第二十六話 取調室の星たち
あるところに厚手の上着を着た旅人が歩いていて、それを見た北風と太陽は、どちらが旅人の上着を
ちなみに絵本などの
さて、北風は冷たい風を
そういうわけで、まずは北風が
続いて太陽の出番になった。太陽の得意とすることは、あらためていうまでもないことであるが陽を照らすことである。昨今では、直射日光を
この有名な
たとえば、子どもに勉強をさせようとした時に、
「
「なんですか急に。取引って何の話ですか?」
うつむいていた若流が顔も上げずに答えた。
「取引ってのはだね、君にとって悪い話じゃない。司法取引って話は君も知ってるだろう?」
司法取引とは、
宮内先生の件で
この取調室は光合成人間用に作られた特注の取調室で、窓が一つもないだけでなく、光合成に必要となる光の一切を
ブラックライトとは、人間の目には見えない
たとえば書類である。紙にはより白く見せるために蛍光物質が使われていることが多く、そういった紙であればブラックライトに照らされると紙自体がぼんやりと光って見える。紙だけではない。この部屋にある机や
美しい顔立ちの
「司法取引だって?」
「ああ。これから君の身の上に何が起きるのか、私の説明を聞いて、実に
「司法取引に応じるかわりに
「そうだ。まあ、今すぐってわけじゃないがな。具体的にはこうだ。君には今まで通り二重スパイをやってもらう。今までとちょいとばかり
「具体的にだって? 何だそれは?」
「内容までは私も知らされていない。追って指示があるそうだ。君は本当に運が良かったよ。これから君がどうなるかはすでに説明した通りなんだからな。司法取引なんて話すらなく
「確かに。
取調官は
「よろしい。それではこの書類にサインしてもらえるかな?」
ガイコツのような取調官が不気味に光る書類を差し出した。
「サイン? サインなんてするんですか?」
「もちろんだよ。これは我々と君との約束だからね」
「ちょっと待ってください。サインですか?」
「そうだ」
「ええっとですね、この書面は司法取引に応じるかどうかだけの書面ですよね? 具体的に
「なんだって? 君は今さっき司法取引に応じるっていったじゃないか」
「そうですけど、この書面には具体的なことは書いてないじゃないですか。実際に何をやらされんのかわからないんですよね」
「ああ、そうだけど……、はあ?」
取調官にとってこの反応は予想外だった。北風のような厳しい取り調べの後に、太陽のような司法取引の話を切り出したのだ。追い
二重スパイをやっていることが判明した若流であったが、二重スパイとは名ばかりで、実は、この時にはすでに
なぜそんなことになってしまったのだろうか。
あるところに腹を空かせたキツネがいて、そのキツネがたくさん実っているブドウをたまたま見つけたところでこの物語が始まる。見たところ見事に実ったそのブドウは、腹の減ったキツネにはたまらぬものに見えた。食べたい。枝もたわわに実ったこのブドウをお腹いっぱいに食べてみたい。そう思えてならなかったキツネは、ジャンプしてブドウをもぎ取ろうとしたのだが、これがなかなか高いところにあって手が届かない。いや、キツネだから口で取ろうとしていたのかもしれなかったが。いずれにせよ、何度キツネがもぎ取ろうとジャンプしてもブドウに届かないのである。キツネは
「あのブドウはすっぱいに
キツネがこの有名な捨てゼリフをはいて、その場を立ち去ったところでこの物語は終わりをむかえたのだった。
この負け
ATP能力がないゆえに出世することができず、
「けっ、どうせ
実際問題UOKwでの花形は、やはりATP能力保持者だった。この組織に所属しているからには、ATP能力保持者以上に出世することは事実上不可能だったのである。ベテラン隊員の
新人の
サンズマッスルのスパイを命じられた時には、出世ルートから外されたのだと思った。自分など使い捨てで、組織にとって重要でない存在だからスパイなど命じられたのだと。
想像してみてほしい。ATP能力もなく、
「けっ、どうせ司法取引なんかしたって、それが終わったら
完全にサンズマッスル側の人間になっていた若流にとって、司法取引はサンズマッスルの不利益になり、引いては自分にとっても不利益になるのではないかと考えていたのだ。
「司法取引には応じられないですね」
「なんだって?」
取調官の顔はまるでホログラムのガイコツのようであるから表情まで読み取ることはできない。しかし、その口調からは明らかに
「お前正気か? 罪が帳消しになるんだぞ?」
「正気ですよ。冷静に考えていってるんです」
「いやいや
「そんなことぜんぜんないですよ。さっきからいってますけど、正直いって何をやらされるのかわからないと、応じられないですよね。けっこうヤバそうなことをさせようとしてるんじゃないですか?」
ジャケットから数センチほどはみ出たワイシャツの
「ふうん。ちょっと意外だったよ。君が司法取引にのってこないなんてね。君にとって悪い話じゃないはずなんだがな。それがどういうわけなのか、私にわかるように説明してくれないかな?」
「いや、
ここまでいいかけて
質問ばかりしてくるヤツってのは、たいてい説明しても納得しない。何か答えても、それに対してさらに質問をしてくる。こういうヤツらは納得したくて質問をしているんじゃない。自分の要求を飲ませるために質問をしているんだ。説明をさせることによって
こう考えて、
「説明する必要なんてないですよね。ひょっとして司法取引を取らないと、あんた、なんかマズいことでもあるんですか?」
取調官は何も答えない。服が
「先に同意書へサインさせて、後は何でもやらせるつもりなんでしょう? 俺からしたらリスクしかないですよね」
取調官は「リスク」という言葉に反応した。
「リスク? 私からすれば司法取引に応じない方がリスクのある
また説明させて
若流は決心した。
「その質問には答えません。この同意書にはサインできない、それだけっすよ」
「ほ、ほう。
「そうっすよ」
取調官は若干いいよどんだ返事を期待していたが、あまりにもあっさりときっぱりとした
「なんか、
「なんだって? 私に困るなんてことあるわけないじゃないか。あはは、君のためにいってるだけだよ。何をいい出すのかね?」
「このまま有罪になる方がリスクのあることだと考えるのが
「なんすかそれ。
「脅し? あははは、私が脅すわけなんかないじゃないか。何をいってるんだね君?
「いいや、俺はサインしません」
「ああ? 何いってんのかわかってんのか? 光合成人間ってだけで社会の不適合者なんだぞ? その上、前科持ちになろうってのか! それとも裁判で争って無罪を勝ち取ろうってつもりか?
見た目はガイコツだったとはいえ、これまで
「うははははは! 笑わせるなよ。いいか。テメェがサンズマッスルに
「テメェが罪を犯したことは
「なんだよ? 俺が司法取引に応じないのがそんなに
「あっははははは! 何いってんだテメェ? 俺は困ってなんかねえよ! オメェには
そういって、同意書を手のひらでバンバンとたたいた。
若流が司法取引に応じないことも
「テメェ、ひょっとして
ガイコツの男は勝ち
「な、なんだって?」
若流はこれを聞いて
「おい、ちょっと待て? ということは、
「あっははははは! 笑わせるんじゃない! お前もあの理事長のことは知っているだろう? ああいう男は、はたけばいくらでもホコリが出てくるというものなのだ!
「なんだって? だとしたら、なんで俺に司法取引なんか持ちかけるんだよ? すでにネタを持ってるんだろう?」
ガイコツの動きがピタリと止まった。
「さあな。お前に答える必要はない。いいか。お前が
「な、なんだって……」
これを聞いた
満天の星空とはこれいかに。ここは取調室ではなかったのか? たとえ夜であっても星空など見えるはずもない。取り調べに
光合成人間用の取調室を作るには、いかに光合成のできない部屋を作れるかが重要だった。光合成は
光がなければ光合成はできない。とはいえ、
しかし、ブラックライトの利用は取調室の安全という意味では極めて有効だった。そのため、ブラックライトを利用しつつも精神的に
一度国民からの反感を買ったことがあったため、新しい取調室の計画は入念に進められた。万が一この案も反感を買うようなことはあってはならない。そのため、星空のデザインには世界的に高名な芸術家が選ばれたのだった。
この芸術家は一流の芸術家だけあって、そのこだわりようは並々ならぬものであった。
星の
星の色だけではない。その星たちの位置は北半球で見える星々を忠実に再現しており、その上前述の通り一つ一つの
絶句した
「あそこに星が並んでいるのが
ブラックライトの密室の中、若流は
「北極星って地球の
「
若流が二重スパイの疑いで逮捕されたのは、宮内先生が亡くなった件で
「
「思い当たるとすればあれか。長官の昼食にどこかいい店を予約しておいてくれって、マホちゃんが上司からいわれてたあれか。それで俺にいい店知らないかってマホちゃんから相談されたんだ。なんでも長官と明智大臣が宮内先生と会うから、宮内先生の自宅へ向かう途中にある店がいいっていう話だった。それで俺は自分の評価を上げようと思って、マホちゃんには代わってあげるよっていって、ちょうど宮内先生の自宅へ向かう途中にあった、あのくっそうめえうどん店を予約してから、マホちゃんの上司に俺の
若流は考えをまとめようとして、糸をたぐるようにあの時のことを思い返した。
「待てよ? 確か、
「なんてこった……。ということは、
殺人の手助けをすること、すなわち
「なんてこった。マジかよ。どう転んだって、俺はおしまいってことか……」
若流は
なんだってこんなところに星空が
「どうしたのかね?
机を
「さあ! 君はこの書類にサインをすればいいだけなんだよ! いい加減に決心したらどうなんだ! ええ? 何をぐずぐずしてるんだよ! 貴様に
死神が何度となく机を叩いた。司法取引に応じた後に何をやらされるのか説明されることはなく、ただひたすらサインを強要されるばかりだった。若流は発光する同意書を
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