第2話 終活を始めよう
あと7日間で世界が終わるなら、救われる人はきっといる。
そんな脈略の無いことを考えながら、何時から掛けてあるか分からないカレンダーを眺める。
さて、何から始めるべきか。
一週間で世界「が」終わるのなら、残った人の事なんて考えなくても良い。
でも、終わるのが世界ではなく自分だけだとしたら自己の優先順位は低くなる。
終活と言う言葉が思い浮かぶ。
僕がいなくなった時に一番忙しくなるのは母だろう。母は僕が幼い頃に離婚したため一人で僕を育てた。当時はお金も無く生活に困窮していたし、夜はいつも一人で孤独を感じていた。
それ故、母を恨んだ時期もあった。
なぜ生活に余裕が無いことが分かっていて子供を作ったのか。
顔も覚えていない父は僕を産み出したくせに責任の一つも取らなかった。
僕は生んでくれなんて頼んでいない。
それなのに、大人の皺寄せは全て子供に来る。
朝の集金で給食費を払えず、忘れたと言うと教師に叱られた。
本当は給食費を払うお金すらなかっただけなのに。
十年以上経った今でも、当時を振り返ると気分が悪くなる。
高校は公立の全日制に進学したが、放課後は全てアルバイトで埋まっていた。
新聞配達、ピザ配達、飲食店、日雇い。台風の日でも仕事を休んだことは無かった。
思い返せば自由な時間なんて殆ど無かった。
母は今、祖母の介護を行いながら母娘二人で暮らしている。
子育てが終わっても次は親の介護。
生きている限り、僕らは何かに縛り続けられる運命なのかもしれない。
さっき食べた弁当のゴミに小蠅が集っていた。
「…」
小蠅が湧いた袋を蹴る。
さっきまで大人しかった蠅たちが、塊から分散した。
顔に向かってくる蠅を手で振り払う。
それでも尚こちらに向かってくる蠅を手で潰した。
あぁ、なんて簡単に死んでしまうのだろう。
拳の隙間から逃げようとする命に届くように、更に強く圧迫した。
こいつらにも生まれてきた意味はあったのだろうか。
握りしめた拳を開く。
さっきまで動いていた羽根らしきものは既に原型を留めていなかった。
僕もこの蠅と同じなのかもしれない。
なんとなく、そう思った。
僕がいなくなったらこの部屋の責任は保証人の母に行くだろう。
後ろめたさが僕の脳をざらざらと舐めた。
どうせ僕は居なくなる。だからそんなこと気にしなくても良いと、そう考えられたのならどれだけ楽だったろう。
無駄に真面目な自分に嫌気がさす。
7日の内の1日を清掃に充てようと決める。
改めて部屋を見渡す。ひどい部屋だ。
足の踏み場は無く、昔テレビで見たゴミ屋敷を彷彿とさせる。
この光景が他人事だった頃は、一体どう生活をしたらここまで酷い生活空間を築けるのか理解が出来なかった。
でも、それは凄く簡単な事だった。
また後で、が積み重なって気がついた時にはもう手遅れになっている。
本当にそれくらいきっかけとは些細な事だ。
部屋に散らばったペットボトルを拾い集めてみる。
一袋程集め終わった頃、この作業は一人では無理だと確信した。
このゴミの量は個人で処理できる領域を超えている。
業者に頼んだら幾らになるのだろうか。
予想しただけでも到底、支払えそうに無かった。
「知り合いに手伝ってもらうしかないか」
携帯を取り出し手伝ってくれそうな人を探す。
人の名をスクロールしていく。
結局そのスクロールの指が止まることは無かった。
僕は知り合いの誰にも仕事を辞めた事を伝えていなかった。
それに、この部屋を見せられる相手なんて思い浮かばない。
「部屋のことは後回しにするか」
後回し病は一度発症するとなかなか治らないらしい。
そんな自分がまた嫌になる。
ゴミで埋まったベッドに横たわる。
目を閉じた。
この部屋に住み始めたのは6年前の22歳の頃だった。
高校を卒業してから働いていた仕事を辞め、実家から離れて東京で一人暮らしを始めた。
東京の家賃は高く、5畳のこの部屋でも僕には贅沢だった。
一階で風呂とトイレは一緒だったが気にはならなかった。
生まれて初めて誰からも干渉されることのない空間に、心が少し浮ついた事を覚えている。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます