第二十話 ギリースーツの二人

 今回の話を書くにあたって、私はギリースーツというスナイパーが着る戦闘服せんとうふくについて調べていた。ネットの情報によれば、ギリードゥというスコットランドの妖精ようせいがその名の由来になっているそうで、なんでもその妖精は木の葉やこけなどを身にまとった姿なのだとか。

 ギリースーツというものは、スナイパーが敵から発見されないように、植物や木の葉で体をおおい、周囲の草むらややぶ、落ち葉などに偽装ぎそうすることを目的とした服装である。おそらくそういった服装であったから、ギリードゥという森の妖精がその名の由来になったのだろう。

 偽装のための素材は、草や葉っぱであればなんでもいいというわけではない。たとえば森の中でかくれるために、緑色で草みたいだからという理由で昆布こんぶやワカメをカモフラージュ材として使ったらどうであろう。昆布やワカメは海に生えるものであるから、そんなものが森にあったら人為的じんいてきに持ち込まれたものにしか見えない。敵に人の存在を知らせているようなものなのだ。さすがにそんなものをわざわざ体中にり付けるバカはいないだろうが、たとえば落葉広葉樹の森でスギやヒノキの葉のついた枝を身に着けていたとすればどうであろう。ひょっとすれば、都会暮らしの者にはバレないかもしれないが、ある程度知識のある者が見れば、本来そこには存在しないものであり、やはり不自然で逆に目立ってしまうのである。冬であれば、落葉広葉樹は葉を落とすためなおさらのことだ。

 そのため、カモフラージュに使う素材は現地の植生や季節に気を配って選択せんたくする必要がある。現地の植物を使って偽装ぎそうされたスナイパーは、完全に自然の一部となって容易に発見することができなくなるのだ。

 このように優れたスナイパーというものは、射撃しゃげき腕前うでまえのみならず、季節や自然環境しぜんかんきょうにまで卓越たくえつした知識をね備え、その季節の折々、その地域ごとの自然環境へ完全にんでゆくものなのだ。


 さて、キャンプ二日目の午前中には、メインイベントとなるオリエンテーリングが行われる。前日のインタビューで、私は夜ふかしやこいバナをもっとも楽しみなものとして上げていたが、あれはいわば非公式のお楽しみなのであって、学校の公式行事としていえばオリエンテーリングがメインイベントだったのだ。

 オリエンテーリングを始めるために生徒全員が集合したところで、教頭先生が競技の説明を始めた。

「諸君! これからオリエンテーリングを始める! まさか昨日おそくまで夜ふかししていた生徒などいないだろうな! 睡眠不足すいみんぶそくでこの過酷かこくな競技を乗りえることはできんぞ!」

 昨日の教頭先生はガチな服装で生徒たちをザワつかせていたが、この日の服装はよりいっそう生徒をザワつかせていた。

「え? ええっ? 何あれ? ヤバくない?」

「ヤバい、ヤバい!」

「何キャラ?」

「なんかのコスプレ?」

 昨日の生徒たちのリアクションには語尾ごびに「w」がついていたのを覚えているだろうか。今のリアクションにはそれがないことに注目していただきたい。まったくウケていないのである。ウケるどころか、それを通り越して生徒たちは激しく困惑こんわくしていたのだ。

「なんかのモンスター?」

「てゆうか、あれって服なのか?」

 あれが服かどうかわからないのも無理もない。教頭先生が身に着けていたのは草や木の葉で作られたものだったのだから。

 そう、それはまさにギリースーツだったのだ!

「マジでヤバくね?」

「ここまでガチだと、さすがに引くわ」

「教頭先生ってこんなカッコしていいのか? しらんけど」

 主月しゅげつ先生もこのオリエンテーリングに参加するのは初めてで、おどろきをかくすことができず、思わず隣にいるベテラン先生に話しかけてしまった。

「今日の教頭先生は一段とすごいですね。毎回こうなんですか?」

 ベテランの先生は声をひそめて答える。

「そう……。生徒たちをおどろかせて楽しんでるみたいなの。困っちゃうわよね……」

 先生たちもあきれているようだった。やむを得まい。なにせギリースーツなのだから。

「諸君! これから行われるオリエンテーリングは、大自然の中で行われる競技だ! このキャンプ場にはチェックポイントが設置してあって、諸君たちはそれを全部見つけ出してゴールする! それだけだ! 簡単だな!」

 教頭先生はチェックポイントの見本をかかげた。

「これがチェックポイントだ! チェックポイントの位置が地図に示されてある! 地図とコンパスを使ってそれらを探しだし、すべてを回ってゴールするまでの時間を競うのだ!」

 このキャンプでは、三人から四人ずつのチームにわかれ、チームごとにタイムを競う。これには生徒たちがグループワークを学ぶ目的もあって、地図とコンパスを使い、みなで意見を出し合い進むべき方向を決めたり最短ルートを決めたりするのだ。

「いいか、諸君! このキャンプで行うオリエンテーリングをただのオリエンテーリングだと思うなよ! 諸君たちがよりいっそう楽しめるように、村長が考案したルールを追加している! まずはチームリーダーの背中に白い紙をってもらうぞ! リーダーは前に出て、主月しゅげつ先生からつけてもらうように!」

 主月先生は急に話をられてハッとした。チームリーダーがぞろぞろと前に出てくると、先生は順々にリーダーの背中へ白い紙を貼っていった。ちなみにチームリーダーはキャンプ委員以外から選出されるので、私はリーダーではなかった。

「その紙は水にれると色が変わる! ぜったいに濡らしてはならんぞ! いいな! わかったか! そして、もっとも重要なことをこれから伝える! 村長である私はこのキャンプ場のいたるところにかくれていて、諸君たちの背中にある白い紙を、この水鉄砲みずでっぽうでねらっている! 村長から水を浴びずにゴールできた者にはボーナスで10ポイントだ! いいな! わかったか!」

 生徒たちがざわめく中、ちょうど主月しゅげつ先生が最後のチームリーダーに白い紙をり終えたところだった。

「よし」

 主月先生は背中をポンと軽くはたくと、その生徒がり返った。明智光成あけちみつなりその人である。かれは今回のチームリーダーの一人だったのだ。


 これまで何年もこのオリエンテーリングは続けられてきたのだが、実はこのルール、通称つうしょう「村長ルール」をクリアできた者は今までだれもいない。

 普通ふつうこのようなレクレーションでは、生徒たちが楽しめるように手加減をするのが当たり前だと思うのだが、教頭先生は大人げないというレベルを通りして、ガチでやっていたのだ。このギリースーツを見ればわかるであろう。容赦ようしゃなく、手加減など一切ない。そのため、村長ルールをクリアする者が現れることを、生徒のみならず先生までもが待ち望んでいたのだった。

 これまでも期待された生徒はもちろんいた。そういった生徒は運動神経がよいだけでなく成績も優秀ゆうしゅうで、この小学校は非常に優秀な学校であったから、そういった優れた生徒はこれまでもたくさんいたのだ。十年に一人といわれる神童もいた。今年こそは、今年こそはと期待をされながらも、それでもなお、この村長ルールをクリアできた者はいまだかつていなかったのである。

 しかし、今年についていえば、ついにクリアする者が現れるではないかという大方の予想があった。それは明智光成あけちみつなりの存在である。明智ならやってくれるのではないかと、生徒のみならず先生までもが期待を寄せていたのだ。

 光成の方でもやる気満々で、ぜったいにおれがクリアしてみせると意気込いきごんでいたし、教頭先生の方でも、光成の存在には今までにない危機感をいだいていたのであった。


 ちょうどその時、これらの様子を遠巻きに見ている男がいた。このグランピング施設しせつが私たち小学校の貸し切りであったことを考慮こうりょすれば、この男はほぼ間違まちがいなく不審者ふしんしゃといって差し支えがない。実際、この男は学校の関係者でも施設の関係者でもなかったのだから。


「むふっ。何も知らず今年も来やがったな。俺は知ってるぞ。お前たちが裕福ゆうふくな家のクソガキだってことをな。思い知らせてやる。世の中が不公平だってことをな。らしめてやるぞ。むふっ、むふふふふ」


 こんな不審者がいることなどつゆ知らず、いよいよオリエンテーリングは始まりをむかえていた。教頭先生は説明を終えると、後のことは主月しゅげつ先生にまかせ、早々に準備をしてどこかへ行ってしまっていた。生徒たちがスタートラインに集まって位置につくと、主月しゅげつ先生はスターターピストルをかかげた。

「さあ! 準備はいい? 始めるよ! それじゃあ、よーい」

 バン!

 スターターピストルの音が鳴ると、生徒たちは一斉いっせいに走り出した。

「ちょっと! あぶない! 足が引っかかるでしょ!」

「男子! もっとはなれて!」

すなよ! 何すんだよ!」

「ほら! 危ないからもっと離れて!」

 生徒たちがもみくちゃになって走り出したところを、先生たちも大声で注意した。しばらくワーキャーと騒々そうぞうしかったが、ほどなく遠くへ消えていって、スタート地点は静かになった。

「行きましたね」

 生徒たちを見送った主月先生は、り返って残った先生たちに声をかけた。

「それでは打ち合わせの通り巡回じゅんかいの方、よろしくお願いします。私は中央エリアを見ますので、皆様みなさまには東側と西側をお願いします」


 昨年のオリエンテーリングでは奇妙きみょうな出来事が頻発していたため、今年からは教師全員で巡回し、安全を確認するという段取りになっていたのだ。

 奇妙な出来事とは一見ささいな出来事で、だれかに背中をされたと苦情をうったえる生徒が何人もいたのだった。ひどいケースでは池に落ちてずぶれになった子もいたのである。背中を押された子どもたちは、チームメンバーの誰かに後ろから押されたと主張していたものの、他のメンバーは知らぬ存ぜぬで、双方そうほうの主張が食いちがってケンカも起きていた。

 これが一件や二件なら子ども同士の悪ふざけと片付けていただろう。ところが、ほとんどのチームでこういったいざこざが起こっていたため、先生たちも何か対策を打たねばという話になっていたのである。

 そういったわけで、教頭先生以外の教員は、オリエンテーリング中に何か異変がないか巡回じゅんかいすることになっていたのだった。


 主月しゅげつ先生が余った地図やコンパス、チェックポイントなどの後片付けを終えて、巡回に出ようとしたところだった。オリエンテーリングは始まったばかりだというのに、明智光成あけちみつなりのチームがもどって来るではないか。

「あれ? どうしたの?」

「先生、すみません。小川のサンダルがこわれました」

「ごめん。走ってたらかかとのベルトがブチッて切れちゃって」

 サンダルしか持ってこなかった小川くんは明智光成のチームだったのである。

「シューズの予備ってありますか?」

「いや、だからないっていったでしょう」

「ほら」

「いいよ、そしたら裸足はだしで走るよ」

「そんなの無理だろ。怪我けがするぞ」

「裸足でなんかダメ。先生も許可できないよ」

「じゃあさ、先生、ガムテープってありますか? ベルトをぐるぐる巻にすればいけんじゃね?」

「なんだって? そんなことしたって、すぐに壊れちまうんじゃないのか?」

 光成がつっこんでみたものの、主月しゅげつ先生は仕方なく、背中に紙をった時に使ったガムテープを取り出して、サンダルとベルトをぐるぐる巻にしてみた。

「ちょっと走ってみて?」

「おお! オッケー! 大丈夫だいじょうぶじゃね?」

「いや、そんなそっとじゃなくて、ちゃんと走ってみろよ」

 小川くんが走ってみると、一瞬いっしゅんでベリっとはがれてしまった。

「やっぱダメじゃん」

「ええ? じゃあ、どうすんだよ!」

「もう、しょうがないでしょう。だから教頭先生がシューズを持ってきなさいっていってたんじゃない。そのサンダルでも歩くことはできるでしょう? 先生はこれからコースを巡回じゅんかいするから、先生と一緒いっしょに来なさい」

「ちぇ。つまんねーの」

「お前がサンダルしか持ってこねえのが悪いんだろ」

「わかったよ。先生と行くよ。後はまかせたぞ。村長ルール、クリアしてくれよな」

「まかせとけ。ぜったいクリアしてやる。一緒いっしょに行きたかったのに悪いな」

「いいよ。先生と見回りしてるから、教頭先生みつけたら教えてやるよw」

「じゃあ、先生、後はたのみました。おれたちは行きます」

「先生も応援おうえんしてるから。二人ともがんばって」

 明智光成あけちみつなり稲荷静香いなりしずかにも声をかけると、二人は走っていってしまった。明智光成のチームはもともと光成と小川くん、そして、稲荷静香の三人チームだったのである。


 主月しゅげつ先生と小川くんの姿が見えなくなったあたりで、光成が不意に立ち止まった。遠くに清掃員せいそういんさんが落ち葉か何かを拾っているのが見える。光成はその方をぼんやりと見つめていたのだが、思い出したように地図を開き始めた。

「はあ、はあ、はあ。あのさ……」

 明智光成と二人きりになった稲荷静香は勇気をふりしぼって声をかけた。

「はあ、はあ、はあ。私、足手まといになるから、先行っていいよ」

「ごめん、ちょっと速かった?」

 普段ふだんまったく話さない稲荷いなりが急に話しかけてきたので光成は緊張きんちょうした。

「ううん。明智あけちくんがあやまることないよ。はあ、はあ。明智くんはみんなから期待されてるのに、私がいると足を引っ張るでしょう?」

「何いってんだよ。これはチーム戦なんだから、そういうのやめろよ。それよりさ、最初のチェックポイントってこっちで合ってるよな」

「私、方向音痴ほうこうおんちだから明智くんにまかせる」

「いや、正直いっておれも自信なくてさ。東か西かっていうくらいざっくりでいえば、合ってると思うんだけど。稲荷も地図見てくれよ」

 そういって、光成は稲荷の方に地図を差し出した。

「ほら、稲荷も見て」

「はあ、はあ、はあ。私にわかるかな……」

 稲荷がそばに寄ってきて、同じ向きで見るために光成の横に立った。二人の距離きょりが一気に縮まる。

「スタート地点がここだから、俺たちがいる道は地図でいうとこの道だと思うんだよね」

「はあ、はあ、はあ。そうだね」

 稲荷との距離がこれだけ近くなって気づいたのだが、稲荷が息を切らしているのは、なんだかウソくさいように思った。しかし、光成はそれに気づかないフリをして続ける。

「そうだとすると、この道を行って、あの橋をわたった左手の方に最初のチェックポイントがあるんじゃないかな」

「はあ、はあ、はあ。私もそう思う」

大丈夫だいじょうぶ? 走れる?」

「あ、ごめん。大丈夫。走れるよ」

「よし、じゃあ行こう。稲荷いなりのペースに合わせるから。無理しないで」

「ごめん。ありがとう。大丈夫だから、ついてくよ」

 そういうと二人は地図をたたんで走り出した。


 さて、私がいるチームがどうなっていたかというと、あと少しで最初のチェックポイントにたどりつくところだった。ところが、近くまで来ているはずなのに、チェックポイントがなかなか見つからない。

「ほんとにこっちで合ってるの?」

「合ってるはず。もう一回地図見てみるか」

 チームリーダーが立ち止まって地図を取り出し始めた。

「さっきっから何回見てんだよw」

 私はろくに地図も見なかったくせに、ツッコミだけ入れていた。

「もうくたくたなんだけど」

「うるせえな。チェックポイントが道からはなれてるから、わかりにきいんだよ。おれたちが来た道は地図でいうとこれだろ? このあたりで道からはずれて南東に向かってたから、そろそろ着いてもおかしくねえんだよなあ」

「おっ! あそこに見えんのチェックポイントじゃね?」

 なんと、最初に見つけたのは私だった。

「ほんとだ!」

「あった! あった! 行こ! 早く行こ!」

 チームリーダーが地図をたたんでいるのも待たず、私ふくむ他の三名は、見つけたチェックポイントへ向かって走り出した。

「おい! ちょっと待てよ! お前らズルいぞ! 先行くなよ! って何だあ? うわあ! やられたあ!」

「え? なに? なに?」

「くっそお! やられちまった!」

「はっはっはっはっ! あまいな! 背中がお留守だったぞ!」

 チームリーダーの後ろにギリースーツの教頭先生が立っていた。

「ええ? 教頭先生いた? ぜんぜんわかんなかったんだけど!」

「はっはっはっはっ! 君たち油断しすぎだったぞ? 甘い! 甘い!」

「うわあ! マジかよ!」

「ちぇ! いきなりやられちまったかあ!」

「まあ、そうがっかりするな! 10ポイントこそ失ったが、オリエンテーリングは始まったばかりだ! このペースでガンバればまだまだトップをねらえる! 村長はいそがしいからこれで失礼するが、ガンバるんだぞ!」

 教頭先生はそういうと、さっさとどこかへ消えていった。

 ギリースーツを着ていたとはいえ、教頭先生がいたことなどまったく気がつかなかった。後から思い返してみてもどこにいたのか見当もつかない。環境かんきょうへのみ方は想像以上だった。おそるべき偽装能力ぎそうのうりょくだったとしかいいようがない。


 ちょうどその時。この様子を遠巻きに見ている者がいた。

「なんだあの全身草ずくめのヤツは。あんなところに人がいたなんておれも気づかなかったぞ。確かアイツは去年もいたな。あれは要注意だ。でもまあ、あんなヤツがいたところで俺の能力なら問題ねえ。だれも俺を見つけることなんてできやしないんだからな。むふっ。さてと、そろそろ俺も行動を起こすとするか。おっと、なんだ? 誰か来たな」

 主月しゅげつ先生と小川くんが巡回じゅんかいでまわってきたところだった。

「なんだあ? 去年は先生の見回りなんてなかったはずだぞ。ひょっとしてあやしまれてんのか? ちょいとばかり去年はやり過ぎちっまたか。だがな、俺の能力の前ではそんなの関係ねえんだよ。むふっ、むふふふ。今年は俺も工夫をこらして面白えものを用意してるしな。さっそく試してやるぜ。むふっ、むふむふ」


 主月しゅげつ先生と小川くんはキャンプ場を巡回じゅんかいして歩いているところだった。この施設しせつはキャンプ場というには異様に広く、あらためてどういった施設なのかを説明しておきたい。

 このキャンプ場は、本来はグランピングを目的とした施設だったが、宿泊施設しゅくはくしせつ以外にも広大な敷地しきちを有しており、歩道やさく、照明の設置など、小学校の経営母体から助成を受けて整備されていることはすでに説明した通りだ。しかし、助成金の使途しとはそれだけではなく、その広大な敷地をビオトープとして整備する費用にも当てられていたのだ。

 ビオトープとは、生き物が生息する場所のことをいう。つまり、このキャンプ場は人間が宿泊する施設のみならず、動植物の生息環境せいそくかんきょうも整備しているのだ。ならば、こんな場所はキャンプ場とは呼べないではないかという意見が出てくるかもしれないが、まったくその通りで、ここをキャンプ場と呼んでいるのは私たちが通う小学校だけであり、一般利用いっぱんりようの際はきちんとビオトープを有したグランピング施設として紹介されているのである。


 主月先生と小川くんが歩いている場所は、この施設で「セミの森」と名づけられた森のすぐそばだった。その名の通りセミがたくさんいるのだろう。騒々そうぞうしいほどである。

「先生、暑いっすね」

 小川くんが水筒すいとうの水を飲みながら主月しゅげつ先生に話しかけた。

「ほんとね。それにセミの鳴き声もすごい」

 左手はセミの森であったが、反対に右手の方はひらけていて、強烈きょうれつな日差しを浴びた草花のにおいでむせ返るほどだった。

 小川くんは主月先生の後で水筒のフタを閉めていたところ、不意に何かを背中にかけられた気がした。

「うわあ! なに?」

 前を歩いていた主月先生もおどろいて後ろをり向いた。

「どうしたの?」

「なんかついた! 先生見て!」

 そういって小川くんはあわてて主月先生の方に背中を見せた。

「何これ! 何があったの!」

「何? どうなってんの? わかんないよ!」

「血?」

「血って何? 血が出てんの?」

「痛くない? ちょっと待って! よく見せて!」

 主月しゅげつ先生は小川くんの背中についている赤い液体のようなものに顔を寄せ、注意深く観察してみた。

「何これ? ケチャップ?」

「ええ? ケチャップって、どうゆうこと?」

 小川くんは背中に手をのばしてそれにれてみた。その手を前にもどして見ると、指先には赤い液体のようなものがついているではないか。

「ほんとだ……、これケチャップかな? 血じゃないよね?」

 そういって味見をしようとした。

「やめて! まだケチャップかどうかわからないのに! 毒だったらどうするの!」

「うわあ、マジで?」

だれかいるの! 誰かいるんなら出てきなさい!」

 主月先生はあたりに向かって大声を出した。この道のわきにはさくがあってその奥はセミの森になっている。この森の中に誰かかくれているのだろうか。

「かくれてるんでしょう! こんなイタズラはやめなさい!」

 主月先生は柵のおくに向ってさけんだ。しかし、何の返事もない。セミの鳴き声がするだけである。

「小川くん、危ないからここで待ってて」

 主月しゅげつ先生はさくえてヤブに分け入ってみた。

「ここにいるんでしょう! 出てきなさい!」

 ヤブの中に入ってあたりをよく見てみたが、だれかがいる気配はまったくない。セミの鳴き声にまぎれて主月先生の声がするだけである。

「むふっ、むふむふ。おれはここにいるよ? ほら、木の幹にしがみついて、枝にまぎれて、君からも見えるところにいるよ? こんな近くにいるのに気づかないのかい? むふっ、むほほほ」

 主月先生はあきらめてヤブから出る。

「ヘンね。誰もいない」

 主月先生はきつねにつままれた心地で、あらためて周囲を見渡みわたしてみたが、セミが鳴いているだけで誰かがいそうな気配はどこにもない。

「先生、誰もいないの?」

「そうなの。去年も似たようなことがあったって話なのよね。誰もいないのに背中をされて転ばされたり、池にき落とされたりしたって。でも、こんな赤い液体をかけるなんて聞いてなかったけど。小川くん、大丈夫だいじょうぶ? 痛くなったり気分が悪くなったりしていない?」

「うん。先生のいう通りケチャップのような気がするよ」

「そう。まずはそれを洗い流しにもどりましょう」

「そうだね。ちぇ、今日はついてねえなあ」


「むほっ、だれおれに気づかねえ。今のは目の前まで来てたんだがなあ。むほっ、むほほほ。心地いいなあ。こっちからは丸見えだから、気がつかれそうに感じるもんなのに、『見つかるか? 気づかれるか?』ってスリルがたまんねえなあ! むほっ! こいつはやめらんねえぜ。むほほほ」


 このような奇妙きみょうなことが起きつつも、何が起きているのか結局はわからず、オリエンテーリングの方は続行されていた。どうもこのキャンプ場には教頭先生以外にも何者かがひそんでいる。昨年から引き続き、今年も奇妙なことが起きているのだった。

 この後、教頭先生は次々と水かけを成功させていったのだが、このケチャップをかけられる事案も次々と発生していたのだった。


 私たちのチームでは、順調といえば順調にチェックポイントを見つけていた。開始早々教頭先生にやられてしまい、やる気を失ってダラダラとチェックポイントを探していたのだが、やる気をなくしてしまうと意外に二つ目のチェックポイントは簡単に見つかって、次は三つ目を探しているところであった。

「ああ、私もうつかれた」

「一気にやる気なくなったあ。次どこ?」

「うるせえなオメエら。とりあえずゴールしねえと終わんねえから、さっさと行くぞ」

「ねえ、あれって明智あけちくんじゃない?」

「ああ、ほんとだ! 光成じゃねえか! おーい! 光成!」

 私が大声で呼んだところ、明智光成はこちらに向かって声をかけてきた。

「よお! お前らどう? おれたちは三つ目をさがしてるところだけど」

「俺たちも三つ目。それよりこれ見てくれよ!」

 私は後ろを向いて光成に背中を見せた。

「うわ! なにそれ?」

「たぶんケチャップだと思うんだが、さっきかけられたんだよ!」

だれに?」

「それがさあ、おれらのチーム以外に誰もいねえんだよ。ホントにお前らじゃねえんだよな?」

「だからやってないって!」

「そうだよ! 誰もケチャップなんか持ってないでしょう?」

 確かにその通りで、オリエンテーリング中に地図とコンパス、それと水筒すいとう以外に荷物など持っている者は誰もいなかった。

「どういうこと?」

 戸惑とまどっている光成に、私は一言だけATPリンクで話しかけた。

「光成。光合成人間がこのキャンプ場にいる。たぶん能力持ちだ。姿が見えねえ」

 おどろいた光成と目が合うと、私は何事もなかったように話題をかえた。

「話かわるけどさ、光成たちは教頭先生に会った? おれたちはさっそくやられちまったよw」

「マジで?」

「マジだよ。ほら」

 チームリーダーが背中を見せていった。背中にり付けられた紙はかわきかけていたものの、確かに青く変色している。

「一個目のチェックポイント付近だった。いやあ、教頭先生がかくれてるなんて、ぜんぜんわからなかったよなあ?」

「あれはぜんぜんわかんねえw。教頭先生ガチだわw。さっきホシケンたちにも会ってさ、あいつらの時は芝生しばふから突然とつぜん出てきたって」

「芝生だって? 芝生が生えてるところって、かくれる場所なんてなさそうだけど?」

「なんか、芝生のシートをかぶってたらしいw。しらんけどw」

「マジで? さっきとはちがう格好してるってことか?」

「ああ、イシケンの話では、他のヤツらの時は池から出てきたらしいw」

「池ってことは、なに? 水に入ってかくれてたってこと?」

「いや、なんか池にすげえ背の高い草が生えてんだろ? それにまぎれてたらしいw」

「毎回ちがう格好してるってことか? さっきの教頭先生がつけてた草は覚えてたんだが、それじゃ通用しないのか」

「その場その場で完全に同化してるw。あれはマジでわからんw。お前でも無理かもw」

「私たちも明智あけちくんだったらって期待してたけど、実際に見てみたら、これは明智くんでも無理かもって思ってきた」

「いや、ほんとマジでわかんない。あれ見つけたらほんと尊敬するわ」

「マジでガチすぎるw」

 この発言は明智光成の闘争心とうそうしんに火をつけた。

「そうか。ますます見つけたくなってきたぜ。ぜったいクリアしてやる。情報ありがとう。それじゃあおれたちは行くよ」

「ああ、俺たちもそろそろ行かねえと」

「じゃあまたな」

 そういって、光成は次のチェックポイントへ向かって走り出した。

「ああ、ガンバれよ! 応援おうえんしてるぞ!」

「ヤベえw、光成がガチになっちまったw」

「アイツだったらできるかなあ?」

「ホントにできたらスゴいよね?」

「ねえ、見た? 稲荷いなりのヤツ、明智あけちくんと二人きりだったね」

「ああ、確かアイツらのチームは小川も一緒いっしょじゃなかったっけ?」

「サンダル小川w」

「小川のことだから、どっかでサンダルなくしたんじゃねえのか?」

「ちげえねえw」

「覚えてる? 稲荷ってさあ、バスじゃなくて校長先生と来てたじゃん?」

「ああ。特別扱いなんだよ。だってあの校長のむすめだぜ?」

「おいおい、そうかもしらねえけど別によくね? しらんけどw」

「なに? なんで円座くんは稲荷のかたを持つわけ?」

「いやいや、別に肩持ってるわけじゃないけどさあ、もしおれが不快なこといってたらわりいな」

「不快ってことはないけど……」

「さあ、俺たちもさっさと次行こうぜ」

 こうして私たちのチームも次のチェックポイントへ向かったのだった。


 あたりにだれもいなくなると稲荷は再び光成に声をかけた。

「はあ、はあ、はあ。明智あけちくん。みんなすごい期待してたね。だからさ、私足手まといになるから先に行ってていいよ」

 足手まといになるからというのは半分うそだった。本当は、先ほど私のチームにいた女子が、光成と二人きりでいる稲荷いなりに非難の目を向けていたからなのである。しかし、本当のことなどいえるはずもない。光成はそんなことともつゆ知らず、足手まといになるという点にだけ答えた。

「さっきもいったけど、おれはそういうの嫌なんだよ。これはチーム戦なんだって。たとえばだけど、もしお前がケガしたとしたらさ、お前を置き去りになんかしないだろ?」

「私は置き去りにされてもいいよ?」

「なんだって? ホントにいってんのか?」

「ホントだよ?」

 予想もしない答えが返ってきて光成は驚いた。まさか、こんなふうに考える人がいるのかと。

「えっと、お前はよくてもさ……、いや、そうじゃないだろう! 逆に俺がケガすることだってあるよな? その場合お前はどうするんだよ? 置き去りにするのか?」

「え? 私?」

「そうだよ。俺だってケガすることは十分にありえるよな? お前みたいに、置いてってくれって、俺もいうだろうけどさ」

「え? え? 私? 私は……、そんなこと……考えたこともなかった……」

 稲荷いなりは自分がだれかを助ける立場になるだなんて、想像すらしたことがなかった。自分はいじめられ、いつも一人ぼっちで、置き去りにされても誰にも心配されない存在なのだと。予想だにしない質問を突然とつぜんぶつけられ、稲荷はなんと答えればよいのかわからなかった。

「私は……、私は……」

 稲荷は激しく動揺どうようした。息が上がったフリをするのも忘れるほどに!

「私も……、私も置き去りになんてできないよ!」

 こうき出して、激しい動揺からか、本当に息が上がる思いがした。

「稲荷だってそうだろう? それに、おれはぜったいに教頭先生を見つけられる。自信があるんだ。お前が足手まといだなんてことはぜったいにない」


 そう。明智光成あけちみつなりには自信があった。光成にはATP能力があるのだ。他の能力をラーニングできるほどに視覚情報を分析ぶんせきできる能力。この能力を使って、オリエンテーリングが始まってからというもの、細心の注意をもって周囲を観察し続けていたのだ。一切の異変も見逃みのがさない。かれには周囲の環境かんきょうが、我々が想像できるよりもはるかに、ずっとよく見えているのだ!


 少し光成の能力に関わる視覚情報ついて補足しておこう。

 視覚情報というものは思いのほか情報量が多く、人は見たものすべてをとらえられているわけではない。視覚情報として入ってきたもののうち、脳で処理できたものだけを、人は「見た」と認識しているだけなのだ。実際の視覚情報は脳が処理しきれないほど膨大ぼうだいなのである。

 たとえば、あなたが人であふれた繁華街はんかがいを歩いていたとしよう。そこにいた人たち、視界に入った人たちの顔を、あなたは全員見ているだろうか。視覚情報は光であるから、視界に入った人たちの顔は視覚情報として眼球に入っているはずである。それなのに、あなたの意識としては人の顔など見ていないのではないだろうか。実際にはすべての視覚情報が目に写っていたにもかかわらず、脳が見たものしか認識していないのだ。

 さらに具体例を上げてみると、その繁華街に偶然ぐうぜん芸能人がいたとする。この芸能人とすれちがった人は全員気づくだろうか。必ずしもそうというわけではない。すれ違ったのだから、視覚情報としては目に入っていたにもかかわらずである。目に入った情報からその芸能人だと気づいた人だけが、つまり、脳が認識できた人だけが気づくのである。

 この芸能人の例でいえば、知識というものも重要になってくる。そもそもその芸能人を知っていなければ、その人が芸能人であることすら気づきようもないのだ。つまり、視覚情報というものは知識も重要になってくるのだ。知らないものを見たとしても脳は認識しない。繁華街で百人、二百人とすれ違っても、知らない人のことなどだれも覚えていないように。

 このように、視覚として入ってきた情報のすべてを人は認識できるわけではない。しかし、明智光成あけちみつなりのラーニング能力についていえばどうであろうか。かれの能力は「見る」能力が極めて高く、一度見たものを覚え、身につけてしまう能力である。つまり、光成はそのATP能力によって、たとえ視覚情報が膨大ぼうだいであっても、光合成によって処理能力が異様なほど強化され、常人をはるかに凌駕りょうがしたものになっていたのだった!

 だから、たとえ教頭先生がギリースーツを着ていようとも、この能力でぜったいに見つけられる自信があったのだ!


「ちょっと話かわるけどさ、あそこに清掃員せいそういんさんがいるだろう?」

 光成は遠くにいる清掃員さんの方を見つめながらいった。このキャンプ場がビオトープとして整備されていることはすでに説明した通りであるが、多様な生物相を造成するために水場もいくつか設けられており、このあたりにはちょうど「トンボ池」という名の池があった。そこにはよしという名の背の高い植物がしげっていて、何やら騒々そうぞうしい鳴き方の鳥が盛んに鳴いている。そのおくは小高いおかになっていて、遠くはなれた丘のてっぺんに、清掃員さんの上半身だけが小さく見えていたのだ。

「あの人、さっきもいたんだ」

「え? そうなの? 気づかなかった」

 光成は地図を取り出して稲荷いなりに見せながら続けた。

「スタートポイント付近で小川と主月しゅげつ先生と別れた後、地図を確認しただろう? 最初はあそこにいたんだ。地図でいうとこのあたり」

 光成は地図でその場所を指し示した。

「次は二個目のチェックポイントを見つけた後だった。二個目のチェックポイントはここだから、あの清掃員せいそういんさんがいたのはこのあたりになるだろう? そして、今はここにいるんだ」

「けっこうはなれてるね。清掃員さんって何人もいるんじゃないの?」

「いや、全部同じ人だった。おれは目がいいからわかるんだ」

「そうなの?」

「ああ、これだけ広い場所で、こんなに離れているのに何度も同じ人を見かけるなんて、偶然ぐうぜんで片付けられるかな? さっき、彩豪さいごうがケチャップをかけられたっていってただろう? ひょっとすると、あの清掃員さんかもしれないと思ってるんだ。勘違かんちがいかもしれないけど、用心してアイツから離れて行こう」

「けど、清掃員さんがそんなことするかな?」

「いや、俺だってそんなこと普通ふつうはしないと思ってるよ。けどさ、こんな離れた場所で何度も見かけるのは不自然だろう? 用心にしたことはない。離れて行こう」

「うん。わかった」

 明智光成あけちみつなり稲荷静香いなりしずかは再度地図を確認すると、おか迂回うかいする方へ向かって走り始めた。


 ちょうどその時、この二人を遠巻きに見つめる者がいた。

「おいおい、なんだあのイチャついたクソガキは。他のヤツらとはぐれて二人きりになんかなりやがって。金持ちの子どものくせしてよ、生意気にマセてんじゃねえのか? リア充気取りかよ? ふざけやがって。らしめてやらねば。むふっ、むふふふ」

 そして、二人が近づいて来るところを待ち構えている。

「もっと近づいて来いよ。もっとだ! むふっ、むふふふっ。さあてと、どっちにしてやろうか? 女の子の方にしてやろうか? せっかく男子と二人きりだってのに、その高そうなお洋服が真っ赤に染まって台無しだなあ? むほっ、むほほほほほ!」


 明智光成は清掃員さんに気をかけながらも、ATP能力を使って周囲の環境かんきょうにも気を配ってしていた。イシケンが教頭先生にやられたのは池のほとりにある葦原よしはらだったことから、トンボ池への注意もおこたらなかった。この池の左手前側はヤブになっていて、ここもギリースーツを着た教頭先生がかくれるには絶好の場所になっていた。ヤブがせり出した部分には大きなモミジの木が立っていて、この木に注意を向けたちょうどその時だった。木の幹が枝分かれしたあたりの部分に何か、光成は違和感いわかんを覚えた。一見してもわからないが、一部のフォルムに気にかかるものがあったのである。光成は立ち止まった。

「どうしたの?」

「あそこの木に何かいる……」

「え? どこ?」

「見るな! 気づかれる!」

 この日もよく晴れていて、真っ白い雲が光輝ひかりかがやいてまぶしいほどだった。ビオトープの草花が強烈きょうれつな光を浴びて燃えるように発色する中、その木陰こかげとなった木の幹は、日差しが強すぎて暗くつぶれてしまい判然としない。光成はATP能力を使って偏光率へんこうりつを調整した。

「なんだ? あれは?」

 そこには人がいた。

 枝を真似たポーズをしていたが、偏光率を変えて見るとそれは人のように見えた。しかし、あれは何であろう。はだの色が木の幹と同じ色なのだ。カモフラージュのためにボディペインティングをしているのだろうか。色合いだけでなく模様まで木の幹と瓜二うりふたつなのである。ところが、木の幹はざらついているのに対し、人体部分の表面はツルッとしていて質感がちがうのだ。

間違まちがいない。人がいる」

「ええ? ほんとう? だれもいないように見えるけど?」

「もう見るな。気づいてないフリをしよう。稲荷いなりは危ないから池の近くを通ってくれ。おれがおとりになってあの木の近くを行く」

大丈夫だいじょうぶ? 教頭先生だったら背中ねらわれちゃうよ?」

「大丈夫だ。心配しないでくれ。場所はわかっているんだ。ぜったい背後は取られない。それより、稲荷はあの清掃員せいそういんさんを見ててくれないか? 何かあったらすぐ大声で知らせてくれ」

「わかった……」

 そういって二人が別々に歩き出し、光成がモミジの木の下に差しかかったところだった。この木はモミジとしてはかなり大きい。古い木なのだろうか。池の方にもたれかかるように幹をばし、葉を鬱蒼うっそうしげらせて重い木陰こかげを地面に落としていた。紅葉の時期に見ればさぞ見事であろう。その木陰を、光成は気づいていないフリをして通り過ぎようとした、その時である!

 それが動き出したのだ! 木の幹の色をした何者かが!

 光成は勢いよくき出されたケチャップを見事にかわし、モミジの幹にしがみついているその足をつかむと、ひなたの地面へ向けて投げ飛ばした!

「ぐほぉ!」

 地面に落ちたヤツは、はじめは木の幹のような色をしていたが、またたく間に地面に生えた草むらと同じ色に変わっていった!

「なんだこれは! カメレオンか?」

 ヤツは周囲の色と体色を合わせようとして、それでいてなかなか定まらないのか、目まぐるしく体の色を変えていた! それはCGやプロジェクションマッピングのように、まるで映像を映しているかのような奇妙きみょうな姿だった!


 カメレオンは周囲の色と同化するように体色を変化させる生き物として有名であるが、これは何もカメレオンに限った特性ではない。他にもタコやイカなどの生き物も体の色を変えることで知られている。しかし、かれらはどうやって色を変えているのだろうか。

 人間の場合、体の色というものはメラニンという黒い色素で色がついているため、この濃淡のうたんでしか色のちがいが生まれず、色自体を変えることはできない。いい方をかえれば、はだの色素に色がついているがために、色を変えることができないのだ。

 ところが、カメレオンの場合は逆に体の色素に色がないのである。色のない色素とはいかなるものか。これを簡単に説明するのは難しいが、大雑把おおざっぱにいえば光の反射率を変化させて様々な色に見せることができる色素、虹色素胞にじしきそほうと呼ばれる色素なのであった。

 少し話がそれるが、UOKうまるこwの装備である光合成スーツや赤紫色あかむらさきいろのスライムを思い返していただきたい。

 光というものはスペクトルという七色の光で構成されていることが知られているが、光合成はこの中で赤と紫色のスペクトルを利用しているため、光合成スーツではそれを反射しない緑色の繊維せんいが使われている。反対に、光合成を阻害そがいするために開発されたスライムでは、光合成に必要な赤と紫色のスペクトルを反射させるために赤紫色をしているのだった。

 色というものは反射されたスペクトルが眼球に入って知覚される。つまり、どの色のスペクトルを反射させるのか、これを変化させれば色を変えることができるのだ。

 自然界にある色素には様々な種類があって、その中には構造色というものがある。これは物質の色そのものではなく、特定のスペクトルを反射する構造になっているがために、特定の色に見えるという性質の色素なのだ。

 たとえば、スズメなどの茶色い鳥の羽では、黒や茶色は色素自体の色であって構造色ではない。それに対して構造色の羽を持っているのは、カワセミやオオルリといった青い鳥で、これらの鳥の羽が青く見えるのは、羽自体が青いのではなく、青いスペクトルを反射する構造色によって青く見えているのだ。

 この色素構造を変化させ、ちがうスペクトルを反射させることができれば、色を変化させることは可能なのである。

 いうのは簡単だが本当にそんなことができるのだろうか? それができるのだ! 事実、カメレオンはそうやって色を変えているのだから!


 ここで一つ疑問がある。百歩ゆずって体の色を変化させることができたとしても、衣服についていえばそんなことはできないのではないだろうか。服を着ていればその部分の色は変わらないはずである。ところが、ヤツは全身の色を目まぐるしく変化させていたのだ。これはどういうことなのか?

 そうなのだ! 体の色が変わるため一見してわからなかったのだが、ヤツは服を着ていない! 全裸ぜんらなのであった! ものの見事に一糸まとわぬ、ネバーウェアだったのだ!


「くっそお! テメェ! よくわかったなあ! 大人しくケチャップかけられてればよかったものをよう! バレちまったらテメェをぶっ飛ばすしかねえな!」

 ヤツは大声でさけぶと光成におそいかかった! しかし、それを紙一重でかわす!

「おお? なんだこのヤロウ! やんのか? オラア!」

 相手は最高に光合成した全裸の男だ! 服を着ている光成は完全にパワー負けしていた!

「むほっ! むほほほほ!」

 最高に光合成したネバーウェアの攻撃こうげきは、たとえガードしたとしてもその上から甚大じんだいなダメージを受けてしまう! 光成は光合成シールドでなんとか防いでいたものの、鋼鉄のような強度は出せず、ダメージを軽減させるだけで精一杯せいいっぱいだった!

「ぐあっ!」

 ついには横蹴よこげりを一発モロに食らって、光成はき飛ばされてしまった! 稲荷いなりの前ではテイクオフなんてできない! これはマズいぞ! 圧倒的あっとうてきに不利だ!

明智あけちくん! 大丈夫だいじょうぶ?」

 はなれていた稲荷がかけ寄ってきた!

「なんだよ! 危ないから離れてて!」

「むほっ! おめえ、アケチくんっていうのか? ラブラブじゃねえか!」

「マジで危ないから離れてて!」

「むほほほほほ! 女子に心配されてカッコわりいな! おら! どうした! かかってこいよ! むほっ! むほほほ!」

「稲荷! おれは大丈夫だから!」

「大丈夫じゃないよ! 私たちまだ小学生なんだよ! こんな悪い大人に勝てっこないよ!」

 稲荷いなりがこうと、光成の様子が変わった。

「ああ?」

 マズい。光成は子どもあつかいされるとキレるのだ。

「ねえ、先生たちを呼びに行こう!」

「今なんつった?」

 マジか! このタイミングで光成はキレたのだ! お前はバカか! 相手は稲荷だぞ!

「え? 何? 明智あけちくん……?」

「うるせえな! 今なんつったって聞いてんだよ! 子ども扱いするんじゃねえ! お前こそジャマなんだよ! はなれてろ!」

 稲荷は衝撃しょうげきのあまり息が止まりそうになった。

「むほっ! 恋人同士こいびとどうしのケンカかあ? みっともねえなあ! マセやがって! ほかでやってろよ!」

 稲荷のくちびるはかわいそうなほどふるえ、目にはなみだがあふれ出さんばかりだった。

「むほっ! 女の子がいてんぞ? むほっ、むほほほほほほほ! 罪な男だなあ! うらやましいじゃねえか! テメエ! らしめてやるよ!」

 カメレオン男が猛然もうぜんなぐりかかったところを、ねらいすましていた光成が見事にカウンターを決めた!

「ぐほっ!」

 ヤツがもんどり打ってくずれ落ちたその時だ! 光成は何者かの接近を察知して、素早く身を退かせる! この状況下じょうきょうかでも教頭先生がどこかにかくれているのではないかと周囲へ注意をはらっていたのだ! しかし、もうスピードで接近してきたのは教頭先生ではなく、緑色の光合成スーツを着た男だった! その男は背負った赤いボンベからノズルを取り出すと、カメレオン男に赤紫色あかむらさきいろのスライムを浴びせかけた!

「うわあああああ!」

 スライムをモロに浴びたヤツはのたうち回った!

「なんでこんなところにUOKうまるこwがいるんだよ! 待てよ? その顔は……」

 光成にはそのUOKw隊員の顔に見覚えがあった。そう。この男は、先ほどから何度も目にしていた、あの清掃員せいそういんさんだったのだ!

「うわあああ! なんだこのスライムは! なんか光合成ができねえ! ヤベえぞ! ヤベえ!」

 カメレオン男はスライムまみれのままあわててげ出した! しかし、光合成ができなくなってしまっては普通ふつうの人間とかわらない! UOKw隊員はあっという間に追いついて、ヤツを組みたおした!

 その時である。突然とつぜん、光成の後ろから声がした。

「なんだねこれは! いったい何があったというのかね!」

 光成はおどろいて後ろをり返った。

「教頭先生?」

 そこにいたのはギリースーツを身にまとった教頭先生であった。

「大声がするから来てみれば、これは何事かね!」

 光成は素早く後ろへ飛び退いた。教頭先生が背中にってある紙をねらっているからだ。

「くっくっくっ。明智あけちくん。もうおそいよ」

「なに?」

 光成は背中に貼ってある紙を調べようとして、背中に手を回してみると、背中についた水滴すいてきが指先をらした。

「マジ? ぜんぜん気づかなかった……」

 明智光成はカメレオン男との戦闘中せんとうちゅうにおいてもUOKうまるこw隊員の接近に気づいていたし、周囲へ注意をはらうこともおこたらなかった。それなのに、明智光成たるものがまったく気づかなかったのだ。この教頭先生。なんというおそるべきステルス能力であろうか。光成は完全に負けを認めざるを得なかった。

「先生……。いつからいたんですか? ぜんぜん気づきませんでした」

「ついさっきだよ。さけび声がするから何事かと思ってあわててここに来たところだ」

「走って来たんですか? それだったら気づいたはずなんですが……」

「まあ、見つからんように慎重しんちょうにな? そんなことよりも君たち! 大丈夫だいじょうぶだったか! ケガはないのか! なんだこの赤紫色あかむらさきいろまみれの男は? UOKwウアックウの隊員さんもいるし、これは一体どういうわけだね!」

 なぜUOKうまるこwがいたのか、この時はわからなかったのだが、後年私が知ったところでは、明智大臣あけちだいじんの息子がアカシックレコードD.E.大学の関係者に尾行びこうされたことを受け、秘密裏にUOKw隊員が身辺警護に当てられていたのだった。このことは学校には知らされず、教頭先生も知らなかったのである。


 こうして明智光成をもってしても村長ルールをクリアすることはできなかった。教頭先生はこれまで続けてきた無敗記録を更新こうしんしたのである。

 教頭先生は状況じょうきょう把握はあくすべく、少しはなれたところにいた女の子にも目をやった。

「それと君は……、はっ! 君は校長先生の……」

 まぶしいほどの光がビオトープを焼きつくすかのように照らす中、旺盛おうせいよししげったトンボ池のほとり、青々しいモミジがかげを落としたその場所から少し離れたところで、稲荷静香いなりしずかは体をふるわせ、あらぬところをじっと見つめたまま涙を流していた。(続く)

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