第52話 逃走すること風の如く

 真っ暗な闇の中に静まりかえる大運河を渡る夜風が、僕の髪を揺らしていく。


「ん、なんだか雰囲気出てきた……」


 僕はそう呟きつつ、無数のあかりに照らされた王城おうじょうを見上げた。

 《森の民》の偵察兵ていさつへいのひとりがぐ小舟の上で、目標となる塔の見当をつける。


「えっと、大運河は《王都》の中を北東から南東に貫いているはずだから、北の塔は──あれか」


 夜目よめく《森の民》の偵察兵も、うなずいて同意を示してくれた。

 こうなったら、いてもたってもいられない。僕は偵察兵に小さく頷き返すと、口の中で《風霊術ふうれいじゅつ》の《精言せいごん》を紡ぎ始めた。


「……それじゃ、僕は飛ぶね。あとのことは打ち合わせ通りにって、フェンナーテたちに伝えといて」


 無言で頷く偵察兵に笑ってみせてから、僕は一気に身体を風に預けて宙へと舞い上がる。


 ──ヒュウーッ!


 心地よい夜風が身体の周りを縦横無尽じゅおうむじんに包みこみ、僕の身体を意志通りに夜空へと舞い上げていく。

 一応、王城の灯りが届かない範囲ギリギリのラインを飛び上がり、城壁を越え、一気に北塔きたとうの屋根の上を目指す。


「確か、あの塔は王族の中で問題がある人物を幽閉ゆうへいするための場所だったはずだ……」


 罪を犯したり、精神的な病にかかったりした王族を丁重ていちょうに、かつ、確実に隔離するための場所。

 僕が王城で生活していた頃は使われていなかったはずだが、そんな場所にエクウスは一年以上とらわれていたというのか。

 今さらながら沸々ふつふつと怒りのような感情が沸き起こってくる。

 《風霊術》を操作して、塔の屋根の上に降り立った僕。

 この塔は二層構成になっていて、下層は警備や世話役のスペースになっており、上層が囚われ人の生活空間になっていた。

 そんなことを思い出しつつ、僕は、そっと屋根にある天窓てんまどから部屋の中をうかがおうとした。


「エクウス──!!」


 天井からの影になってハッキリとは見えないが、確かに金髪の少年の姿があった。

 机に向かって何か書き物をしているように見えた。

 思わず、すぐに飛び込んで行きたくなる衝動しょうどうを必死に抑えて、風を塔の窓やあちこちの隙間から送り込んで人の気配を探る。


「下層に三人いるな……でもって、上層にはエクウスひとり」


 僕は意を決して、天窓の鍵を《風霊術》の風の刃で両断し、再び《風の衣》を纏って天井の高い位置にある天窓からおどらせた。


「──!? って、ノクト様!?」


 風に気づいて振り返ったエクウスの口を慌ててふさぐ僕。


「しーっ! 声を上げない!」

「──って、ノクト様の声の方が大きいですし」


 その冷静なツッコミに、僕はいったんキョトンとした後、吹き出しかけるのを必死にこらえた。


「エクウス、久しぶり。苦労かけたね、ゴメン」


 しばらくぶりに会った金髪の少年は、背が伸びたように見えた。その分、身体が細くなったようにも思えたが、やつれたという雰囲気ではなさそうだった。


「ノクト様もお久しぶりです。みんなこそいろいろ大変だったと聞いています。僕の方は読書と訓練三昧ざんまいの日々でしたから、気にしないで大丈夫ですよ」


 僕はエクウスの右手を取ってしっかりと握手する。


「話したいことは山ほどあるけど、今は時間がないんだ」

「ということは、脱出ですね」

「うん──ということで、問答無用で行くよ」


 そう言うなり、僕はエクウスの返事を待たず、《風の衣》を僕とエクウスの二人分展開し、今度は天窓へと飛び上がると、複雑な風を操って、器用に小さな窓から外へと滑り出た。


「うわぁっ!」


 エクウスが我慢できずに声を上げてしまう。

 《風の衣》に包まれた僕たちは、無数の灯りが地上の星空のように散らばっている《王都》の街の上を滑るように、大運河岸壁の片隅へと舞い降りていく。


「お、エクウスじゃねーか! 脱出大成功って、《風の精霊術》便利すぎだろ!」


 そう言いつつ、嬉しそうな表情でエクウスの胸へと拳を突き込んだのは《山の民》族長の息子、フォルティスだった。

 地面へ降り立つなり、突然の攻撃に面食めんくらいつつも、エクウスは寸前のところで両手をあげてその拳を受け止めた。


「フォルティスも来てたんだ!」

「おうよ、あとは森のねーちゃんズも来てるぜ」


 フォルティスが後ろに止まっている馬車を指さすと、御者台からフェンナーテとディムナーテがこちらに手を振ってくる。


「おー、無事だったか! って、なんだよ、その『森のねーちゃんズ』って!」

「……うん、なんだか……一緒くたにされるのは……ちょっと不本意……」

「って、そっちかよ!?」


 お約束のような掛け合いをしている《森の民》の姉妹にはツッコまず、僕はエクウスとフォルティスを促して荷台に乗る。


「こーいう雰囲気キライじゃないけど、今はゆっくりと楽しむ時間はないから。ここから先は《セネリアル州》まで逃げ延びる時間との戦いになるからね、みんな腹をくくってよ!」

「「おうよ!」」


 僕の言葉に、フェンナーテとフォルティスが応じ、無言でディムナーテとエクウスが頷く。

 それを確認してから、僕は《風霊術》を再構築し、馬車全体を風で包みこみ、暗闇の大運河上へと勢いよく突っ込ませる。


「このまま大運河を南東側へ抜けて、適当なところから陸に上がる。そして、その先は北東の《ジェントフォンヌ伯爵領はくしゃくりょう》を目指して、そこから山道を抜けて《セネリアル州》へと戻るよ!」


 ◇◆◇


「……なんか風がざわめいてると思ったら、ヘンなヤツらが《王都》に紛れ込んでるな」


 《王都トルネリア》の大運河を挟んだ北街区きたがいく南街区みなみがいくを繋ぐ唯一の《トルネリア大橋》。

 その上でひとりの少年が、闇に包まれた大運河の水面ギリギリを駆けていく馬車へと視線を向けていた。


「酔い覚ましに、ちょっと遊んでやるか」


 隣から抱きついてきている女の子に片目をつむってみせてから、そのままの状態で少年は片手を器用に動かして空中に白く光るもんのようなものを描き出す。


「あ、それって、《風霊術》でしょ! 《革命軍の風のプリンス》の術を、こんな特等席で見られるなんてサイコーだわ!」

「そうだな、あとで観覧料とるからな」


 そう言って笑いながら、少年はいくつかの風の矢を、橋をくぐり抜けようとする馬車へと放つ。


「おっ?」


 風の矢は時間差で馬車へと命中し、《風霊術》どうしが複雑な干渉をしあったせいか、勢いよく走っていた馬車はいきなりぐねぐねと蛇行するような動きを見せた。

 だが、水面に衝突しそうな寸前で動きを立て直し、そのまま橋の下へと入りこんで、反対側へ突き進んでいくようだった。


「あら、あの馬車立ち直った──っていうか、大運河を走る馬車って何者なの? 追いかけなくてイイの?」

「ほっとけ」


 少年はグイッと女の子の身体を引き寄せる。


「今のは酔い覚ましの幻覚だ。っつーか、下手に勝手なことをしたら《革命裁判》送りにされかねないしな、アイツらみたいにさ」


 だから、今見たことは誰にも言うなよ、と女の子に念を押す少年だった。


 ◇◆◇

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