第十六話 夏休みの始まり

 その日は私たちが待ちに待った終業式の日だった。これが終われば夏休みの始まりである。子どもたちがどれだけこの日を待ち望んでいたかなど、あらためて説明するまでもないだろう。この日は授業など一限もなく、朝から終業式をやってホームルームを終えれば、晴れて自由の身になれるのである。ホームルームにいたってみれば、通知表が配られるという最悪のイベントがあったにもかかわらず、それを差し引いても有り余る夏休みへの期待の方があまりにも大きく、もはやソワソワして先生のいっていることなど耳に入ってくるはずもない。ホームルームが終わった瞬間しゅんかんには、感極まった一部の生徒が飛び出すように教室から出ていく始末だった。

 いつもだったら私もその一人だった。

 しかし、この日の私はいつもとちがってはしゃいでいなかった。

「おい、円座えんざ! お前どうしたんだよ!」

「これから夏休みだっつうのに、なんかおとなしくねえか? らしくねえぞ!」

 私はゆっくりと通知表をランドセルにしまっているところだった。

「どうしちゃったの? 円座君だったらもっとはしゃいでそうじゃないw?」

 女子たちもクスクス笑いながら話に入ってきた。

「ああ? そうか? くっそうれしいけどな?」

「成績悪かったからじゃねえのかw? お前この前のテスト0点だったんだろ?」

「それいうなよw。ちょっとは落ちこんでんだからw」

「お前がこれから勉強するんだったら無理にはさそわねえけどさ、おれたちこれから映画館に行くんだよ。お前も行かねえか?」

「勉強なんかするわけねえだろw。けどよ、わりいな。光成と約束があって、これからちょっと用事があんだよ」

「おめーらホントに仲いいな。それだったら明智あけちも誘って行こうぜ」

「え、明智君も? そうだよ。明智君も誘って一緒に行こうよ」

「いやあ、それがなあ、叔母おばさんからたのまれごとがあってさあ、光成に付き合ってもらってこれから出かけるとこなんだ」

「なんだよ、そういうことか。しょうがねえな」

「俺も映画行きたいんだけどさあ、映画ってあれだろ? 『モフモフ探偵たんてい』。俺もすっげー観てえんだよw。今度にしない?」

「ええ? 今度? どうする?」

「明智君も来れるの?」

「でも、今日はこの後何して遊ぶのよ」

「そうだよ。することねえし、やっぱ映画行こうぜ」

「だな」

「じゃあ、わりいけど映画はおれたちだけで行くぜ」

「ああ、せっかくさそってくれたのにわりいなw」

「今度は明智あけち君も誘ってよ」

「いやあ、アイツが来るかどうかはわかんねえけどなw。それじゃあ、俺はいくよw」

 そういって私はランドセルを背負って教室を出ていった。

 ちなみに『モフモフ探偵たんてい』とは、ポジティブワードしかいわないマッチョなモフモフの探偵が主人公で、昨年から子どもたちの間で大バズリのアニメだった。


 私が明智光成がいる教室の前に行くと、入口のところで一人で帰ろうとする稲荷いなり静香しずかとすれちがった。私はなんとはなしに「光成って中にいるw?」と声をかけたのだが、彼女かのじょはうつむいたまま何も答えず、スタスタと帰っていってしまった。

 すると、それを見ていた他の生徒たちが笑い出した。

「くっそウケる! 円座えんざが無視されてやんのw」

「アイツに聞くだけムダw」

「円座君知らないの? あの子ぜんぜんしゃべらないんだよ?」

「お前らうるせえなw。別にいいだろw。そんで、光成ってまだ中にいるw?」

「ああ、あそこにいるよ」

「ああ、ホントだ。あざっすw」

 明智あけち光成みつなりは他の生徒たちに囲まれているところだった。かれらは私を見つけるなり文句をいい始めた。

「おお、うわさをすれば円座えんざのヤツが来やがったぞ!」

「円座君のせいで明智君が午後に遊べないんだって!」

「おお、そうなんだ。わりい、わりいw。お前らどっか遊びに行くの?」

「映画だよ」

「あれ、マジで? ひょっとして『モフモフ探偵たんてい』?」

「そうだよw。他にあるかよw」

「あれおれも観てえんだよw! また今度にして俺もさそってw」

「円座君が予定変えればいいんじゃない」

「そうだよ。そうすればみんなで行けるのに」

「いや、それがさあ、叔母おばさんからたのまれごとがあってさあ、光成にも付き合ってもらいたいんだよ」

「そんなの、一人で行けばいいじゃない」

「そんなきびしいこというなよw。ほら、最近ニュースでやってんだろ? 空き家がだれかにこわされてるってヤツ」

「ああ、誰も住んでねえ家がぺしゃんこになってるってヤツだろw?」

「そうそう、それなんだ。おれのオカンと叔母おばさんの実家がさあ、今は誰も住んでなくて空き家になってんだよ。そんで、あのニュースを見た叔母さんが心配しててさあ。だけど叔母さんは結婚けっこんして遠くに住んでんのね。だからウチのオカンに様子見に行ってくれっていってんだけど、オカンはそういうのめんどくさがって行かねえんだよ。この前はオカンの事務所スタッフが行ってたんだけど、今は忙しくてそれどころじゃないんだって。そんで叔母さんは俺にたのんできたってわけ。あと、ついでに草むしりも頼まれてさあ。ほら、夏って雑草がくっそ生えんだろ? 俺一人じゃ無理だから、それで光成にも手伝ってもらいたいんだよw」

「そんなの円座えんざ一人でやればよくね?」

「いやいや、俺一人でやるよりみんなでやった方が早くね?」

「なんで俺たちまでやることになってんだよw」

「草むしりなんてぜったいしたくない」

「そうだよ、そうだよ」

 私が女子たちふくむみんなからのヒンシュクを一手に買いつつ、完全なアウェイに立たされていたところへ、急に光成が口をはさんできた。

「まあ、いいよ。俺は草むしり手伝っても」

 一瞬いっしゅんシーンとなった。

「ほら、光成はこういってくれてんだよ」

「ええ? ホントなの?」

「草むしりだよ?」

明智あけち君がそういうならしょうがないかなあ」

円座えんざ君、明智君に感謝だよ?」

「明智君人良すぎ」

「いやいや、おれ一人じゃ無理なんだってw。聞いてくれよ。この前はオカンの事務所スタッフが、仕事でもねえのに草むしりやらされててさあw。大人が三人がかりでやってたんだぜ? 俺一人じゃ無理っしょw」

「円座君のママって、ファッション・ブランドのあのENZAなんでしょう?」

「え? そうなの?」

「知らなかったの? 円座君のママって、あのENZAなんだよ?」

「ええ? ウソでしょ?」

「それがホントなの。ステキじゃない? ママがファッション・デザイナーって」

「そうかw? ヒステリックでうっせえだけだぜw? マジでうぜえw」

 …………。実の母に対してひどいいいようである。私は本当にこんなことをいっていたのだろうか。明智光成がこの時のことを鮮明せんめいに覚えていて、調子にのった私が確かにこういっていたと主張するのでしかたなく書いているのだが、私の認識とはまったく異なっていることだけはもうえておきたい。あの気性の激しい母がこれを読んだら、ヒステリーを起こすだけでは済まないだろうから。どうか、母にだけはみつからないでほしい。

「じゃ、昼食ったらおれに集合なw」

「いやいや、だから草むしりには行かないってw」

「私たちは映画に行くの。明智あけち君が一緒いっしょに行けないのは円座えんざ君のせいだからね?」

「そうだよ。そうだよ」

 こうしてみんなからの大変なヒンシュクを一通り買ってから、私は光成を連れて一旦いったん家に帰るべく学校を後にしたのだった。


 その日、UOKうまるこwの新入隊員である青柱せいちゅう正磨せいまは、勤務を終えて帰宅しているところだった。前日から夜勤があったので、この日は午前中に勤務が終わったのである。

 光合成犯罪は晴れた日の昼間にしか起きないと思われがちであるため、UOKwに夜勤などあるのだろうかと疑問に思う人は意外と多い。それはそうであろう。明るくなければ光合成などできないのだから。しかし、都市部では真夜中であっても蛍光灯けいこうとうやLEDで煌々こうこうと照らされた場所が多く、太陽光ほどの光合成はできないにせよ、その程度の光量でも一般人いっぱんじんには十分脅威きょういとなる能力を発揮することはでき、それをもって悪事を働くものが少なからずいるのだった。そのためUOKうまるこwにも夜勤があったのだ。とはいえ、件数としては少なく、この日も事件が起きることはなかったし、青柱せいちゅう正磨せいまは通報に備えて長い時間待機していただけだった。しかし、そうはいっても夜勤というだけでつかれるものではあった。

 すでに日がのぼった自宅へ向かう帰り道。この日も雲一つない晴天で、絶好の光合成日和だった。青柱は夜勤で疲れていたにもかかわらず、強烈きょうれつな日差しを浴びた体は光合成をしていて、異様にエネルギーが満ちあふれた状態だった。

 光合成人間が、徹夜てつやをして翌朝に強烈な日差しを浴び続けると、奇妙きみょうな興奮状態になることがある。肉体的に、あるいは精神的に疲れているにもかかわらず、光合成によってエネルギーが満ちあふれているというアンバランスな状態になるからだ。この興奮状態には2パターンがあって、幸福を感じるパターンもあれば、反対に不幸に感じられるパターンもあった。この時の青柱がどちらになったかといえば不幸に感じる方で、かれは強烈な日差しを浴び、最近あったいやな出来事ががえし思い返されては、この異様な興奮の沼にはまりこんでしまい、興奮によるいかりの感情が高まっていったのである。

 青柱はこのまま家に帰る気にもなれず、いつものトレーニングをすべく、自宅とはちがう方向へ歩き出した。肉体の疲労ひろうというものは、精神的なストレスを忘れさせてくれる。サザレさんもいっていたではないか。「健全な光合成は、健全な肉体に宿る」と。確かにネガティブになってしまった気分をリフレッシュさせるには、運動はいいことのように思われた。

 しかし、かれが向かった先はジムなどがありそうな繁華街はんかがいではなく、人通りの少ない閑静かんせいな住宅街だったのはなぜだろうか。彼は住宅街をあてもなく歩き回ると、一軒いっけんの空き家を見つけた。大通りからもはなれ人通りも少ない。

「今日はこの家にするか」

 この家は、いわゆる古民家と呼ばれるようなたたずまいの家だった。敷地しきち比較的ひかくてき広い。青柱せいちゅうは辺りにだれもいないことを確認すると、かべを飛びこえて敷地内に入り、電気メーターが動いていないことを確認すると、身を低くしながら縁側えんがわに向かって移動し、中の様子をうかがった。窓ガラスはうっすらとホコリでくもっており、中に見える障子もどこかくたびれているようで、手入れをされているようには見えなかった。庭には背の高い草こそ生えていなかったものの雑草はたくさん生えており、やはり手入れが行き届いているようには見えない。青柱は裏手に回って屋根の上に登り始めた。この家は二階建てで、二階の屋根に登れば、青柱の姿は通りから完全に見えなくなってしまった。

 そして、予想外なことであるが、彼は落ち着いた様子で堂々と服をぎ始め、あろうことか全裸ぜんらになってしまったのだ!


「ああ! なんという清々すがすがしさだ! 見てみろよ、この晴れわたった大空を! なんて最高なんだ!」

 全裸ぜんらになった青柱は感極まってうつせに横たわり、何をするのかと思えば、なんと、腕立うでたせを始めるではないか!

「はっ、はっ、はっ!」

 これは何かの間違まちがいではないのか? UOKうまるこw隊員である青柱せいちゅう正磨せいまが、光合成スーツも着用せず、全裸ぜんらで腕立て伏せをし始めたのだ!

「はっ、はっ、はっ。自重トレーニングには、限界があるって、だれかがいってたよなあ? はっ、はっ、はっ。だがな、おれにはそんなの、そんなの関係ねえ……」

 強烈きょうれつな日差しを浴びているせいで、無限ともいえる光合成パワーがわきあふれ出す! さらに、かれかくせいしたATP能力、あの重力を強めるATP能力を発動させたのだ! 屋根がきしみ出す!

「ふうっ! き、きっついぜ……。最高にきついぜ!」

 なんと、彼は自分の体重を極限まで重くし、腕立て伏せをよりキツくするため、重力を強めるATP能力を使い始めていたのだ! この炎天下で、空き家の屋根の上で、しかも、全裸でだ!

「はっ、はっ、はっ」

 服を着ている時にはわからなかったが、全裸になった彼の筋肉はすごかった。それが異様に強まった重力のなかで腕立うでたせをするものだから、筋肉は盛り上がり、血管がいかくるったようにき出てきた。これは明らかに光合成スイマーとたたかった時の青柱せいちゅう正磨せいまよりも、はるかに体が大きく強靭きょうじんになっていた!

「サザレさんもいってたじゃねえか。『健全な光合成は、健全な肉体に宿る』ってよお。まさにおれのことじゃねえか! 見てみろよ、俺だけが持つATP能力を使った筋トレをよ!」

 かれが筋肉への負荷をハードに上げるにつれ、様々なことが走馬灯のように思い出されるようになった。

「くっそう、ムカつくぜ!」

 いろんな人の顔がかんできては、それらのいや記憶きおく沸騰ふっとうしたアブクのように次々とあらわれてくる。

だれもわかっちゃいねえ! 俺がすげえトレーニングをやってるってことをよ! ちくしょう、誰もわかっちゃいねえ!」


 若流わかる賢人けんとが青柱正磨に声をかけてきたのは、つい先日のことだった。ちなみに若流賢人とは、光合成人間の就労しゅうろう支援しえんをしているNPOの採用面接で、理事長から圧迫あっぱく面接めんせつを受け、二重スパイを持ちかけたれたUOKうまるこw隊員のことである。UOKw隊員であるということは、つまり、新人である青柱せいちゅう正磨せいまにとっては、先輩せんぱいに当たる男だった。

「おう、青柱じゃないか。どうよ最近。UOKwウアックウには慣れてきたか?」

 若流わかるはイケメンである。その上センパイ・ウィンドをかせてくるので、青柱は内心ウザがっていた。

「ええ、日々成長してますよ」

「ほう。すごいじゃないか。毎日成長できるなんて。なかなかできることじゃないぞ?」

「精神的に向上心のないものは馬鹿ばかですから」

 このセリフは夏目なつめ漱石そうせきの『こころ』に出てくるセリフである。若流はこういう純文学の一節を引用して、インテリぶったことをいうヤツが内心嫌ないしんきらいだった。本音をいえば、「だからお前はモテないんだよ」と思っていたのである。

「そういやお前さあ、最近、体大きくなってないか?」

 そういって若流がれ馴れしくかたうでをつかむので、青柱は内心ムカついた。「気安くさわんじゃねえよクソが」と。

「おお? マジで? すげえな! めっちゃ筋肉ついてんじゃん! こいつはゴウさんと並ぶんじゃねえのか? いや、それ以上かもな……」

「ええ、自主的にトレーニングしてますから」

「へえ、それじゃあ、ジムとか行ってんの?」

「いえ。あくまで自分の考えでやってますから」

「自分の考え? へえ。そういや、最近コンビニでもプロテイン売ってんじゃん? お前もプロテインとか飲んでんの?」

 青柱せいちゅうは、こういう矢継やつばやに質問ばかりして、人のプライベートに土足でみこんでくるようなヤツがきらいだった。「てめえになんでおれの私生活を話さなきゃなんねえんだよ」と。

「まあ、飲まないことはないっすけど、食事もストイックに管理してますよ。見せかけだけの筋肉つけるためじゃねえっすから」

 若流わかるは青柱の返事を聞くたびにいちいちイラついていた。「何が『ストイック』だよ。『見せかけだけの筋肉じゃねえ』だって? それでカッコつけてるつもりかよ。こいつバカか?」と。

「けどよ、短期間でこんなに筋肉つくか? なんかあんじゃねえのか? そういや、お前さあ、報告書で見たぜ。能力持ちなんだってなあ?」

「報告書? なんすかそれ? そんな報告書なんてあんすか?」

「ああ、そうだった。お前ら一般いっぱんの隊員には見れない報告書だった。すまん、すまん」

 青柱は内心本当にムカついた。「何が『すまん』だあ? てめえの方が職位上で、俺が見れねえ報告書見れるからってマウント取ってるつもりかよ?」と。

「あれは太門だもんさんからの報告だったなあ。よかったな。お前は太門さんからかなり期待されてるぞ?」

 青柱せいちゅうは「太門」という名前を聞いて過剰かじょうに反応した。

「太門さんすかあ? そんなことねえっすよ。最近なんすかね。やたら退屈たいくつなくせにキツい訓練ばっかやらさせられるんすよ。あれ、もうパワハラじゃねえっすか?」

「おいおい、パワハラだなんて滅多めったなことをいうんじゃないぞ。パワハラじゃなくて指導な? キツい訓練をさせるってことは、そんだけ太門さんが期待してるってことだよ」

 青柱は、自分が能力持ちだということがわかってからというもの、太門のことが我慢がまんならなくなっていた。「何が『期待』だあ? そうやってなんでもかんでもポジティブワードに置きえて、おれが悪いみてえな話にすりえてんじゃねえよ! 能力持った俺の才能をつぶそうとしてるだけだろうが! なんでATP能力持ちの俺が能力のねえ太門なんかの指導受けなきゃならねえんだよ! どう考えたって立場おかしいだろ! 本当だったら、サザレさんやゴウさんみてえな、トップの隊員から指導受けなきゃならねえ男なんだよ俺は!」と。

「お前、物事を悪くとらえ過ぎだぞ? そういや太門さんの報告書にも書いてあったな」

「ああ? なんだって? 太門さんが俺にかくれて何報告してんすか?」

「お前、言い方な。太門だもんさんもお前のそいうところを心配してるみたいだぞ?」

 これを聞いた青柱せいちゅういかりでくちびるふるえた。「くっそお! 太門のヤツめ! おれが不利になるような報告をして、俺の出世を邪魔じゃまするつもりか! 許せん! ぜったいに許せん!」と。

 ポーカーフェイスにできない新人の青柱が取り乱しているところを、若流わかるは内心あざ笑うように見つめていた。

「まあまあ、そんな顔すんなよ。そうだ、俺がお前に声かけたのはな、これから女子たちと飲みにいく約束なんだけど、お前も来ないかってさそいにきたんだ。リフレッシュも大切だぞ?」

「そんなの、別に自分は行かなくていいっすよ」

「いやいや、むこうは女子三人なんだが、男子は俺一人なんだよ。だからお前もどうかなって思ってな」

 青柱は、女子三人から誘われているという若流のモテ自慢じまんかと思って、イライラをつのらせた。どうせ青柱は誘われていないのである。

「あ、若流さんこんなとこにいた!」

 そこへ女子職員が三人やってきた。

「探したんですよ! こんなとこにいたんですか!」

「わりい、わりい。青柱もどうかなと思って誘ってたんだよ」

「ええ? 青柱君は誘ってませんよ?」

「四人席で予約してますから、青柱せいちゅう君は無理です」

 若流わかるにとって、この女子職員たちのリアクションは実に心地の良いものだった。

「一人くらい増えたって大丈夫だいじょうぶだろう?」

「いや、あのお店、人気店なんで無理です」

「そうなの? わりいな青柱。おれからさそっといてスマンかった。また今度にしようぜ?」

「ゴメンね? 青柱君」

 そうはいったものの、女子たちは内心、青柱などぜったいに誘わぬと思っていた。

「別にいいっすよ。てゆうか、俺は最初から行かないっていったじゃないですか。なんすかこれ? 俺が可哀想かわいそうみたいになってんの、なんなんすか?」

「青柱、言い方な? でもまあ、俺が誘っちまったのが悪かった。すまねえ。マジ今度な」

 若流はこういうと、女子職員三人と行ってしまった。女子たちは内心「若流さんが謝るとこじゃないのに、ほんと大人。それに対してアイツ何なの?」と思っていた。


 ミシミシミシ!

 青柱せいちゅうがさらに重力を強めたため、古民家が音を立ててきしみ始めた。

「くっそぉぉお! マジで許せねえ! なんでおれがATP能力もねえ若流わかるなんかに馬鹿ばかにされなきゃなんねえんだよ! これも全部太門だもんのせいだ! アイツがかげでコソコソと俺の不利になるような報告を上げて、俺の出世を邪魔じゃましていたとは! くそ! ぜったいに許せねえ!」

 青柱は腕立うでたせをやめると、今度はあお向けになって腹筋を始めた。ひどいあせである。それもそのはずだ。炎天下えんてんかで運動をしているのだから。しかも、ぱだかである。

「はっ、ふぅぅ。はっ、ふぅぅ」

 閑静かんせいな住宅街にひっそりとたたずむ空き家の屋根の上。太陽が燦然さんぜんかがやき、晴れわたった大空の真下で、全裸ぜんらの男が体育座りのように両足を曲げ、ひねりを加えながら腹筋をしている。腹筋に力を入れて上半身を起こすと、アゴの下から汗のしずくがたれ落ちた。青柱はますますATP能力を強め、重力を強めていく。

「くそぉぉ、太門のヤツめ! なんであんなヤツがみんなから信頼しんらいされて、俺みてえな才能あるヤツが評価されねえんだよ! くそつまんねえ訓練ばかりやらせやがって! アイツは俺に意味のねえことばかりさせて、俺が活躍かつやくできねえようにしてるのにちがいねえ!」

 青柱は血走った目をカッと見開き、歯を食いしばりながら訓練中に太門からいわれたことを思い出した。

「『お前は恐怖きょうふに弱い』だってえ? はあ? ふざけんじゃねえよ!」

 太門だもんはATP能力を持った青柱せいちゅうの心の弱さを懸念けねんしていたのだ。自身のATP能力におぼれ、自ら身をほろぼした光合成人間を、ベテランの太門は何人も見てきたのである。だから青柱には、何度も実戦を経験させ、窮地きゅうちを乗りこえる強靭きょうじんな精神を身に着けてほしかったのだ。だが実戦は危険である。窮地を経験するとなればなおさらだ。実戦で窮地を乗りこえるには、きびしい訓練が必要不可欠だったのだ。しかし、このやり方は青柱に合わなかったのかもしれない。いや、今は合っていないかもしれないが、もっと長い期間が必要だったのかもしれなかった。現時点で青柱は、太門に対して憎悪ぞうおとも呼べる感情を増幅ぞうふくさせていたのだった!

「ふっ、はぁぁ! ふっ、はぁあん!」

 青柱は腹筋をやめた。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

 そして、よろめきながら立ち上がると、今度はスクワットを始めた。り返すが、あせまみれの全裸ぜんらの男がである。しかも、尋常でない重力の下でだ! 古民家のあちこちから柱のきしむ音がする! これ以上、重力を強くして大丈夫だいじょうぶなのだろうか! 家がこわれてしまいそうだった!

「どこまで重くできる? おれはどこまでスクワットできる? 俺のATP能力はどこまで重くできるんだあ? もう限界だ! だが、俺はいつだって限界をこえてきたじゃねえか! 俺はアイツらとは違う! だれよりも向上心がある! 誰よりもストイックなんだ! 行くぞ、限界まで……、限界をこえたその先まで、俺は行くぞ……」

 全裸ぜんらの男が、全身をふるわせながら立ち上がったりしゃかんだりをり返している!

 その時だった!

 メキメキと古民家が音を立て始めたかと思うと、家全体が上からズドンとしつぶされたように全壊ぜんかいしてしまった! 限界をこえていたのは青柱せいちゅうではなく、古民家の方だったのだ!

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ! またしても! またしてもおれの限界をこえるよりも先に、家の方がこわれてしまったか! 俺の限界は、はぁ、はぁ、俺の限界はますます遠くに行ってしまった! この先俺はどうすればいい? 我ながら末恐すえおそろしいことだ! はぁ、はぁ、はぁ。成長の限界が見えない……。俺の才能は底なしか……」

 青柱は息を切らせながらも清々しい微笑ほほえみをかべ、自身にかかった瓦礫がれきはらいのけると、額から流れるあせをぬぐった。晴れわたった空とかがやく太陽がまぶしかった。

「次は鉄筋コンクリートのビルでも探してみるか」


 そのころ、私と明智あけち光成みつなりは母の実家へ向かって歩いているところだった。

「いやあ、マジですまねえな。これから夏休みだってのによw」

「まあ、いいよ。叔母おばさんは心配なんだろうし」

「そうなんだよ。けっこうニュースになってんじゃん? あの空き家が突然とつぜん全壊ぜんかいするって事件。それで、次はウチがねらわれるんじゃないかって心配してんだよ」

「あれは思うんだが光合成人間の仕業なんじゃないかな」

「だろうなw。ニュースの映像みたけど、てて自然しぜん崩壊ほうかいしたって感じじゃなかったしな? しらんけどw」

「それでちょっと気になってんだが、おれたちは校長先生からマークされてるだろう? 正直いって、このタイミングで光合成犯罪にまれるのはゴメンだぜ?」

「それなw。おれもオカンにいやだっていったんだが、『どうせ家でゲームばっかやってるだけなんだから草むしりでもしてきなさい!』って怒るんだよ」

「確かに、家でゲームやってるよりはマシなんじゃないのか?」

「それいうなよw。まあ、オカンの実家にネバーウェアがたまたま現れるとは限らねえし、手短に済ませてさっさと帰ろうぜw」

「ああ。ぜんぜんいいよ。付き合うよ」

「けどな、草むしりも、やってみると意外と面白いもんだぜ? スマホのカメラに写すだけでなんていう草かわかるしな。今日は種類別に分けてみようかと思ってるんだが協力してくれるか?」

「ああ、いいよ。それ写真にっておいてさ、自由研究にしようか?」

「それいいなw。マジで一石二鳥じゃんw。さっそく宿題一個終わりかよw。あ、そろそろだ。あそこの角があるだろう? あそこを曲がったらすぐそこがオカンの実家な」

 私たちはそのまま歩いて行き、その角を曲がったちょうどその時だった。母の実家がメキメキと音を立てたかと思うと、私たちの目の前でしつぶされるように全壊ぜんかいしたのは。(続く)

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