第5話 バケモノ
猫に生まれ変わって、そのまま私はしばらく待っていた。
こんな雨の中、外を出歩いている人間も少ないか……こちらから飼い主候補を探しに行こうかと思っていると、
「あれ……ねぇあれ見て」
少し離れた場所から、声が聞こえてきた。15歳くらいの少女の声だろうか。足音を聞く限り、おそらく3人組だった。
「捨て猫?」
「……そうみたいだね」
そんな会話をして、彼女たちはこちらに寄ってきた。同じ服を着ている3人組……おそらく制服か何かだろう。
少女たちは傘で雨をしのぎながら、私を覗き込む。
「……うわぁ……かわいそう……」
「本当……飼い主は何をしてるんだろうね」
……勝手に同情されるのは腹が立つが、まぁこの状況だ。仕方がないだろう。
「……どうするの?」
「どうするって……?」
「……拾うの?」
「そうしてあげたいけど……この猫、態度デカそうだし。そこまでかわいくないし」
悪かったな。というか私はどんな顔をしているのだろうか。この姿になって自分の顔を見ていないから、態度がデカいのかも、かわいくないのかもわからない。
「かわいくない猫拾ってもなぁ……」
「気に入らなければ捨てればいいんじゃない?」
「それもそっか……じゃあ、とりあえず拾ってみようか」
命をそんな感覚で拾うな。私だったから良かったがな。他の生命体にそんなことをしては、殺す結果になるだけだ。どちらも不幸になるだけだ。
とはいえ……まぁ人間に拾われるのも悪くない。この飼い主が気に入らなければ逃げればいい話だ。自分を愛してくれる飼い主から逃げるのは心苦しいが、飼い主側がこんな態度なら心も傷まない。
というわけで、私のご主人様が決定しかけたときだった。
「あ……」
突然、眩しい光が私達を照らした。次の瞬間、大きな鉄の塊が高速で私たちに迫ってきた。
「車……!」少女たちが顔を青くして叫ぶ。「危ない!」
少女2人はその黒い鉄の塊(車と呼ぶことを後で知った)から逃げたが、1人の少女が足を滑らせて転倒した。このままでは鉄の塊に跳ね飛ばされてしまうだろう。
黒い塊の速度と質量……それらは圧倒的だった。このままいけば少女の命はないだろう。
「ニャオ(せっかくのご主人候補だ)」
助けてやるか。私は少女の前に飛び出て、そして鉄の塊を右手(右前足)で受け止めた。
想像以上の衝撃だった。鼓膜が破けそうになる轟音が響く。その後、鉄の塊の車輪が空回りする音がしばらく鳴り響いって、鉄の塊は動きを止めた。
「ニャー(ほう……)」私はひしゃげた鉄の塊の上に飛び乗って、「ニャーニャー(なかなかのパワーではないか。魔物……いや、機械か? どちらにしても、素晴らしい性能だ)」
私が受け止めても、まだ原型をとどめている。しかも先程のスピード……速度も威力も耐久力も兼ね備えている。こんなものがあれば世界征服もたやすく成し遂げられるかもしれない。
この世界にはこんな素晴らしい機械が発明されているのか。俄然興味が湧いてきた。この世界について学んでも面白いかもしれない。
「……っ……!」
少女が悲鳴にならない声をあげる。3人共完全に腰を抜かしているようで、蒼白の顔をこちらに向けていた。
鉄の塊が突っ込んできて死にかけたのだから、仕方があるまい。
「にゃ(おい、そこの)」
「ヒッ……」私が言葉を発した瞬間、少女は後ずさって、「バ、バケモノ……」
……バケモノ……
ああ、なるほど……そこでようやく少女たちが怯えている本当の理由に気がついた。
少女たちは私に怯えていたのだ。鉄の塊を片手で受け止めた、得体の知れない黒猫に怯えていたのだ。
……結局この世界でも、怯えられるのだな。強大な力を持つ者の宿命かもしれない。少しばかり不用意だった。もう少し、力を隠すべきだったかもしれない。
怯えられても、別に悲しくはない。いつものことだ。魔王のときは、誰からも怯えられていた。誰からも畏怖されていた。私に恐怖という感情を向けないやつはいなかった。
元通りになっただけ。何も悲しいことなんてない。これが私の生き方なのだ。誰かに愛されようなんて、虫がいい考えだった。
私は恐怖の対象なのだ。こんなやつを拾ってくれる人間なんていない。
「ニャ(おい)」
「……っ!」
私が声をかけると、少女はさらに怯えた顔で後ずさる。完全に腰が抜けているようで、立ち上がって逃げることもできないようだった。
「ニャー(危険を感じたなら逃げろ。腰を抜かしている場合じゃないぞ)」
恐怖の感情は悪いものではない。怖い相手から逃げるために必要なものなのだ。だから、私が怖いと思ったのならさっさと逃げればいい。
なのに、目の前の少女たちは逃げない。逃げられない。腰を抜かして、この危険地帯にとどまっている。
少し、腹が立ってきた。
私は右手を振り上げて、そのまま勢いよく地面に振り下ろした。地面は大きくひび割れ、周囲に巨大な亀裂が入った。
轟音。そして一瞬の静寂。それから、
「キャー!」
1人の少女の悲鳴と同時に、少女たちはこの場から逃げていった。2人は走って逃げたが、1人は倒れたまま地面を這って逃げていた。
少女たちが視界から外れて、私はため息をつく。
やはり、この魔王が誰かに飼われようなどと考えたのが間違いだった。私はバケモノなのだ。この力を使って誰かを支配するしかできない生き物なのだ。
少し休憩したら、世界征服でも企むとしよう。それが私の生き方だ。それでいい。他の生き方なんて求めていない。
だけれど、少しだけ疲れた。この場所で一眠りしてから行くとしよう。
今にして思えば、それが分岐点だった。ここですぐにどこかに行ってしまえば、あのアホと出会うこともなかっただろう。私は世界征服に向けて動き出していただろう。
この後だ。ご主人と出会ったのは。
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