第18話 カッコいいし

 それこそ幽霊みたいな声だった。覇気がなくて抑揚がない。息のような声。部屋が静かでなければ、聞き逃してしまうであろう声量。


 一瞬、私は誰が喋ったのかわからなかった。はじめて聞く声だったし、今の状況なら幽霊の声でもおかしくない。


 声の主に気づいたのは、


糸谷いとだにさん……」閑古鳥かんこどり糸谷いとだにの名前を呼んでからだった。「……いいの?」

「はい」とても小さな声だったが、たしかに糸谷いとだにの口が動いていた。「どうせ私は、会話に参加しない。だから、ご自由に」

「ふむ……」閑古鳥かんこどりはご主人に向き直る……いや、幽霊に向き直ったのだろう。「一応聞くけど……危険はないの?」

「……」ご主人は幽霊の声を聞いてから、「ないって言ってます」

「……まぁ悪意があるなら、了承なんて得ようとしないよね。勝手に体を乗っ取れば良い話」


 それもそうだ。もしも幽霊が糸谷いとだにの体を使って悪さをするつもりなら、さっさとやってしまえばいい。ご主人が入ったときから幽霊はいたのだから、その時に誰かの体を奪ってしまえばいいのだ。


 今まで幽霊側から危害が加えられていないということは、おそらく敵意はないのだろう。


 しかしそれでも閑古鳥かんこどりは不安なのかもしれない。閑古鳥かんこどりは生徒会長……生徒たちのトップなのだ。この学校の生徒に危険があるのなら、尻込みするのは仕方がない。


「大丈夫」糸谷いとだにがつぶやく。「私、強いから」


 圧倒的な自信だった。幽霊に体を奪われても、自分なら最終的になんとかできると確信しているようだった。そして、それに見合う実力もあるのかもしれない。


 とにかく、糸谷いとだにがそういうのなら、閑古鳥かんこどりはそれを信じるしかない。下の者を信じることも、トップの役割の一つだ。過保護になって守るだけではトップは務まらない。時には部下に任せるのも重要なのだ。


「よし……じゃあ糸谷いとだにさんに任せてもいいかな?」

「了解」そこで糸谷いとだにははじめて顔を上げて、「どうぞ」


 そういった。幽霊に『自分の体を使っていい』という意思を伝えたのだろう。


 しばらく、沈黙があった。体を乗っ取るなんて嘘なのかと疑いかけた瞬間、


「お……」不意に、糸谷いとだにが動き出した。自分の手を確認して、「生身の体……久しぶり」


 どうやら糸谷いとだにの体に幽霊が乗り移るのが成功したらしい。まさか糸谷いとだにが演技しているというわけでもあるまい。


「では、改めましてはじめまして」いきなり糸谷いとだにが明るい笑顔になる。違和感しかない。「ボクは……えーっと……ボクの名前は……」


 糸谷いとだに……いや、糸谷いとだにの体を借りた幽霊はひとしきり悩んでから、


「あれ……ボクの名前は何だっけ?」どうやら名前が思い出せないらしい。しかし、特に気にした様子はない。「まぁいいか。じゃあボクのことは……そうだね、一ノ瀬いちのせって呼んで」

一ノ瀬いちのせ、さん?」閑古鳥かんこどりが首を傾げて、「名前の由来は?」

「カッコいいから」シンプルな理由だった。これでは反論などできない。「まぁ別に、名前なんて個体が識別できればいいんだよ。一ノ瀬いちのせで問題があるなら、別の名前をつけてもいいよ」

「いや……一ノ瀬いちのせでいいよ。カッコいいし」


 たしかにカッコいい。一ノ瀬いちのせという名字はカッコいい。私も一ノ瀬いちのせに生まれたかった。ケントニス・ノレッジ・コネサンス・シュテルケ・ポテンツァ・サジェス・ウィズダム・ヴィスハイト・ヴィゴーレ・マハト・フォルスも気に入ってはいるけれど。長いことを除いて。


「とにかく、よろしくね」糸谷いとだに……じゃなくて一ノ瀬いちのせは屈託なく笑う。糸谷いとだにの顔で明るい笑顔、しかもハキハキ喋られると違和感がすごい。「じゃあ時間もないことだし、さっさと本題に入らせてもらうね」

「時間がない?」

「そうそう。あとで詳しく説明させてもらうけど……最近、この学校には悪霊が住み着いてんの。それをなんとかしないと、生きてる人間も幽霊も、みーんな消されちゃうかも」


 どうやら、事は私が思っていた以上に切迫していたのかもしれない。

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