【起】夢の中。

第1章

 電子板や本に刻まれた文字を読むように、人の心を覗くことが出来る。いつの頃からか忘れたが、気がついたら見えるようになっていた。


 初めのうちは思考を読むという行為に対していささか気分が良くなかったけど、今では人が何を考えているか分からない日常の方が考えられない。


 そして私は、この力を使って欲しいものを手に入れた。


 明るく楽しい家族。

 心根の優しい友人達。

 都合のいい知り合い。


 この人間社会において人の気持ちが分かる。ということは金や力を手に入れる事と同義。


 全て思うがまま。


 そんな私は最後に、前から好きだった彼を手に入れることにした。でも、私はあえて覗かない。


 最後の最後はこの力を使わずに彼と結ばれたい。

 そう思った。


 彼と出会ったのは中学の頃。


 人見知りが酷く、好かれている訳でもないに嫌われることを恐れ、ビクビクしていた私。

 友人……どころか話す相手すらおらず、クラスの中で浮いた存在。


 そんな私に、彼はニコニコと当たり前のように声をかけてくれた。


「よ、たちばな。あれから大丈夫だった?」

「……ぁ、ぅん」

「ん? あ、ごめんごめん。おはよう!」


 傘を忘れて学校の入口でボーッと立っていた時、自分の傘を話した事もない私に貸してくれた彼。


 何の変哲もない、ただの黒い傘。


 手を降ってバイバーイと大声で叫びながら、自分は雨に濡れ走って帰る彼の姿は、古典的な主人公のようだった。


 結局私はその傘を使わせて貰ったけど、傘の一部に穴が空いていて結局少し濡れた。でも、そんなヌけてる所も可愛いと思った。


「あの……これ……」


「ん、ありがとう。ごめんな、あの時は気が付かなかったけど、ちょっと穴開いてなかった?」

「ぅ、うん、だから……」


 私は傘を彼に渡すとき、その傘の生地を指差す。


「あ、直してくれたの? スゲーな」


 撥水はっすい性の布をくっつけて補強しただけ。その色合いも黄色の布地しかなかったので黒に対してワンポイントで目立っている。


 正直言って新しい傘を買えばいいだけで、別に直す必要もなかった傘を私は勝手に直した。


「おぉ! これなら雨漏りしなくて済むな」

「ま、まぁ……傘ってそういうものだから……」

「ん! 大事に使う」


 それから会えば挨拶をする程度の仲にはなったけど、これといった進展もなく、かと言って話しかけるにしても話題もない。


 本当はもっと仲良くなりたいけど、話しかけて嫌われるのが怖い……。


 とそんな私に音沙汰もあるはずなく、高校生に。

 あいもかわらず私は彼に何もできてない。


 心が突然読めるようになって交友関係は増えたし、人と接する時に怖がることもなくなった私だけど、彼にだけはアプローチ出来ていない。


 せっかく同じ高校に入ったのに……。


「あ、雨………」


 考え事をしながら高校に向かって私はテクテク歩いていると、突然小雨が降り出した。

 天気予報では降水確率20%の曇りだったので、傘を持たずに出てきた私。


 まあ、ここから学校まで5分ぐらいで着く。

 少し濡れてもいいか。

 

 私は少しずつ、濡れながら歩いた。

 ポタポタと降る雨は少しずつ強くなって私に降りかかってくる。さすがに雨宿りをするか、それとも走らなきゃいけないな、と考えはじめた私。


 そんな私の背後から声が聞こえる。


「おーい、橘ー!」

「ん、あッ……」

 

 走って近づいてきた心の読めないあの人は、当たり前のようにした傘の中に私を入れる。

 高い背丈で持っているその傘は、染めらている。


「濡れたら風邪引くぞ?」 

「……いいね、その傘」

「だろ? 雨漏りしないから最高だよ」


 そういった彼の笑顔を見て私は気がついた。


 彼の気持ちを知りたくなかったのは嫌われることが怖かった訳じゃなく、無関心が怖かった。


 元から興味の無い私に、彼はたわむれで関わった。私の思い出が、そんなモノで終わってしまう。それが怖かった。


 だから彼の心から目を背けた。


「……? どうした?」

 私は、初めてそんな彼の心を覗いた。


「んん、なんでもないよ」

 それはとても綺麗で、とても美しい文字列。


 あの日から生まれた、私の気持ちは間違いじゃなかった。


「あ、あのね…………」

「ん、なに?」


 この心を読む力は、もういらない。

 欲しいものは全て、貰った。

 それは心を読む力のことじゃなく────。


「傘に入れてくれて……ありがとう」

 彼から貰った宝物。


「ん、大丈夫」

 空を覆っていた雲は風に乗って通り過ぎ、雨は嘘のように晴れ渡る。私は小声で勇気を振り絞る。


「おッ、晴れてきたな」

「あと、それとね…………」


「ん?」


 天から差し込む日の光は濡れた地面と湿気を照らして虹を作り出す。黒と黄色の傘の下、二人は目を合わせ青い空とは真逆に赤くなる。


 差し込む日の光が二人を祝福し、広げられた傘が薄い影を作り出す。そして少しのと沈黙を置いてから、彼女はやっと心を開いた。


「ずっと前から……好きでした」

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