舌先で舐めとる甘すぎる汁にもこいどろ臭さが溶けこんでいるので僕は何とも言えない気持ちになった。何とも言えないのは僕には難しいことを考えることが難しいからであって、世間一般、いや、そこまで範囲をひろげずとも僕とおなじ状況にいる僕以外の人間には簡単なことなんだと思う。


 他人へのねたみだとか、うらやみだとか、そんなものはいますぐにでも咀嚼そしゃくして飲みくだし、胃液に溶かしてしまえば楽なのにな、などと取り留めのないことを考えていると、突然なのかそうじゃないのか物を考える能力のない僕にはわからないのだけれど、歯茎はぐきうずいたように思われた。


 それはどうしてなのだろう、と口にするように舌を動かしてみると、うずきの原因はすぐにわかった。


 こいのせいだ。


 歯間しかんこいがそうさせるのだ。とここまで考えてみて、歯と歯のあいだに挟まったこいの肉片が強烈に意識にのぼってくるので僕はまいってしまった。なぜといえば歯茎はぐきに受けるその感覚から、こいの肉片がもぞもぞと身じろぎして自己主張しているように思えたからだ。自己表現、自己紹介、何だって構わないが、ただ確かなのは、こいの肉片が僕にとって無視できないものになったということだった。そして僕はこのことに照れてしまう。


 僕はなにを、なにを僕はこいの肉片なんかをこんなに意識しているのだろう。どうして僕は歯に挟まっているこいの肉片をこんなにも意識して恥ずかしがっているのだろう。


 不甲斐ふがいない自分を呪いたくなったがそれはしないでおいた。なぜといえばそうする段になってある考えが僕の頭をよぎったからであった。


 歯に挟まったこいの肉片でこれだけのことができるのであれば、君とならその程度はさらにはなはだしいに違いない。僕はそう考えたし、その考えは福音ふくいん相違ぞういないのだろう。


 僕は自分が思っているよりもずっと深く君のことをイメージすることができるし、そうすればきっと、実現できることがもっと増えていくんだと思う。


 いま僕はここで告白してしまうが、君という彼女がこのキッチンの中空ちゅうくうで落下するでもなく吊りあげられるでもなくふらふらと揺れているさまを極力考えまいとしてきたあの日から今日までのあいだ僕はずっと禁欲をしつづけてきたんだ。手びろく、できうる限り我慢してきた。


 だけどこうしてこいの煮つけを食べながら君のことを考えていると、それは間違いで意味のないことだったのかもしれないいまにして思えばと後悔する僕のなかでは何かが目覚めはじめていた。と、そんな思いにひたっていると目覚めという感覚は溶けて消えて元からあるものとして僕の背中をさすってくれていた。


 僕は自分の背中に君の影がかかるのを、君が僕の背中の上方で揺れているのを感じているわけなんだけど、君のほうではあまり乗り気ではないのか君はさっぱりリアルになってくれない。君はただ僕の想像のなかでへのへのもへじみたいにあらぬ方向を向いたまま、奇妙な叫び声をあげるだけで、少しも建設的なことをしてくれない。


 あるいはこれは僕のほうに問題のある事柄なのかもしれない。その場の感覚だけで生きていられたのはただ僕の運がよかったからに過ぎず、僕はこれからもっと、自分自身に起こる事柄のひとつひとつに、暗示や予感めいたものを見出さなきゃならないんだ。


 ざくっ。


 舌の根本の横っちょを軽く噛んでしまう。するとイメージが起こる僕のなかで。それはこんなやつだった。大きな木箱にたった一匹きりで保管されつづける喋が、たぶん、これは憶測おくそくでしかないからたぶんと前置きするのだけれど、木箱のなかの沈黙があまりに重苦しいとかだとか、誰も見ていないからだとか、そういうことを言い訳にして、自分のたった二枚しかないはねのその片方を、ぼとりと、椿つばきの花や柿の実みたいに落としてみせるようなやつ。


 で、そこで僕が理解したのは、イメージされるってことはそのイメージよりも実際のそれはもっと軽くて軽薄けいはくで、イメージよりも意味のないものなんだってことだった。


 首吊り自殺しているところを容易にイメージされてしまうようなやつは、君は、つまり彼女は、いや、ここではあえてそのまま君と呼んだほうがいいのかな、君は、いいや、僕にとっての君は、その程度の存在でしかなかったんだ?? 本当にそうだろうか??


 ひらひらと稼働かどうをつづける喋のはねと、そうしないで木箱の底に横たわるはね。さっきまであんなにかちこちに固まっていたはずなのにちょっと火を通しただけで何時間も煮込みつづけたように柔らかくなるこい死骸しがい。理解、無理解の違いがあろうとそのふたつはどちらも時間の経過がもたらしたものだ。


 それなのに僕はなぜ、ふたつのイメージがかさなったというだけで、なにをこんなに動揺どうようしているのだろう?? ああ僕はいま自分が思っているよりもずっと興奮しているな。と気がついたときにはすで、僕の興奮はそれよりもさらに大きくなっていたので、僕は自分自身のことを、なんだか鼻持ちならない人だな、と思うのだった。こんなことはひとりでするものだ、とも思った。君といるのに、それも夕餉ゆうげの席で、しかもこいの煮つけの並んだテーブルの上でいつくばってするようなことじゃない。


 ここまで考えてみてはじめて、僕は自分の心がだんだんと落ち着いてゆくのを感じて喜ばしく思ったし、こそばゆいようにも思われた。が、ここまでスムーズに稼働かどうしていたイメージが消えてしまっていた。僕は必要にかられ、そのことにすぐさま怒りを覚えたのだが、怒りはすぐに消えてしまった。


 それどころではない、そう思ったのだ。


 僕がいま必要にかられてしなければならないのは、怒りを覚えることなどではなく、僕のイメージを死なせたその原因を探りだし、それと向き合い、それを見詰めつづけることだ。


 この考えは間違いだろうか? この感情は間違いか?


 少なくとも見当外れということはないだろうな、僕は頭のなかでそう呟き、口のほうでもおなじことを呟いた。


 建設的ではなく、ましてめられた行動ではない、と、そうわかっていても、それをせずには生きていられないというような事柄が、誰にだってあるはずだ。そうした、個々にとってはプライベートだけれど、原理としては普遍的ふへんてきなことをあげつらい、人々は心ない言葉を投げかけるかもしれないが、その言葉でさえもがその当人のなかでいつか反芻はんすうされたものだ、と思えばこそ、人は、他者に対し寛容かんようになれるのではないだろうか。


 気持ちよくイメージしているところを、断りもなく急に邪魔されるのは誰だって嫌なので、それをすることは誰の目から見ても不快な行為である。これだけは間違いない。


 とすれば、もうそういうことが起こらないように原因を監視しつづけその動きを封じるというのは、火にかけたばかりの鍋の中身がことこと動くのを眺めているより、いくらか建設的であるに違いない。と考えたときには、僕はすでに、それを口に出していた。


 それならと僕は、誰かに僕自身の姿を見られていると仮定しながら、おなじことを口にしてみた。するといくらか気分が晴れたので、僕は何度かそれを繰り返した。


 そうするうちに、原因というのが何であったかわかってしまった。何も考えていなかったのにだ。


 ははあ、もしかすると、僕という人間は、何も考えないで生きているほうが、ずっと具合がよいのかもしれないぞ? と僕は言った。

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