第3話 ひとつの出会い

 昼下がりの公園から聞こえる子供の声。

 隣の家から漏れてくるカレーの匂い。

 上の部屋に住む人の足音。

 それら全てが鬱陶しく感じ始めたのはいつからだったろうか。


 閉じていた目を開き天井を見た。

 6年経ってもこの光景だけは変わらなかった。

 白熱灯が部屋を照らしている。


『変な色の電球』


 懐かしい声が聞こえた気がした。

 僕の部屋に初めて足を踏み入れた人。


 久遠皐月くとうさつき

 彼女と初めて会った日のことを今でも覚えている。

 酷く寒い冬の日だった。


 仕事は当然のように終電間近で終わり、僕は自宅への道のりを急いでいた。

 何とか終電には間に合い自宅の最寄りの駅で降りる。

 駅から徒歩20分の自宅まで腹が持たないと思い、

 駅前の自販機でコーンポタージュを買った。

 冷えた手に熱すぎる缶が触れ、手の感覚が失われた。

 吐いた息が白い。


 ガコンッ


 隣を見ると若い女性が僕と同じものを買っていた。

 女性は缶を暖に使わずにプルタブを引っ張った。

 自販機から出てきたばかりの熱い液体を戸惑うことなく飲み干した。


 その様子に目を奪われる。


 女性は僕の視線に気が付いたのか、底に残ったコーンを取るのを止めた。

 女性は僕の手元を見る。


「飲まないんですか?」


 一瞬なんのことか分からなかったが、直ぐに理解する。


「僕、猫舌だからまだ飲めないんです」


「冷めたら熱いの買う意味なくない?」


「ホッカイロ代わりに使えますよ」


 女性はふーんと言うと持っていた缶を捨てた。


「家、ここから近いの?」

「はい」


 女性は再びふーんと呟くと、僕の方に近付いてきた。


 なんだなんだと僕は後ずさる。


「あはは、逃げなくても良いじゃん。別に何もしないよ」


 近くで見る女性は思ったより幼く見えた。


「今日、わたし家帰れなくなっちゃったんだよね」

 だからなんだと言うのだろう。


「それは、大変ですね」


 僕は疲れていた。

 寒いし早く帰りたかった。


「お兄さんの家、泊めてくれない?」


 女性は言い慣れた台詞のように、簡単にとんでもない事を言った。


「普通に嫌です。他を当たって下さい」


 僕が泊めなくても、多分その辺に歩いている男に話しかければ誰かしら泊めてくれるだろう。

 そこにどんな意図が隠れているのかは知らないが。


 女性が僕の手を握る。


「私、その冷めた缶より暖かいよ」

 女性の唇は少し紫がかっていた。

 斑のある染めた髪は彼女に似合っていた。

 悪くないかもしれない。


 そのまま手を繋いでアパートに帰った。

 部屋に入ると、今朝脱ぎ捨てたままの服が散乱していた。


「男の一人暮らしって感じだね。彼女いないでしょ」


「いたら君をここに入れてないよ」


 重いスーツを脱ぐ。


「何か食べます?」

「その前にお風呂借りていい?」

「どうぞ、そこの扉です」


 タオルと服を渡すとありがとう、と言って扉の中に消えていった。


 自分の部屋に他人がいる。

 変な感覚だった。


 シャワーの音が近い。


 さっき会ったばかりの女を部屋にあげて、僕は何をしているのだろう。


 冷静になったら駄目だと思い、冷蔵庫から食材を取り出す。

 簡単に焼きそばを作った。


 風呂から出てきた彼女はさっきよりも更に幼く見えた。


「年齢、聞いてもいいですか?」


「ハタチだよ」


 焼きそばを啜る彼女は20歳には見えない。


「それに、私が20歳じゃないとお兄さん捕まるよ」


 面倒な女を連れ込んでしまったみたいだ。


「お互いさ、不都合な事を追求してもいい事ないでしょ」


 僕はまだ風呂に入っていない。

 ヒーターの効いた部屋は少し暑かった。


「お互いに有益な事しようよ」


 そこからはよく覚えていない。

 ひとつ覚えているのは彼女が僕の服の下に何も着ていなかった事だ。脱がせる手間が省けて楽だった。

 それから体が疲れていた事もあって直ぐに終わった気がする。


「そう言えば名前、なんて言うの?」


「あつし、高橋篤志」


「篤志さん。なんか似合ってるね」


「君は?」


「久遠皐月、よろしく」


 名前より体を先に知った僕達は、遅すぎる自己紹介に笑いあった。




つづく

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