第十話 メロンズ教授 その一

 そこは白壁しらかべのフレンチレストランのようなリビングだった。

 テーブルの上に置かれたスマートフォンが先ほどから鳴っていて、白い秋田犬が前足をテーブルに乗せ、何事かとのぞきんでいる。稲荷いなり静香しずかも気になっていたものの、父のものであるため出るわけにもいかない。

 ちなみに、稲荷静香が誰なのか念のために補足をしておくと、光合成スイマーとのバトルの時に白い秋田犬を連れていた、明智光成あけちみつなりと同じクラスのメガネをかけた女子のことであった。

「お母さん。お父さんのスマホ、またってるよ」

迷惑めいわくね。放っておきなさい」

 稲荷の母がそういうと、スマートフォンは鳴り止んだ。ちなみに、この母親も初登場ではない。なぜなら、この女性は明智あけち光成みつなりと私が通う小学校の、校長先生その人だったのだから。

 リリリーン、リリリーン。

 今度はリビングの固定電話が鳴った。稲荷の母はいら立ちをかくさず、舌打ちをして電話に出た。

「はい、もしもし」

「あ、おいそがしいとこすいません」

 彼女かのじょはこの声を聞くと不愉快ふゆかいでならなくなる。もののいい方や声色が生理的に我慢がまんならないのだ。

太満ふとみつです。いつもすんません。理事長いらっしゃいます?」

「ああ、はい。少々お待ちになって」

 稲荷いなりの母はいら立ちをころしていった。そして、リビングの窓を開け、外にいる配偶者はいぐうしゃに向かって声をかけた。

「あなた! 電話よ!」

「電話? だれからだ?」

「太満!」

「おお、そうか、そうか。スマフォからかけ直す。すまんが持って来てくれんか?」

 稲荷の母はこみ上げるいかりを押し殺した。

静香しずか、お父さんがスマホ持って来てだって」

 稲荷静香はおとなしく母の命令に従った。テーブルからスマートフォンを持ち、リビングから外に出る。

 夏の日差しを浴びて青々しく育った芝生しばふの庭には、小さいながらも立派なプールがあり、父は白いプールサイドチェアの上で日光浴をしているところだった。サングラスをかけ、ピチピチのビキニパンツ姿に、ジムできたえた自慢じまんの肉体をずかしげもなくさらけ出していた。

 静香はなるべく父を見ないようにした。

「これ、持ってきたよ」

「おお、お前が持ってきてくれたのか。すまん、すまん。今日は本当にいい天気だな。どうだ? お前も一緒いっしょに日光浴せんか?」

 父はサングラスのおくでウィンクをした。

「いい」

 静香しずかは一言だけ短く答えると、小走りで家にもどっていった。

「ふん、あれで昔はずいぶんと可愛かったもんだったがな。おおっと、今でもまだまだ可愛いか。さてと」

 理事長はスマートフォンで太満ふとみつを呼び出した。

「私だ」

「あ、おつかれ様です。おいそがしいとこすいません」

「こちらこそすまんな。それで、何かあったか?」

「先ほどメロンズのヤツから電話がありまして」

「なに? メロンズから? それで?」

「はい、今すぐ理事長に会って話がしたいそうです」

「今すぐ? 用件は」

「何か直接会って確認したいことがあるそうで」

「まいったな。今夜は仕事だというのに、日光浴はまだかかりそうだ。かといってヤツは大口の支援者しえんしゃだしな。無下むげにあつかうこともできまい。よし。わかった。日光浴をしながら話を聞くとしよう。ヤツを連れてこれるか?」

「できるっちゃできますが、お連れしてもいいんですか?」

「構わん」

「こういっちゃなんですが、アイツは相当ヤバいヤツっすよ? ご自宅を知られて大丈夫だいじょうぶなんすか?」

「構わんよ。NPOの代表をやってる時点で、住所なんぞ調べようと思えばすぐにわかる。それに、我々を支援しえんする前から、ヤツはそこまで調べた上で接触せっしょくしてきているはずだ。ヤツはそういうヤツだ」

「確かにそうっすね。じゃあ、ヤツを連れていきますよ」

「ちょっと待て。お前の他にもシニアプレイヤーを呼んでくれ」

だれを呼びます?」

「全員だ」

「全員っすか?」

「ああ、お前もヤツのことは知っているだろう?」

「そうなんですが、スザクは理事長から呼び出してもらっていいですか? アイツは私からだと、ゆうこと聞かねえんですよ」

「しょうがないヤツだな。わかった。私から連絡れんらくしよう。スザクが来れる時間がわかったら連絡する。メロンズを連れてくるのは、その後にしてくれ」

「承知しました。それでは連絡待ってます」

 理事長は電話を切ると、すぐに別の電話をかけた。

「スザクか? 私だ。今大丈夫だいじょうぶか?」

「ええ」

「急な話で悪いんだが、今から私の家に来れるか?」

「なるほど、おれに来てほしいってことは、そういう用件なのね?」

「そうだ。なるべく穏便おんびんに済ませたいのだが、最悪の場合、よろしくたのむよ?」

「ありがとう。わかったわ」

「すぐ来れるか?」

「そういう用件だったら、今すぐにでも向かうのに」

「すまんな。ただ誤解しないでくれよ? 大口の支援者しえんしゃなんだ。なるべく穏便に済ませたい。わかってくれるな?」

「おほほほ。わかったわよ。今すぐ向かうわ」

「では、よろしく頼んだよ?」

 理事長はサングラスのおくでウィンクをすると電話を切った。


 明智あけち光成みつなりは、昇降しょうこうぐちかべられた学校の平面図を見ているとこだった。

 その日は土曜日で学校が休みだったものの、テストで0点を取った私は、補習を受けるために登校させられていた。補習の後にプールへ行く約束があったため、光成を昇降口で待たせていたのであるが、補習がなかなか終わらないでいたため、光成は一人、昇降口で待ちぼうけをくらっていたのである。

「この平面図だと、やっぱり校長室と放送室の間に部屋なんかないな……」

 光成は校長室に呼び出された時のことがずっと気にかかっていて、昇降しょうこうぐちられた学校の平面図を見ていた。

「あの時、となりの部屋に教頭先生がいたのは間違まちがいない。だが、隣の放送室にはだれもいなかった。校長室と放送室の間にもう一部屋あると考えるのが自然だが、この平面図には書かれていない。秘密の小部屋でもあるんだろうか。気になるな。あの校長先生と教頭先生……、何か裏がある」

 バタバタと何人かが廊下ろうかを走ってくる音がした。

「おう、明智あけちじゃねえか!」

「なんだよ明智、お前も補習だったのか?」

 補習を受けていた生徒たちだった。

「ちげえよ。彩豪さいごうってんだ」

円座えんざ? アイツだったらまだ先生につかまってたぜ」

 円座というのは私のことだ。ちなみに、私のフルネームは円座えんざ彩豪さいごうという。

「なんだよ、まだ補習終わってなかったのかよ」

「いやぁ、だってアイツ0点だったんだぜw」

「聞いたか? 円座のヤツ、0点だったんだってよ! まじでウケねえ?」

「くっそウケんだけどw」

選択せんたく問題もんだいとかでさあ、ふつう一問くらい当たってもよくね?」

「そこが円座w。けっこうバカだったんだなw。おれたちは補習終わったけど、アイツはもうちょっとかかりそうだったw」

「先生も早く帰れなくて大変じゃね?」

「俺たちはこれからプール行くから、わりいけど先帰るよ!」

「マジで? 俺と彩豪もこれから行くんだよ」

「そうだったの? そしたらプールでまた会おうぜ! じゃあな!」

 そういって、かれらは走って帰っていった。


 ヒドいいわれようだ。確かに今となってかえりみれば、0点を取るなどおろかな子どもであったと反省しきりであるが、いくらなんでもみんなイジり過ぎではないだろうか。お前らだって補習を受けていたのだろうに。だのに、このいわれよう。私には悲しみしかない。


 しばらくすると、パタパタと走る足音が昇降しょうこうぐちに近づいてきた。

「わりい、わりい! 待たせてすまん!」

「なんだよ遅えよ」

「いや〜、わりい。最後、おれだけつかまっちまってさあ。くっそヤバかったぜw。どうした? 何見てんだ?」

「この前、校長室に呼び出された時のことを思い出してたんだよ」

「ああ、あん時のことか」

 私も昇降口にられた平面図を見た。

「知ってるか? 今の校長先生になってから、学校がけっこう改造されてんだぜ?」

「ああ、外壁がいへきとか校門とかだろ? でもあれは不審者ふしんしゃとか、防犯目的じゃないのか」

「いやぁ、それがな。そうともいえるが、不審者対策だけかといえば、そうともいえねえんだよ。だってな、防犯まわりはちょっとやり過ぎじゃねえかってくらいマジですげえんだ。例えばだな、これ、ここ見てみろよ。小せえ穴が開いてんだろ」

 私はかべの一部分を指して見せた。

「ほんとだな」

「こっから赤いレーザーが出んだw」

「マジかよ」

「これだけじゃねえ。周りよく見てみろよw。特にゆか付近だ」

「うわ! けっこう穴開いてんな!」

「くっそウケんだろ? こんなもんただの小学校に必要か? 必要なくね? なんかさあ、あの校長先生には秘密があんじゃねえかと思うんだよねえw。そうだ、そういえばお前に見せたいものがあったんだ。一回スマホ取りに帰ろうぜ」

「ああ、わかった」

 私と光成は昇降しょうこうぐちを出た。外はまぶしいほどの炎天下えんてんかで、舗装ほそうされた道の遠くが暑さで揺らいでいる。

「いやあ、あの校長先生になってからさあ、今の学校はマジで要塞ようさいみてえになってんだぜ? 赤外線レーザーだけじゃねえ。ドアというドアにセンサーがついてるし、セキュリティシステムも納品されていて、異常検知、通報、記録、それと防御ぼうぎょ機能きのうまである」

「防御機能?」

「そうだ。これはマジでスゲえ。マンガかアニメかよって感じなんだけどなw。あの校長先生は何をしようとしてんだろうな」

「どんなのなんだ?」

「ま、それはおいおいなw。前の校長の時はいい意味でも悪い意味でも超アナログだったんだがw。用務員や警備員のおじさんがいるだろう? 前の校長の頃、あのおじさんたち、めっちゃ厳しかったの覚えてるか?」

「ああ、よくおこってたな。いわれてみると確かに最近はそんなことないな。今の校長先生になってからだったのか」

「そうなんだ。校長先生が生徒を怒るなって注意してるのもあんだが、今のセキュリティシステムがちょうデジタルで、あの二人がまったく理解できなくなっちまったんだよ。それでやる気をなくなしたらしい。以前の防犯は超アナログで、用務員と警備員のおじさん二人が完全に管理してたから、子どもがいたずらするとすぐバレてたんだけど、今のセキュリティシステムはあの二人にもわからなくなってな、うっかりすると、あの二人がセキュリティに引っかかっちまうこともあんだよw」

「そうなのか。おい、着いたぜ」

 ちょうど私の家の前に着いたところだった。

「あ、わりい、ちょっとここで待ってて」

 私は光成を外で待たせ、プールセットとスマホを取るため家に入った。

 連日の晴天で記録的な猛暑日もうしょびが続いている。遠くには太陽の日を浴びて真っ白にかがやく入道雲が音もなくふくらみ続けていた。

「ちょっと、どこいくの!」

 母の声が外にいる光成にまで聞こえてきた。

「ああ? これから光成とプールに行くんだよ」

「なにいってんの? あんた、補習だったんでしょう? もっと勉強しなさい!」

 外にまで聞こえる親子喧嘩おやこげんかだった。

「はあ? 今やってきたし」

「なに? もうやらないつもり? あんた、家で勉強してるの見たことないんだけど! もっとやんなさい!」

「光成を待たせてんだからしょうがないだろ!」

「じゃあ、明智あけちくんに勉強教えてもらったら?」

「はぁ? そんなことできっかよ! うっせーな、待たせてるからもう行くよ!」

「帰ってきたら絶対やりなさい!」

 私はこれに返事をせず家を飛び出した。

「わりい、わりい、待たせたな」

「いいのか? 勉強しなくて」

「かまわないって。あのオカンうっせえんだよ」

おれは別にお前が勉強するんだったら、それでもいいんだぜ?」

「いやいや、お前まで何いってんの。もう補習受けてきたんだから、かんべんしてよ。またオカンがなんかいい出すかもしらねえから、さっさと行こうぜ。それよりさあ、これ見てくれよ」

 私は歩きながらスマホを取り出して、光成に一枚の写真を見せた。

「なんだこの写真?」

 室内で四人の大人が写った写真だった。

「この右から二番目の人、この人は前の校長先生だ」

「ちょっと待て、よく見せて? ああ、本当だな」

「この写真はな、ある企業きぎょうがうちの小学校と協力して、AIを使った授業の実証実験をしたことがあったんだ。その企業が自社のホームページでそのことを広報しててな、そのページから拾ってきた写真なんだ。だから、校長先生のとなりに立ってるのがその会社の社長で、両端りょうはしの人は文部科学省と教育委員会の担当者」

「へえ」

「だが、おれが注目したのはこの四人じゃない」

「じゃあなんだよ」

「いいか? この四人がいる部屋、これがどこだかわかるか?」

「さあ。俺が知ってる場所なのか?」

「そうなんだよ。これな、うちの小学校の校長室なんだ」

「なんだって? 今とぜんぜんちがうぞ?」

「そうなんだよ。何が違う?」

 明智あけち光成みつなりはATP能力で一度見たものを詳細しょうさい記憶きおくすることができる。その能力を使って校長室に呼び出された時のことを思い返してみた。

「まずは部屋の大きさだな。これ、後ろの窓を見てみろよ。二枚組の窓が二組あるだろう。俺が呼び出された校長室の窓は、二枚組の窓は一組しかなかった」

「そうなんだよ。これはあん時のお前の視覚情報をJPEG化した画像なんだが、あれ? 画質わりいな、圧縮し過ぎちまったw。なんか心霊写真みてえでウケんだけどw」

「逆光で校長先生が幽霊みたいだな」

「くっそウケるw。わりい、わりいw。けどよ、後ろの窓はぎりぎりわかんだろ? 二枚組の窓は一組しかないんだよ」

「この会社の写真の方で考えると、校長室は今より広かったってことだな。昇降口しょうこうぐちに貼ってあった平面図に近い」

「そうなんだよ。そう考えるとさあ、あの校長先生、校長室の真ん中にかべを作って、放送室との間にもう一個部屋作ったんじゃね?」

「そうだな。だが、廊下ろうかにドアはないし、校長室からもドアはなかったぞ。どこにも入口がない」

「だから、くっそ怪しいんだよw」

「気になるな。一度調べてみないか?」

「ああ。さっきもいったが、今の学校はマジで要塞ようさいだ。セキュリティがめちゃくちゃ高え。多分だが、あの校長先生は何か知られちゃマズいことをやってる」

「そうか。そろそろ終業式だし、今年は楽しい夏休みになりそうだな」

「ちげえねえw」

 遠くに入道雲がそびえ立つ炎天下えんてんか、光成と私はプールへ向かった。


 日傘ひがさをさしたその女は、すずしげな夏着物を身にまとっていた。その翠色すいしょくの着物には白い大蛇だいじゃからみつくようにえがかれ、後襟うしろえりのあたりで赤目の頭が二股ふたまたの舌をくねらせていた。

 ちなみに翠色とは、日本古来の伝統色で、緑色のことを指す。着物の色を表すためには緑色という月並みな言葉を使うよりも、翠色という古くからある和名をわざわざ使った方がふさわしいと、私は考えたためあえて用いたのである。

 この女は稲荷家いなりけの前に差しかかると、すっと中に入っていき、玄関げんかんには向かわずそのまま庭の方へ進んで行った。

 プールサイドには理事長の他に、もう一人の男がいた。その男は、先日セミの鳴く並木道で明智あけち光成みつなりやサザレさんと激しいバトルをした、あのプラズマ男の姿であった。この日は全裸ぜんらではなく、レザージャケットにレザーパンツという出で立ちであったが。

「やあ、待っていたよ。おそかったじゃないか」

 プールサイドチェアで仰向あおむけに横たわっていた理事長がいった。

「ああ、お前ら男とちがって身支度があってな」

「おお、そうだったか。野暮やぼなことを聞いてしまったかな?」

 理事長はサングラスのおくでウィンクをしつつ身を起こした。

「さて、これで太満ふとみつが来ればシニアプレイヤーが全員そろう。お前たち二人はメロンズに会うのは初めてだったな?」

「ええ」

「これからヤツを太満が連れて来るが、今回の用向きはよくわからん。直接会って確認したいことがあるのだそうだ。この前の国会を見れば、オーダー通りに進んていることはわかるはずなんだがな。直接会って確認することなどないはずなのだ。だが、ヤツは直接会いたいといっている。それでだな」

 理事長はサングラスを少し下げ、上目使いにスザクを見上げた。

「我々は用済みになったのかもしれん。そう思わんかね?」

 そして、下げたサングラスからのぞきむようにウィンクをして見せた。

「それでおれを呼んだというわけね? わかったわ。まかせなさい」

 日傘ひがさの女はそういうと、切れ長の目を細め、真っ赤に染めたくちびるを手でかくした。笑ったのだろうか。

「そいつはATP能力者なの?」

「それがな、比留守ひるす分析ぶんせきでは光合成人間ではないらしい。そもそも日本人ではないしな」

「ふん。じゃあ、大勢で来るのかしら」

「一人で来るらしい。念のため比留守に周辺を監視かんしさせているが、今のところ不審な人間はいないな」

おれが出るまでもなさそうね。でもまあ、そいつを切り刻むことができたら満足よ」

「スザク。あまりヤツをナメない方がいい。会ってみればわかるんだが、ヤツには何かヤバい雰囲気ふんいきがあるのだよ。危険な雰囲気がな。それでセッカも呼んでいる。念には念をだが、私の用心深さはわかっているだろう?」

 ちょうどその時、車が来て停車する音がした。

「おや? ちょうど来たようだ」


 太満ふとみつが連れてきた男は、メロンに似せた色とがらに織られたスーツを着た男だった。

「やあ、こんな暑い日にご足労いただいておそれ入りますな。いつも温かいご支援しえん感謝していますよ?」

 ビキニパンツ姿の理事長が立ち上がって挨拶あいさつをした。

「こんな格好かっこうですが、このままで失礼しますよ。今日は夜に仕事がありましてね、準備のために日光浴をしているところなのですよ」

「なるほど。光合成人間というのも意外と不便だな。ご苦労なことだ」

「ああ? なんつったテメェ!」

 スザクが割って入った。

「こちらのご婦人は?」

 男は露骨ろこつに見下した眼差しをスザクに向けた。

「まあ、まあ。彼女かのじょはシニアプレイヤーをしている珠切たまきり朱雀すざくという者で、非常にうでの立つ女です。逆にいうと少々血の気が多いところがあってね。ご容赦ようしゃ願えますかな?」

「ふん。更年期こうねんきだとしたら他でやってくれ」

「なんだってえ? テメェ! ふざけたことぬかすと殺すぞ!」

 スザクは日傘ひがさの中棒に片方の手をそえ、もう片方の手で持ち手部分を強くにぎりしめた。

不機嫌ふきげんをかくさぬ女ほど目障めざわりな者はないな。ところで、君が持っているそのかさ、なかなか面白いものではないか」

 スザクが差している傘は、中棒が太く湾曲わんきょくしていて、持ち手部分が日本刀ののようになっていた。

「日本の伝統工芸品なのか? ちょっと見せてくれたまえ」

「これはな、テメェが知る必要のねえ代物なんだよ。見せ物じゃねえんだ」

「ふん。ただの日傘ひがさではなさそうだが、道具はなかなか良い物を持っているようだ。せいぜいいい仕事をたのむよ。私はアカシックレコードD.E.大学で教授をやっているメロンズという者だ。今回は校友会の事務局という立場で訪日しているがね」

 校友会とは卒業生の集まりのことをいう。教授は自己紹介じこしょうかいをすると握手あくしゅを求めた。

 珠切たまきり朱雀すざくはきれいに引かれたまゆをしかめたものの、横目で理事長がウィンクするのを目にし、しぶしぶ握手あくしゅに応じた。そして、その瞬間、その触れた手によって、この男の奇妙さに気づかされた。


 この男の手からはまったく体温を感じられなかったのだ。冷たいというものでもなく、生温かいというものでもない。体温を感じないのである。

 珠切朱雀は教授の顔を見上げた。相変わらず心の底からさげすみの目を彼女かのじょに向けていたが、この暑い中、あせ一滴いってきもかいていないではないか。朱雀にとっては忌々いまいましいことであるが、彼女の方では結い上げた後ろ髪から、汗が首筋を伝って流れているというのに。日傘ひがさを差していたとはいえこの日は猛暑日もうしょびで暑い。太満ふとみつにいたっては、ピチピチのワイシャツが汗でぬれ、見苦しい乳首がけて見えていた。セッカはレザージャケットにレザーパンツである。額や胸元から大粒おおつぶの汗が流れ落ちていた。理事長といえば、ビキニパンツ姿であったから全身をテカテカに光らせていた。しかし、このメロンズ教授は上下高そうな糸で織られたスーツを身にまとっていたにもかかわらず、汗を一滴もかいていなかったのである。握手あくしゅした手からも体温は感じず、生きているのか、生きていないのか、まるでわからなかった。


「それから、こちらの男もシニアプレイヤーをしている近堂こんどう石火せっかという者です」

 近堂石火は軽く会釈えしゃくをしただけで挨拶あいさつも何もしなかった。

「こいつも上級職の光合成人間というわけか?」

「そういうことになりますな」

 理事長はそう答えてウィンクをした。三人のシニアプレイヤーで取り囲み、圧力をかけているのである。

「ふん。よろしく頼むよ」

 メロンズ教授は値踏みするような眼差しで握手あくしゅを求めた。セッカの方では握手に応じつつも表情を変えることはなかった。

「早速だが、確認したいことというのはだね、この写真のことなのだよ。ちょっと見てもらえるかな?」

 そういうと、メロンズ教授は胸ポケットから写真を取り出した。その写真には黒い眼帯をした、黒髪くろかみの女が写っていた。

「スザンヌという女だ。実は手元に写真がなくてね。この写真はAIに生成させたものなのだよ。ひょっとすると、君たちの中でこの女と接触せっしょくした者がいるかもしれなくてね。来日しているという情報があるのだ」

「ほほう、美しい女ですな。機会があればぜひお会いしてみたいものだ。黒い眼帯をしているところなど、実にミステリアスですな?」

「整形をしたのだよ。訳あって私が始末したんだが、一命を取り留めていたのだ。この女は手強くてね。少々やり過ぎて二目と見れない顔にしてしまったのだが、治療ちりょうにあたった医師のうち、整形外科医が絶世の美女に仕上げてしまったのだよ。今の医療いりょう技術は見事なものだね。もっとも、片目は失ったみたいだがな」

 スザクは人差し指と中指で、その写真を素早くうばい取った。

「ふん。この女を見つけ出して、始末すればいいんだな?」

 メロンズ教授は失礼なほど露骨ろこつに失笑をかべた。

勇敢ゆうかんな者ほど早死にすると聞く。平たくいってしまえば無鉄砲むてっぽう馬鹿者ばかものほどすぐに死ぬというわけだ。自惚うぬぼれるのも大概たいがいにしたまえ。君なんぞは姿を見る前に、その厚化粧あつげしょうの顔をかれるまでだ。この女は狙撃手そげきしゅなのだよ。しかも、けた腕前のな。君たちと同じATP能力持ちの光合成人間で、弾道だんどうを自由にコントロールすることができる。たとえば新宿駅の混雑の中、ホームのはしにターゲットがいたとしても、その反対側の端から人混みをって命中させることだってできるのだよ」

「その前に、テメェがここで死ぬことになりそうだがな!」

 スザクはそういうと、写真を宙に放り投げた。

 日傘ひがさしゃに構えると中棒から持ち手部分をずらす。そこから見えたものは、れたように光沢こうたくを放つ日本刀の刃文はもんであった。この日傘は日本刀だったのだ!

 しかし、次の瞬間しゅんかん、放り投げてスザクがきにしようとしたその写真は、何者かによってつかみ取られていた。華麗かれいなムーンウォークで横切ったセッカが、写真をつまみ取っていたのである。そして何もいわず理事長に写真を手渡てわたした。

「ヒュゥ」

 理事長は写真を受け取って、あらためて写真の女を見た。

「この女はATP能力持ちの光合成人間なんですって? 外国人の光合成人間というのは聞いたことがありませんな」

「こいつは母親が日本人なのだよ」

「なるほど」

 理事長は太満ふとみつに写真を渡した。

「この女を見たことはあるかね?」

「いいえ、ないっすね」

 太満はニコニコエクボ顔で答えると、メロンズ教授に写真を返した。

うそではないな? 誤解がないようにはっきりとさせておくが、この女は我々アカシックレコードD.E.大学の敵だ。いかなる些細ささいなことであっても、この女に便宜べんぎを図るようなことがあれば、故意こい過失かしつを問わず、我々に対する敵対てきたい行為こういと見なす。容赦ようしゃはせん」

「わかっていますよ。メロンズ教授。再度確認ですが、もし、この女を見かけたら、始末してもよろしいのですかな?」

「構わん。だが、理事長。君だけは光合成基本法と関連法案が成立するまで生きてもらわなければならん。始末するのであれば、そこにいる女にでも任せておけ。この女が死んでも我々としては構わん。構わんというのはそういう意味だ」

「同感だ。おれとしても、テメェが死んでも一向に構わねえ!」

 珠切たまきり朱雀すざくは、日傘ひがささやから電光石火の早さで刀をくと、夏着物を美しくひらめかせ、切先きっさきをメロンズの鼻先でピタリと止めた。

「殺すぞ」

 真っ赤に染めたくちびるでなまめかしくいうと、後方に放り投げた日傘が地面に落ちた。メロンズ教授は人を見下した表情のまま、マネキンのように眉一つ動かさない。

「私は貴様が死んでも構わんといっているのだよ。この場で貴様を始末したところで一向に構わんのだ。これ以上の私に対する無礼は、貴様を始末するのみならず、御法人おんほうじんにまでそれなりの代償だいしょうはらってもらうことになるぞ。その安物の刀を下げたまえ」

 ビキニパンツの理事長が教授とスザクの間に立った。

「スザク。今のところ我々が想定していた話とは違う。お前も知っているだろう? 我々は利害の一致いっちしたビジネスパートナーなんだ。穏便おんびんたのむよ?」

「理事長。今いった『想定していた話』とは何かね?」

「いやいや、大した話ではありませんよ。直接会いたいとおっしゃっていたので、我々もいろいろと想定していたのです。利害が一致しなくなれば、我々としても容赦はできませんからな?」

 理事長はそういってウィンクをした。

「それで上級職の光合成人間を集めていたというわけか。なるほど。用心深いということは実に評価できる。理事長。君が信用に値する男だということが、あらためてよくわかった。安心したまえ。我々と御法人おんほうじんとの利害は今も一致している。これからもよろしく頼むよ。さて、今日の用件はここまでだ。集まってもらってご苦労だったな」

 メロンズ教授はスザクに刀を向けられたことなどなかったかのようにいった。

「おおっと、用件は以上で?」

「以上だ。私もヒマではないのだよ」

「ほほう、そうでしたか。こちらこそ、ご足労ありがとうございました。太満ふとみつ、お見送りたのまれてくれるな?」

「承知しました」

「写真の女を見かけたらすぐに連絡れんらくをくれたまえ。必ずだぞ。では行こうか」

 メロンズ教授はそういうとかえって歩き出し、太満がその後をついていった。


「さて、二人ともご苦労だったな。太満はこのままもどらない。ヤツと比留守ひるすにはこれからイベントの視察に行ってもらうのだ」

「例のヘッドハンティングか」

 スザクは刀を日傘ひがささやに収めながらいった。慣れた手さばきである。

「そうだ。我が法人の重要な事業だからね? それにしても、メロンズのヤツ、直接会いたいというから心配になって君たちにも集まってもらったが、写真を見せるだけだったとはな。これだけのために、わざわざ直接会いにくるなんて、あの写真の女、スザンヌとかいったか。一体何者だ?」

「ふん。今どき眼帯をした女などめったに見ないわね。見つけたらその場で始末してくれる」

「ATP能力持ちのスナイパーといっていたな? メロンズがいっていたことは一理ある。はるか遠くから攻撃こうげきされるのは、やっかいそうではないかね?」

「ふん、鉄砲てっぽうなどおれには効かん。この刀ですべて打ち返してくれる」

「まあ、待て。最近実はな、AIに生成させたという写真を見せられることがある。まあ、本当に写真がなくてAIに作らせる場合もあるが、実際にはそうではない場合があるようなのだよ。AIに生成させたといっておきながらだね、本当はだれかがった写真で、出所を明らかにしたくない場合とか、写真の存在自体を秘密にしたい場合なんかにもな? AIに作らせたなんてウソをつくわけだよ」

 理事長はウィンクをした。

「つまりだね、そういう場合は高度に面倒めんどうな案件だということだ。関わらない方がいい」

「ますます面白いねえ。だが、わかった。おれとしてもあの女を探すほどヒマではないからな。まあ、ばったり出くわしちまったら、その場合どうなるかわからんがな」

「その時は仕方あるまい。私としても無理には止めんよ。それで、メロンズに会ってみてどうだ? 率直な感想を聞かせてもらえるかね」

「気に入ったわ。はらわたの底からムカついたよ。絶対に俺の手で切り刻んでやりてえ」

「そうだな。後々我々は用済みになるだろう。さっき光合成基本法と関連法案の成立までとかいっていたか。その時は、よろしくたのむよ? セッカ。お前もだ。お前はたよりになる男だからな?」

「おほほほほ。セッカ、あんたなんかにゃわたしゃしないよ。ヤツは絶対に俺の手できにするわ。絶対にね?」

 スザクは切れ長の目を細め、真っ赤に染めたくちびるを手でかくした。笑っていたのである。(続く)

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