第二十二話 特定非営利活動法人サンズマッスル

 明智あけち大臣は光合成基本法の会合が終わったところで、次の予定の場所へ向かうべく車に乗りこんだところだった。車には運転手の他にもう一人後部座席に座っている者がいて、大臣はその男を見るなり声をかけた。

「長官、お待たせいたしました」

 明智大臣に長官と呼ばれた男はUOKうまるこwの長官だった。

「いえいえ、大臣もおつかれ様でございます。会合の方はいかがでしたか」

「ええ、おかげさまで今回の会合自体はなんとか」

「それで、サンズマッスルは? 何かいってましたか?」

「さすがにもう大詰おおづめですからね、今回はほとんど発言ありませんでした」

「現状ねらい通りに進んでいるというわけですか。それにしても、よりによってあのような者と関わりがあったとは……。宮内先生にこれから話しに行くことを考えると気が重くなりますよ」

「まったくです。今回の人選は入念に下調べしていたつもりなのですが。実際、サンズマッスルは光合成界隈かいわいでは有名ですからね。思いもよりませんでした」

「でも、まあ、あの理事長は宮内先生の弟子みたいなもんでしたから、他の選択肢せんたくしはなかったと思いますよ? 我々が情報をつかんだのもヤツが来日してからですし……」

 長官は運転手さんの方を見てそれ以上いうのをやめた。そして、明智あけち大臣はシートベルトをしめながら車を出すよう伝えたのだった。


 ご存知の通り、サンズマッスルというNPO法人は、理事長やシニアプレイヤーの人柄ひとがらたるやろくでもないものであったから、その事業である光合成人間の就労支援しゅうろうしえんなど名ばかりで、実際には休眠きゅうみん状態にあるNPOなのではないかと読者の皆様みなさまは考えていたのではないだろうか。ところが、このサンズマッスルには立派な事業実績があって、光合成界隈かいわいでは有名なNPOだったのである。光合成基本法の制定にあたっては、理事長が有識者として選ばれるほどだったのだ。


 話は少しそれるが、明智大臣が車で移動し始めたちょうどそのころ、サンズマッスルの事務所に坂本という男が訪れていた。かれがなぜサンズマッスを訪問することになったのか、まずはその経緯けいいから説明をしておくことにしよう。

 以前、市民プールにてドキドキ☆ゲリラプールinサマーという勝手イベントがゲリラ的に行われていたが、この時に参加した光合成人間の一人に、坂本と同じ会社に勤めていた同僚どうりょうがいたのだ。

 その同僚は市民プールでの逮捕たいほを受けて即刻懲戒解雇そっこくちょうかいかいこになったのだが、会社が身辺調査を行ったところ、かれがSNSで坂本とつながっていたことが判明したのである。さらにゲリライベントを実施じっししたネバーウェアのグループに坂本が所属していたこともき止められてしまったのだ。それを受けて会社が坂本に聞き取りを行ったところ、ドキドキ☆ゲリラプールinサマーへの参加は否定したものの、自身が光合成人間であることについては認めたのだった。

 彼はゲリライベントに参加していなかったので懲戒処分ちょうかいしょぶんこそまぬがれたものの、一年契約けいやくの契約社員だったことと、ちょうど契約更新けいやくこうしんのタイミングだったこともあって、おおやけには光合成人間だからという理由ではなかったが、契約満了けいやくまんりょうをもって退職となってしまったのだ。

 一人暮らしだった彼にとって、突然とつぜん収入を絶たれてしまったことは大変な痛手であった。しかし、失業保険が支給される要件を満たしていたため、彼はハローワークへ通うことを決めたのである。

 これまでの彼は自身が光合成人間であることをかくしてきたが、会社でそれがバレてしまったこともあったので、この際ハローワークでもカミングアウトして、自分が活躍かつやくできる仕事を紹介しょうかいしてもらいたいと考えたのだった。

 窓口で自分が光合成人間であるむね伝えると、専門で光合成人間の就労支援しゅうろうしえんをしているNPO法人があるとのことで、そこも紹介しょうかいしてくれるということにもなった。こうして坂本はサンズマッスルも利用することになった次第なのである。


 サンズマッスルの就労支援事業しゅうろうしえんじぎょうは全国規模の事業で、基本的にはインターネットのWEBサイトで運営されていた。こういったIT環境かんきょうの整備には補助金が支給されていたので、財政的な負担はおさえられていたのだが、その高度に専門的なIT技術については、CTO(Chief□Technology□Officer、最高技術責任者)、つまり、あの比留守ひるすが担っていたのだ。意外だろうか。あんなヘッドマウントディスプレイを常時身につけた男がちゃんと仕事をしていたのである。

 サンズマッスルの事務所は、駅からややはなれた住宅街近くの、ファミレスやコンビニが立ち並ぶ道路沿いにあった。基本的にはインターネットでサービスを提供する事業形態をとっていたが、事務所がそれなりに大きい三階建ての建物であったことから、一階には求職者用の窓口や検索端末けんさくたんまつ、待合スペースなどを設け、ハローワークのように求職者の窓口業務もしていたのだ。

 坂本はたまたま近くに住んでいたということもあったので、インターネットではなくこの事務所へ直接訪れることにしたのだった。


 事務所へ入ると窓口には受付番号の発券機が置いてあって、坂本はそこから整理券を取ると待合スペースにあるソファーにこしをおろした。意外なことだったが、求職者が他にも数名ほどいて、検索端末けんさくたんまつの画面を見ていたり、窓口で相談していたり、ソファーで待っていたりする者がいたのである。それらを見て坂本は、光合成人間が自分だけでないことを初めて知ったような気がして、何かとても救われるような気持ちがした。坂本がリラックスした気持ちで待っていたところ、ほどなくして番号が呼ばれたので窓口へと向かった。

 しかし、たった今呼び出されたというのに、窓口にいる女は後ろを向いているではないか。坂本は声をかけた。

「あのう、番号を呼ばれた者ですが」

「こんにちは。どうぞ、おかけください」

 女はり返りもせず後ろを向いたまま答えた。この時、かみの一部がフワッとき上がって、そのすき間からくちびるが見えたのでわかったのだが、この女は後ろを向いているのではなく、初めからこちらを向いていたのだ。かたまである黒髪が、同じ長さで顔にかかっていたものだから後ろ姿に見えていただけなのである。

 困惑こんわくする坂本をよそに女は続けた。

当施設とうしせつは初めてのご利用ですか?」

「あ、はい」

 坂本はおそる恐るこしをおろしながら答えた。

「そうしましたら、こちらをお読みになって、住所、氏名、生年月日をご記入ください」

 そういって、顔の見えぬ女は申込もうしこみ用紙とボールペンをしずしずと差し出した。

「は、はい……」

 その用紙には申込日と氏名、住所、生年月日を記入するらんがあって、その下には個人情報に関する同意事項どういじこうが書かれていた。坂本はすべてを記入し終えると用紙を差し出した。

「ありがとうございます」

 女はそういうと、用紙を見てパソコンにパチパチと入力し始めた。

「それとですね、一応、本当に光合成人間かどうか確認をさせてもらっていまして、失礼ですが、こちらをにぎってもらっていいですか?」

 そういって女は握力計あくりょくけいを差し出した。

「へ? あ、こういうので確認するんですね?」

「そうなんです。窓口にいらした方はこっちの方が簡単なので。オンラインの方ですと血液検査になるんですけど、失礼ですが、パワーってあります? 一応200キロくらい出していただかないと、光合成人間だと認められないんですけど。あまりパワーのない方もいらっしゃるので」

「に、200キロ?」

「ええ、光合成人間でない方の世界記録で、192キロも出した方がいらっしゃって、ホントかって思いますよねえ? でも、それを基準に規則が作られちゃって申し訳ないんですが、もし差し支えなかったら、表でやっていただいても結構です。今日は天気もいいですし。あ、一応、この握力計あくりょくけい普通ふつうに売ってるものじゃないんですけど、200キロまでしか測れません。念のため」

 顔の見えないサラサラかみの女は、こんなことをサラッといってのけた。

「いや、ええっと、わかりました。やってみます」

 光合成人間は蛍光灯けいこうとうでも普通の人よりはパワーが出せる。しかし、200キロっていうのはマジなのか? 服も着ていることだし、坂本は念のため外でやることにした。

 表に出た坂本はなるべくはだ露出ろしゅつさせ、しばし日光浴をした。この日もよく晴れた日だった。肌で太陽の光を感じ光合成がみなぎる。全身にエネルギーが満ちてきたところで、渾身こんしんの力をしぼって握力計をにぎりしめた。握力計を確認すると、見事に針が振り切って200キロを指し示していた。

 坂本は意気揚々いきようようもどって、窓口の女に握力計をわたした。

「あ、終わりました? 確認させてもらいますね? どれどれ。ああ、オッケーです。これで記録させてもらいますね」

 そういってサラサラ髪の女はパソコンにパチパチと入力し始めた。こんなかみでモニターは見えているのだろうか。

「これで200キロ出なかった場合はどうなるんですか?」

「その場合はですねえ、血液検査になります。血液検査だと提携ていけいの病院に行ってもらわなきゃならないのと、結果が出るのに一週間くらいかかっちゃうんですよね」

「けっこういらっしゃるんですか?」

「はい? あの、もう一度よろしいですか?」

「あの、200キロ出ない方って、けっこういらっしゃるんですか?」

「いやあ、多くはないですけど、でも、いらっしゃることはいらっしゃいますよ? 天候とかもあるかもしれませんけど」

 坂本はこの女も200キロ出せるのか気になった。見たところかなりやせている。「ちなみに、あなたは……」といいかけ、あなた呼ばわりするのもどうかと思い、胸に名札がついていることに気づいて、そこに書かれた文字を読んでみた。そこにはこう書いてあった。

 更々上野。

 さらさらうえの? と読むのだろうか?

 坂本は名札を見つめながら「さらさらうえの……」といいかけると女が答えた。

「あ、私の名前ですか? これで『さらさらかみの』って読みます。名札には名字しか表記しない規則になっていますので、名字だけで失礼しますね」

「ああ、そうなんですね」

 最近ではカスタマーハラスメントが社会問題になっているためその対応であろう。規則で従業員を守っているのだ。サンズマッスルがどんな団体か心配だったが、意外と従業員思いの団体そうである。

「それで、ええっと、更々上野さらさらかみのさんも、200キロ出せるんですか? 握力計あくりょくけいで」

 坂本がこう聞くと、パチパチ入力する女の手が止まった。

「…………。それは私が光合成人間かどうかやみに聞いているんですか?」

「へ? ああ、すみません。ちょっと気になったものですから、失礼しました」

「そういったスタッフの個人的なことについてはお答えできない規則になっております。おそれ入りますがご了承ください」

 サラサラかみの女はそういうと、再びパソコンにパチパチと入力し始めた。

 この時に坂本は気づいたのだが、パソコンに入力する女の手が左右逆なのである。普通ふつう、キーボードの上に手を置けば、親指は内側になるものだろう。ところが、この女の親指は外側にあるのだ。つまり、女は左右逆の手で見事なタッチのブラインドタッチをしていたのだ。

「ちなみに……」

 女は何食わぬ顔でいった。本当に何食わぬ顔だったかどうかはサラサラかみにかくれていてわからなかったのだが。

「ATP能力ってあります? 差し支えなければでかまわないんですけど、アピールポイントになりますので」

「ああ、ATP能力ですか? いやあ、おずかしながら、残念ながらないのですよ」

「ああ、そうですか。ぜんぜん恥ずかしいことなんてないですよ。失礼いたしました」

 女はそういってまたパチパチと打った。

「あった場合はATP能力の確認とかもするんですか?」

「そうですね、まあ、一応、企業様きぎょうさまにアピールする内容でございますので、本当かどうか見せてもらってはいます」

「ちなみに、更々上野さらさらかみのさんもATP……」

「ですから私の個人的なことについてはお答えできません」

 気まずい雰囲気ふんいきただよう。

 女はパソコンの入力を終えると、筆ペンを取り出して親指が逆向きの左手に持ち、申込もうしこみ用紙の担当者署名らん奇妙きみょうな手の角度でサインをした。おそらく「更々上野」と書いたのだろう。おそろしいほどの達筆だった。

 左右が逆になった手で筆ペンのキャップをしめる様を坂本が不思議な気持ちで見つめていたところ、女は何かのはずみでキャップをゆかに落としてしまった。

 女は席を立って受付カウンターの下を探し始めたのだが、その時の動きに坂本は何か正体不明の違和感いわかんを覚えた。それは一瞬いっしゅんの出来事で、一見なんでもない自然な所作にも見えたが、最初に女は頭を180度反転させたように見え、かたからかみをサラサラとすべらせると、そのまま席から立ち上がり、体ごとり向いて、耳のあたりの髪をさりげなくかき上げながらしゃがんだのである。

 よく考えてほしいのだが、女は坂本の正面を向いて座っていたのだから、体ごと振り向いて反転させたのであれば、坂本から見て後ろ向きになるはずである。それがどういうわけか坂本の方を向いてしゃがんだのだ。いっている意味がわかるだろうか。あまりに一瞬で自然な身のこなしだったために、この違和感を説明することが難しい。実際、坂本が違和感を覚えたことは事実なのだが。しかし、女はそんなことにはお構いなしでキャップを探していた。

「あれ? どこいっちゃったのかしら」

 坂本も受付カウンターの下をのぞいてキャップを探してみると、カウンターと床の間には隙間すきまがあって、手探りしている女の手が見えた。

「ああ、あった!」

 そういって、女は坂本の方に手をばし始める。

「私が取りましょうか?」

「いえ、大丈夫だいじょうぶです。届きそうなので」

 そういうと、女はカウンター下の隙間すきまからサラサラかみの頭を出してきた。

「いやいや、そこは通れないでしょう! 無茶しないでください! 私が取りますよ!」

「いえいえ、大丈夫です。私、こう見えてねこみたいに体が柔らかいんです」

「ええ? そういう問題じゃないでしょう!」

 さすがにこの隙間には頭も通らないだろうと思われたのだが、女は頭が小さいのだろうか、サラサラ髪の頭をこちら側に出してきたのだ! 頭だけでなく両手もこちら側に伸ばしてくる!

 これを見て気づいたのだが、この時の手はちゃんと親指が内側にあったのだ。これはどういうことなのであろう。やはり、先ほどり返ってしゃがんだ時の動作が気になる。

 しかし、そんなことにはお構いなく女はその隙間をって、上半身をこちら側まで出してくるではないか! どこまでこちら側に出ようとしているのだろう。筆ペンのキャップはどこにあるというのか。そうこうするうちに女は全身をこちら側に出し切ると、坂本の目の前ですっくと立ち上がった! 前髪で顔の見えぬ女がだ! そして、坂本の後ろに行ってそこでしゃがむとキャップを拾った。こんなところに落ちていたのか。こんな場所だったら坂本に拾ってもらえばいいものを。再び女は何事もなかったようにカウンターの下をい始めると、隙間すきまを通りけて向こう側に行ってしまったのだった。

 そして、自分の椅子いすの前に立つと、り返って席についた。あらためてこの動作を見て、女が何をしたのかがわかった。

 女は後ろ向きで椅子に座ったのだ。

 体は後ろ向きにもかかわらず、股関節こかんせつひざの関節を前後逆向きに折り曲げて椅子に座ったのである。そして、まるでフクロウのようにスッと頭を180度回転させてこちらに向けると、両腕りょううでひじも反対向きに曲げ、左右が逆になった手で筆ペンのキャップを閉めたのだった。

 つまり、この女はずっと坂本に背を向けて応対していたのである。

 なぜだ? ずかしがり屋ないのか? 実は激しい人見知りだったとか? とはいえ、こんなことはただの光合成人間にできることではない。この女はATP能力持ちだったのだ。おそろしく体をやわらかくできる能力。女がそれに答えなくとも、これがATP能力だということは疑う余地のないことだろう!

「あなたは……、やはり、ATP能力持ちだったんですね……」

 坂本が思わずこういうと、女はそれをさえぎった。

「ですから、そういったことにはお答えできません」

 サラサラかみの女はこともなげにそういってのけると、これから仕事を見つけるまでの段取りについて説明を始めたのだった。


 後日談であるが、坂本はサンズマッスルの紹介しょうかいで、経験のない業種であったものの建設会社への就職を決めた。そして、光合成人間としてその身体能力を活かし、メキメキと頭角をあらわしたのである。またたく間に会社から評価され、出世したかれは管理職を命じられたのだが、別に管理職は光合成人間でなくてもできるので、彼は会社を辞めてフリーランスになったのだった。フリーランスになった彼は、サンズマッスルとエージェント契約けいやくを結んで、様々な現場からひっぱりダコになったのである。

 最後に、これは本当にこぼれ話なのだが、その後、更々上野さらさらかみのさんの名字は坂本へとかわっていたのだった。(続く)

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