第0005章

 べネップに対して飄々ひょうひょうとした態度で語るのはアジア人の女。その女はシャーレをチラッと一瞥いちべつし、思い出したように呟く。


「うーん、本当にボクの"力"を治せてる。不思議だなぁ」

「……?」


 (力? この人が言っている"力"って感染した『ウイルス』の事?)


「クラモトくんから得た"知識"ではさ、ボクの"能力"を対処出来るのはクラモトくんぐらいのハズ、なんだけどねー。まあキミも、ボクと同じ"例外イレギュラー"なんだろう」


 と先ほどシャーレが見せてくれた踊りを、見様見真似で踊りだす女。


「アナタは何者? 目的は何?」

 シャーレがべネップの後ろから顔を少しだけ覗かせ、女に尋ねる。


「ボクの名前は■■■■■。目的は……下見したみって所かな」

「下見?」


「うん。下見と言ってもシャーレちゃん、じゃなくてべネップくんの方ね。フルコースの『デザート』がどんな人なのか、気になっちゃったの」


 女の内容は、シャーレにもべネップにもまったく要領を得ないものであった。


 子供ながらに「まったく意味が分からない」と顔に出てしまっていた二人を見て、女は少し笑って答える。


「まあ分かんないよね。でも大丈夫、今度会った時に教えてあげるから」

「……何を?」


「この世界の"真実"を───」

 というとべネップの目の前にいた女は、スーッと霧のように散って消えた。

 まるでそこには、始めから何もなかったように。


 少しの溜飲が残ってしまった二人には、緊張と弛緩の繰り返しで呆然ぼうぜんとしてまったが、数分が経つ頃には気を取り直した。


「あの人が……『ウイルス』の原因?」

「おそらく。でも今はそんなことを考えても仕方ない。まずはシャーレ、『外』に出よう」


 べネップとシャーレはマフィア連中にバレないようにこの屋敷から脱出する方法を考え始めた。


 床面の形を『直し』、地下道のように下道を作って外に出る。べネップの『なおす』力には音もなく、これなら部屋の外や屋敷の近くに誰かいたとしてもバレにくい。


 やることが決まったなら善は急げ、とべネップは床面に手を触れる。


「待ってべネップ! 何か嫌な予感が──」

 しかし虚しくも、その計画が実行されることはなかった。


「おいクソガキ。娘を治してくれたのはいいけどよ、何をいらんことを吹き込んでんだ?」


「…………」

 シャーレの部屋から脱出する寸前、扉がバンッと開き、シャーレの父であるマフィンのボスとその部下達がぞろぞろと現れた。


「お父様! 私は治ったんだからべネップを開放して! それに私だってお外に出たいの!!」


「……ダメだ」

 

 娘の意見を聞きつつも、その目は静かで冷たい。

 スーっと濁った瞳孔は、べネップとシャーレの両者を視界に捉え笑っていない。


「まずシャーレ、お前は勘違いしてる。お前は俺の"娘"であると同時に"所有物"だ」

 所有物が勝手に離れるなんてありえない。


 もう少し育ったら敵対組織を懐柔するための道具、または金持ちや政治関係者に贈る慰めモノとして使うつもりだからな、いなくなっては困る。と血の繋がった娘にボスは淡々と伝える。


「………ッ」

 シャーレは幼いながら、自分が根本的に愛されていないことを理解していた。


 父が過保護なのは全て、他の犯罪者から自身を守るため。あまり自分に会ってくれないのも、人質として狙われないように。

 そう、自分自身に言い聞かせていた。

 

 必死に我慢し、父の話を聞いていた少女の心は限界だった。視界が滲んで、『透明』な水が頬を伝って床へと落ちる。


「お前はッ、お前たちはなんなんだ!! 人の命をなんだと思っているんだ……!!」

 涙を流し震えるシャーレの手をギュッと握りながら、べネップはマフィア達に問いかける。


 その声は、その表情は、『怒り』。子供とは思えないほど鬼気迫るものがそこにはあった。


「なんだと思っている、だと? 道具」


 べネップの気持ちもマフィアにとっては取るに足らない、クソの役にも立たないゴミ以下。


 なんの感情もない返答を聞いたべネップの目は、憑き物が取れたように座った。


 完全に"覚悟を決めた"。


「シャーレ、僕の手を離さないでね」

「……うん」

 冷たくなったシャーレの右手と、沸騰しそうなほど熱いべネップの左手は、より強く握られる。


 べネップはシャーレと反対の手の平を、マフィア達に向けて突き出す。


「何がしたいのか知らないがべネップくん、君は用済みなんだよ。さっさと消え──」


 妙な動きを見せるべネップに対し、ボスの口火を合図として部下達がべネップに銃口を向ける。が、その引き金を引く間もなく、べネップは『直す』。

 

 建物内全ての空間を、

「『"氷河期"にもどす』!!」


 瞬間、べネップを中心として全ての生物・物体・気体は急激な気温低下により氷結。


 触れたもの、全てを『なおす』力。

 その力によって限定的ではあるが、空間を数千万年も前に『もどした』。


 結果、範囲内の分子活動量は急激に下がり、全ての生物、その生命活動を許さない極寒の地へと変貌。しかし、そんな中で二人は生きていた。


「ねぇべネップ……お父様達は死んじゃったの?」


「たぶん死んではない。アベナばあが言ってた『仮死状態かしじょうたい』に近い状態だと思う」


 氷河の屋敷の中、べネップとシャーレだけは常に体温と肉体を『維持なお』し続けることによって活動を可能とし、建物から脱出。


「とにかく、村に行こう」

「……うん」


 こうしてシャーレを連れ出したべネップは村へ、アベナの元へと戻った。

 そして、それから数日の短い時を経て、べネップは自身の気持ちをアベナへ伝える。


「アベナ婆、僕はシャーレと『外の世界』が見たい」

 村、今自分が住んでいるこの国、そしてその外に────。


 シャーレの言っていた『ロシア』

 世界屈指の大国『アメリカ』

 父の故郷である『イギリス』


 他にも色んな国、風景、そこに住む人々を、べネップは見たい。

 それは元より考えていた。そしてシャーレとの出会いがより、その気持ちを強めた。


 暗く閉ざされた部屋せかいに住んでいたシャーレ。

 でもそれは自分も同じ。このせかいから、僕も出たい。


 ワガママなのは分かってる。


 でも、「子供はワガママを言うもんでしょ?」とべネップは、いつもと変わらない笑顔をアベナに見せる。

 

 その言葉とその強い意志を感じ取ったアベナは、小言を言おうとした自分を制す。


「べネ坊の分はもうある……。しかし、シャーレの分はまだ時間がかかるでの」

「……何の話?」


 不思議そうなべネップ、それに対しアベナは、ガサゴソと玄関近くに置いてあった小袋をまさぐり、小さな手帳のような物を取り出した。


「アンタの"パスポート"だよ」


 べネップはアベナから手渡されたパスポートを受け取り、更に疑問が増える。


「なんで……?」


「あんたの父親はイギリスからコッチに来るような物好きだ。だからその息子であるべネ坊も、いずれ何処どこかへ行っちまうとワシは思ってたのさ」

「アベナ婆…………」


 クシャクシャの手から渡された真新しいパスポート。言葉では表せない感情が、溢れる。

 感謝しきれない恩を胸に秘めながらも、べネップ達は準備を進める。


 そしてしばらくして旅立ちの時。


 村民への挨拶もほどほどに、二人は『外』へと飛び出す。これまで貯めてきた金と、アベナに貰った道具をバックに敷き詰めて。


「早く行くよ! べネップ!!」 

「うん、行こう! シャーレ!!」


 少年少女は世界へ旅立った────。

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