こしき

倉井さとり

 いかなる迎合げいごうも自分殺しにほかならないというのなら、ありふれた自傷行為のなかにも、自己のなかで完結していればという条件つきではあるけれど、明日への光だとか、生きる喜びだとか、そういうものを嗅ぎとれるはずじゃないかと君は、蝶々結びで首をわえて四角いキッチンのちょうど中心で揺れながら、息苦しくなって死んでしまう前夜に、君は言ったが。


 そしてその言葉とおなじ文章をわざわざ君は、自由帳に殴り書きして残していったが、僕には物を考える能力というものがあまりないので、また、すすんで君の後悔や苦しみに巻きこまれたくはなかったので、いままでそのことを意識にのぼらせたことはなかったし、そもそも僕としては、いいやおそらく君だってそうだ、僕たちが数年のあいだ住処すみかをおなじにしてきたのは、ただ人肌が恋しいためで、それがないよりはあるほうがいくらか日々を過ごしやすいというだけで、波長はちょうが合う気がするなどとそんな弱い理由からだったが、だけれどいま思い返してみれば、僕のような人嫌いがそんな弱い理由で誰かと過ごすなんてことはありえないはずだ。


 この考えに行き着てみてはじめて、君といっしょに生活をしていたという実感がわいてきた、まただからこそ、君の最後のうったえが僕の頭のなかでかたちを持ったんだ。


 なぜ君は首吊り自殺なんてことをしたのだろう。


 どうして首吊りだったんだ。


 投身や入水、服毒などいろいろとあるなかで、たくさんの選択肢があるなかで、どうして、なぜだろう。そんなようなことをあれこれ考えながら僕は、キッチンのテーブルの上に乗り、そこに膝立ちになって、天井から吊りさがる照明に手をのばしてみた。そして、ドーム状のかさを、指の腹でそっと撫でてみた。


 すると弱い力であったにもかかわらず、照明は思いのほか大きくそして長く揺れつづけるのであった。が、それはいい。そんなことに意味を見出そうだとか、いまのこの揺れ動きと、君がこれに連結してぶらさがっていた姿をかさねてみたって、物をよく考えることの難しい僕には関係してこない話なんだ。そのうえで、それを受け入れたうえで僕はいま、あえて考えてみたいと思う。


 しっかり結びさえすれば、蝶々結びは人を絞め殺してしまうくらいには強固なんだってことがわかったところで、これからの僕の人生に何の得になるのだろう、意識的に頭のなかでそう呟いてひとりで悲劇を演じてみる。すると僕のなかで少しだけ手応えがあった。というのはある考えが起こって、それが僕にはよかったし、僕には救いに思えたからであった。


 彼女は、ここであえて君といわないのだってこのほうが手応えがあるからだ。彼女は自身の体の重さに自身の首を絞め殺されたのではなくて、誰からも愛される可愛らしい蝶々結びによって首を絞め殺されたので、そういう原因から彼女は結果として、全身を首吊り自殺で殺されることになってしまったのだ。


 そう考えれば、彼女が、君が、死んでしまったことには結局変わりがないとはいえ、あの女性はもう死んでしまったのだとたくさんの人間から何度もそれを聞かされようが、僕はこれから少しだけ楽になれるんじゃないか。そういう予感があったし、この予感はこれからもずっとつづいていくんだろうなという予感だってあった。


 そうしたわけで僕はいまキッチンのテーブルの上で、両手両膝をつきながら夕ご飯を食べている。


 こいの煮つけはややどろ臭いながらも美味だった。


 これからの人生ひとりで暮らしていかなければならないということで、僕は、精をつけなければならないなと思った。で僕は、手あたりしだいに近所の住宅を訪問した。僕に教えてくれませんでしょうか精のつく食べ物って何なんでしょうね突然お邪魔してすいません、という言葉だけを頼りにそれだけを繰り返しながら。


 大概の人間は精のつく食べ物になど関心がないのか、つれない反応で僕にあたった。が、ひとりの大男が僕に教えてくれた。


 あなたに教えてあげるよ精のつく食べ物はこいの煮つけだよ急に家に来られたのにはびっくりしたけど悪く思ってはいないよ。そう言って、何度もそう言って彼は、僕の考えをだんだんと定めていってくれた。


 つまりそうした経緯けいいがあった。


 で、僕は実際にその足で自宅に寄って、こいの煮つけを作った。スーパーや魚屋に行かなかったのはなんとなく予感めいたものがあったからだ。おそらく君と僕との冷蔵庫には、よく冷えたこいが保管されている、と。そしてその予感は的中した。だからこそ僕はいまこうしてテーブルの上にいつくばりながら、ややどろ臭いこいの煮つけを犬食いしているわけで、僕の予感だとかこいの出どころだとかは本当にどうでもいいことだったといま思う。


 だがいま思い返してみると僕がこのこいの煮つけを食べることができているのも、僕のこの歯や舌や唇があるからこそで、そこにだって誰かの予感や、なにかしらの経緯けいいが関係しているのだと思うと、僕はいまの自分の状況に少しだけ充実することができたので、自分の人生に文句は言えないのだろうし、あまり難しいことは言えないのだと思う。

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