第十二話 ヘッドハンティング

 市民プールの管理事務所には大勢の警察官が待機していた。かれらの顔には緊張きんちょうの色がにじみ出ており、皆、表情が固い。

 鈴木すずき巡査じゅんさは昨年の夏にネバーウェアの取りまりをしたことがあった。その時のことを思い出すとおそろしくてならなくなる。時々その光景がフラッシュバックすることがあって、忘れたくても忘れられないのだ。あれは近くの商店街から通報があって、同僚どうりょうと二人で現場に急行した時のことだった。

 通報があったのは暑い土曜のことで、昼間から営業していた居酒屋から、客が大暴れして手に負えないからなんとかしてほしいというものだった。暴れているのはただ単に泥酔でいすいした客とのことだったのだが、鈴木巡査と同僚の二人がけつけた時には、人通りの多い店の前で、全裸ぜんらの男が大暴れしているところだった。

 その日もよく晴れた日で、むせ返るような暑さだった。炎天下えんてんかの中、全裸の男が居酒屋のテーブルを力まかせに外へ投げ出し、地団駄じたんだを踏んで粉々に破壊はかいしていたのである。

「酒を出せ! 酒を出せっつってんだろ!」

 人とは思えないその圧倒的あっとうてきな破壊力を目の前に、鈴木巡査は警察官とはいえ本能的に身の危険を感じとった。

「おまわりさん! 早くアイツをなんとかしてください!」

 土曜ということもあって商店街はたくさんの人でにぎわっていた。買い物客たちは警察の到着とうちゃくを見て事態の収集をうったえかけたのだが、そうはいっても相手は有り余る怪力かいりきで暴れている全裸ぜんらの男だ。とても鈴木すずき巡査じゅんさの手に負える相手には直感的に思えなかった。

「お、おい! お前! 何をやってるんだ! やめなさい! やめないと、つぞ!」

 同僚どうりょう拳銃けんじゅうを構え、鈴木巡査は無線で応援おうえん要請ようせいした。

「商店街にネバーウェア! 商店街にネバーウェア! 至急しきゅう応援おうえんたのむ!」

「あぁ? だぁれだあ! ケィサツなんくあ呼んだのは! おるぅうあ!」

 この男はどれだけ酒を飲んだのだろうか。その怒号どごうからき出される息がおそろしく酒臭さけくさい。ヤツはいかりにまかせ店先にある看板をり飛ばすと、その看板がものすごい勢いでき飛んでとなりの店のガラスを破壊はかいした。

「キャァァアア!」

みなさん、危ないですよ! 下がってください!」

 まさに緊急きんきゅう事態じたいである。拳銃を構えた同僚は威嚇いかく射撃しゃげきをした!

「次は本当に撃つぞ! 大人しく抵抗ていこうをやめなさい!」

 鈴木巡査は思ったのだが、ネバーウェア相手に威嚇射撃など必要だろうか。法的には意味があったとしても、ヤツらの前ではまったく意味がない。意味がないだけでなく、単にきっかけをあたえているだけではないだろうか。案の定、ヤツはくるったようにおこりだした。

「やるぃやがったなぁあ! テンメェ〜、そんなんでビビっかこのやるぅぉお!」

 ネバーウェアは泥酔でいすいしていて足元がおぼつかないにもかかわらず、ふらついたはずみを利用して俊敏しゅんびんんでくると、同僚どうりょう拳銃けんじゅうを持つそのうでをつかみ、いとも簡単にひねり上げてあらぬ方へ曲げた!

「ぐあああ!」

 そして、苦悶くもんの声を上げる同僚の体を突き飛ばした! 突き飛ばしただけにもかかわらずその威力いりょくすさまじく、同僚は地面にたたきつけられてね返り、地面に突っすと、体を動かすことも、うめき声を上げることもできなくなった!

 鈴木すずき巡査じゅんさはなんとかしなくてはと思ったが、あまりにもあっという間の出来事だったこともあって、体がいうことを聞かない。

「ぃやんのかぁゴルァア! おるぁ! かかってこいよぉお!」

「待て! 落ち着け! こんなことをして何の意味がある!」

「あぁ? 意味なんかあるぅかよお! おれが生きてるぅ意味がねえっつぅのによぉお! テメェに何がわかんだぁ!」

「落ち着け! まずは落ち着け!」

 鈴木巡査はネバーウェアをなだめにかかったが、まったく言葉が通じる気がしない。それどころかヤツはおもむろにゲロをきだした!

「おぉ、おぇえ……、おぇぇええ!」

 ものすごい酒のにおいだ。全裸ぜんらの男がゲロを吐く光景というものはなんと異様なものか。

 ちょうどその時だった。遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきたのは。ヤツもその音に気づくとフラフラと立ち上がった。

「うるぅぁぁああ!」

 ヤツが罵声ばせいを吐きながら猛スピードでげ出すと、買い物客たちも悲鳴を上げ、クモの子を散らすように逃げまどった。ヤツはその混乱に乗じてあっという間に商店街を走りけ、姿を消してしまった。

 この時、鈴木すずき巡査じゅんさはネバーウェアの異様で圧倒的あっとうてき迫力はくりょくの前になすすべもなかった。かれ自身は事なきを得たものの、同僚どうりょう右腕みぎうで肋骨ろっこつを骨折し、内臓にも損傷を受ける重傷を負っていた。鈴木巡査は同僚の入院中、幾度いくどとなく病院に足を運んで彼を見舞みまった。

 ネバーウェア相手にこわい思いをしたのは何も鈴木巡査だけではない。渡辺わたなべ巡査は、自身が大腿骨だいたいこつを骨折する大怪我おおけがをした。山田巡査長は後輩こうはい殉職じゅんしょくを目の当たりにしたことがあった。付け加えておくと、殉職とは、大変残念なことではあるが、職務中に死亡することをいう。


「例のイベント始まりました!」

 重い空気と緊張きんちょうで満ちあふれていた管理事務所に、赤いTシャツを着た監視員かんしいんがかけこんできた。

「ご報告ありがとうございます。承知しました。それではみなさん、装備を確認の上、出動願います」

 市民プールの事務所にいた警察官たちは、それぞれたてや赤い消火器のようなものを装備していて、各自安全ピンを外したことなどを確認すると、意を決した面持ちに切りわった。

 ドキドキ☆ゲリラプールinサマーが秘密裏に計画されていたことを、警察でもSNSのモニタリングを通じて事前に把握はあくしていたのだ。これを一斉いっせい摘発てきはつするため、大人数の警察官が市民プールに配備されていたのである。


 プールサイドはネバーウェアの大量出現によって大変な混乱におちいっているところだった。あちこちで来場者の悲鳴が上がったかと思うと、ネバーウェアの奇声きせいひびきわたる。かつてこれだけのネバーウェアが一か所に集まったことがあったたろうか。ここまでの規模は前例がない。

 この混乱のせいで、明智あけち光成みつなりはウォータースライダーをすべることができず、監視員かんしいん誘導ゆうどうに従って階段で地上に降りたところだった。そこで私と合流した。

「よう、おそかったな! 階段で降りてきたのかよw。結局スライダーはできなかったんだな? 悲報でワラw」

「まったくだよ! あんだけ並んだのに!」

「見てみろよ。すげえ数のネバーウェアなんだがw」

「なんなんだこれは? 何が起きてんだ?」

「光合成仮面がすげえいてウケるw」

「いや、あれは偽物にせものだろ! マジで困るんだが! こんなの初めてだぞ!」

「ここで本物の光合成仮面も登場したらすげえけどなw」

「本物っておれのことか? これだけ同じ小学校のヤツらがいるところで、テイクオフなんてできないだろ!」

「服はもういでんだし、別によくねw?」

「何いってんだ、同じ海パンはいてたらいくらなんでもバレるだろ! 無理だって! ムリ、ムリ!」

「そんなムキになんなよw」

「お前、他人事だと思って何いってんだよ……、ちょっと待て、あれはなんだ?」

 プールサイドの入口の方が何やら騒々そうぞうしくなっていた。

緊急きんきゅう事態じたいです! 通路を開けてください! おそれ入ります! 通路を開けてください!」

「おい! あれは警察だぞ! すげえ人数だ!」

 プールサイドに混乱が渦巻うずまく中、場内アナウンスが突然とつぜん始まった。

「ピ〜ン、ポ〜ン、パ〜ン、ポ〜ン。来場者の皆様みなさま、市民プール、管理事務所から、ご案内申し上げます。ただ今より、警察による捜査そうさが、始まります。来場者の皆様におかれましては、捜査の邪魔じゃまにならないよう、はしへ寄って、安全な場所で待機し、捜査へのご協力を、お願いします。また、通路混乱をけるため、プールサイドから出ようとはせず、警察からの誘導ゆうどうがあるまで、安全な場所で待機するよう、お願い申し上げます。なお、警察官が、色のついた液体を、使用します。人体には、影響えいきょうありません。洗い流すことで、色も落とせます。あらかじめ、ご了承りょうしょう、お願いします。以上、市民プール、管理事務所からの、ご案内でした。ピ〜ン、ポ〜ン、パ〜ン、ポ〜ン」

 プール場内でどよめきが起こった。これは一般いっぱん来場者からだけではない。ネバーウェアたちからもどよめきが起こっていた。

「なんで警察がいんだよ!」

「しかも多くね? 聞いてねえぞ!」

「警察にリークされてたのか?」

「ちくしょう! 警察なんかに負けっかよ!」

「そうだ! おれたちは光合成人間なんだ!」

「やるぞ! ちくしょう!」

 場内にネバーウェアと警察官の怒号どごうき上がった!


 ここで一旦いったんプール場内の状況じょうきょうを説明しておく。ネバーウェアはプール場内のそこかしこで現れていたから、それぞれが散らばった場所にいた。それに対して警察は、管理事務所からプールサイドへ通じる通路の一か所から出てきたところであるから、まずは通路に近いところにいるネバーウェアから確保しにかかることになった。

「よし! アイツからつかまえろ!」

 まずはたてを持った警官がネバーウェアとの距離きょりを詰めた!

「ナメんじゃねえぞこのヤロウ!」

 この炎天下えんてんかで最高に光合成したネバーウェアだ! その前蹴まえげりは、盾などおかまいなしのすさまじい衝撃しょうげきで、警官隊をき飛ばした!

「ぐあぁぁぁ!」

大丈夫だいじょうぶか!」

「ひるむな! 行け! 行け!」

 別の盾を持った警官がいどむも、そのあまりのパワーに吹き飛ばされてしまう! しかし、警察には数的有利がある! 間髪かんぱつ入れず両脇りょうわきからはさみこむように盾を持った警官が何人も突入とつにゅうした! 一瞬いっしゅん、ネバーウェアの動きを止めることができた!

「ナメんな! クソが! うおぉぉぉ!」

 ネバーウェアが全開の光合成パワーでかえそうとしたところを、赤いボンベを背負った警官がノズルからあかむらさきのスライムを噴出ふきださせ、周りの警察官もスライムまみれにしたものの、もろにネバーウェアへ浴びせることができた!

「うわあぁぁ! なんだ? 何しやがんだこのヤロウ!」

 ネバーウェアはフルパワーで警官隊を押しのけようとしたが、思うように力が出ない!

「なんだ? パワーが出ねえ! テメェら何しやがった!」

「よし! このまま取り押さえろ!」

「くっそお! ナメんな!」

 ネバーウェアは抵抗ていこうを試みるも光合成ができなくなってしまって、まったく力を出せない! こうなっては一般人いっぱんじんと何も変わらず、多数の警察官の前では無力だった!

「ちくしょう! ちくしょぉぉう!」

 スライムまみれの警官が、四人がかりでネバーウェアをうつせに取り押さえながら手錠てじょうをはめた!

「確保!」

「おい! 何やってんだ! お前! 警官なんかき飛ばしちまえよ!」

 別のネバーウェアが異変に気づいて近づいてきた。

「違うんだ! 力が出ねえ! このスライムに気をつけろ! 光合成パワーが出せねえんだ!」

「なんだって?」

「次はコイツだ! かかれ!」

 今度は赤いボンベを背負った警官が真っ先にスライムを噴出ふんしゅつさせた!

「うわあ! 何しやがんだ!」

 しかし、最高に光合成したネバーウェアだ! 素早く動いてかわされてしまう! 外れたスライムの距離きょりが案外長く、一般いっぱんの来場者にかかってしまった!

「きゃぁぁぁ!」

おそれ入ります! 人体には無害です! ご安心ください!」

「ダメだ! やっぱアイツら素早い! 援護えんごしてくれ!」

「何やってんだ! 訓練通りチームワークでかかれ!」

 たてを持った警官がネバーウェアの周りを取り囲み、距離きょりめていく! 一人、二人とり飛ばされるものの、そのすきをねらってスライムを噴出する! ネバーウェアには少ししかかからず、警官隊がスライムまみれになった!

「くそ、すまん! 若干外れた!」

「うわぁぁあ! なんだこれ! キメェ!」

「かまわん! 行け! 行け!」

 スライムはやや外れたとはいえ、ネバーウェアの動きはにぶくなっていた! 盾部隊とスライム部隊が波状攻撃はじょうこうげきり返す! そうして、ネバーウェアの全身をスライムまみれにすることができた! 盾部隊が力ずくでさえつけ手錠てじょうをはめる!

「確保! 確保!」

 この時までに警察では、打撲だぼく捻挫ねんざだけでなく、鼻の骨を折る重傷者も出ていた。しかし、ネバーウェアを二名確保できたことは士気に大きな影響えいきょうあたえた。作戦通りにやればネバーウェアを確保できたのだ! あのおそろしいネバーウェア相手でも、自分たちでできる!

 反対にネバーウェアの方では動揺どうようが起きていた。この段階では何が起きているのかわかっていない者もいたが、またたく間にこの動揺は広がっていった。

「なんだ? なんだ?」

「確保って聞こえたが、まさか警察につかまってんのか?」

「なんか、警察が消火器みてえなのからあか紫色むらさきいろのスライムを出してるぞ!」

「あれ浴びるとパワーが出せなくなるらしい!」

「ヤバくね? げた方がよくね?」

「ヤベえよ! ヤベえ!」

「くっそ、イベントなんか終わりだ! こんなところでつかまってたまっかよ! げろ!」

 しかし、士気の上がった警察は次々とネバーウェアを取りさえにかかる! 抵抗ていこうするネバーウェアもいたが、一部の者はげ出してフェンスをよじ登りプール場外へ飛び降りた! しかし、場外で待ち構えていた警察官があか紫色むらさきいろのスライムを浴びせかける!

「確保! 確保!」

 プール場外はすでに多数の警察官によって完全に包囲されていたのだ!

「ピ〜ン、ポ〜ン、パ〜ン、ポ〜ン」

 ネバーウェアに動揺どうようが広まったその時、再度場内放送が始まった。

「市民プール管理事務所から、ネバーウェアの皆様みなさまに、ご案内申し上げます。君たちは、包囲されています。無駄むだ抵抗ていこうは、おやめください。り返します。君たちは、完全に包囲されています。無駄な抵抗は、おやめください。以上、市民プール管理事務所からの、ご案内でした。ピ〜ン、ポ〜ン、パ〜ン、ポ〜ン」

 市民プールの外にもすでに多数の警察官が配備されていたのだ。これで一網打尽いちもうだじんである。

 この状況じょうきょうを見て私は光成に話しかけた。まさか警察だけでこの状況を制圧できるとは思っていなかったのだ。

「あのスライムの威力いりょくすげえなw!」

「ああ。テイクオフしてなくてよかった。けど、あれはおれにとっても要注意だぞ!」

「それな! ここで変身したらお前もつかまっちまうぞ!」


 このスライムはUOKうまるこwが対光合成人間装備として開発し、実証実験をしてきたものだった。実証実験の結果、人体にあく影響えいきょうがなく、光合成の十分な無力化が認められたことから、光合成人間を確保する上で極めて有効だとの評価がされたのである。そのため、警察への配備が決定されたところだった。

 続いて警察では、UOKw協力のもと非公開の訓練が実施じっしされた。しかし、実施早々に課題が見つかる。最高に光合成をしたUOKw隊員相手では、その超人的ちょうじんてき俊敏性しゅんびんせいのせいでなかなかスライムを命中させることができなかったのだ。さらなる検証を重ねたところ、たてを持った警官が複数人数で動きに制限をあたえれば、かれらもスライムまみれになってしまうものの、UOKw隊員の全身にスライムを浴びせられることができたのだ。

 このように警察は改善を重ねていったのだが、最後まで残った懸念けねんが一つだけあった。それは、訓練での相手はUOKwの隊員であって、身なりも全裸ぜんらではなく光合成スーツを着た、いわばまともな人間相手だということだった。実際の相手はネバーウェアであって、非人間的で破壊的はかいてきなパワーとスピードをほこり、全裸ぜんらで大暴れする、非常識で非現実的なモンスターのごとき相手なのである。実際にネバーウェアと相対した警察官が心理的に圧倒あっとうされるかもしれず、パニックが起きて訓練通りにはできないおそれがあったのだのだ。

 そういうわけで、今回の作戦の成否は今後をうらなう上で極めて重要な作戦だった。そのようなプレッシャーの中、この作戦に参加した警察官たちは見事にやってのけたのだ!


 作戦が大成功に見えた、その時だった。

 プールのある一か所で大変な怒号どごうが上がり、次々と警察官がき飛ばされている! これまで統制の取れた動きをしていた警察官たちに混乱が生じていた!

「ダメだ! スライムがききません!」

「どうなってんだ! あいつは!」

「ひるむな! 行け! 行け!」

「いや! スライムがきかないんですよ! 見てください! あれを!」

「なんだあれは?!」

 警察官たちが集中的にスライムを浴びせている先には、お面をかぶった坊主頭ぼうずあたまの男がいた! しかし、この男にかかったスライムは、すべて丸い玉のようになってきれいに流れ落ちてしまい体につかないのだ!

 このネバーウェアは、四方八方からスライムを浴びているにもかかわらず、高らかに笑っていた!

「あっははははは!」

 まったくもって余裕よゆうなものである。あれだけ絶大な威力いりょくを発揮したスライムを湯水のように浴びているのに、ヤツは気分よく笑い続けていた!

「ぅあっはっはははは〜!」

 それはまるで新品のレインウェアやはっすいスプレーをたっぷりかけたかさのように、スライムをはじいているのだ!


 撥水スプレーやレインウェアが水をはじく原理には、ロータス効果と呼ばれる効果が大きくかかわっている。

 ロータスとはハスの英名であるLotusのことであり、ハスの葉っぱが異様に水をはじくことに由来している。ハスの葉には非常に細かい突起とっきが無数にあり、表面がワックスのような成分でおおわれていることによって、水が表面張力で丸くなってしまい、葉の表面につくことができずはじかれてしまうのだ。

 ハス以外では、カモなどの水鳥の羽も驚異的きょういてきに水をはじくことで知られている。水鳥の場合でも羽が微細びさいで複雑な構造をしており、体から分泌ぶんぴつされる油で羽をコーティングすることによって水がはじかれているのだ。

 その水をはじく様は実に見事で、ご存知のないかたはぜひネットで検索けんさくして、一度映像をご覧いただきたいと思う。ちなみに、このレベルでのはっすい効果こうかちょうはっすいと呼ぶ。まさにこのネバーウェアがスライムをはじく様は超撥水だった!


「コイツ、マジでウケるw! この水のはじきっぷりはスゲえなw! 水じゃなくてあかむらさきのスライムだけどなw! 見てて気持ちよくね? ウケんだけどw!」

「どうやったらこんなになるんだ?」

「もう調べてる! 光成、お前は目がいい! ヤツのはだが今どんなんなってるか見えるか?」

「ああ……、うわっ! めっちゃ鳥肌とりはだが立ってる!」

「マジかよw! くっそキメェなw!」

「なんか不思議だが全然ぬれてないぞ!」

「よし! 今アルゴリズムを生成してみた! 一応送っとく!」

 スマホをプールに持ちんでいない私が、なぜネットで検索したりアルゴリズムを生成したりできたのだろうか。インターネットへの接続についていえば、市民プールのフリーWi−FiからATPリンクで接続していたのだが、検索結果をそもそもどうやって見ることができたのだろうか。超撥水能力の分析ぶんせきやアルゴリズムの生成などもそうである。それは私の本質的な能力によるものなのであるが、ここでは話がそれてしまうのでまたの機会で述べることとしたい。


 このネバーウェアに浴びせられたスライムは、すべて丸いつぶとなってき飛んでいき、男は高らかに嘲笑ちょうしょうした!

「アヒャヒャヒャヒャ! 効かねえ! 効かねえなあ! 痛くもかゆくもねえぞ! こんなんでおれ逮捕たいほしようってのか! ナメんじゃねえぞクソヤロウ!」

 次々と警官たちが張りたおされていく!

「ぐあぁぁあ!」

「どうした? おら! おら! おらぁ!」

 たてを装備しているとはいえ、この炎天下えんてんかで最高に光合成したネバーウェアだ! その打撃だげき威力いりょくたるやすさまじく、警官たちは次々と吹き飛ばされて中には起き上がれなくなる者も出た!

「マズい! ダメだ! 一旦いったん待機だ! 待機!」

「どうした? うらぁ! もう終わりかよ!」

「くそ! スライムがきかねえと歯が立たねえ!」

「一名、吐血とけつが止まりません! 救急車の要請ようせい願います!」

「オヒャヒャヒャヒャ! 無敵だ! 無敵すぎる! オメェら弱すぎだろ!」

「くっそぉ! ナメんじゃねえぞ!」

 目配せした二人が異なった方向からたてで体当たりをしかけた! しかし、高笑いとともに両名ともはね返されてしまう!

「ぐほぅ!」

「やめろ! 待機だ! 待機!」

「アヒャヒャヒャヒャ! オヒャヒャヒャヒャ! オワッヒャヒャヒャァァア!」

 超撥水男ちょうはっすいおとこ嘲笑ちょうしょうがひびきわたり、この作戦が失敗に見えたその時だった!

 流れるプールから何者かが飛び出してきたかと思うと、超撥水男の背後へ着地したと同時に、みぎ脇腹わきばらへ体重を乗せたヒジを打ちんだ! これはもろにキマって、超撥水男はもんどり打ってき飛ばされた!


 突然とつぜん飛び出てきた者の顔には、緑色のお面ではなく、本物の草が顔にからみついていた!

 あれだけ同級生に身バレすることをおそれ、変身することをためらっていた光成が光合成仮面になったのだ! しかも、あのスライムを浴びれば光成といえども光合成ができなくなってしまうというのに!

 それにしても仮面の草はどこから手に入れたのだろう。プールサイドに草などあっただろうか。顔にからみついているこの草はカタバミという名の草で、だれしもクローバーに似た雑草を見たことがないだろうか。この草は小さな可愛らしい黄色い花をかせるのだが、コンクリートの亀裂きれつからでも生えてくる強靭きょうじんな生命力も合わせ持つ植物なのだ。プールサイドをよく見てみれば、はしの方にはコンクリートの隙間すきまや亀裂から小さな草が生えている。このカタバミはこんなプールサイドでも生えていたものだったのだ!


「本物だ……! 本物の光合成仮面だぞ!」

 周囲にどよめきが起きた。

「あれは子どもじゃないのか?」

「うわさで聞いてるのとはちがうぞ!」

 警官たちはもがき苦しんでいる超撥水男をたてし返した!

「ぐおぉぉお……、きいたぜ今のは……、本物だとぉ? ゲホッゲホッ!」

「想定外事案発生! 想定外事案発生! 本部に確認する!」

「くっそぉ! ナメんじゃねえ!」

 警官たちに押し返された超撥ちょうはっ水男すいおとこが光合成仮面におそいかかった! しかし、光合成シールドでそれを防ぐ!

「ぐぁぁああ! いっ痛え!」

 光合成シールドを張った肉体は鋼鉄のように固い! 最高の光合成パワーでなぐったそのこぶしは、力が強ければ強いほど逆に大ダメージを受けるのだ!

「ぐおぉぉおっ、痛え……、くっそ痛え! ちっくしょお!」

 光成は仮面からカタバミを数本つみ取ると、それはみるみる成長して大きくなり、黄色い花が火花のようにき出した途端とたん、束の先端せんたんから光合成ブレードの稲光いなびかりがあらわれた! 超撥ちょうはっ水男すいおとこは逆上してりをり出したものの、光成はその足を光合成ブレードではらいのける!

 光合成ブレードは、そのエネルギー出力量によっては肉体を焼き切ることもできる。しかし、出力量を弱めればれた部位をマヒさせる程度におさえることもできるのだ。光成がるったブレードは、超撥ちょうはっ水男すいおとこの足を振りはらったものの、足をマヒさせるには十分な威力いりょくがあった!

「ぐぁぁぁっ、あ、足が! 足が! なんだこりゃあ!」

 超撥水男はりの勢いとともに転んで、立ち上がることができない! そこを警官たちは見逃みのがさず、たてを持った十数名が一気におさえにかかった、その時だった!

 太った男が急に飛び出してきたかと思うと、超撥水男を担ぎ上げて背中に乗せた!

「うわ! 何すんだこのヤロウ!」

「うるせえよ。助かりたかったらだまってろ」

 太った男は顔に水中メガネが食いんでいて、ニコニコ笑顔にエクボが印象的だった。密着したその体はあせばんでいて脂肪しぼうがヒンヤリと冷たい。

「キメェな! テメェ、はなせよ! くそ! なんだこれ! 体がくっついて離れねえ!」

 太った男は超撥ちょうはっ水男すいおとこを背負ったまま高く跳躍ちょうやくすると、ウォータースライダーのてっぺんに跳び移った。不自然なことに超撥水男は背中から落ちなかった。まるで背中にくっついているかのようなのだ!

「な、なんだ? このヤロウ!」

だまってろよ。こっちは夜にも仕事があんのに、昼間っからお前らのイベントを視察しに来てんだから」

 太った男はニコニコエクボ顔でいった。しかし、目が笑っていない。

「視察? これはゲリライベントでだれも知らねえはずだぞ? 視察ってどういうことだよ!」

おれはサンズマッスルの者だ。俺たちの情報網じょうほうもうをナメんじゃねえ」

「サンズマッスルって、あのサンズマッスルか!」

 サンズマッスルとは、光合成人間の就労しゅうろう支援しえんをしているNPO団体のことで、ネバーウェア界隈かいわいではその名を知られた存在だった。

「そうか! うわさで聞いたことあるぞ! お前らサンズマッスルはATP能力持ちをヘッドハンティングしてるって!」

「そうだよ。うまるこwのスライムがきかねえなんて、面白いね」

「てことは、俺はヘッドハンティングされたってことか? すまねえ! マジで助かった!」

「このままげるけど、くっついて落ちないから。じっとしててね」

「これはお前の能力なのか?」

「まあね。クックック」

 太満ふとみつはそういって笑うと、超撥ちょうはっ水男すいおとこを背中にくっつけたまま高くジャンプし、場外で待機していた警官たちの頭上を飛びえ、となりのマンションのかべに張り付いた! つかまるところなどない壁にである! 太満は背中に超撥水男をくっつけているというのに、壁に張り付いて落ちなかった!

「二名逃走とうそう! 二名逃走!」

 マンションの壁に張り付かれたのでは地上の警官たちになすすべもない。太満は超撥水男を体にくっつけたまま、まるでヤモリのように壁をペタペタとキモいほどもうスピードでよじ登ると、そのまま屋上に到達とうたつした。

 屋上では強い風がき、見晴らしが一気に広がる。周辺を一望すると、遠くにヘリが一機飛んでいるのが見えた。警察は様々な事態を想定して、逃げ出したネバーウェアを空から追跡するためにヘリも配備していたのだ。

 太満のくっつくという能力は、追手がついてこられない場所を移動できるため、逃走する上で極めて有効な能力だった。しかも、二人くらいなら体にくっつけても体からはなれないため、複数名で逃走する場合でも高い能力を発揮した。サンズマッスル内でかれは、ヘッドハンティングを得意としたシニアプレイヤーという立ち位置で、これまでに何度もそれを成功させてきた百戦錬磨ひゃくせんれんまの強者だったのである。

 太満はヘリがいる方角を確認すると、死角に入るように屋上から降りて壁面へきめんに張り付いた。太満は慣れた様子でヘリの死角にすべみ、別のマンションや電柱などに飛び移ってペタペタと張り付くと、手際よくあっという間に次から次へと場所を変えて、またたく間に逃走してしまった。

 太満のたるんだ脇腹わきばらには防水仕様のスマートフォンがくっついている。プールサイドでヘッドマウントディスプレイをつけた比留守ひるすが太満の位置情報をとらえていて、回収班の車にチャットで指示を出しているところだった。指示を受けた車は、ほどなくビルの谷間にある駐車場ちゅうしゃじょうで太満と超撥ちょうはっ水男すいおとこを回収すると、何事もなかったように走り去って行った。

 太満によるヘッドハンティングは、おどろくほどあっさり成功してしまったのである。


「本部から司令! 本部から司令! 光合成仮面も確保! 光合成仮面も確保!」

 プールサイドでは残ったネバーウェアたちの捕獲ほかくが続けられているところだった。光成といえば、警察官に取り囲まれ、脱出だっしゅつの機会をうかがっているところだった。

「光合成仮面も確保だって?」

「確保って、相手は子どもだぞ?」

「本部からの司令だ! 未成年とはいえ、光合成仮面からも事情じじょう聴取ちょうしゅする! 光合成仮面君! 君も任意同行願う!」

「ああ? 今なんつった?」

「君は未成年だ! 乱暴な真似はしたくない! 大人しく従いなさい!」

「ああ? 子どもあつかいして下に見てんじゃねえぞ!」

 なんと、光成はこの状況じょうきょうで子どもあつかいされたことにキレていたのだ!

「なんだ? 何をいってるんだ君は! その武器を地面に置きなさい!」

「だから命令してんじゃねえ!」

 光成は光合成ブレードをしまうどころかさらに出力を強めて、まるであらぶる大蛇だいじゃのように稲光いなびかりがブルンブルンとうなりを上げた!

「ななな、なんだ! やむを得ん! スマンな!」

 スライム班がノズルを向けた!

「待て! まずはたて班で制圧してからだ!」

「なにいってんだ! 子ども相手だぞ!」

「子どもとはいえ相手は光合成人間だぞ! かわされちまう!」

「だから子どもあつかいすんじゃねえっつてんだろ!」

 赤紫色あかむらさきいろのスライムが発射された! 完全にキレていた光成はよけようともせず、もろにスライムを浴びてしまった! 絶体絶命である!

 しかし、浴びせられたスライムは、丸い水滴状すいてきじょうになってすべてはじき飛ばされていく! なんと、先ほど見たばかりの超撥水ちょうはっすい能力をすでにラーニングしていたのだ!

「コイツにも効かないぞ!」

「待て待て! 待機!」

 この状況じょうきょうを見て私はあわててATPリンクで光成に話しかけた。

「おい! 何やってんだ! 落ち着け!」

「ああ?」

「聞いてんのか! 落ち着けっつてんだよ!」

「うっせえな! だまってろ!」

「こんな時に暴れてどうすんだ! 冷静になれよ!」

「うるせえ! おれはやってやる!」

「お前バカか! 相手は警察だぞ!」

「わかってるよ! くそ! わかった! 俺はあの太ったヤツと同じ方法でこの場を脱出だっしゅつする! スマンが俺の荷物をたのむ!」

「ああ、わかった! だが、ATPリンクは遠くまで通じねえ! 気をつけろよ!」

 光成はウォータースライダーに飛び乗ると、そのままとなりのマンションのかべび移った。太満ふとみつの能力をすでにラーニングしていて壁に張り付いたのだ。そのまま屋上へ上がって行く。

 後はヘリの死角をって逃走とうそうすればよいのだが、地上では太満を追った警官たちが、すでにこのマンションを取り囲んでいた。

「くそ! 囲まれていたか!」

 光成はあたりを見渡みわたす。市民プール周辺にはマンションがいくつも立ち並んでいた。

「よし!」

 光成はかけだすと、全力でジャンプし、屋上のさくを跳びえ、そのままとなりのマンションに跳び移った。

「跳んだぞ! あっちのマンションに行った!」

 地上では警察官がさけんでいる。

「このままげきれるか? だが、屋上だとヘリから丸見えだ。どこかで地上に降りたいが、水着姿ってのは厄介やっかいだな。地上を水着で歩いていたらどうしても目立っちまう。水着姿でも目立たないところに行かないと。どこだったら目立たない?」

 光成はかけ出して、さらにとなりのマンションに跳び移った。今度は止まらずに次々とマンションを跳び移り、三つ目のマンションに跳び移ったところで、かべづたいに地上へ降りた。そこには警官が一人警備にあたっているところで、それにもかかわらず光成は警官の背後に飛び降りた。なぜだろうか、警官は気づかない。しかも、あたりを警戒けいかいして、顔をあちこちに向けているにもかかわらず光成の存在に気づかないのだ。それもそのはずである。光成は警官の頭の動きに合わせて素早く背後へ動いていたのだから。とはいえ警官の真後ろである。いくらなんでも物音で気づきそうなものだ。なぜ気づかないのだろう。光成はころいを見計らってマンションわきにある生けがきに身をかくした。生け垣に体が当たればカサカサという音がする。それでも警官は気づかなかった。なぜなら、音がしなかったのである。そう、光成は先日ラーニングした能力を使って音を消していたのだ!

 生け垣の裏を進んでいくと、そこはなんと、市民プールの裏手であった。光成は市民プールから逃げていたのではなかったか。まさか方向を間違まちがえたのだろうか? マンションの屋上をいくつも飛び移っているうちに、方角が間違っていたことに気づかなかったのだろうか。いいや違う。かれは水着が目立たない場所を探していたのだ。この付近でもっとも水着が目立たない場所、それは市民プールだったのだ!

 プールの裏手にはトイレがあって、トイレ裏からフェンスを飛びえて侵入しんにゅうすればプールサイドからは見えない。つまり、中にいる警官に気づかれずプールにもどることができる。しかも、市民プールの外側を包囲していた警察官たちは、太満ふとみつと光成を追って大多数が持ち場をはなれているところだった。

 しかし、間の悪いことに、ちょうどトイレの裏手に一人だけ警官が残っていた。さらに都合の悪いことには、トイレのわきにも人がいる。これではいくら音を消しても、姿をを見られてしまうかもしれない。

彩豪さいごう。聞こえるか?」

 光成はATPリンクで私に話しかけてきた。

「ああ? なんだお前、まだ近くにいたのかよ。今どこだ?」

「トイレの裏だ」

「マジ?」

「ああ、だがトイレのわきに人がいるだろう? あれがジャマなんだ」

 これを聞いて私はトイレの方を見た。そこにいたのは水着姿のカップルで、ずかしいほどの熱々っぷりを周囲にまき散らしていた。そのせいか、トイレ付近にその他の人はいない。

「ホントだな」

「悪いがあの人たちに声をかけて、注意をそらしてくれないか?」

「何? なんだって? マジでいってるのか? 話しかけるって何をだよ?」

「なんでもいい」

「なんでもいいって、そんな簡単にいうなよ。小五の俺が知らない大人に声をかけんのなんてムリじゃね?」

「そこをたのむ。おれは水着姿だから、街の中をげるにしても目立ちすぎんだよ」

「プールだったら目立たないってわけか……。マジかよ! いんキャの俺にそんなことムリくねえ?」

「そこを頼む。今ちょうど警備が手薄なんだ。急いでくれ!」

「しょうかねえな!」

 しぶしぶ私は光成の頼みを聞いてトイレへ向かった。

 こんな時に何を話せばいいのだろう? 知らない大人に話しかけるなんて普通ふつうないぞ? 大人たちは普段ふだんどうしてるんだ? そうだ……、確か聞いたことがあるぞ? 天気だ。天気の話は挨拶あいさつみたいなもんで、知らない人同士で会話する時によく使われるって。聞いたことがある! よし! これだ! 天気の話で行くぞ!

 私はそう決心してリアじゅう水着カップルに近づいた!

「あの~、暑いっすね、この天気ヤバくないっすか?」

 ドキドキ☆ゲリラプールinサマーの混乱冷めやらぬプールサイドである。やぶから棒に私は何をいっているのだろうか……。私が決死の覚悟かくごで話しかけているのに、リア充水着カップルは何の反応も示さない。いや、むしろ「なにコイツ?」という、かくすことのない明らかなさげすみの視線を私に向けていた。私は激しく動揺どうようした。

「いや~、温暖化ですかねえ? プールには最高ですけどね?」

 すると水着カップルの女がいった。

「ふぁ?」

 冷たい侮蔑ぶべつの視線が私をつらぬくようで痛い。光成、お前は私になんてことをさせるのだ……。


 この様子を見ていた光成は、トイレからややはなれた位置で、生けがきの枝を一本だけポキっと折った。光成がこの音を消さなかったため、警官は物音に気づいてこちらの方へり向いた。しばらく様子を見ていたが、やがて音がした場所を確認しに歩き出した。光成は慎重しんちょうに音を消しながら生け垣の裏を移動した。

「なんだ? 何かいるのか?」

 音を消していたとはいえ、警官は何かが動いていることに感づいてしまったのである。光成は目にも止まらぬ速さで飛び出した!

「うわぁ! な、なんだ!」

 しかし、目の前にはだれもいない! 後ろを振り返ってみたが、そこにもやはり誰も何もいなかった!

「な、なんだ?」

 きつねにつままれたような心地で周囲を見回したが、あたりには誰もいない。警官は音がした生け垣の辺りをのぞいてみたが、そこにも不審ふしんな点はなく、しかたなく持ち場にもどろうと後ろを振り返ったその時、地面に海水パンツが落ちていることに初めて気がついた。

 こんなものがあっただろうか? いいやなかった。いつからここにあったのだろうか。

 警官はプールの方を見た。フェンスの向こうにいるカップルと少年は水着をつけている。水着をはいてない者など外からは見当たらなかった。となりのマンションを見上げてみると、ベランダに洗濯物せんたくものが干されている部屋がいくつかあった。マンションから落ちた洗濯物だろうか。警官は海水パンツを拾い上げ、狐につままれた心地でこれをながめ続けた。


 こうして光成は、私の大変な自己犠牲じこぎせいのおかげで無事市民プールに入ることができた。その後、プール場内で長い時間を待たされたものの、私たちは一般いっぱんの来場者としてプールを出ることを許された。

 一言補足しておきたいことがある。明智あけち光成みつなりにとって自分が光合成仮面であることは、これまで説明してきた通り、社会に偏見へんけんと差別があることから、絶対にバレてはいけないことだった。植物の仮面で顔はかくせたとしても、水着についていえば、これだけ同級生がいたのだから、光合成仮面と光成が同じ水着だったことに気づく者がいたかもしれない。光成としては、同じ水着で光合成仮面になることはけなければならなかった。だのにかれは光合成仮面に変身した。なぜなら、彼はちがう水着を上からはいたのだ。しかし、どうやって? 予備の水着を持って来ていたのだろうか? いいや、そんなわけはない。そもそも彼は荷物のある更衣室こういしつにも行っていないのだから。では、どうやって別の水着を用意したのだろうか。売店で急ぎ買ったのだろうか。いいや、それも違う。みなさんは覚えているだろうか。最初に現れたネバーウェアが、ウォータースライダーをすべる前は水着を着ていたのに、スライダーから飛び出して来た時には全裸ぜんらだったことを。この時、このネバーウェアはスライダーのチューブの中で水着をいでいたのだ。その水着はスライダーの中を滑り落ちてプールに流れ着くはずである。光成はそれを見逃みのがしていなかった。そして、それを自分の水着の上からはいたのだ。大人サイズの水着であったから簡単に重ね着ができたのである。け目のない光成のとっさにひらめいた機転によって、これだけ同級生がいる状況下じょうきょうかでも彼は、正体をバラさずに済ませたのだ。

 友だちの前で変身することは、光成にとってそれほどまでにハードルの高いことなのである。(続く)

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