部からの話を聞かされてから、終業式のために全員で体育館に移動を開始する。これから集会があるとはいえ、学校中はすでに浮足立った空気が漂っていた。


「それより、終業式の後どうする? やっぱり、パーっといっちゃう?」


 教室を出て体育館へ向かう途中、貴人がいやに高いテンションで訊いてきた。


「あたしパス。学校のあとくらい休ませてよ」

「えー、祐介は?」

「俺も、夏休みで積みゲー消化しなきゃいけないから」


 別に夏休みだからと言って、なにか特別なことをしなきゃいけない理由もない。だけど、それを許さないのが貴人だった。


「な、ん、で!? 2人とも、これが中学最後の夏休みだって分かって言ってるのか!?」


 憤る貴人に、六花はため息で応じる。


「貴人がそんな変なこと言うから、変な男が寄ってきたんじゃないの?」

「なんで俺のせい!?」


 そんな話をしながら、だらだらと校舎の中を進む。

 3階にある教室から階段で1階まで降りた後は、校舎から伸びる連絡通路を通って体育館まで向かう。大して生徒数もいないくせに無駄に広い校内は、体育館に向かうだけでもそれなりに面倒だ。

 やっと連絡通路までたどり着いて、ちょうどその真ん中あたりを通っている時だった。


(――いた)


 あの外国人風の自称未来人が、校舎の壁の隅に隠れるようにして立っているのが目に入った。

 思わず足を止めてしまうと、俺の視線の先に2人も気づいたみたいだった。


「げ。あいつ、なんで学校にまで入ってきてんの」

「マジかよ……」


 頭に浮かんだのは驚きや不快感ではなく、純粋な疑問だった。

 どうしてここまでして、俺を追いかけてくるんだろう?

 通学路で待ち伏せするのとはわけが違う。学校に侵入なんてしたら、捕まってしまうかもしれないのに。


「祐介、行こ。見つかっちゃう」


 六花に腕を引かれて、急いで連絡通路を通り抜ける。結局、男が俺たちに気づくことはなかった。



 体育館に入ると、すでにほとんどの生徒が中に集まっていた。担任を持つ教師たちが整列を呼びかけて、やがて全員が並び終えると、すぐに終業式は始まった。

 まずは生徒指導の教師が夏休みの過ごし方について語った後は、生徒会からの挨拶があって、最後は校長が子守歌のようなありがたい話をしてくれた。


 終業式が進行する間、ステージの横では体育教師の猛田たけだが常に目を光らせている。生徒に手を上げたという話は聞いたことがないが、元ラグビー選手だという猛田は、近くにいるだけでものすごい威圧感がある。

 総生徒数が100人ちょっとしかいないこの学校では、全校生徒が集まっても、一人ひとりがよく目立つ。

 俺は立ったまま眠らないようにだけ気をつけて、流れてくる声をただ聞き流す。そうしていると、頭の中は空っぽになっていって、やがて余計なことが頭の中に浮かんでくる。


『俺は未来からやってきた。俺が住んでいるその時代で、今、世界は滅びようとしている』


 思い出すのは、あの自称未来人の声。


『頼む。高垣祐介、世界を救え』


(なんだよそれ、少年漫画のつもりかよ)


『特別なことって言ったら特別なことだよ。例えば、世界を救うくらいのさ』


 今度は貴人の言葉。

 中学生活最後の夏。でも、だからなんだって言うんだ。

 去年となにも変わらないし、来年もきっと変わらない。


 やがて、やっとすべてのプログラムが終わって、全生徒が教室に戻り始める。1年生から順番に退出していって、3年生は最後だった。

 直立のしっぱなしで固まった体をほぐしながら、再び連絡通路の方に戻る。


「あいつ、まだいたりして」

「まさか」


 短く、六花とそんなことを言い合った。

 だけど、そのまさかだった。

 連絡通路を通って校舎に向かうその途中、校舎の壁際に立つあの男の姿があった。


「嘘だろ……」


 無意識に言葉が漏れた。その瞬間、男が俺に気づいた。

 目が合うと、外国人風のその男はまるで子供のようにパッと顔を輝かせた。無邪気に、俺を見つけられたことが心から嬉しいような顔に見えた。


「誰だ!」


 不意に、背後から怒声がした。

 地鳴りのように低いこの声は、体育教師の猛田のものだ。

 すぐ後ろから猛田が飛び出して、自称未来人へと向かっていく。男もそれに気づくと、すぐに逃げ出した。


「さすがに、猛田が相手じゃ終わったね。警察に引き渡す前にボコボコにされそう」


 六花の言う通り、猛田に追いかけられて逃げ切れる想像はできない。それに、たとえ生徒には手を上げない猛田でも、不審者の男が相手となれば容赦はしないはずだ。


「見てらんねえ。俺、ちょっと助けてくるわ!」


 言って、貴人が走り出した。


「はぁ!? ちょっと貴人!」


 六花が叫んでも止まらない。貴人は校舎の角を曲がると、死角に入ってすぐに見えなくなった。


(別に、俺には関係ない……)


 あの自称未来人が勝手に俺を追いかけまわして、勝手に危険になっているだけだ。

 全部、あの男の自業自得のはずなのに。


 ふと、さっき俺を見つけた瞬間の無邪気な顔が頭に浮かぶ。それから、猛田に捕まえられる自称未来人の姿の想像も。

 このままなんて、寝覚めが悪すぎた。


「ほんと、バカトなんだから。ほっといて戻ろ」

「俺も行ってくる」

「そうしよ……って、えええ!?」


 珍しく素っ頓狂な六花の声を背中に聞いて、俺も貴人の後を追った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る