■13『中島』

 褐色の女が大きく膨れた腹を撫でている夢。その姿は妊婦を連想させるものだが、何か言い表せない違和感を感じる。そんなイメージが脳内に溢れた。


「昼間っから変な夢だな……」


 時計の針は正午を過ぎた頃、中島はやっと目を覚ました。今日は休日。ライブの予定もなく、佐々木と合う約束もない。一週間分の食材を前日に買い溜めしてるため、外に出る必要もない。


「うーしっ、昼飯でも作っか!」


 さっさと飯を食ってベットでゴロゴロしよう。

 と中島は食事の準備に取り掛かるために冷蔵庫を開けて食材を吟味する。


「確か昨日特売の肉が───」 


 ピン、ポーーーーン。


「ん、宅配? それとも佐々木か?」

 

 中島は冷蔵庫をパタンと閉め、はーいと返事をしながら玄関に向かう。


「どちら様です……か……あれ?」

 中島の住む部屋は二階建てアパートの2階。階段を上がって奥に位置する場所に存在する。

 階段の登り口と反対に位置する部屋のため、インターホンを鳴らしてから階段まで距離がある。


「誰もいねぇ。イタズラか?」

 安い部屋のため壁や扉もまあまあ薄く、苦情を減らすためギターの練習もトイレや押し入れの中で行っている。


「妙だな、ピンポンダッシュなら足音ぐらい聞こえそうなもんだが……」

 不信感を覚えつつも中島は扉を閉め、鍵をかけ直してから台所へと戻ろうとした。が………。


「トリックオアトリート!」

 その足は止まった。


 その大きな声に反応した中島は、ふと後ろへ振り向く。黒い魔女のようなコスプレに、カボチャのカバンを持った褐色の女がそこにいた。


「え? ボク妊娠するの?」

「……は?」


 中島は驚いた。突然女が不法侵入してきたことではなく、見透かされたことに。


「ボクがママになるのかぁ……誰との赤ちゃんかな?」

「待て、色々と聞きたいことがある」


「ダメ、お菓子にくくれなきゃ殺害イタズラしちゃうぞ♡」

 まったく話を聞かない女。頭がおかしい相手を真面目に対応してはいけないと中島は状況把握を止め、逃亡を考える。


「逃げることなんて出来ないよ?」

 まるで自身の思考を読むかのように女はカボチャのカバンから携帯電話を取り出し、その画面をコチラへ向ける。


「な、なんだよこの写真………」


 その画面には見に覚えのある人物がガムテープで口を塞がれ、目隠しと共に縄で括りつけられている。その人物の髪型・服装は前日に会っていた少女と非常に酷似しており、他人とは思えなかった。


「てめぇ! 佐々木に何をしやがった!!」

「トリックオアトリート!」


「……………」

 問いに対して答えはなく、話がまったく通じていない。子供や犬に言葉をかける方がまだ意思疎通が出来るのではないかと錯覚するほどに。


「よく分からんが肉を渡せばいいのか?」

「うん! お肉頂戴♪」


 佐々木を人質に取られている以上、この狂人の意見を聞くしかない。中島は冷蔵庫にあった先ほどの肉を取り出し、その容器を渡そうとするが。


「なにこれ?」

「何って肉だよ。お前が言ったんだろ」


「………違う」

 それを受け取ることはなく、女はプクーと頬を膨らませ、不満そうな顔を露わにする。

 

「何が違うんだ?」

「ボクが欲しいのは中島くんのお肉!」


「……は? それってどういう───」


 トリックオアトリートトリックオアトリートトリックオアトリートトリックオアトリートトリックオアトリートトリックオアトリートトリックオアトリートトリックオアトリートトリックオアトリート。


 扉の隙間、窓のさっし、台所の蛇口にコンセントの小さな穴。ありとあやゆる隙間からドロッとした血のような液体が流れ出てくる。


「な、なんだコレ!? おい女、お前───」

「【トリックオアトリート】」


 赤い液体は徐々に床を満たし、その水位を上へと押し上げていく。自身が想定している以上に不味い状況にあると気がついた中島は、最も近くにあった窓から逃げようと走った。が────。


「────ッ!?」


 窓の外、そこは既に赤い海が満たされていた。

 窓ガラスの半分以上がその水面に浸かっており、逃げ場がないことは明瞭であった。


「……佐々木はどこにやった?」



 女は思い出したかのように、ニコッと笑って先ほどの携帯画面を見せてくる。指で画面をゆっくりとスライドしながらその液晶を見せつけてくる。 

 

 そして画面をスライドする毎にその指・手・足・腕・脚………という風に末端から徐々に体が無くなっていく。

 目隠しとガムテープで顔の大部分は隠れていたが、血の気が引いたその青い顔が苦痛と恐怖で歪んでいると誰の目にも明らかだった。


「………殺す」

 ボソッと中島は呟いて、修羅のような形相で女に近づく。

 浸水した床をジャボ、ジャボ……と歩き、女と人間一人分の距離になった瞬間、手の平をその力で傷つくほどに握りしめ、思いっきり振りかぶった。


 その拳は放物線を描きながら、女の顔面を間違いなく捉える軌道を通っていた。


 しかし、その拳は当たることなく止まった。


 バキッという感触と、とてつもない痛みが走る。


「あッ…………」


 中島の拳は空中で止まった。見えない鋼鉄のような壁を殴ったような感触。

 女との距離10センチの所で中島の拳は─────砕けた。


「ぐぁあああああああああっッッ!!!」


 痛みに叫ぶ中島。部屋を満たすその液体は既に、男の胸元まで浸していた。


「トリックオアトリート!」


「うるせぇ!!!」

 中島はそれでも殴った。両の拳が壊れ、その感覚が無くなって、意志とは関係なく腕から先が動かなくなるまで、壁に向かって殴った。


「………………」


 赤い血の池は天井まで満たし、一息つくことも出来ない開かずの間を作り出した。


肺の中の酸素は外に出て、水中に漂う人型の"肉"は物言わぬ。


 女はその大きな肉を自身のそばに手繰たぐり寄せ、愛しいぬいぐるみを扱うようにギュッと抱きしめた。


「……ごめんね」

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