第19話 ボックス!

 《拳闘カエスト》──古来から《山の民》に伝わっている儀式で、山の神の御前で行われる二人の戦士による一対一の殴り合いの決闘。

 ルールはむこうの世界にあるボクシングとほぼ同じ。

 というか、外見はともかく《山の民》の族長も、頭の中は《森の民》の族長と同じく脳ミソ筋肉だったということだ。

 もちろん、僕はそんな提案拒否するつもりだったのだが──


「──ねえ、本当にやるの? というか、僕は今でもやめさせたいんだけど」

「ここまで来て、今さらやめたはカッコ悪すぎですよ」


 そう言って笑ってみせたのは、腰布と獣の皮で作られたグローブだけを身につけた格好のエクウスだった。

 僕は今、エクウスと共に大空洞の中央にある舞台の前まで来ていた。

 というか、舞台といっても、四方をロープで囲まれている、まさにボクシングのリングみたいな場所なんだけど。

 当然、《山の民》族長のルミナシムさんの提案を、僕は断った──いや、断ろうとしたんだけど、その時、不意に立ち上がったのが、金髪の少年エクウスだったのだ。


 ○


「ぼくがやります! やらせてくださいっ!」

「ちょーっと、待ったぁ!!」


 僕はエクウスの両肩をつかんで壁際へと押していく。


「エクウスくん、今、キミもさっきここに来る途中で見たよね。あんなゴッツイ相手と殴り合いなんかして勝てるワケ……っていうか無事にすむわけないことくらいわかるよね」


 すると後ろから、ルミナシム族長が笑いをこらえるような口調で口を挟んでくる。


「対戦相手は同じくらいの子を用意するよ。それが聖なる《拳闘カエスト》の決まりでもあるからね」

「だったら、ぼくでもやれますよ。こう見えても王都にいた頃からケンカで負けたことないですし」


 それって、負け役フラグだってツッコミかける僕。そもそも貴族の御曹司おんぞうし相手に本気でケンカする相手なんかいないわっ! と、声を上げかける僕だったが、エクウスの無邪気な笑みに言葉が詰まる。


「ぼく、ノクト様の力になりたいんです。兵士の訓練の他にもファスクルンさんに護身術ごしんじゅつも教えてもらっていますし、絶対に結果を出します!」

「ううっ……」


 僕の冷静な部分では「絶対に勝てるわけがない、危険もあるし、絶対にやらせちゃダメだっ!」とわかっているんだけど、「エクウスが自分から前に進もうとしているんだ、成長のかてを得ようとしているんだ。保護者として背中を押してあげたいっ!」という思いも強く主張していて、僕は激しいジレンマにさいなまれてしまった。


「ノクト様、ぼく、どうしてもやりたいんです。ダメですか……?」


 捨てられていた子犬のような目で見上げてくるエクウスの姿を、僕は直視できずに顔を背けてしまう。

 ルミナシム族長が意地の悪い笑みを浮かべる。


「それで、結局どうするのかな。わらわとしては、どちらでもかまわないんだが」


 ○


 そして、結局、僕はエクウスと共に舞台の上、四隅の一角に立っていた。


「……もう、ここまで来たらしかたない。とにかく無事に終わらせることだけ考えよう」


 そう言いつつ、小さくてやわらかいマウスピースみたいなものをエクウスの口へと含ませる。

 本当にボクシングみたいだな、と思いつつ、僕はロープの間をくぐって外に出る。

 対角線上の隅には対戦相手も姿を現していた。

 体格はエクウスと同じくらいの少年だ。

 《山の民》らしい色素の薄い白い肌に肩まで伸ばした銀色の髪を揺らして、軽くストレッチをしている。

 エクウスも今までの過酷な環境で過ごしてきたからか、細身ながらも身体は締まりはじめているが、相手の銀髪の美少年は、それ以上に鍛えられているようにも見える。

 僕はロープ越しに、エクウスにそっと耳打ちする。


「いざとなったら《風霊術》でサポートす──」

「ダメですよ」


 エクウスがしかたないなぁと言いたげな笑みを浮かべる。


「もし、それがバレたら話がまとまるどころか、《山の民》を敵に回すことにもなりかねませんよ。これは神聖な儀式なんですから」

「……っ」


 その正論に、僕は言葉を失ってしまう。

 そんな僕に再び笑いかけてから、エクウスはレフェリー──じゃなくて、審判役の神官の指示に従って、舞台の中央へと進んでいく。

 《山の民》がまつっている神像の隣の席に座っていたルミナシム族長がすっくと立ち上がった。


「これより神の御前にて、神聖なる《拳闘カエスト》を執り行う。これは《地上の民》ノクト・エル・ドランクブルムが、我ら《山の民》の盟友たるに相応ふさわしい相手かどうか、神の審判を請うものである!」


 大空洞に集まった《山の民》の観客たちから大きな歓声が上がる。

 大半がエクウスの対戦相手の銀髪の少年──フォルティスを応援する声だったが、中にはエクウスに対して声援を飛ばす《山の民》もいた。

 もっとも、エクウスに向かって、一番必死に声を上げていたのは、ルミナシム族長の横に席を占めるプリーシア以下の子供たちだったが。

 そして、大空洞内に大きな銅鑼どらの音が響き渡る。

 試合開始だ──僕は無意識のうちに拳を強く握りしめていた。


 ○


「エクウス、スゴイよ! まさか、ここまで頑張れるなんて、僕、ちょっと感動してる!」


 数分間おきに挟まれる休憩時間──むこうの世界のボクシング用語で説明すると、今は三ラウンド終了後のインターバル。

 僕は肩で息をしているエクウスの汗を布で拭きながら、熱く声をかける。

 エクウスは予想外の健闘を見せていた。

 試合開始直後から突っ込んできた相手の少年に正面からぶつかろうとしないで、冷静に距離を取りつつ、上手い具合に相手の顔面とボディにパンチを打ち分けて勢いを削いでいた。

 もちろん、それでも突っ込んでくる対戦相手の拳で腹を強かに打たれたエクウスだったが、顔には昂揚したような力強い表情が浮かんでいる。


「それにしたって、こんな風に戦えるなんてできすぎでしょ。天才か!」

「あー、実はファスクルンさんが教えてくれている護身術って、《山の民》の《拳闘カエスト》の流れを汲んでるそうです。実際にやってみてわかりましたけど、こういうことだったんですね」


 武器がない状態で身を守るための素手での戦い──まさに《拳闘カエスト》の戦いですよね、と、笑ってみせるエクウス。

 何度目かの重々しい銅鑼どらの音が響いた。

 舞台中央に立つ審判が試合再開の合図をする。


「じゃ、いってきます!」


 エクウスはいったん息を大きく吸い込んでから、こちらに向かってくる銀髪の対戦相手にむかって駆けだしていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る